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第13話 一緒に働くということ
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第13話 一緒に働くということ
ノルディス公爵領の執務館では、昼前の時間帯がもっとも静かだった。
朝の報告と指示が終わり、各部署が動き出すこの時間。
廊下を行き交う人影はあるものの、無駄な足音はなく、空気は張り詰めすぎてもいない。
アウレリア・ローゼンベルクは、執務室の一角で資料を広げていた。
南部視察に向けた最終確認。
税制改定後の影響予測。
現場から上がってきた細かな要望。
(……やはり、ここは修正が必要ですわね)
彼女は眉をひそめながら、数字を書き換える。
仕事量は決して少なくない。
だが、不思議と疲労感はなかった。
(王宮の頃とは……違いますわね)
あの頃は、同じ仕事をしていても、常に“誰かの顔色”を伺っていた。
王太子の意向、貴族たちの思惑、場の空気。
ここでは違う。
必要なことを、必要なだけやればいい。
それだけだ。
「……進んでいるか」
低い声が、すぐ後ろから聞こえた。
振り返ると、カルディア・ノルディスが立っている。
相変わらず無駄のない佇まいで、感情はほとんど読み取れない。
「はい」
アウレリアは即答した。
「南部視察の行程ですが、移動時間を少し調整した方がよろしいかと」
「理由は?」
「この村での滞在時間が短すぎます。
形式的な視察だと思われると、かえって不満が残ります」
カルディアは、彼女の示した資料に目を落とす。
「……確かに」
短い一言。
否定も、追加の質問もない。
それだけで、彼女の判断を受け入れたことが分かる。
(……早いですわね)
王宮なら、
「本当に必要か」
「前例はどうか」
と、何度も確認が入っただろう。
ここでは違う。
「では、その案で進める」
「承知しました」
自然なやり取りだった。
婚約者としてではなく、
上司と部下としてでもなく、
同じ仕事を担う者同士として。
昼過ぎ。
二人は同じ机を挟み、並んで資料を確認していた。
沈黙が続く。
だが、居心地は悪くない。
必要な時だけ、短い言葉が交わされる。
「この項目、少し楽観的では?」
「はい。その点は承知しています。
ただ、最悪の想定を前提にすると、現場が萎縮します」
「……なるほど」
カルディアは頷き、修正案を受け入れる。
(……話が、通じます)
それは、当たり前のようで、
実はとても貴重なことだった。
アウレリアは、ふと気づく。
(私……説明しすぎていませんわね)
以前は、相手が理解するまで、
何度も言葉を重ねなければならなかった。
ここでは、一度で足りる。
午後の終わり。
作業が一区切りついたところで、カルディアがふと口を開いた。
「……疲れていないか」
唐突な問い。
アウレリアは一瞬きょとんとし、すぐに答える。
「いいえ。問題ありません」
「……そうか」
それだけで話は終わった。
だが、その一言に、
形式ではない気遣いが含まれていることを、
彼女は感じ取っていた。
(……こういうところが、不器用ですわね)
口に出さず、表情にも出さず。
けれど、ちゃんと見ている。
夕刻。
二人は視察の最終確認を終え、執務室を出た。
廊下を並んで歩く。
しばらくして、アウレリアが静かに言った。
「……一緒に働く、というのは」
カルディアが視線を向ける。
「思っていた以上に、楽ですわね」
彼は一瞬、歩みを止めかけ、すぐに何事もなかったように続けた。
「……問題がないだけだ」
「ええ。問題がない、というのは、とても大切です」
それは、経験からくる実感だった。
無駄な摩擦がなく、
互いの領域を侵さず、
必要な時に、必要な判断ができる。
(……これが、“信頼”なのでしょうか)
夜。
アウレリアは自室で、明日の予定を整理していた。
気づけば、時間が経つのが早い。
(……充実している、ということでしょうね)
ふと、窓の外を見る。
執務館の灯りは、まだ点いている。
カルディアも、同じように仕事を続けているのだろう。
(……不思議ですわ)
白い婚約。
感情を伴わないはずの関係。
それなのに。
同じ空間で、同じ方向を向いて働くことが、
これほど自然だとは思わなかった。
一方、その頃。
王宮では、また一つ、決定が遅れていた。
「……ノルディス公爵領の視察は、すでに日程が確定したそうです」 「……こちらは、まだ調整中だというのに」
そんな報告に、アレクシオンは黙り込む。
彼の脳裏に浮かぶのは、
かつて隣に立ち、淡々と資料をまとめていた一人の令嬢。
「……あいつは」
言葉は、続かなかった。
もう、彼女は“隣”にはいない。
そして今、
彼女は別の場所で、
誰かと“当たり前に”働いている。
それが、何よりも、
彼の胸を締め付けていた。
ノルディス公爵領の執務館では、昼前の時間帯がもっとも静かだった。
朝の報告と指示が終わり、各部署が動き出すこの時間。
廊下を行き交う人影はあるものの、無駄な足音はなく、空気は張り詰めすぎてもいない。
アウレリア・ローゼンベルクは、執務室の一角で資料を広げていた。
南部視察に向けた最終確認。
税制改定後の影響予測。
現場から上がってきた細かな要望。
(……やはり、ここは修正が必要ですわね)
彼女は眉をひそめながら、数字を書き換える。
仕事量は決して少なくない。
だが、不思議と疲労感はなかった。
(王宮の頃とは……違いますわね)
あの頃は、同じ仕事をしていても、常に“誰かの顔色”を伺っていた。
王太子の意向、貴族たちの思惑、場の空気。
ここでは違う。
必要なことを、必要なだけやればいい。
それだけだ。
「……進んでいるか」
低い声が、すぐ後ろから聞こえた。
振り返ると、カルディア・ノルディスが立っている。
相変わらず無駄のない佇まいで、感情はほとんど読み取れない。
「はい」
アウレリアは即答した。
「南部視察の行程ですが、移動時間を少し調整した方がよろしいかと」
「理由は?」
「この村での滞在時間が短すぎます。
形式的な視察だと思われると、かえって不満が残ります」
カルディアは、彼女の示した資料に目を落とす。
「……確かに」
短い一言。
否定も、追加の質問もない。
それだけで、彼女の判断を受け入れたことが分かる。
(……早いですわね)
王宮なら、
「本当に必要か」
「前例はどうか」
と、何度も確認が入っただろう。
ここでは違う。
「では、その案で進める」
「承知しました」
自然なやり取りだった。
婚約者としてではなく、
上司と部下としてでもなく、
同じ仕事を担う者同士として。
昼過ぎ。
二人は同じ机を挟み、並んで資料を確認していた。
沈黙が続く。
だが、居心地は悪くない。
必要な時だけ、短い言葉が交わされる。
「この項目、少し楽観的では?」
「はい。その点は承知しています。
ただ、最悪の想定を前提にすると、現場が萎縮します」
「……なるほど」
カルディアは頷き、修正案を受け入れる。
(……話が、通じます)
それは、当たり前のようで、
実はとても貴重なことだった。
アウレリアは、ふと気づく。
(私……説明しすぎていませんわね)
以前は、相手が理解するまで、
何度も言葉を重ねなければならなかった。
ここでは、一度で足りる。
午後の終わり。
作業が一区切りついたところで、カルディアがふと口を開いた。
「……疲れていないか」
唐突な問い。
アウレリアは一瞬きょとんとし、すぐに答える。
「いいえ。問題ありません」
「……そうか」
それだけで話は終わった。
だが、その一言に、
形式ではない気遣いが含まれていることを、
彼女は感じ取っていた。
(……こういうところが、不器用ですわね)
口に出さず、表情にも出さず。
けれど、ちゃんと見ている。
夕刻。
二人は視察の最終確認を終え、執務室を出た。
廊下を並んで歩く。
しばらくして、アウレリアが静かに言った。
「……一緒に働く、というのは」
カルディアが視線を向ける。
「思っていた以上に、楽ですわね」
彼は一瞬、歩みを止めかけ、すぐに何事もなかったように続けた。
「……問題がないだけだ」
「ええ。問題がない、というのは、とても大切です」
それは、経験からくる実感だった。
無駄な摩擦がなく、
互いの領域を侵さず、
必要な時に、必要な判断ができる。
(……これが、“信頼”なのでしょうか)
夜。
アウレリアは自室で、明日の予定を整理していた。
気づけば、時間が経つのが早い。
(……充実している、ということでしょうね)
ふと、窓の外を見る。
執務館の灯りは、まだ点いている。
カルディアも、同じように仕事を続けているのだろう。
(……不思議ですわ)
白い婚約。
感情を伴わないはずの関係。
それなのに。
同じ空間で、同じ方向を向いて働くことが、
これほど自然だとは思わなかった。
一方、その頃。
王宮では、また一つ、決定が遅れていた。
「……ノルディス公爵領の視察は、すでに日程が確定したそうです」 「……こちらは、まだ調整中だというのに」
そんな報告に、アレクシオンは黙り込む。
彼の脳裏に浮かぶのは、
かつて隣に立ち、淡々と資料をまとめていた一人の令嬢。
「……あいつは」
言葉は、続かなかった。
もう、彼女は“隣”にはいない。
そして今、
彼女は別の場所で、
誰かと“当たり前に”働いている。
それが、何よりも、
彼の胸を締め付けていた。
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