引きこもり聖女は祈らない

鷹 綾

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第26話 存在していただけの力

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第26話 存在していただけの力

 嵐は、三日三晩、止むことなく王国を叩き続けた。

 もはや人々は、空を見上げて天候を気にすることさえしなくなっていた。
 気にしても、どうにもならない。
 そう悟ってしまったからだ。

 川は増水し、街道はぬかるみ、
 物流は滞り、王都の空気は目に見えて荒んでいった。

 その中心にいるはずの王太子リチャードは、
 執務室に一人、取り残されたように座っていた。

 机の上には、積み重なった報告書。
 災害、被害、救援要請。
 どれもが、重く、逃げ場のない現実を突きつけてくる。

 リチャードは、乱れた書類を前に、しばらく黙り込んでいた。

 怒鳴る気力も、
 誰かに責任を押し付ける余裕も、
 今は、ない。

 代わりに胸の奥で、
 ある思考が、何度も、何度も、浮かんでは消えていた。

 ――ポーラ・スター。

 あの、引きこもりの聖女。

 姿を見せず、
 声を上げず、
 ただ部屋に籠もり、
 扉にメモを貼るだけだった少女。

 「……何もしなかった」

 リチャードは、そう呟き、
 すぐに眉をひそめた。

 本当に、そうだったのか。

 記憶を辿る。

 ポーラが聖女だった頃。
 国は、派手な奇跡に恵まれてはいなかった。

 だが――
 嵐もなかった。
 洪水も、冷害もなかった。

 退屈なほど、平穏だった。

 「……存在していただけ、か」

 その言葉が、
 妙に、重く胸に落ちた。

 存在していただけで、
 国が保たれていたとしたら。

 祈らず、
 奇跡を見せず、
 それでも、均衡が保たれていたとしたら。

 それは、
 どれほどの力だったのか。

 「……いや」

 リチャードは、首を振る。

 そんなこと、認められるはずがない。

 もし、それが真実なら、
 自分は――
 最も大切なものを、
 自ら切り捨てたことになる。

 「だが……」

 報告書の一枚に、目が止まる。

 ポーラ解任の日付。
 異変発生の記録。

 偶然では、済まされない一致。

 「……何もしてなかった、とは言えないな」

 口から漏れたその言葉は、
 責めでも、称賛でもなかった。

 ただの、事実確認。

 だが、その事実は、
 あまりにも都合が悪い。

 「……けしからん」

 唐突に、苛立ちが湧き上がる。

 「それほどの力があるなら、
  なぜ、何も言わなかった」

 声を上げなかったポーラ。
 姿を見せなかったポーラ。

 理解しようともしなかったのに、
 理解されなかったことに、
 今さら腹を立てる。

 それは、
 自分の過ちを認めないための、
 歪んだ感情だった。

 「……取り敢えず、何とかさせねば」

 リチャードは、立ち上がった。

 考えるより先に、
 動かなければならない。

 国が、もたない。

 「ポーラ・スターのもとへ向かう」

 その決断は、
 反省から生まれたものではない。

 謝罪でもない。

 力を、
 取り戻すため。

 失われた均衡を、
 再び、手中に収めるため。

 「聖女に復帰させる。
  婚約も……元に戻せばいい」

 そうすれば、
 国は助かる。

 それで、全て解決する。

 そう信じ込もうとした。

 一方その頃。

 フォージャー子爵は、
 王太子の動きを察し、
 静かに眉を寄せていた。

 「……まだ、分かっていない」

 問題は、
 聖女かどうかではない。

 婚約かどうかでもない。

 ポーラ・スターという一人の人間を、
 「役割」でしか見ていない。

 そのまま扉を叩けば、
 同じ過ちを、
 繰り返すだけだ。

 そして、
 スター公爵家の分厚い扉の向こう。

 ポーラは、
 椅子に座り、
 遠くで鳴る雷の音を聞いていた。

 空気が重い。
 風の向きが、変わっている。

 ペンを取り、
 静かに紙に向かう。

 「城前の橋は、危ないです」

 それは、
 祈りではない。

 誰かを救う使命でもない。

 ただ、
 見えてしまった現実を、
 書いただけ。

 だがその一文は、
 これから起きる出来事の、
 境界線になる。

 王太子は、
 ようやく、ポーラを思い出した。

 だがそれは、
 遅すぎた理解であり、
 そして――
 最後の分岐点でもあった。

 嵐は、
 まだ、終わらない。

 むしろ、
 次の瞬間に向けて、
 力を溜めている。
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