18 / 42
第十七話 名前を取り戻すということ
しおりを挟む
第十七話 名前を取り戻すということ
交渉が終わった翌朝、王都は不思議な静けさに包まれていた。
歓声も、怒号もない。
ただ、噂だけが速く、正確に広がっていく。
――廃嫡は正式に確定。
――エノー公爵家との交渉は成立。
――戦争は、回避された。
それらはすべて事実だった。
だが、人々が最も関心を寄せていたのは、別の一点だった。
アリエノール・ダキテーヌは、どうなったのか。
王城の掲示板に貼り出された文書は、簡潔で、逃げ道のない内容だった。
> 「アリエノール・ダキテーヌ公爵令嬢に対する
すべての非難は根拠を欠くものであり、
彼女の名誉は完全に回復された」
> 「本件における王家の不手際を認め、
公爵家ならびに本人に対し、
深い遺憾の意を表する」
“謝罪”という言葉は使われていない。
だが、政治の世界では、それで十分だった。
貴族たちは理解する。
これは、
王家が公に頭を下げたという意味だ。
同じ頃、学院。
かつてアリエノールを遠巻きに見ていた生徒たちは、
今や、声をかけることすらためらっていた。
恐れではない。
畏れだ。
彼女は、
王太子を失脚させ、
国家の力関係を動かした存在になった。
もはや、
“学院の公爵令嬢”ではない。
その日の午後、
学院長はアリエノールを私室に呼び出した。
「復学についてだが……」
言い淀む学院長に、
アリエノールは静かに首を振る。
「結構ですわ」
「私は、
ここで学ぶべきことを、
すでに学びました」
それは、怒りでも失望でもない。
ただの、区切りだった。
「学院は、
未来の貴族を育てる場所です」
「ですが私は、
すでに“未来”ではなく、
“現在”を生きる立場になりましたの」
学院長は、何も言えなかった。
その夜、エノー公爵邸。
アリエノールは、暖炉の前で一通の書簡を燃やしていた。
差出人は、ルイス――元王太子。
謝罪と後悔と、
「理解できなかった」という言葉が並んでいた。
彼女は、最初から最後まで読み、
それから、火にくべた。
「……遅すぎますわ」
救済の手を、
彼女が拒んだわけではない。
彼が、選び続けて拒んだ結果が、
今なのだ。
翌日、
エノー公爵領では、
新たな通達が出された。
アリエノール・ダキテーヌ。
公爵家正統後継者。
外交および契約に関する全権代理。
肩書きは、
もう“婚約者”ではない。
名を持つ当事者だ。
父は、執務室で娘に言った。
「お前は、
すでに十分なものを得た」
「だが、
まだ選択肢はある」
アリエノールは、微かに微笑む。
「ええ」
「私は、
誰かに選ばれる立場ではなくなりました」
「――これからは、
私が選びますわ」
窓の外では、
公爵領の旗が、静かに翻っている。
それは、
失ったものの象徴ではない。
取り戻した名前の証だった。
この日、アリエノールは、
婚約者でも、被害者でもなく。
ひとりの公爵令嬢として、
世界の中心に、
静かに立っていた。
交渉が終わった翌朝、王都は不思議な静けさに包まれていた。
歓声も、怒号もない。
ただ、噂だけが速く、正確に広がっていく。
――廃嫡は正式に確定。
――エノー公爵家との交渉は成立。
――戦争は、回避された。
それらはすべて事実だった。
だが、人々が最も関心を寄せていたのは、別の一点だった。
アリエノール・ダキテーヌは、どうなったのか。
王城の掲示板に貼り出された文書は、簡潔で、逃げ道のない内容だった。
> 「アリエノール・ダキテーヌ公爵令嬢に対する
すべての非難は根拠を欠くものであり、
彼女の名誉は完全に回復された」
> 「本件における王家の不手際を認め、
公爵家ならびに本人に対し、
深い遺憾の意を表する」
“謝罪”という言葉は使われていない。
だが、政治の世界では、それで十分だった。
貴族たちは理解する。
これは、
王家が公に頭を下げたという意味だ。
同じ頃、学院。
かつてアリエノールを遠巻きに見ていた生徒たちは、
今や、声をかけることすらためらっていた。
恐れではない。
畏れだ。
彼女は、
王太子を失脚させ、
国家の力関係を動かした存在になった。
もはや、
“学院の公爵令嬢”ではない。
その日の午後、
学院長はアリエノールを私室に呼び出した。
「復学についてだが……」
言い淀む学院長に、
アリエノールは静かに首を振る。
「結構ですわ」
「私は、
ここで学ぶべきことを、
すでに学びました」
それは、怒りでも失望でもない。
ただの、区切りだった。
「学院は、
未来の貴族を育てる場所です」
「ですが私は、
すでに“未来”ではなく、
“現在”を生きる立場になりましたの」
学院長は、何も言えなかった。
その夜、エノー公爵邸。
アリエノールは、暖炉の前で一通の書簡を燃やしていた。
差出人は、ルイス――元王太子。
謝罪と後悔と、
「理解できなかった」という言葉が並んでいた。
彼女は、最初から最後まで読み、
それから、火にくべた。
「……遅すぎますわ」
救済の手を、
彼女が拒んだわけではない。
彼が、選び続けて拒んだ結果が、
今なのだ。
翌日、
エノー公爵領では、
新たな通達が出された。
アリエノール・ダキテーヌ。
公爵家正統後継者。
外交および契約に関する全権代理。
肩書きは、
もう“婚約者”ではない。
名を持つ当事者だ。
父は、執務室で娘に言った。
「お前は、
すでに十分なものを得た」
「だが、
まだ選択肢はある」
アリエノールは、微かに微笑む。
「ええ」
「私は、
誰かに選ばれる立場ではなくなりました」
「――これからは、
私が選びますわ」
窓の外では、
公爵領の旗が、静かに翻っている。
それは、
失ったものの象徴ではない。
取り戻した名前の証だった。
この日、アリエノールは、
婚約者でも、被害者でもなく。
ひとりの公爵令嬢として、
世界の中心に、
静かに立っていた。
15
あなたにおすすめの小説
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
【完結】「私は善意に殺された」
まほりろ
恋愛
筆頭公爵家の娘である私が、母親は身分が低い王太子殿下の後ろ盾になるため、彼の婚約者になるのは自然な流れだった。
誰もが私が王太子妃になると信じて疑わなかった。
私も殿下と婚約してから一度も、彼との結婚を疑ったことはない。
だが殿下が病に倒れ、その治療のため異世界から聖女が召喚され二人が愛し合ったことで……全ての運命が狂い出す。
どなたにも悪意はなかった……私が不運な星の下に生まれた……ただそれだけ。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します。
※他サイトにも投稿中。
※表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。
「Copyright(C)2022-九頭竜坂まほろん」
※小説家になろうにて2022年11月19日昼、日間異世界恋愛ランキング38位、総合59位まで上がった作品です!
欠席魔の公爵令嬢、冤罪断罪も欠席す 〜メイリーン戦記〜
水戸直樹
ファンタジー
王太子との婚約――それは、彼に恋したからでも、権力のためでもなかった。
魔王乱立の時代。
王も公爵も外征に出ている王都で、公爵令嬢メイリーンは“地味な婚約者”として王城に現れる。
だが、王太子は初顔合わせに現れなかった。
にもかかわらず、記録に残ったのは「公爵令嬢の欠席」。
抗議はしない。
訂正もしない。
ただ一つ、欠席という事実だけを積み上げていく。
――それが、誰にとっての不合格なのか。
まだ、誰も気づいていない。
欠席から始まる、静かなるファンタジー戦記。
偽聖女として私を処刑したこの世界を救おうと思うはずがなくて
奏千歌
恋愛
【とある大陸の話①:月と星の大陸】
※ヒロインがアンハッピーエンドです。
痛めつけられた足がもつれて、前には進まない。
爪を剥がされた足に、力など入るはずもなく、その足取りは重い。
執行官は、苛立たしげに私の首に繋がれた縄を引いた。
だから前のめりに倒れても、後ろ手に拘束されているから、手で庇うこともできずに、処刑台の床板に顔を打ち付けるだけだ。
ドッと、群衆が笑い声を上げ、それが地鳴りのように響いていた。
広場を埋め尽くす、人。
ギラギラとした視線をこちらに向けて、惨たらしく殺される私を待ち望んでいる。
この中には、誰も、私の死を嘆く者はいない。
そして、高みの見物を決め込むかのような、貴族達。
わずかに視線を上に向けると、城のテラスから私を見下ろす王太子。
国王夫妻もいるけど、王太子の隣には、王太子妃となったあの人はいない。
今日は、二人の婚姻の日だったはず。
婚姻の禍を祓う為に、私の処刑が今日になったと聞かされた。
王太子と彼女の最も幸せな日が、私が死ぬ日であり、この大陸に破滅が決定づけられる日だ。
『ごめんなさい』
歓声をあげたはずの群衆の声が掻き消え、誰かの声が聞こえた気がした。
無機質で無感情な斧が無慈悲に振り下ろされ、私の首が落とされた時、大きく地面が揺れた。
婚約破棄の後始末 ~息子よ、貴様何をしてくれってんだ!
タヌキ汁
ファンタジー
国一番の権勢を誇る公爵家の令嬢と政略結婚が決められていた王子。だが政略結婚を嫌がり、自分の好き相手と結婚する為に取り巻き達と共に、公爵令嬢に冤罪をかけ婚約破棄をしてしまう、それが国を揺るがすことになるとも思わずに。
これは馬鹿なことをやらかした息子を持つ父親達の嘆きの物語である。
強制力がなくなった世界に残されたものは
りりん
ファンタジー
一人の令嬢が処刑によってこの世を去った
令嬢を虐げていた者達、処刑に狂喜乱舞した者達、そして最愛の娘であったはずの令嬢を冷たく切り捨てた家族達
世界の強制力が解けたその瞬間、その世界はどうなるのか
その世界を狂わせたものは
悪役令嬢は手加減無しに復讐する
田舎の沼
恋愛
公爵令嬢イザベラ・フォックストーンは、王太子アレクサンドルの婚約者として完璧な人生を送っていたはずだった。しかし、華やかな誕生日パーティーで突然の婚約破棄を宣告される。
理由は、聖女の力を持つ男爵令嬢エマ・リンドンへの愛。イザベラは「嫉妬深く陰険な悪役令嬢」として糾弾され、名誉を失う。
婚約破棄をされたことで彼女の心の中で何かが弾けた。彼女の心に燃え上がるのは、容赦のない復讐の炎。フォックストーン家の膨大なネットワークと経済力を武器に、裏切り者たちを次々と追い詰めていく。アレクサンドルとエマの秘密を暴き、貴族社会を揺るがす陰謀を巡らせ、手加減なしの報復を繰り広げる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる