引きこもり聖女は祈らない

鷹 綾

文字の大きさ
12 / 39

第12話 扉越しの診察

しおりを挟む
第12話 扉越しの診察

 翌日も、フォージャー子爵はスター公爵家を訪れた。

 特別な準備は何もない。
 薬も、器具も、書類すら持っていない。

 ただ、昨日と同じ時間に、同じ廊下を歩き、同じ扉の前に立つだけだ。

 屋敷の使用人たちは、最初こそ不思議そうな顔をしていたが、二日目になると、誰も口を出さなくなった。
 この医師が「何もしない」ことが、すでに異様な安心感を生んでいたからだ。

 スター公爵は、少し離れた場所からその様子を見守っていた。

 ――本当に、これでいいのだろうか。

 だが、フォージャーは迷わない。

 扉の前に立ち、軽く姿勢を正すと、穏やかな声で語りかける。

 「こんにちは、ポーラ嬢。
 今日も、お話をしに来ました」

 返事はない。

 だが、フォージャーはそれを当然のこととして受け止める。

 「昨日は、突然お邪魔しましたね。
 驚かせてしまったなら、すみません」

 謝罪から入る声に、スター公爵は思わず目を見開いた。
 医師が、患者に“謝る”という発想がなかったからだ。

 「今日は、診察というほどのことはしません」

 「ただ、私がここにいる、という事実だけを置いていきます」

 淡々とした口調。
 押しつけがましさは、どこにもない。

 「……今日は、少し風が冷たいですね」

 「廊下の窓から見た庭では、葉が揺れていました」

 それは、まるで独り言のようだった。

 だが、その独り言は、確実に“扉の向こう”を意識している。

 ◇

 扉の内側で、ポーラはベッドに座っていた。

 昨日聞いた声。
 知らないはずなのに、なぜか記憶に残る声。

 大きくもなく、低すぎもしない。
 命令するでも、問い詰めるでもない。

 ただ、そこにある声。

 ――診察。

 その言葉を聞いた瞬間、昨日までは胸が強張ったはずだ。
 だが今は、不思議と恐怖が湧いてこない。

 「返事をしなくていい」

 その前提があるだけで、
 世界はこんなにも静かになるのかと、ポーラは思った。

 フォージャーは続ける。

 「私は、あなたが何を考えているか、当てようとはしません」

 「話したくないことを、話させるつもりもありません」

 「ただ、あなたが“ここにいる”ことを、確認できれば十分です」

 その言葉に、ポーラの胸が、かすかに揺れた。

 ――確認。

 理解でも、評価でもない。
 存在の確認。

 それは、聖女としても、婚約者としても、
 一度も与えられなかった扱いだった。

 ◇

 廊下に立つスター公爵は、息を潜めて聞いていた。

 娘の治療が、
 こんな形で進むとは思っていなかった。

 いや――
 これは本当に、進んでいるのだろうか。

 「……これで、効果があるのですか」

 公爵は、診察が終わった後、低い声で尋ねた。

 フォージャーは、少しだけ首を傾ける。

 「“効果”を急げば、逆効果になります」

 「今は、診るのではなく、
 壊さないことが最優先です」

 「扉の向こうは、彼女にとって唯一の安全圏でしょう」

 「それを無理に開ければ、
 心は、さらに奥へ逃げます」

 スター公爵は、唇を噛みしめた。

 父として、
 「何かしてやりたい」という衝動を、
 必死に抑える。

 フォージャーは、静かに付け加えた。

 「今日、彼女は一度も拒絶しませんでした」

 「それだけで、十分な進歩です」

 ◇

 三日目、四日目も、同じことが繰り返された。

 フォージャーは毎日訪れ、
 同じ時間に扉の前に立ち、
 同じ距離を保ち続けた。

 天気の話。
 庭の草花の話。
 市場で聞いた他愛のない噂。

 決して、婚約破棄の話はしない。
 聖女の役目にも触れない。

 「今日は、特に話すことがありませんね」

 そんな日もあった。

 それでも、彼は立ち去らなかった。

 ◇

 ある日、フォージャーが去った後、
 ポーラはふと、自分の呼吸が乱れていないことに気づいた。

 胸が、苦しくない。

 誰かが来たのに。
 誰かの声を聞いたのに。

 ――怖く、なかった。

 それは、劇的な変化ではない。
 涙が出るほどの感動でもない。

 ただ、ほんのわずか、
 世界の音が柔らかくなった。

 ポーラは、机の上の紙を見つめる。

 書くことは、まだできない。
 声を出すことも、できない。

 それでも、確かに分かる。

 ――この人は、扉を壊さない。

 扉越しの診察は、
 治療というよりも、
 信頼を壊さない練習だった。

 そしてその練習は、
 誰にも気づかれないほど静かに、
 確実に、ポーラ・スターの心に根を下ろし始めていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです

きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」 5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。 その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

大好きな旦那様はどうやら聖女様のことがお好きなようです

古堂すいう
恋愛
祖父から溺愛され我儘に育った公爵令嬢セレーネは、婚約者である皇子から衆目の中、突如婚約破棄を言い渡される。 皇子の横にはセレーネが嫌う男爵令嬢の姿があった。 他人から冷たい視線を浴びたことなどないセレーネに戸惑うばかり、そんな彼女に所有財産没収の命が下されようとしたその時。 救いの手を差し伸べたのは神官長──エルゲンだった。 セレーネは、エルゲンと婚姻を結んだ当初「穏やかで誰にでも微笑むつまらない人」だという印象をもっていたけれど、共に生活する内に徐々に彼の人柄に惹かれていく。 だけれど彼には想い人が出来てしまったようで──…。 「今度はわたくしが恩を返すべきなんですわ!」 今まで自分のことばかりだったセレーネは、初めて人のために何かしたいと思い立ち、大好きな旦那様のために奮闘するのだが──…。

旦那様、離婚しましょう ~私は冒険者になるのでご心配なくっ~

榎夜
恋愛
私と旦那様は白い結婚だ。体の関係どころか手を繋ぐ事もしたことがない。 ある日突然、旦那の子供を身籠ったという女性に離婚を要求された。 別に構いませんが......じゃあ、冒険者にでもなろうかしら? ー全50話ー

【完結】薔薇の花をあなたに贈ります

彩華(あやはな)
恋愛
レティシアは階段から落ちた。 目を覚ますと、何かがおかしかった。それは婚約者である殿下を覚えていなかったのだ。 ロベルトは、レティシアとの婚約解消になり、聖女ミランダとの婚約することになる。 たが、それに違和感を抱くようになる。 ロベルト殿下視点がおもになります。 前作を多少引きずってはいますが、今回は暗くはないです!! 11話完結です。 この度改編した(ストーリーは変わらず)をなろうさんに投稿しました。

【完結】裏切られたあなたにもう二度と恋はしない

たろ
恋愛
優しい王子様。あなたに恋をした。 あなたに相応しくあろうと努力をした。 あなたの婚約者に選ばれてわたしは幸せでした。 なのにあなたは美しい聖女様に恋をした。 そして聖女様はわたしを嵌めた。 わたしは地下牢に入れられて殿下の命令で騎士達に犯されて死んでしまう。 大好きだったお父様にも見捨てられ、愛する殿下にも嫌われ酷い仕打ちを受けて身と心もボロボロになり死んでいった。 その時の記憶を忘れてわたしは生まれ変わった。 知らずにわたしはまた王子様に恋をする。

断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる

葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。 アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。 アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。 市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。

役立たずと捨てられた万能建築士、隣国で「聖域」を造って無双する。今さら復興のために戻れ? ご自分たちで瓦礫でも積んでいればよろしいのでは?

しょくぱん
恋愛
「お前の魔法は石を積むだけの土木作業だ」と婚約破棄されたので、城を支えていた『構造維持結界』をすべて解除して出て行きますね。今さら「城が崩れる!」と泣きつかれても、私は隣国で氷結の皇帝陛下と「世界最高の聖域」を造っていますので、一切知りません。 王国唯一の建築魔導師アニエスは、その地味な見た目と能力を理由に、王太子シグムンドから婚約破棄と国外追放を言い渡される。 彼の隣には、派手な光魔法を使う自称聖女の姿があった。 「お前の代わりなどいくらでもいる。さっさと出て行け!」 「……分かりました。では、城にかけていた『自動修復』『耐震』『空調』の全術式を解約しますね」 アニエスが去った直後、王城は音を立てて傾き、噴水は泥水に変わり、王都のインフラは崩壊した。 一方、アニエスは隣国の荒野で、呪われた皇帝レオンハルトと出会う。彼女が何気なく造った一夜の宿は、呪いを浄化するほどの「聖域」だった。 「君は女神か? どうか私の国を救ってほしい」 「喜んで。ついでに世界一快適な住居も造っていいですか?」 隣国がアニエスの力で黄金の国へと発展する一方、瓦礫の山となった母国からは「戻ってきてくれ」と悲痛な手紙が届く。 だが、アニエスは冷ややかに言い放つ。 「お断りします。契約外ですので、ご自分で支えていればよろしいのでは?」 これは、捨てられた万能建築士が隣国で溺愛され、幸せを掴む物語。 そして、彼女を捨てた者たちが、物理的にも社会的にも「崩壊」し、最後には彼女が架ける橋の『礎石』として永遠に踏まれ続けるまでの、壮絶な因果応報の記録。

氷の公爵は、捨てられた私を離さない

空月そらら
恋愛
「魔力がないから不要だ」――長年尽くした王太子にそう告げられ、侯爵令嬢アリアは理不尽に婚約破棄された。 すべてを失い、社交界からも追放同然となった彼女を拾ったのは、「氷の公爵」と畏れられる辺境伯レオルド。 彼は戦の呪いに蝕まれ、常に激痛に苦しんでいたが、偶然触れたアリアにだけ痛みが和らぐことに気づく。 アリアには魔力とは違う、稀有な『浄化の力』が秘められていたのだ。 「君の力が、私には必要だ」 冷徹なはずの公爵は、アリアの価値を見抜き、傍に置くことを決める。 彼の元で力を発揮し、呪いを癒やしていくアリア。 レオルドはいつしか彼女に深く執着し、不器用に溺愛し始める。「お前を誰にも渡さない」と。 一方、アリアを捨てた王太子は聖女に振り回され、国を傾かせ、初めて自分が手放したものの大きさに気づき始める。 「アリア、戻ってきてくれ!」と見苦しく縋る元婚約者に、アリアは毅然と告げる。「もう遅いのです」と。 これは、捨てられた令嬢が、冷徹な公爵の唯一無二の存在となり、真実の愛と幸せを掴むまでの逆転溺愛ストーリー。

処理中です...