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第四話 社交界に広がる違和感
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第四話 社交界に広がる違和感
王城の外では、まだ誰も「崩壊」という言葉を口にしていなかった。
だが、確実に――違和感は広がり始めていた。
午後の王都。
貴族たちが集うサロンでは、いつもなら軽やかな噂話と称賛が飛び交うはずの時間帯に、どこか重たい空気が漂っていた。
「……最近、王宮の対応が遅くありませんこと?」
最初に切り出したのは、侯爵夫人だった。
上品に扇を広げながらも、その声にははっきりとした不満が滲んでいる。
「ええ、わたくしもそう感じておりますわ。先月提出した嘆願書、いまだに返答がありませんの」
「以前は、提出から数日で“途中経過”だけでも連絡がありましたのに……」
誰かがそう言った瞬間、周囲の視線が一斉に集まった。
「……途中経過、ですって?」
伯爵令嬢が眉をひそめる。
「ええ。却下であっても、保留であっても、理由を添えて返ってきましたわ。ですから、次に何をすべきかが分かりましたのに」
その言葉に、年配の子爵が深く頷いた。
「確かに。無駄な足を踏まされることがなかった。王宮の対応としては、異例なほど丁寧でしたな」
しばし沈黙が落ちる。
――異例なほど丁寧。
その言葉が、皆の胸に引っかかった。
「……それは、エヴァリーナ様のお仕事では?」
ぽつりと誰かが口にする。
場の空気が、一瞬凍りついた。
「……ああ」
「そうですわね」
「言われてみれば……」
それまで明確に意識されていなかった名前が、次々と繰り返される。
エヴァリーナ・フォン・クロイツ。
婚約破棄された元王太子妃候補。
「彼女、社交の場では目立たない方でしたけれど……」
「ええ。でも、不思議と“話が通じない”と思ったことは一度もありませんでしたわ」
「要点を押さえていて、感情的にならず……あれは、簡単なことではありません」
いつの間にか、評価は静かに積み重なっていく。
誰も声高に称賛していない。
ただ、事実として“不在の影響”を語っているだけだ。
一方、王城では、ヴァルターが貴族院からの正式な書簡を手にしていた。
「……遅延に対する抗議?」
読み進めるほどに、表情が険しくなる。
・回答が来ない
・内容が不明確
・担当者が定まらない
どれも、これまで問題になったことのない項目ばかりだ。
「……なぜ、急に」
呟いた瞬間、彼ははっとした。
――急ではない。
ただ、自分が今まで見ていなかっただけだ。
「殿下……」
側近が恐る恐る口を開く。
「エヴァリーナ様が在任中は、貴族院との調整は……その……ほぼ滞りなく……」
「言い淀むな」
「……すべて、彼女が事前に根回しを済ませておられました」
ヴァルターは、椅子の背に深くもたれかかった。
根回し。
それは、華やかな舞踏会や演説とは正反対の、地味で評価されにくい仕事だ。
だが、それがなければ、政治は回らない。
「……私は」
ヴァルターは、声を低くして言った。
「彼女が“冷たい”と思っていた」
感情を表に出さず、必要以上に踏み込まない。
愛を語らず、理屈を優先する。
だが――それは冷酷さではなく、節度だったのではないか。
その頃、クロイツ公爵家では、エヴァリーナが父と向かい合っていた。
「本当に、後悔はないのか」
公爵は、娘をじっと見つめる。
「ございません」
エヴァリーナは即答した。
「わたくしは、求められた役目を果たしていただけです。
その役目が不要になったのなら、退くのが当然ですわ」
「……恨み言の一つも言わぬとはな」
「感情で物事は変わりませんもの」
淡々とした言葉だったが、その奥に揺らぎはない。
公爵は、ふっと息を吐いた。
「社交界では、すでにお前の名が出始めている」
「わたくしの?」
「“いなくなって初めて分かる人材”としてな」
エヴァリーナは、わずかに目を伏せた。
「……そうですか」
それだけだった。
だがその夜、王城でヴァルターは一人、広間を見渡していた。
舞踏会の準備が進むはずの場所は、どこか雑然としている。
配置が曖昧で、動線が悪い。
「……彼女なら、ここで止めただろうな」
初めて、そんな言葉が自然に口をついて出た。
エヴァリーナの不在は、まだ致命傷ではない。
だが、確実に広がっている。
誰も叫ばない。
誰も責めない。
ただ、静かにこう囁き始めていた。
「――以前は、こんなことはなかった」と。
王城の外では、まだ誰も「崩壊」という言葉を口にしていなかった。
だが、確実に――違和感は広がり始めていた。
午後の王都。
貴族たちが集うサロンでは、いつもなら軽やかな噂話と称賛が飛び交うはずの時間帯に、どこか重たい空気が漂っていた。
「……最近、王宮の対応が遅くありませんこと?」
最初に切り出したのは、侯爵夫人だった。
上品に扇を広げながらも、その声にははっきりとした不満が滲んでいる。
「ええ、わたくしもそう感じておりますわ。先月提出した嘆願書、いまだに返答がありませんの」
「以前は、提出から数日で“途中経過”だけでも連絡がありましたのに……」
誰かがそう言った瞬間、周囲の視線が一斉に集まった。
「……途中経過、ですって?」
伯爵令嬢が眉をひそめる。
「ええ。却下であっても、保留であっても、理由を添えて返ってきましたわ。ですから、次に何をすべきかが分かりましたのに」
その言葉に、年配の子爵が深く頷いた。
「確かに。無駄な足を踏まされることがなかった。王宮の対応としては、異例なほど丁寧でしたな」
しばし沈黙が落ちる。
――異例なほど丁寧。
その言葉が、皆の胸に引っかかった。
「……それは、エヴァリーナ様のお仕事では?」
ぽつりと誰かが口にする。
場の空気が、一瞬凍りついた。
「……ああ」
「そうですわね」
「言われてみれば……」
それまで明確に意識されていなかった名前が、次々と繰り返される。
エヴァリーナ・フォン・クロイツ。
婚約破棄された元王太子妃候補。
「彼女、社交の場では目立たない方でしたけれど……」
「ええ。でも、不思議と“話が通じない”と思ったことは一度もありませんでしたわ」
「要点を押さえていて、感情的にならず……あれは、簡単なことではありません」
いつの間にか、評価は静かに積み重なっていく。
誰も声高に称賛していない。
ただ、事実として“不在の影響”を語っているだけだ。
一方、王城では、ヴァルターが貴族院からの正式な書簡を手にしていた。
「……遅延に対する抗議?」
読み進めるほどに、表情が険しくなる。
・回答が来ない
・内容が不明確
・担当者が定まらない
どれも、これまで問題になったことのない項目ばかりだ。
「……なぜ、急に」
呟いた瞬間、彼ははっとした。
――急ではない。
ただ、自分が今まで見ていなかっただけだ。
「殿下……」
側近が恐る恐る口を開く。
「エヴァリーナ様が在任中は、貴族院との調整は……その……ほぼ滞りなく……」
「言い淀むな」
「……すべて、彼女が事前に根回しを済ませておられました」
ヴァルターは、椅子の背に深くもたれかかった。
根回し。
それは、華やかな舞踏会や演説とは正反対の、地味で評価されにくい仕事だ。
だが、それがなければ、政治は回らない。
「……私は」
ヴァルターは、声を低くして言った。
「彼女が“冷たい”と思っていた」
感情を表に出さず、必要以上に踏み込まない。
愛を語らず、理屈を優先する。
だが――それは冷酷さではなく、節度だったのではないか。
その頃、クロイツ公爵家では、エヴァリーナが父と向かい合っていた。
「本当に、後悔はないのか」
公爵は、娘をじっと見つめる。
「ございません」
エヴァリーナは即答した。
「わたくしは、求められた役目を果たしていただけです。
その役目が不要になったのなら、退くのが当然ですわ」
「……恨み言の一つも言わぬとはな」
「感情で物事は変わりませんもの」
淡々とした言葉だったが、その奥に揺らぎはない。
公爵は、ふっと息を吐いた。
「社交界では、すでにお前の名が出始めている」
「わたくしの?」
「“いなくなって初めて分かる人材”としてな」
エヴァリーナは、わずかに目を伏せた。
「……そうですか」
それだけだった。
だがその夜、王城でヴァルターは一人、広間を見渡していた。
舞踏会の準備が進むはずの場所は、どこか雑然としている。
配置が曖昧で、動線が悪い。
「……彼女なら、ここで止めただろうな」
初めて、そんな言葉が自然に口をついて出た。
エヴァリーナの不在は、まだ致命傷ではない。
だが、確実に広がっている。
誰も叫ばない。
誰も責めない。
ただ、静かにこう囁き始めていた。
「――以前は、こんなことはなかった」と。
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