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第一話 選ばれたのは妹でしたのね
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第一話 選ばれたのは妹でしたのね
王宮大広間の天井には、幾千もの光が吊るされていた。
金糸を織り込んだ幕が揺れ、磨き上げられた床は人々の姿を映し出す。今日この夜会は、私と第一王子ルシアン殿下の婚約を正式に披露する場――そのはずだった。
楽団の音が止み、ざわめきが静まる。
中央に立つ殿下は、いつものように完璧な微笑みを浮かべていた。金色の髪は燭台の光を受けて輝き、誰が見ても王子そのもの。隣には、淡い桃色のドレスをまとった妹、フロレッタ。
あら、と私は思う。
どうして、彼女がそこに?
違和感は胸に浮かんだが、表情には出さない。公爵令嬢として育てられた私は、驚きや戸惑いを人前で見せることを許されていない。
「本日、皆に伝えたいことがある」
殿下の声が大広間に響く。
父が、わずかに身じろぎをしたのが分かった。けれど、止めることはしない。王族の言葉を遮ることは、無礼に等しい。
「私は、長きにわたりセラフィーナ嬢と婚約してきた」
ええ、存じております。
その“長き”のあいだ、私は外交文書を読み、王妃教育の基礎を学び、夜会で殿下の隣に立ち続けてきましたから。
「だが、私が真に心惹かれたのは――」
殿下は、ゆっくりと隣を振り向いた。
フロレッタが、はにかむように微笑む。
「フロレッタだ」
一瞬、空気が凍った。
次いで、さざ波のようなざわめきが広がる。
驚き、好奇、そして甘い興奮。
――まあ。
――妹様ですって?
――なんて劇的なの。
私は、まばたきを一度だけした。
「よって、セラフィーナ嬢との婚約は解消する。私が選ぶ妃は、フロレッタだ」
はっきりとした宣言。
隣でフロレッタが、か細い声を上げる。
「お、お姉様、ごめんなさい……でも、殿下が……」
涙ぐんでいる。見事なまでに愛らしい。
私は、ゆっくりと一歩前に出た。
視線が、私に集まる。
逃げることはできない。
逃げる必要もない。
「承知いたしました、殿下」
自分でも驚くほど、声は穏やかだった。
「殿下が選ばれたのならば、それが最善でございましょう」
会場が再びざわつく。
怒らないのか、と。
泣かないのか、と。
泣く理由が、どこにあるというのだろう。
私はフロレッタを見る。
彼女は不安と期待が入り混じった瞳で、私を見つめ返していた。
「どうか、お幸せに」
それだけ告げ、深く一礼する。
殿下の眉がわずかに動いた。
想定外だったのだろう。私が取り乱すとでも思っていたのかもしれない。
父の視線が、背中に刺さる。
家の立場、王家との関係、社交界の均衡――様々な計算が走っているはずだ。
けれど、今はまだ誰も何も言わない。
夜会は再び音楽を取り戻す。
だが、その旋律はどこか不協和音を含んでいた。
私は壁際へと下がる。
侍女が近づこうとしたが、軽く首を振って制する。
心は、思いのほか静かだった。
殿下は、私を選ばなかった。
ただ、それだけ。
選ばれなかったからといって、価値が失われるわけではない。
私は公爵家の長女であり、この国の歴史と共にある家の娘だ。
けれど――。
視線の端で、殿下がフロレッタの手を取るのが見えた。
歓声が上がる。
勝者の笑み。
選ばれた者の光。
ああ、なるほど。
この夜会は、私のためではなかったのね。
少しだけ胸が軋む。
けれど、それは痛みというより、長く背負っていた重石が外れる感覚に近かった。
私は、王妃になるために育てられてきた。
それが当然だと、誰もが思っていた。
だが今、道は分かれた。
王妃にならない未来。
王宮に縛られない人生。
それは、本当に不幸なのだろうか。
音楽が高まり、祝福の拍手が鳴り響く。
私は静かに扉へ向かう。
誰も止めない。止める理由もない。
大広間を出る直前、ふと背後から声が届いた。
「姉上」
振り向くと、殿下が立っていた。
フロレッタは、貴婦人たちに囲まれている。
「理解してくれて助かる」
理解。
なんて便利な言葉だろう。
「殿下が望まれたことですもの」
私は微笑む。
「私は、選ばれなかった。それだけでございます」
一瞬、殿下の顔に影が差した。
けれどすぐに消える。
「代わりの縁は用意する。辺境侯爵ヴァレントとの婚約を考えている」
辺境侯爵。
名は聞いたことがある。
寡黙で武骨、中央では“粗野”と噂される人物。
「……そうでございますか」
「不満か?」
「いいえ」
むしろ。
私は静かに目を伏せる。
「殿下が選ばれたのでしょう? ならば、それが最善ですわ」
殿下は、どこか納得しきれない様子で頷いた。
私は一礼し、今度こそ大広間を後にする。
夜気が、頬を撫でた。
星が高く、澄んでいる。
奪われた、と人は言うだろう。
だが本当にそうかしら。
選ばれなかったのなら、別の道がある。
王宮の光は、確かに眩しい。
けれど眩しさは、時に目を焼く。
私は馬車へと乗り込む。
車輪が静かに動き出す。
遠ざかる王宮を見つめながら、思う。
フロレッタは、今、幸福の頂に立っている。
祝福に包まれ、未来を疑っていない。
けれど幸福は、選ばれただけでは守れない。
それを、彼女はまだ知らない。
私はゆっくりと瞼を閉じる。
――選ばれなかった夜。
それは、終わりではない。
きっと、始まりだ。
王宮大広間の天井には、幾千もの光が吊るされていた。
金糸を織り込んだ幕が揺れ、磨き上げられた床は人々の姿を映し出す。今日この夜会は、私と第一王子ルシアン殿下の婚約を正式に披露する場――そのはずだった。
楽団の音が止み、ざわめきが静まる。
中央に立つ殿下は、いつものように完璧な微笑みを浮かべていた。金色の髪は燭台の光を受けて輝き、誰が見ても王子そのもの。隣には、淡い桃色のドレスをまとった妹、フロレッタ。
あら、と私は思う。
どうして、彼女がそこに?
違和感は胸に浮かんだが、表情には出さない。公爵令嬢として育てられた私は、驚きや戸惑いを人前で見せることを許されていない。
「本日、皆に伝えたいことがある」
殿下の声が大広間に響く。
父が、わずかに身じろぎをしたのが分かった。けれど、止めることはしない。王族の言葉を遮ることは、無礼に等しい。
「私は、長きにわたりセラフィーナ嬢と婚約してきた」
ええ、存じております。
その“長き”のあいだ、私は外交文書を読み、王妃教育の基礎を学び、夜会で殿下の隣に立ち続けてきましたから。
「だが、私が真に心惹かれたのは――」
殿下は、ゆっくりと隣を振り向いた。
フロレッタが、はにかむように微笑む。
「フロレッタだ」
一瞬、空気が凍った。
次いで、さざ波のようなざわめきが広がる。
驚き、好奇、そして甘い興奮。
――まあ。
――妹様ですって?
――なんて劇的なの。
私は、まばたきを一度だけした。
「よって、セラフィーナ嬢との婚約は解消する。私が選ぶ妃は、フロレッタだ」
はっきりとした宣言。
隣でフロレッタが、か細い声を上げる。
「お、お姉様、ごめんなさい……でも、殿下が……」
涙ぐんでいる。見事なまでに愛らしい。
私は、ゆっくりと一歩前に出た。
視線が、私に集まる。
逃げることはできない。
逃げる必要もない。
「承知いたしました、殿下」
自分でも驚くほど、声は穏やかだった。
「殿下が選ばれたのならば、それが最善でございましょう」
会場が再びざわつく。
怒らないのか、と。
泣かないのか、と。
泣く理由が、どこにあるというのだろう。
私はフロレッタを見る。
彼女は不安と期待が入り混じった瞳で、私を見つめ返していた。
「どうか、お幸せに」
それだけ告げ、深く一礼する。
殿下の眉がわずかに動いた。
想定外だったのだろう。私が取り乱すとでも思っていたのかもしれない。
父の視線が、背中に刺さる。
家の立場、王家との関係、社交界の均衡――様々な計算が走っているはずだ。
けれど、今はまだ誰も何も言わない。
夜会は再び音楽を取り戻す。
だが、その旋律はどこか不協和音を含んでいた。
私は壁際へと下がる。
侍女が近づこうとしたが、軽く首を振って制する。
心は、思いのほか静かだった。
殿下は、私を選ばなかった。
ただ、それだけ。
選ばれなかったからといって、価値が失われるわけではない。
私は公爵家の長女であり、この国の歴史と共にある家の娘だ。
けれど――。
視線の端で、殿下がフロレッタの手を取るのが見えた。
歓声が上がる。
勝者の笑み。
選ばれた者の光。
ああ、なるほど。
この夜会は、私のためではなかったのね。
少しだけ胸が軋む。
けれど、それは痛みというより、長く背負っていた重石が外れる感覚に近かった。
私は、王妃になるために育てられてきた。
それが当然だと、誰もが思っていた。
だが今、道は分かれた。
王妃にならない未来。
王宮に縛られない人生。
それは、本当に不幸なのだろうか。
音楽が高まり、祝福の拍手が鳴り響く。
私は静かに扉へ向かう。
誰も止めない。止める理由もない。
大広間を出る直前、ふと背後から声が届いた。
「姉上」
振り向くと、殿下が立っていた。
フロレッタは、貴婦人たちに囲まれている。
「理解してくれて助かる」
理解。
なんて便利な言葉だろう。
「殿下が望まれたことですもの」
私は微笑む。
「私は、選ばれなかった。それだけでございます」
一瞬、殿下の顔に影が差した。
けれどすぐに消える。
「代わりの縁は用意する。辺境侯爵ヴァレントとの婚約を考えている」
辺境侯爵。
名は聞いたことがある。
寡黙で武骨、中央では“粗野”と噂される人物。
「……そうでございますか」
「不満か?」
「いいえ」
むしろ。
私は静かに目を伏せる。
「殿下が選ばれたのでしょう? ならば、それが最善ですわ」
殿下は、どこか納得しきれない様子で頷いた。
私は一礼し、今度こそ大広間を後にする。
夜気が、頬を撫でた。
星が高く、澄んでいる。
奪われた、と人は言うだろう。
だが本当にそうかしら。
選ばれなかったのなら、別の道がある。
王宮の光は、確かに眩しい。
けれど眩しさは、時に目を焼く。
私は馬車へと乗り込む。
車輪が静かに動き出す。
遠ざかる王宮を見つめながら、思う。
フロレッタは、今、幸福の頂に立っている。
祝福に包まれ、未来を疑っていない。
けれど幸福は、選ばれただけでは守れない。
それを、彼女はまだ知らない。
私はゆっくりと瞼を閉じる。
――選ばれなかった夜。
それは、終わりではない。
きっと、始まりだ。
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