婚約破棄されたので白い婚約を選びましたが、いつの間にか本命になっていました

鷹 綾

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第25話 隠せなかった感情

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第25話 隠せなかった感情

 異変は、あまりにも突然だった。

 午後の執務が一段落し、
 アウレリア・ローゼンベルクが執務館を出た、その直後。

「――っ!」

 背後で、鋭い気配が走る。

 反射的に身を翻そうとした瞬間、
 足元が崩れた。

 視界が傾く。

(……しまっ――)

 次の瞬間、
 強い力が彼女の腕を掴んだ。

「……危ない!」

 低く、切迫した声。

 身体が引き寄せられ、
 硬い胸元に、強く抱き留められる。

「……っ!」

 息が詰まるほどの衝撃。

 だが、地面に倒れることはなかった。

 ――代わりに。

 彼女は、カルディア・ノルディスの腕の中にいた。

「……怪我はないか」

 声が、明らかに荒れている。

 いつもの冷静さはなく、
 抑えきれない緊張が滲んでいた。

「……はい」

 そう答えながら、
 アウレリアは、自分の鼓動が異様に速いことに気づく。

 周囲を見ると、
 石畳の一部が崩れ、小さな陥没ができていた。

 どうやら、老朽化した排水溝の蓋が外れたらしい。

「……危険だ。
 誰か!」

 カルディアの声が響く。

 すぐに警備兵と使用人たちが駆け寄ってきた。

「公爵様!」

「大丈夫ですか、アウレリア様!」

 彼女は、慌てて姿勢を正そうとする。

「……もう、離れて大丈夫ですわ」

 だが。

 カルディアの腕は、
 すぐには離れなかった。

「……待て」

 低く、鋭い声。

「足を」

 彼は、彼女の足元を確認する。

「……無理に動くな」

「ですが――」

「今は、私の言う通りにしろ」

 有無を言わせない口調。

 それは、公爵としての命令でもあり、
 それ以上に――
 個人的な焦りを含んだ声だった。

 周囲の視線が集まる中、
 カルディアは彼女を抱え上げた。

「……っ、公爵!」

「黙れ。
 今は、それどころではない」

 そのまま、執務館へ向かう。

 人目を気にしている様子は、まるでなかった。

(……これは)

 アウレリアは、胸の奥がざわつくのを感じる。

(……白い婚約の距離では、ありません)

 執務館の一室に通され、
 医師が呼ばれる。

 結果は、軽い打撲だけだった。

「骨に異常はありません。
 数日安静にすれば問題ないでしょう」

 その言葉に、周囲が安堵する。

 だが。

「……本当に、それだけか」

 カルディアの声は、低く、鋭かった。

「はい、公爵様」

「……少しでも違和感があれば、すぐに報告しろ」

 医師が下がり、
 部屋には二人だけが残る。

 重い沈黙。

「……大げさでしたわね」

 アウレリアは、場を和ませるように言った。

「軽い打撲ですし……」

「……大げさではない」

 即答。

 カルディアは、彼女を見下ろしていた。

 その表情には、
 いつもの冷静さはなく、
 明らかな動揺があった。

「……あの瞬間」

 彼は、言葉を探すように一度視線を逸らす。

「君が、倒れかけた時……
 考える余裕など、なかった」

 アウレリアは、息を呑む。

「……失う可能性を、想像した」

 静かな声。
 だが、その一言一言が重い。

「それが、どれほど……」

 言葉が、途中で止まる。

 彼は、拳を握りしめた。

「……これは、白い婚約の範囲を超えている」

 その自覚は、
 彼自身を縛るようでもあった。

「……申し訳ありません」

 アウレリアは、そう言った。

 事故だった。
 誰のせいでもない。

 だが、カルディアは首を振る。

「謝るな」

 短く、きっぱりと。

「……私が、君を守ると決めた」

 その言葉に、
 アウレリアの胸が、強く脈打つ。

「形式でも、義務でもない」

 彼は、はっきりと告げた。

「……私の意思だ」

 それ以上、言葉は続かなかった。

 告白ではない。
 だが。

(……十分、ですわ)

 アウレリアは、ゆっくりと息を吐いた。

「……ありがとうございます」

 その声は、少しだけ震えていた。

「ですが……」

 一拍、置く。

「この関係が、変わることを……
 恐れていませんか」

 カルディアは、即答しなかった。

 しばらく沈黙した後、
 低く答える。

「……恐れている」

 正直な声。

「だが、それ以上に――」

 言葉を切り、
 彼は、彼女をまっすぐに見た。

「失う方が、恐ろしい」

 それが、彼の本音だった。

 白い婚約。
 合理的な関係。

 その殻が、
 この瞬間、確かにひび割れた。

 アウレリアは、静かに頷いた。

「……今は、それで十分ですわ」

 まだ、言葉にしなくていい。
 まだ、結論を出さなくていい。

 だが。

 互いの感情は、
 もう隠せないところまで、
 露わになっていた。

 一方、廊下の外では。

「……見ました?」

「ええ……」

「白い婚約、ですよね?」

 使用人たちは、顔を見合わせる。

 誰の目にも、明らかだった。

 ――もう、それは“形式”ではない。
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