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第四話 王都を去る日
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第四話 王都を去る日
出立の日は、驚くほど晴れていた。
王都の空はどこまでも青く、石畳は朝の光を弾いている。まるで何事もなかったかのような、穏やかな朝。
けれど私の周囲だけが、わずかに緊張を孕んでいた。
公爵邸の玄関前には、辺境侯爵家の紋章を掲げた馬車が停まっている。黒塗りの車体に、銀で刻まれた獅子の意匠。装飾は控えめだが、無駄がない。
「もう行くのね、お姉様」
振り向くと、フロレッタが立っていた。
淡い水色のドレス。髪には真珠。
王子の婚約者として相応しい装い。
彼女はほんの数日前まで、私の後ろを歩いていた。今は違う。社交界は既に、彼女を“未来の王妃”として扱い始めている。
「ええ。侯爵領へ向かいます」
私は穏やかに答える。
フロレッタは一瞬、言葉を探すように視線を泳がせた。
「……怒っていないの?」
「何に対して?」
「わたくしが、殿下を選ばれたこと」
選ばれた。
私はわずかに微笑む。
「殿下が選んだのです。貴女が選んだわけではありませんわ」
「でも……」
彼女の声は、少し震えていた。
罪悪感か、それとも不安か。
「フロレッタ」
私は近づき、真正面から彼女を見る。
「王宮は華やかでしょう。けれど、華やかな場所ほど目も厳しいものです」
彼女は目を瞬かせる。
「わたくし、大丈夫よ。殿下が守ってくださるもの」
その言葉に、私は何も返さなかった。
守る。
それがどれほど重いか、彼女はまだ知らない。
屋敷の奥から父が現れる。
「時間だ」
短い言葉。
父は私を見つめるが、そこに情は滲ませない。家を背負う者の目だ。
「辺境での働き、期待している」
「承知しております」
私は一礼する。
後妻は、どこか安心したような表情を浮かべている。家の中の“問題”が一つ片付いた、とでも思っているのだろう。
馬車へ向かう。
石段を下りる一歩一歩が、王都からの距離を確実に広げていく。
御者が扉を開く。
最後に振り返ると、フロレッタが立っていた。
彼女は笑っている。少しぎこちないが、確かに勝者の位置に立つ笑み。
私は軽く手を振り、馬車に乗り込んだ。
扉が閉まる。
車輪が動き出す。
王都の街並みが、ゆっくりと流れていく。
石造りの建物、行き交う貴族の馬車、遠くに見える王宮の尖塔。
あそこに、私の未来はあるはずだった。
けれど今は、別の未来へ向かっている。
揺れに身を任せながら、私は目を閉じた。
王宮で過ごした日々が、脳裏をよぎる。
王妃教育の講義室。
外交儀礼の練習。
国庫の帳簿。
あの時間は、無駄ではなかった。
王妃にならなくとも、国家の仕組みを知ることは価値だ。
やがて馬車は城門を抜ける。
王都の外へ。
道は徐々に舗装が粗くなり、周囲の景色が変わる。畑、森、川。
華やかな石の街から、土の匂いへ。
半日ほど進んだ頃、対向から一隊の騎馬が現れた。
黒馬の先頭に立つ人物。
鎧は簡素だが手入れが行き届き、姿勢は揺るがない。
ヴァレント・シュトラウス侯爵。
馬車が止まる。
彼は馬から降り、こちらへ歩み寄る。
御者が扉を開ける。
「長旅になる。途中から護衛を増やした」
淡々とした報告。
「ご配慮、ありがとうございます」
私は外へ出る。
王都の貴族ならば、迎えに来ることはないだろう。婚約者が自ら出向くなど、体裁を重んじる中央では珍しい。
「辺境は、遠い」
彼は言う。
「後悔しているなら、今ならまだ戻れる」
私は彼を見上げる。
「後悔はしておりません」
「即答だな」
「選ばれなかっただけですもの。選ばれなかった席にしがみつく趣味はございませんわ」
彼の目が、わずかに柔らぐ。
「強いな」
「強くはありません。ただ、状況を受け入れているだけです」
風が吹き抜ける。
遠くに見える地平線は、王都よりも広い。
「辺境では、役目がある」
侯爵は静かに言う。
「王都のように、華やかなだけの席はない」
「望むところです」
私は一歩前に出る。
「役目があるなら、果たします」
侯爵は一瞬だけ私を見つめ、それから頷いた。
「ならば、共に来い」
馬車は再び動き出す。
今度は侯爵の騎馬隊と共に。
揺れの中、私は窓から外を見る。
王都はもう見えない。
代わりに広がるのは、広大な空と、まだ知らぬ土地。
押し付けられた婚約。
そう言われるだろう。
だが。
押し付けられたのなら、どう扱うかは私次第。
王都の光は背後にある。
前方には、まだ形のない未来。
私は深く息を吸う。
冷たい空気が胸に満ちる。
華やかな席から降ろされた日。
それは確かに屈辱だったかもしれない。
けれど。
席が変わっただけ。
今度の席は、誰の隣でもない。
自分の足で立つ場所だ。
馬車の揺れが、心地よい。
私は、ようやく理解する。
王都を去ることは、敗北ではない。
新しい舞台への移動。
そしてその舞台は、思ったよりも広い。
出立の日は、驚くほど晴れていた。
王都の空はどこまでも青く、石畳は朝の光を弾いている。まるで何事もなかったかのような、穏やかな朝。
けれど私の周囲だけが、わずかに緊張を孕んでいた。
公爵邸の玄関前には、辺境侯爵家の紋章を掲げた馬車が停まっている。黒塗りの車体に、銀で刻まれた獅子の意匠。装飾は控えめだが、無駄がない。
「もう行くのね、お姉様」
振り向くと、フロレッタが立っていた。
淡い水色のドレス。髪には真珠。
王子の婚約者として相応しい装い。
彼女はほんの数日前まで、私の後ろを歩いていた。今は違う。社交界は既に、彼女を“未来の王妃”として扱い始めている。
「ええ。侯爵領へ向かいます」
私は穏やかに答える。
フロレッタは一瞬、言葉を探すように視線を泳がせた。
「……怒っていないの?」
「何に対して?」
「わたくしが、殿下を選ばれたこと」
選ばれた。
私はわずかに微笑む。
「殿下が選んだのです。貴女が選んだわけではありませんわ」
「でも……」
彼女の声は、少し震えていた。
罪悪感か、それとも不安か。
「フロレッタ」
私は近づき、真正面から彼女を見る。
「王宮は華やかでしょう。けれど、華やかな場所ほど目も厳しいものです」
彼女は目を瞬かせる。
「わたくし、大丈夫よ。殿下が守ってくださるもの」
その言葉に、私は何も返さなかった。
守る。
それがどれほど重いか、彼女はまだ知らない。
屋敷の奥から父が現れる。
「時間だ」
短い言葉。
父は私を見つめるが、そこに情は滲ませない。家を背負う者の目だ。
「辺境での働き、期待している」
「承知しております」
私は一礼する。
後妻は、どこか安心したような表情を浮かべている。家の中の“問題”が一つ片付いた、とでも思っているのだろう。
馬車へ向かう。
石段を下りる一歩一歩が、王都からの距離を確実に広げていく。
御者が扉を開く。
最後に振り返ると、フロレッタが立っていた。
彼女は笑っている。少しぎこちないが、確かに勝者の位置に立つ笑み。
私は軽く手を振り、馬車に乗り込んだ。
扉が閉まる。
車輪が動き出す。
王都の街並みが、ゆっくりと流れていく。
石造りの建物、行き交う貴族の馬車、遠くに見える王宮の尖塔。
あそこに、私の未来はあるはずだった。
けれど今は、別の未来へ向かっている。
揺れに身を任せながら、私は目を閉じた。
王宮で過ごした日々が、脳裏をよぎる。
王妃教育の講義室。
外交儀礼の練習。
国庫の帳簿。
あの時間は、無駄ではなかった。
王妃にならなくとも、国家の仕組みを知ることは価値だ。
やがて馬車は城門を抜ける。
王都の外へ。
道は徐々に舗装が粗くなり、周囲の景色が変わる。畑、森、川。
華やかな石の街から、土の匂いへ。
半日ほど進んだ頃、対向から一隊の騎馬が現れた。
黒馬の先頭に立つ人物。
鎧は簡素だが手入れが行き届き、姿勢は揺るがない。
ヴァレント・シュトラウス侯爵。
馬車が止まる。
彼は馬から降り、こちらへ歩み寄る。
御者が扉を開ける。
「長旅になる。途中から護衛を増やした」
淡々とした報告。
「ご配慮、ありがとうございます」
私は外へ出る。
王都の貴族ならば、迎えに来ることはないだろう。婚約者が自ら出向くなど、体裁を重んじる中央では珍しい。
「辺境は、遠い」
彼は言う。
「後悔しているなら、今ならまだ戻れる」
私は彼を見上げる。
「後悔はしておりません」
「即答だな」
「選ばれなかっただけですもの。選ばれなかった席にしがみつく趣味はございませんわ」
彼の目が、わずかに柔らぐ。
「強いな」
「強くはありません。ただ、状況を受け入れているだけです」
風が吹き抜ける。
遠くに見える地平線は、王都よりも広い。
「辺境では、役目がある」
侯爵は静かに言う。
「王都のように、華やかなだけの席はない」
「望むところです」
私は一歩前に出る。
「役目があるなら、果たします」
侯爵は一瞬だけ私を見つめ、それから頷いた。
「ならば、共に来い」
馬車は再び動き出す。
今度は侯爵の騎馬隊と共に。
揺れの中、私は窓から外を見る。
王都はもう見えない。
代わりに広がるのは、広大な空と、まだ知らぬ土地。
押し付けられた婚約。
そう言われるだろう。
だが。
押し付けられたのなら、どう扱うかは私次第。
王都の光は背後にある。
前方には、まだ形のない未来。
私は深く息を吸う。
冷たい空気が胸に満ちる。
華やかな席から降ろされた日。
それは確かに屈辱だったかもしれない。
けれど。
席が変わっただけ。
今度の席は、誰の隣でもない。
自分の足で立つ場所だ。
馬車の揺れが、心地よい。
私は、ようやく理解する。
王都を去ることは、敗北ではない。
新しい舞台への移動。
そしてその舞台は、思ったよりも広い。
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