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第25話 嵐は、さらに深く
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第25話 嵐は、さらに深く
新聖女アーニャ・リーヴェルが姿を消してから、三日が経った。
王国は、はっきりと「段階」を踏み外していた。
それまでも天候は不安定だった。
だが今は、もはや「不順」という言葉では追いつかない。
嵐が、日を追うごとに激しさを増していた。
雨は断続的ではなく、執拗に降り続く。
風は一方向に吹かず、突風となって街を叩く。
雷は夜ごとに空を裂き、人々の眠りを奪った。
王都では、夜明けを待たずに鐘が鳴らされる日が続いていた。
倒木、浸水、家屋の損壊。
一つ一つは小さくとも、確実に生活を蝕んでいく。
人々の表情から、余裕が消えた。
市場では食料の値がさらに上がり、
パン屋には長い列ができる。
誰もが苛立ちを抱え、
そしてその苛立ちは、行き場を探していた。
自然と、矛先は一つに集まる。
――聖女。
だが、もうそこには、誰もいない。
王城でも混乱は隠しきれなかった。
報告書は、朝と夕で内容が変わる。
河川の水位、港の被害、街道の寸断。
どれも「警戒」から「危険」に書き換えられていく。
王太子リチャードは、執務室に籠もり、窓の外を何度も見やった。
黒雲が垂れ込め、昼でも薄暗い。
「……止まらないな」
誰にともなく漏れた言葉に、答える者はいない。
側近が慎重に口を開く。
「殿下。
アーニャ様が失踪されてから、天候は明らかに……」
「分かっている」
遮るように、リチャードは言った。
苛立ちと、不安と、そして後悔が、複雑に絡み合っていた。
あの時、口にした言葉が脳裏をよぎる。
――あれでも、いくらかは役に立っていたのか……。
思わず出た、評価ですらない独り言。
今になって、それが胸に刺さる。
役に立っていたのか。
そう考えた時点で、彼はすでに間違っていた。
アーニャがいたから、抑えられていたものがあった。
彼女が祈ることで、無理やりでも踏みとどまっていた均衡。
それが、今は完全に失われている。
「……いや」
リチャードは、頭を振る。
「聖女が一人いなくなった程度で、
ここまで悪化するはずがない」
そうでなければ、
自分の判断が、致命的な誤りだったことになる。
その事実を、
まだ、受け入れられなかった。
一方、フォージャー子爵は、事態をはっきりと見据えていた。
彼は医師であり、
長く人の心と身体の崩れを見てきた。
「……支えを失ったのだ」
聖女アーニャがいた時、
王国は歪みながらも、辛うじて形を保っていた。
今は違う。
歪みが、歪みを呼び、
抑えるものが何もない。
「嵐が激化しているのは、結果だ」
原因は、もっと前にある。
フォージャーの脳裏に浮かぶのは、
分厚い扉の向こうにいる、ただ一人の少女。
何も祈らず、
何も主張せず、
それでも、在るだけで均衡を保っていた存在。
ポーラ・スター。
彼女が解任され、
次に、アーニャが失われた。
聖女が「いない」のではない。
「合わない者」しか、いない状態なのだ。
そして今、
その代償が、はっきりと形を取り始めている。
夜。
王都を、これまでで最も激しい嵐が襲った。
雨は壁のように降り、
風は悲鳴のように鳴る。
川の水位は危険域に達し、
城前の橋にも、濁流が打ち付け始めていた。
人々は、ようやく悟る。
これは、ただの天候不順ではない。
国そのものが、何かを失っているのだと。
そして、その頃。
スター公爵家の一室。
分厚い扉の前には、
いつもより少しだけ大きな文字で書かれたメモが貼られていた。
「嵐は、まだ強くなります」
それは警告だった。
予言ではなく、
見て、感じた結果としての言葉。
その下に、もう一行、静かに書き添えられている。
「……外に出る方は、戻れなくなるかもしれません」
だがそのメモに、
気づく者は、まだ少ない。
嵐は、
人々の注意を、空へと向けさせ、
扉の前の小さな声を、かき消していた。
アーニャの失踪とともに、
天候は、確実に一段階、悪化した。
それは、
王国が支えを失った証であり、
これから訪れる、
さらに大きな転換の前触れだった。
嵐は、
まだ、終わる気配を見せていない。
新聖女アーニャ・リーヴェルが姿を消してから、三日が経った。
王国は、はっきりと「段階」を踏み外していた。
それまでも天候は不安定だった。
だが今は、もはや「不順」という言葉では追いつかない。
嵐が、日を追うごとに激しさを増していた。
雨は断続的ではなく、執拗に降り続く。
風は一方向に吹かず、突風となって街を叩く。
雷は夜ごとに空を裂き、人々の眠りを奪った。
王都では、夜明けを待たずに鐘が鳴らされる日が続いていた。
倒木、浸水、家屋の損壊。
一つ一つは小さくとも、確実に生活を蝕んでいく。
人々の表情から、余裕が消えた。
市場では食料の値がさらに上がり、
パン屋には長い列ができる。
誰もが苛立ちを抱え、
そしてその苛立ちは、行き場を探していた。
自然と、矛先は一つに集まる。
――聖女。
だが、もうそこには、誰もいない。
王城でも混乱は隠しきれなかった。
報告書は、朝と夕で内容が変わる。
河川の水位、港の被害、街道の寸断。
どれも「警戒」から「危険」に書き換えられていく。
王太子リチャードは、執務室に籠もり、窓の外を何度も見やった。
黒雲が垂れ込め、昼でも薄暗い。
「……止まらないな」
誰にともなく漏れた言葉に、答える者はいない。
側近が慎重に口を開く。
「殿下。
アーニャ様が失踪されてから、天候は明らかに……」
「分かっている」
遮るように、リチャードは言った。
苛立ちと、不安と、そして後悔が、複雑に絡み合っていた。
あの時、口にした言葉が脳裏をよぎる。
――あれでも、いくらかは役に立っていたのか……。
思わず出た、評価ですらない独り言。
今になって、それが胸に刺さる。
役に立っていたのか。
そう考えた時点で、彼はすでに間違っていた。
アーニャがいたから、抑えられていたものがあった。
彼女が祈ることで、無理やりでも踏みとどまっていた均衡。
それが、今は完全に失われている。
「……いや」
リチャードは、頭を振る。
「聖女が一人いなくなった程度で、
ここまで悪化するはずがない」
そうでなければ、
自分の判断が、致命的な誤りだったことになる。
その事実を、
まだ、受け入れられなかった。
一方、フォージャー子爵は、事態をはっきりと見据えていた。
彼は医師であり、
長く人の心と身体の崩れを見てきた。
「……支えを失ったのだ」
聖女アーニャがいた時、
王国は歪みながらも、辛うじて形を保っていた。
今は違う。
歪みが、歪みを呼び、
抑えるものが何もない。
「嵐が激化しているのは、結果だ」
原因は、もっと前にある。
フォージャーの脳裏に浮かぶのは、
分厚い扉の向こうにいる、ただ一人の少女。
何も祈らず、
何も主張せず、
それでも、在るだけで均衡を保っていた存在。
ポーラ・スター。
彼女が解任され、
次に、アーニャが失われた。
聖女が「いない」のではない。
「合わない者」しか、いない状態なのだ。
そして今、
その代償が、はっきりと形を取り始めている。
夜。
王都を、これまでで最も激しい嵐が襲った。
雨は壁のように降り、
風は悲鳴のように鳴る。
川の水位は危険域に達し、
城前の橋にも、濁流が打ち付け始めていた。
人々は、ようやく悟る。
これは、ただの天候不順ではない。
国そのものが、何かを失っているのだと。
そして、その頃。
スター公爵家の一室。
分厚い扉の前には、
いつもより少しだけ大きな文字で書かれたメモが貼られていた。
「嵐は、まだ強くなります」
それは警告だった。
予言ではなく、
見て、感じた結果としての言葉。
その下に、もう一行、静かに書き添えられている。
「……外に出る方は、戻れなくなるかもしれません」
だがそのメモに、
気づく者は、まだ少ない。
嵐は、
人々の注意を、空へと向けさせ、
扉の前の小さな声を、かき消していた。
アーニャの失踪とともに、
天候は、確実に一段階、悪化した。
それは、
王国が支えを失った証であり、
これから訪れる、
さらに大きな転換の前触れだった。
嵐は、
まだ、終わる気配を見せていない。
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