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第20話 選ばれた場所
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第20話 選ばれた場所
王太子アレクシオンがノルディス公爵領を去った翌日、
空は驚くほど澄み切っていた。
昨夜の雨が埃を洗い流し、朝の光は柔らかく地面を照らしている。
まるで、何かの区切りを祝福するかのようだった。
(……本当に、何も残りませんでしたわね)
アウレリア・ローゼンベルクは、執務館へ向かう回廊を歩きながら、静かに思う。
王太子との再会。
過去を突きつけられる覚悟はしていた。
けれど、胸に残ったのは痛みではなく、
もう振り返らなくていいという実感だった。
「……おはようございます」
執務室に入ると、管理官たちが一斉に頭を下げる。
「おはようございます、アウレリア様」
その呼び方に、彼女は未だに少しだけ慣れない。
だが、そこに含まれるのは敬意であり、遠慮でも媚びでもない。
――役割への信頼。
「本日の予定ですが」
いつも通り、業務が始まる。
物流の再調整。
南部視察の報告整理。
次期予算案の素案作成。
どれも、彼女が“やるべき仕事”だ。
(……ここでは、迷いがありません)
王宮にいた頃は、
決断するたびに、どこかで自分を疑っていた。
本当に、これは許されるのか。
誰かの顔を潰さないか。
立場を越えていないか。
だが今は違う。
必要なことを、必要だと判断し、形にする。
それだけだ。
昼前。
カルディア・ノルディスが、いつも通り執務室に現れた。
「……進捗は」
「問題ありません」
アウレリアは、資料を差し出す。
「南部の報告ですが、追加の支援は不要と判断しました」
「理由は?」
「自走できています。
今、手を入れると、かえって依存が生まれます」
カルディアは、書類に目を通し、短く頷いた。
「……妥当だ」
その一言で、決裁は終わる。
――いつも通り。
だが、今日はその“いつも通り”が、
アウレリアにとって特別だった。
(……私は、ここで判断している)
誰かに命じられてではない。
誰かを支えるためでもない。
自分の意思で、ここに立っている。
午後。
業務が一段落した頃、
カルディアが珍しく書類を閉じた。
「……昨日の件だが」
その言葉に、アウレリアは視線を向ける。
「王太子との面会、負担になっていないか」
彼女は、少し考えてから答えた。
「いいえ」
はっきりと。
「むしろ、整理がつきました」
「……そうか」
それ以上、踏み込まない。
それが、彼らの距離感だった。
だが、アウレリアは続けた。
「殿下が来られて、
初めて気づいたことがあります」
「何だ」
「私は、もう“戻る場所”を探していなかった、ということです」
カルディアは、一瞬だけ彼女を見る。
そして、静かに言った。
「……ここを、選んだのだな」
「はい」
迷いはなかった。
「私は、自分で選びました。
ここで働くことを。
ここで役割を果たすことを」
それは、宣言でもあり、確認でもあった。
カルディアは、短く頷く。
「それでいい」
その言葉は、許可ではない。
肯定だった。
夕刻。
アウレリアは一人、庭を歩いていた。
木々の間を抜ける風が、心地よい。
遠くで、使用人たちの笑い声が聞こえる。
(……穏やかですわね)
王宮の庭とは違う。
華やかさも、緊張感もない。
だが、ここには生活がある。
仕事があり、責任があり、
そして、信頼がある。
「……選ばれた場所、か」
そう呟いて、彼女は小さく首を振る。
「いいえ」
これは、
選ばれた場所ではない。
選んだ場所だ。
夜。
自室に戻り、灯りを落とす前に、
アウレリアは窓の外を見上げた。
執務館には、まだ灯りが点いている。
(……あの方も、まだ仕事中でしょうか)
そう思っても、胸がざわつくことはない。
焦りも、不安もない。
ただ。
(……明日も、やるべきことをやりましょう)
それだけだ。
一方、別室で。
カルディアは、報告書に目を通しながら、ふと手を止めた。
(……彼女は、ここに留まる)
王太子が来ようと、
王宮が揺さぶろうと。
彼女は、自分で選んだ。
(……それでいい)
それ以上、考える必要はないはずだった。
だが。
“選ばれた場所”ではなく、
“選んだ場所”だと言った彼女の声が、
なぜか、胸に残る。
――対等な選択。
それは、
この白い婚約が、
いずれ形を変える可能性を、
静かに示していた。
王太子アレクシオンがノルディス公爵領を去った翌日、
空は驚くほど澄み切っていた。
昨夜の雨が埃を洗い流し、朝の光は柔らかく地面を照らしている。
まるで、何かの区切りを祝福するかのようだった。
(……本当に、何も残りませんでしたわね)
アウレリア・ローゼンベルクは、執務館へ向かう回廊を歩きながら、静かに思う。
王太子との再会。
過去を突きつけられる覚悟はしていた。
けれど、胸に残ったのは痛みではなく、
もう振り返らなくていいという実感だった。
「……おはようございます」
執務室に入ると、管理官たちが一斉に頭を下げる。
「おはようございます、アウレリア様」
その呼び方に、彼女は未だに少しだけ慣れない。
だが、そこに含まれるのは敬意であり、遠慮でも媚びでもない。
――役割への信頼。
「本日の予定ですが」
いつも通り、業務が始まる。
物流の再調整。
南部視察の報告整理。
次期予算案の素案作成。
どれも、彼女が“やるべき仕事”だ。
(……ここでは、迷いがありません)
王宮にいた頃は、
決断するたびに、どこかで自分を疑っていた。
本当に、これは許されるのか。
誰かの顔を潰さないか。
立場を越えていないか。
だが今は違う。
必要なことを、必要だと判断し、形にする。
それだけだ。
昼前。
カルディア・ノルディスが、いつも通り執務室に現れた。
「……進捗は」
「問題ありません」
アウレリアは、資料を差し出す。
「南部の報告ですが、追加の支援は不要と判断しました」
「理由は?」
「自走できています。
今、手を入れると、かえって依存が生まれます」
カルディアは、書類に目を通し、短く頷いた。
「……妥当だ」
その一言で、決裁は終わる。
――いつも通り。
だが、今日はその“いつも通り”が、
アウレリアにとって特別だった。
(……私は、ここで判断している)
誰かに命じられてではない。
誰かを支えるためでもない。
自分の意思で、ここに立っている。
午後。
業務が一段落した頃、
カルディアが珍しく書類を閉じた。
「……昨日の件だが」
その言葉に、アウレリアは視線を向ける。
「王太子との面会、負担になっていないか」
彼女は、少し考えてから答えた。
「いいえ」
はっきりと。
「むしろ、整理がつきました」
「……そうか」
それ以上、踏み込まない。
それが、彼らの距離感だった。
だが、アウレリアは続けた。
「殿下が来られて、
初めて気づいたことがあります」
「何だ」
「私は、もう“戻る場所”を探していなかった、ということです」
カルディアは、一瞬だけ彼女を見る。
そして、静かに言った。
「……ここを、選んだのだな」
「はい」
迷いはなかった。
「私は、自分で選びました。
ここで働くことを。
ここで役割を果たすことを」
それは、宣言でもあり、確認でもあった。
カルディアは、短く頷く。
「それでいい」
その言葉は、許可ではない。
肯定だった。
夕刻。
アウレリアは一人、庭を歩いていた。
木々の間を抜ける風が、心地よい。
遠くで、使用人たちの笑い声が聞こえる。
(……穏やかですわね)
王宮の庭とは違う。
華やかさも、緊張感もない。
だが、ここには生活がある。
仕事があり、責任があり、
そして、信頼がある。
「……選ばれた場所、か」
そう呟いて、彼女は小さく首を振る。
「いいえ」
これは、
選ばれた場所ではない。
選んだ場所だ。
夜。
自室に戻り、灯りを落とす前に、
アウレリアは窓の外を見上げた。
執務館には、まだ灯りが点いている。
(……あの方も、まだ仕事中でしょうか)
そう思っても、胸がざわつくことはない。
焦りも、不安もない。
ただ。
(……明日も、やるべきことをやりましょう)
それだけだ。
一方、別室で。
カルディアは、報告書に目を通しながら、ふと手を止めた。
(……彼女は、ここに留まる)
王太子が来ようと、
王宮が揺さぶろうと。
彼女は、自分で選んだ。
(……それでいい)
それ以上、考える必要はないはずだった。
だが。
“選ばれた場所”ではなく、
“選んだ場所”だと言った彼女の声が、
なぜか、胸に残る。
――対等な選択。
それは、
この白い婚約が、
いずれ形を変える可能性を、
静かに示していた。
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