婚約破棄されたので白い婚約を選びましたが、いつの間にか本命になっていました

鷹 綾

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第7話 責任の押し付け合い

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第7話 責任の押し付け合い

 王宮の執務棟に漂う空気は、日に日に重くなっていた。

 朝から廊下を行き交う文官たちは、視線を合わせようとせず、足取りも早い。
 まるで、誰かに呼び止められること自体を恐れているかのようだった。

「……おはようございます」

 挨拶の声は小さく、返事も曖昧。
 かつては当たり前だった穏やかなやり取りは、いつの間にか消え失せている。

 原因は、誰もが分かっていた。

 ――仕事が、回っていない。

 だが、それを正面から口にする者はいない。
 代わりに始まったのが、責任の押し付け合いだった。

 午前中の会議室。

「この案件、なぜ報告が遅れた?」

 年配の貴族が、若い文官を睨みつける。

「い、いえ……前任者からの引き継ぎが……」

「引き継ぎ? では、その前任者は誰だ?」

 問われた文官は言葉に詰まり、視線を彷徨わせる。

 ――分からないのだ。

 それまで“自然に整っていた流れ”が、どこから来ていたのかを。

「……アウレリア様が、まとめていらっしゃいました」

 誰かが、ぽつりと口にした。

 その瞬間、空気が凍りつく。

「……また、その名前か」

 苛立ちを含んだ声が、会議室に響いた。

 第一王子アレクシオンだった。

「彼女は、もうここにはいない。
 いつまでも過去に縋るのはやめろ」

「ですが、殿下」

 宰相セヴランが静かに言葉を挟む。

「事実として、彼女が担っていた役割を、誰も把握しておりません」

「把握していなかったのは、君たちの怠慢だろう」

 アレクシオンの視線が鋭くなる。

「なぜ、一人に任せきりにしていた?」

 その言葉に、誰も反論できなかった。

 ――それが“便利”だったからだ。

 有能な婚約者が、裏で全てを整えてくれる。
 問題は起きない。
 責任も表に出ない。

 それを、皆が当然のように享受していた。

「……ともかく」

 アレクシオンは強引に話を切り上げる。

「今後は、各自が責任を持って担当を明確にしろ」

 理想論だった。

 すでに案件は絡み合い、
 どれが誰の責任かなど、簡単には切り分けられない。

 会議は、またしても結論を出せないまま終わった。

 廊下に出ると、文官たちの間で、ひそひそとした声が交わされる。

「……あれ、私の案件じゃないはずなんですが」 「いや、そちらが最終確認を……」 「聞いてませんよ!」

 言葉が荒くなり、視線が鋭くなる。

 ――余裕が、なくなっている。

 午後。

 別の執務室では、ミレアが不満げに腕を組んでいた。

「殿下、最近……皆さん、私に冷たくありません?」

「気のせいだ」

 アレクシオンは即座に否定する。

 だが、その声には、以前のような自信はなかった。

「だって……私が話しかけると、急に忙しそうに……」

 ミレアは唇を尖らせる。

「私、何かしてしまったのでしょうか」

「していない」

 アレクシオンは断言する。

「君は、何も悪くない」

 その言葉を聞きながらも、ミレアの胸には不安が残る。

(……本当に?)

 彼女は気づき始めていた。

 王宮の人々が見ているのは、自分ではなく、
 **自分の背後にある“庇護”**だということに。

 夕刻。

 宰相セヴランは、疲れ切った様子で自室に戻っていた。

 机の上には、未処理の書類が積み上がっている。

「……これほどとは」

 彼は、重く息を吐いた。

 問題は、単なる人手不足ではない。
 構造そのものが、歪んでいる。

 そして、その歪みを矯正していた存在が、いなくなった。

(……彼女は、すべてを理解した上で、何も言わずに去ったのだな)

 アウレリア・ローゼンベルク。

 彼女は決して、自分の功績を誇らなかった。
 むしろ、影に徹していた。

 だからこそ、失った時の衝撃が、ここまで大きい。

 一方、その頃。

 王宮の外れでは、下働きの者たちが噂話をしていた。

「最近、怒鳴り声が増えたよな」 「ああ……前は、こんなことなかったのに」 「アウレリア様がいらした頃は……」

 その名前が、自然と出る。

 誰もが、気づき始めている。

 責任を押し付け合っている限り、
 状況は、決して良くならないということに。

 だが同時に、
 それを止められる人物が、もう王宮にはいないことも。

 夜。

 第一王子アレクシオンは、一人、窓辺に立っていた。

 王都の灯りを見下ろしながら、無意識に歯を噛みしめる。

「……なぜだ」

 なぜ、こんなにも上手くいかない。

 婚約を破棄し、自由を手に入れたはずなのに。
 愛する女性を守っているはずなのに。

 答えは、すぐそこにある。

 だが彼は、まだそれを認められなかった。

 ――認めてしまえば、
 自分が何を失ったのかを、理解してしまうから。
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