婚約破棄されたので白い婚約を選びましたが、いつの間にか本命になっていました

鷹 綾

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第24話 言葉にできない輪郭

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第24話 言葉にできない輪郭

 夜のノルディス公爵領は、静かだった。

 風に揺れる木々の音と、遠くで鳴る警備兵の足音だけが、時間の流れを知らせている。

 アウレリア・ローゼンベルクは、寝室の窓辺に立ち、外を眺めていた。

(……眠れませんわね)

 体が疲れていないわけではない。
 むしろ、仕事は順調で、無理もしていない。

 それなのに、頭の中が静まらなかった。

 昼間の会議。
 管理官の言葉。
 そして――カルディアの視線。

(……特別、ですか)

 周囲からそう見える、というだけの話だと、何度も自分に言い聞かせた。

 白い婚約。
 形式上の関係。

 互いに干渉しない。
 踏み込まない。

 それは今も、守られている。

 ――少なくとも、表面上は。

 ベッドに腰掛け、アウレリアは深く息を吐いた。

(……では、なぜ)

 なぜ、彼の一言一言が、
 以前よりも心に残るのか。

 なぜ、
 彼が近くにいるだけで、
 判断が揺らがないのか。

(……安心、している)

 その言葉が浮かび、
 すぐに首を振る。

「……それは、仕事が円滑だからですわ」

 声に出してみる。

 合理的だ。
 説明としては、十分に通る。

 だが。

(……それだけでは、足りません)

 翌朝。

 いつもより少し遅く執務室に入ると、
 すでにカルディアが書類に目を通していた。

「……おはようございます」

「おはよう」

 短いやり取り。

 だが、彼は一瞬だけ、彼女の顔を見た。

「……眠れていないな」

 その一言に、アウレリアは思わず立ち止まった。

「……なぜ、そう思われたのですか」

「目元だ」

 それだけ。

 理由は簡潔で、余計な感情は含まれていない。

 ――はずなのに。

(……見ている)

 それが、胸に引っかかる。

「問題はありません」

 そう答えながら、
 どこか、嘘をついているような気がした。

 執務が始まる。

 数字を確認し、報告を整理し、
 いつも通り、仕事は進む。

 だが、ふとした瞬間。

 カルディアが席を立つ音や、
 書類を置く音に、
 無意識に反応している自分に気づく。

(……意識、している?)

 その考えが浮かび、
 アウレリアは心の中で否定した。

(……違いますわ)

 意識しているのは、
 公爵という立場であり、
 判断を預ける相手としての信頼だ。

 感情ではない。

 そう、思いたかった。

 昼前。

 二人で簡単な打ち合わせをしていた時だった。

「……この案だが」

 カルディアが言葉を切り、
 一瞬だけ考えるような間を置く。

「君は、どう思う」

 問いかけは、いつもと同じ。

 だが。

(……“君は”)

 以前より、その言葉が、
 直接、自分に向けられている気がした。

「……こちらの方が、長期的には安定します」

 答えながら、
 彼が頷くのを、
 なぜか、少しだけ期待している自分に気づく。

(……期待?)

 その事実に、
 胸が、わずかに波立つ。

 会話が終わり、
 カルディアが執務室を出て行った後。

 アウレリアは、しばらく机に向かったまま、動けなかった。

(……私は、何を求めていますの)

 評価か。
 信頼か。
 それとも――

(……それ以上は、考える必要がありません)

 無理に思考を切る。

 白い婚約は、
 安全で、合理的で、
 互いを縛らない。

 それ以上を望む理由は、ない。

 夕刻。

 仕事を終え、回廊を歩いていると、
 カルディアが後ろから声をかけてきた。

「……今日は、少し早いな」

「はい。
 一区切りつきましたので」

「そうか」

 一拍置いて、彼は続ける。

「……無理はするな」

 いつも通りの言葉。

 当たり前になった気遣い。

 なのに。

(……今日は、胸に残ります)

 アウレリアは、思わず立ち止まった。

「……公爵」

「何だ」

 一瞬、言葉が喉につかえる。

(……今、聞いてしまえば)

 この感情に、
 名前を与えてしまえば。

 白い婚約は、
 もう“安全なまま”では、
 いられなくなる。

「……いいえ」

 結局、そう答えた。

「何でもありません」

 カルディアは、それ以上追及しない。

 ただ、静かに頷いた。

「……そうか」

 その距離感が、
 優しくもあり、
 残酷でもあった。

 夜。

 自室で灯りを落とし、
 アウレリアはベッドに横になった。

(……言葉にできない)

 けれど。

(……輪郭は、はっきりしてきています)

 それは、
 信頼と安心の延長線にある、
 別の感情。

 否定し続けるには、
 もう少しだけ、
 時間が必要だった。

 一方、カルディアは執務室で、
 ふとペンを止めていた。

(……言いかけたな)

 彼女の視線。
 一瞬の躊躇。

 踏み込まなかったことを、
 後悔はしていない。

 だが。

(……いつまで、白いままでいられる)

 その問いに、
 まだ答えは出なかった。

 けれど確かに。

 互いに、
 言葉にできない輪郭を、
 同じ距離で見つめ始めていた。


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