引きこもり聖女は祈らない

鷹 綾

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第20話 苛立ちの矛先

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第20話 苛立ちの矛先

 王城の空気は、重く沈んでいた。

 曇天が続くせいだけではない。
 人々の感情そのものが、よどみ始めている。

 ◇

 王太子リチャードは、執務室の窓辺に立ち、
 灰色の空を睨みつけていた。

 「……いつまで、こんな天気が続くつもりだ」

 独り言のように吐き捨てる。

 背後では、側近が報告書を抱え、
 言葉を選びながら口を開いた。

 「本日も、北部で局地的な突風が確認されました。
  作物への被害は軽微ですが……」

 「軽微、軽微と……」

 リチャードは振り返り、
 苛立ちを隠そうともせずに言った。

 「それが毎日積み重なれば、どうなるか分かっているのか?」

 側近は、何も言えずに視線を落とす。

 リチャード自身も、
 苛立ちの理由を正確に言語化できていなかった。

 だが、胸の奥にある感情は、はっきりしている。

 ――期待した結果が、出ていない。

 ◇

 その苛立ちは、
 やがて、向かう先を見つける。

 「……アーニャを呼べ」

 側近が、わずかにためらった。

 「今も祈りの最中かと……」

 「構わん。聖女なら、王太子の呼び出しに応える義務がある」

 その声は、冷たく硬い。

 ◇

 しばらくして、
 聖女アーニャは執務室に通された。

 顔色は冴えず、
 目の下には、薄い影がある。

 それでも彼女は、
 精一杯、姿勢を正して頭を下げた。

 「お呼びでしょうか、殿下」

 リチャードは、机に手をつき、
 彼女を見下ろす。

 「アーニャ。
  最近の天候について、どう考えている」

 唐突な問いに、
 彼女は一瞬、言葉を失った。

 「……全力で祈っております。
  ですが、神の御心は……」

 「神の御心、か」

 リチャードの声が、低くなる。

 「それは便利な言葉だな。
  だが民は、御心では腹を満たせない」

 アーニャの肩が、わずかに震えた。

 ◇

 「君は、奇跡を起こした。
  だから私は、君を選んだ」

 リチャードは続ける。

 「だが、その奇跡が続かない。
  これでは、前の聖女と何が違う?」

 その言葉に、
 アーニャの胸が、強く締め付けられる。

 前の聖女。

 ポーラ・スター。

 比較されるたびに、
 自分が削られていく感覚。

 「……私、まだ……」

 「まだ?」

 リチャードは、苛立ちを隠さず、
 言葉を重ねた。

 「“まだ”では困る。
  聖女とは、結果を出す存在だ」

 それは、
 彼自身の焦りでもあった。

 ◇

 「……分かりました」

 アーニャは、小さく答えた。

 声は震えていたが、
 否定する言葉は出てこない。

 否定できるほどの自信が、
 すでに、削り取られていた。

 「もっと祈れ。
  もっと、奇跡を起こせ」

 その命令は、
 祈りを、義務へと変える。

 「できなければ……」

 リチャードは言いかけ、
 言葉を飲み込んだ。

 だが、続きを想像するのは容易だった。

 ◇

 アーニャは、深く頭を下げ、
 静かに執務室を後にした。

 廊下を歩きながら、
 胸の奥で、何かが軋む音がする。

 (私……役に立っていない?)

 それは、
 これまで必死に避けてきた問いだった。

 ◇

 一方、その日の夜。

 フォージャー子爵は、
 王城からの様子を聞き、
 静かにため息をついた。

 「……始まったか」

 期待が、
 責任へ。
 責任が、
 非難へ。

 それは、
 よくある流れだった。

 そして、その先にあるものも――。

 ◇

 スター公爵家。

 分厚い扉の向こうで、
 ポーラは、今日も静かに過ごしている。

 扉の外が、
 どれほど騒がしくなっているかを、
 彼女は知らない。

 だが、ペンを取る手が、
 ほんの少し、止まった。

 『最近、空が落ち着きません』

 そう書きかけて、
 しばらく考え、
 その紙を貼らずに、机に置いた。

 言葉にしなくても、
 空は、すでに答えている。

 ◇

 王太子リチャードの苛立ちは、
 確かに、聖女アーニャへと向けられた。

 だが本当は――
 自らの判断への疑念から、
 目を背けるための矛先だった。

 その歪みは、
 静かに、
 しかし確実に、
 王国を追い詰めていく。

 嵐は、
 もう遠くない。

 空は、
 重く、
 息を詰めていた。
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