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第十五話 席に座る者
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第十五話 席に座る者
交易都市の空気は、確かに変わっていた。
前日まで漂っていた停滞は薄れ、人の流れと荷の動きに、わずかながらも確信が混じり始めている。
「……本当に、動き出しましたね」
港を見下ろす高台で、エヴァリーナの背後に立つ商会の代表が、半ば呆然とした声で呟いた。
「暫定措置ですもの」
エヴァリーナは、視線を前に向けたまま答える。
「成果が出なければ、止まります。
出れば、次へ進む。ただ、それだけですわ」
簡潔な言葉だった。
だが、その“だけ”を実行できる者は、決して多くない。
午前中の会合では、具体的な数字が次々と示された。
滞留していた貨物の処理件数。
遅延していた支払いの解消率。
すべてが、期限と共に整理されている。
「……この速度は、想定以上です」
隣国の官吏が、率直に言った。
「決断が早ければ、現場は応えます」
エヴァリーナは、淡々と返す。
「現場は、怠けていたわけではありません。
決める人間が、いなかっただけです」
誰も反論しなかった。
会合の終わり、マティアスが静かに声をかける。
「一つ、確認させてください」
「どうぞ」
「この成果が、王城に伝わることは避けられません」
エヴァリーナは、頷いた。
「ええ。だからこそ、条件を明確にしました」
「引き戻される可能性は?」
「ありますわ」
即答だった。
「ですが、それは“戻るための誘い”ではありません。
責任を、再び押し付けたいだけです」
マティアスは、わずかに目を細めた。
「……では、どうするおつもりで?」
エヴァリーナは、港に視線を戻し、静かに告げる。
「同じ条件でしか、応じません」
それは、交渉でも挑発でもない。
線引きだ。
「判断権と責任が伴わないなら、関わらない。
それだけですわ」
午後、王城に報告が届いた。
「交易都市の滞留が、解消に向かっています。
暫定措置は、想定以上の効果を……」
ヴァルターは、書類に目を落としたまま、静かに聞いていた。
「名義は?」
「……クロイツ公爵令嬢です」
一瞬、言葉が途切れる。
だが、彼は何も言わなかった。
代わりに、ゆっくりと椅子に深く座る。
「……そうか」
それだけだった。
怒りはない。
悔しさはある。だが、それ以上に、理解があった。
彼女は“席に座った”。
助言者ではなく、決断者として。
その夜、エヴァリーナは宿の書斎で、報告書をまとめていた。
成果だけでなく、リスクも明記する。
問題点も、失敗した場合の対応も。
「……綺麗な成功談ほど、危険なものはありませんもの」
ペンを走らせながら、独り言のように呟く。
そこへ、マティアスが書類を一つ差し出した。
「隣国からです。
正式に、次の会合日程を」
エヴァリーナは、書類に目を通し、頷いた。
「受けましょう。
ただし、今回と同じ条件で」
「もちろんです」
短い応答。
だが、そのやり取りには、すでに信頼があった。
夜更け、エヴァリーナは窓辺に立ち、港の灯りを眺めていた。
小さな光が連なり、確かな流れを形作っている。
「……席に座る、というのは」
静かに、言葉を選ぶ。
「居心地のいい場所に座ることではありませんわね」
責任があり、逃げ場がなく、
常に結果を問われる場所。
それでも。
「……立たされ続けるよりは、ずっといい」
王城では、同じ夜、ヴァルターが書斎に一人残っていた。
机の上の書類に目を落としながら、ぽつりと呟く。
「……彼女は、私の代わりをしているのではない」
そうではない。
彼女は、彼女自身の席に座っている。
その事実を、ようやく受け入れられた気がした。
翌朝、エヴァリーナは馬車に乗り込む。
次の会合へ向かうために。
もう、誰かの背後には立たない。
誰かの名の下でもない。
――席に座る者は、自分だ。
その自覚と共に、
エヴァリーナ・フォン・クロイツは、静かに、しかし確実に前へ進んでいた。
交易都市の空気は、確かに変わっていた。
前日まで漂っていた停滞は薄れ、人の流れと荷の動きに、わずかながらも確信が混じり始めている。
「……本当に、動き出しましたね」
港を見下ろす高台で、エヴァリーナの背後に立つ商会の代表が、半ば呆然とした声で呟いた。
「暫定措置ですもの」
エヴァリーナは、視線を前に向けたまま答える。
「成果が出なければ、止まります。
出れば、次へ進む。ただ、それだけですわ」
簡潔な言葉だった。
だが、その“だけ”を実行できる者は、決して多くない。
午前中の会合では、具体的な数字が次々と示された。
滞留していた貨物の処理件数。
遅延していた支払いの解消率。
すべてが、期限と共に整理されている。
「……この速度は、想定以上です」
隣国の官吏が、率直に言った。
「決断が早ければ、現場は応えます」
エヴァリーナは、淡々と返す。
「現場は、怠けていたわけではありません。
決める人間が、いなかっただけです」
誰も反論しなかった。
会合の終わり、マティアスが静かに声をかける。
「一つ、確認させてください」
「どうぞ」
「この成果が、王城に伝わることは避けられません」
エヴァリーナは、頷いた。
「ええ。だからこそ、条件を明確にしました」
「引き戻される可能性は?」
「ありますわ」
即答だった。
「ですが、それは“戻るための誘い”ではありません。
責任を、再び押し付けたいだけです」
マティアスは、わずかに目を細めた。
「……では、どうするおつもりで?」
エヴァリーナは、港に視線を戻し、静かに告げる。
「同じ条件でしか、応じません」
それは、交渉でも挑発でもない。
線引きだ。
「判断権と責任が伴わないなら、関わらない。
それだけですわ」
午後、王城に報告が届いた。
「交易都市の滞留が、解消に向かっています。
暫定措置は、想定以上の効果を……」
ヴァルターは、書類に目を落としたまま、静かに聞いていた。
「名義は?」
「……クロイツ公爵令嬢です」
一瞬、言葉が途切れる。
だが、彼は何も言わなかった。
代わりに、ゆっくりと椅子に深く座る。
「……そうか」
それだけだった。
怒りはない。
悔しさはある。だが、それ以上に、理解があった。
彼女は“席に座った”。
助言者ではなく、決断者として。
その夜、エヴァリーナは宿の書斎で、報告書をまとめていた。
成果だけでなく、リスクも明記する。
問題点も、失敗した場合の対応も。
「……綺麗な成功談ほど、危険なものはありませんもの」
ペンを走らせながら、独り言のように呟く。
そこへ、マティアスが書類を一つ差し出した。
「隣国からです。
正式に、次の会合日程を」
エヴァリーナは、書類に目を通し、頷いた。
「受けましょう。
ただし、今回と同じ条件で」
「もちろんです」
短い応答。
だが、そのやり取りには、すでに信頼があった。
夜更け、エヴァリーナは窓辺に立ち、港の灯りを眺めていた。
小さな光が連なり、確かな流れを形作っている。
「……席に座る、というのは」
静かに、言葉を選ぶ。
「居心地のいい場所に座ることではありませんわね」
責任があり、逃げ場がなく、
常に結果を問われる場所。
それでも。
「……立たされ続けるよりは、ずっといい」
王城では、同じ夜、ヴァルターが書斎に一人残っていた。
机の上の書類に目を落としながら、ぽつりと呟く。
「……彼女は、私の代わりをしているのではない」
そうではない。
彼女は、彼女自身の席に座っている。
その事実を、ようやく受け入れられた気がした。
翌朝、エヴァリーナは馬車に乗り込む。
次の会合へ向かうために。
もう、誰かの背後には立たない。
誰かの名の下でもない。
――席に座る者は、自分だ。
その自覚と共に、
エヴァリーナ・フォン・クロイツは、静かに、しかし確実に前へ進んでいた。
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