婚約破棄して「無能」と捨てた元婚約者様へ。私が隣国の魔導予算を握っていますが、今さら戻ってこいなんて冗談ですよね?』

鷹 綾

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第7話 取り返せると思った、その判断が致命的だった

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第7話 取り返せると思った、その判断が致命的だった

 王宮の会議室には、重苦しい空気が漂っていた。
 長机を囲む重臣たちは、誰一人として口を開こうとしない。

 沈黙を破ったのは、アラルガン王太子だった。

「……つまり、状況は“一時的な混乱”という認識でいいんだな?」

 その声には、苛立ちが混じっている。

「は……」

 魔導庁次官ローディアスは、喉を鳴らしながら答えた。

「現時点では、魔導障壁は稼働しております。
 ただし――」

「ただし、何だ?」

「維持数値が、想定を下回っています」

 王太子は、舌打ちをした。

「大げさだ。多少の揺らぎは、どこの国でもある」

 だが、重臣たちの表情は暗い。

「殿下」

 財務卿が、慎重に口を開く。

「魔石輸入商が、再三の再交渉を要求しています。
 契約の“保証者”が不在だと」

「保証者?」

「……エルフレイド・ヴァルシュタインです」

 その名が出た瞬間、王太子の眉がぴくりと動いた。

「また、あの女か」

 苛立ちと苛立ちが、混じり合う。

「だが、いなくなった人間の名を出すとは、ずいぶん弱気だな」

「事実です」

 ローディアスは、声を低くした。

「彼女は、単なる事務官ではありませんでした。
 各国との交渉において、彼女個人の信用が担保になっていたのです」

「……そんな馬鹿な」

 王太子は、笑い飛ばそうとした。

 だが、誰も笑わない。

「殿下」

 今度は、軍務卿が口を開く。

「軍用魔導炉の維持費が、予算を超過し始めています。
 このままでは、次期演習に支障が――」

「だから、代替案を出せと言っている!」

 王太子は、机を叩いた。

「誰でもできる仕事なんだろう!?
 なぜ、誰もできない!」

 その怒声に、会議室が静まり返る。

 誰も、答えられない。

 ――誰でもできる仕事なら、
 こんな事態にはなっていない。

 王太子は、深く息を吸い、苛立ちを押し殺した。

「……分かった」

 ゆっくりと、言葉を選ぶ。

「エルフレイドを、呼び戻す」

 重臣たちが、一斉に顔を上げた。

「連れ戻せ。
 多少の無礼は、水に流してやる」

 その言い方は、まるで恩赦だった。

「王太子殿下」

 ローディアスは、躊躇いながらも続ける。

「……彼女は、すでに隣国に迎え入れられています」

「だから何だ」

 即答だった。

「所詮、元婚約者だ。
 こちらが戻ってこいと言えば、断れる立場ではない」

 その自信は、どこから来るのか。

 ――王太子である、というだけの理由だ。

「使者を出せ」

 命令は、下された。

 その頃、隣国皇城。

 エルフレイドは、新たな報告書に目を通していた。

「……やはり、交渉が来ますね」

 淡々とした声。

 ゼノス・フォン・バルドールは、窓際に立ち、外を見ていた。

「王太子自らか?」

「いえ。最初は、下級の使者でしょう」

 エルフレイドは、指で紙を叩く。

「彼らは、まだ“こちらが困っている”と思っています」

「違うと?」

「はい」

 彼女は、顔を上げる。

「困っているのは、向こうです」

 その断言に、ゼノスは小さく笑った。

「君は、実に冷静だ」

「感情を挟むと、判断を誤りますから」

 そう言いながらも、エルフレイドの表情は穏やかだった。

 もう、怯える理由はない。

 その日の午後。

 隣国の外交窓口に、一通の通達が届いた。

 「旧王国より、元婚約者エルフレイド・ヴァルシュタインの帰還を要請」

 それを読んだ外交官は、一瞬、言葉を失った。

「……正気か?」

 即座に、皇帝へと回される。

 ゼノスは、その文書に一瞥をくれると、鼻で笑った。

「遅すぎる」

 そして、エルフレイドを見る。

「どうする?」

 彼女は、しばらく考える素振りを見せた後、首を振った。

「即答はしません」

「ほう」

「相手は、まだ自分たちの立場を理解していませんから」

 それは、戦略だった。

「もう少し――数字が揃ってからです」

 ゼノスは、その答えに満足そうに頷く。

「君の判断に任せる」

 それは、完全な信頼だった。

 一方、旧王国の王太子は、まだ信じている。

 ――自分が命じれば、戻ってくる。

 ――あの女は、所詮、自分の元にいた存在だと。

 その思い込みこそが、
 彼の没落を決定づける最後の一押しになることを――
 まだ、理解していない。


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