婚約破棄されたので白い婚約を選びましたが、いつの間にか本命になっていました

鷹 綾

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第8話 新天地、冷徹公爵

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第8話 新天地、冷徹公爵

 馬車が止まったのは、王都とはまるで空気の違う土地だった。

 石造りの街並みは整然としており、行き交う人々の足取りは落ち着いている。
 無駄な装飾は少なく、だが手入れは行き届き、すべてが「必要なものだけ」で構成されている印象だった。

「……静かですわね」

 アウレリア・ローゼンベルクは、馬車を降りながらそう呟いた。

 王都のような華やかさはない。
 だが、その分、余計な緊張もない。

 ――居心地が、いい。

 ここは隣国ノルディス公爵領。
 そして、この地を治めるのが「冷徹公爵」と呼ばれる男、カルディア・ノルディスだ。

 アウレリアがここに招かれた理由は、単純だった。

 「仕事ができる人物を探している」

 それだけ。

 身分も、過去も、噂も。
 最低限の礼節を除けば、ほとんど問われなかった。

(……王宮とは、ずいぶん違いますわ)

 出迎えたのは、簡素な服装の執事だった。

「アウレリア・ローゼンベルク様ですね。
 本日はお越しいただき、ありがとうございます」

 形式的だが、丁寧な態度。

「こちらこそ、お招きいただき感謝いたします」

 そう答えながら、アウレリアは周囲を観察する。

 使用人たちは静かに動き、無駄話をしない。
 誰もが、自分の役割を理解している。

(……管理が行き届いていますわね)

 執務館へ案内される途中、視界の先に一人の男が見えた。

 背が高く、無駄のない立ち姿。
 黒を基調とした服装は質素だが、どこか圧がある。

 ――あの方が。

「ノルディス公爵閣下でございます」

 執事が小声で告げる。

 カルディア・ノルディスは、アウレリアを見ると一歩前に出た。

「遠路、ご苦労だった」

 低く、抑えた声。
 感情の起伏は、ほとんど感じられない。

「アウレリア・ローゼンベルクです。
 本日は、このような機会をいただき……」

「挨拶は不要だ」

 ぴたり、と遮られる。

 アウレリアは一瞬、瞬きをした。

「……?」

「私は、君の経歴を簡単に確認しただけだ。
 王太子の婚約者だったことも、婚約破棄されたことも、承知している」

 直球だった。

 余計な同情も、遠慮もない。

 アウレリアは、少しだけ口元を緩める。

「率直でいらっしゃるのですね」

「時間の無駄が嫌いだ」

 それだけ言うと、カルディアは踵を返した。

「こちらへ」

 執務室に通される。

 広いが、装飾は最低限。
 机の上には整然と書類が積まれ、余計な物は一切ない。

(……なるほど)

 ここもまた、「仕事のための場所」だ。

「単刀直入に言おう」

 カルディアは椅子に腰掛け、アウレリアを見る。

「私は、補佐を探している。
 形式的な侍女でも、飾りの秘書でもない」

「……実務担当、ということでしょうか」

「ああ」

 即答だった。

「君に求めるのは一つ。
 “できるかどうか”だ」

 アウレリアは、胸の奥で小さく笑った。

(……評価基準が、明確)

 王宮では、
 「婚約者として相応しいか」
 「王太子を立てられるか」
 そんな曖昧な尺度で測られてきた。

 ここでは違う。

「分かりましたわ」

 アウレリアは、静かに頷く。

「では、何から取り掛かればよろしいでしょう」

 カルディアは一瞬、目を細めた。

 驚いたのだろう。
 普通なら、条件を聞く。待遇を問う。期間を確認する。

 だが彼女は、仕事の話しかしない。

「……これだ」

 彼は、机の上の書類を差し出した。

「領内の税収報告。
 前任者がまとめたが、どうにも違和感がある」

 アウレリアは受け取り、素早く目を走らせる。

 数字。
 流れ。
 報告の順序。

(……あら)

 数分もしないうちに、眉をひそめた。

「二点、問題があります」

「ほう」

「一つ目は、季節変動を考慮していないこと。
 二つ目は、帳尻を合わせるために、支出項目をずらしています」

 カルディアの目が、わずかに鋭くなる。

「……即答だな」

「数字は、嘘をつきませんから」

 アウレリアは、さらりと言った。

 その瞬間。

 カルディアは、はっきりと確信した。

 ――この女は、使える。

「……採用だ」

「……え?」

「細かい条件は後だ。
 今日から、ここで働いてもらう」

 あまりにも、あっさりしていた。

 アウレリアは、一瞬きょとんとした後、微笑む。

「承知しました」

 それだけ答えた。

 不思議だった。

 緊張も、不安もない。
 ただ、「やっと正しい場所に来た」という感覚だけがあった。

 執務室を出ると、窓の外には穏やかな公爵領の風景が広がっている。

(……ここなら)

 余計な役割を押し付けられず、
 能力だけで評価される。

 アウレリア・ローゼンベルクの新しい日常が、
 静かに、しかし確実に始まった。

 一方、その頃。

 王宮では、また一つ、決裁が滞っていた。

 ――もう、彼女は戻らない。

 それを知らぬまま、
 王太子と王宮は、さらに深みに沈んでいくことになる。


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