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第十三話 おみせには、ばしょが ひつようです
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第十三話 おみせには、ばしょが ひつようです
新しい通帳を受け取ってから、タナーの胸の奥には、ずっと小さな灯りがともっていた。
それは、嬉しさというよりも――
「ここから始めていい」という、静かな許可のようなものだった。
朝の王宮は、いつも通りだった。
廊下は磨かれ、侍女たちは静かに歩き、朝食の香りが漂っている。
誰も、昨日の出来事を話題にしない。
それでも、タナーは分かっていた。
(……わたしは もう)
(いっぽ すすめた)
食後、部屋に戻り、通帳を机の上に置いた。
ぱらりと開く。
そこに記された数字を、じっと見つめる。
「……」
そして、ふと首をかしげた。
(あれ……?)
小さな指で、机をとん、と叩く。
(おみせ……)
(どこに だすんでしょう)
物は、これから集める。
口座も、もうある。
けれど――
(ばしょが ない)
その当たり前の事実に気づいた瞬間、
タナーは少しだけ恥ずかしくなった。
「……」
考え込んだまま、椅子から降りる。
そして、廊下へ出た。
アンダーソンは、ちょうど王宮での用事を終えたところだった。
「アンダーソンさん」
呼び止めると、すぐに振り返ってくれる。
「どうなさいました、姫様」
タナーは、少しだけ言いにくそうにしながら、正直に言った。
「……あの」
「おみせを やろうと おもったんですけど」
「はい」
「……ばしょが ありません」
一瞬。
アンダーソンは、目を丸くした。
そして――
次の瞬間、声を出さずに笑った。
「……なるほど」
口元を押さえ、軽く咳払いをする。
「大切なことですな」
「……やっぱり そう ですか」
「ええ」
アンダーソンは、うなずいた。
「お店は、“何を売るか”と同じくらい」
「“どこにあるか”が大切です」
タナーは、真剣な顔で聞いている。
「……じゃあ」
「どうすれば いい ですか」
「不動産屋です」
「……ふどうさんや?」
「ええ」
アンダーソンは、穏やかに説明した。
「お店を置く場所を、探す専門の人たちです」
タナーは、少し考えてから言った。
「……いっしょに いって くれますか」
その言葉に、アンダーソンは迷いなく答えた。
「もちろんです」
こうして、その日の午後。
タナーは「お店の場所」を探しに行くことになった。
向かったのは、王都の一角にある不動産屋だった。
看板は少し色あせているが、窓は綺麗に拭かれている。
扉を開けると、木の床が軽く鳴った。
「いらっしゃいませ……?」
応対に出てきたのは、中年の男性だった。
タナーを見ると、一瞬だけ言葉に詰まる。
「……ええと」
「お使いですか?」
その問いかけに、タナーは首を振る。
「いいえ」
「おみせを さがしに きました」
男性は、一瞬きょとんとした。
「……お店?」
「はい」
タナーは、はっきりうなずいた。
「かう か……かりたい です」
男性は、思わずアンダーソンを見る。
そこで初めて、同行者の存在に気づいたようだった。
「……失礼ですが」
「王宮御用商人、アンダーソンです」
その名を聞いた瞬間、男性の背筋が伸びる。
「こ、これは失礼いたしました!」
だが、タナーはすぐに言った。
「……さっきみたいに ならなくて いい です」
男性は、はっとして、口を閉じる。
「わたし」
タナーは、ゆっくり続けた。
「おみせを さがしに きました」
「それだけ です」
その言葉に、男性は一度深く息を吸い、姿勢を正した。
「……承知しました」
「では、お話をお聞かせください」
タナーは、少しだけ安心して言った。
「ちいさくて」
「きれいで」
「かわいい おみせが いいです」
それは、曖昧な条件だった。
だが、男性は否定しなかった。
「……分かりました」
「では、いくつか見て回りましょう」
最初に案内されたのは、大通りに面した店だった。
人通りは多く、看板も目立つ。
「……すごい です」
タナーは、そう言いながらも、少し後ずさった。
「……でも」
「でも?」
「ここは……ちょっと こわい です」
次は、裏通りの安い店。
家賃は安いが、暗く、湿っぽい。
「……ここは」
タナーは首を振った。
「ほっと しません」
三軒目、四軒目。
どれも、決め手に欠けた。
最後に案内されたのは、大通りから一本入った角地の小さな店だった。
白い壁。
大きな窓。
午後の光が、やさしく差し込んでいる。
タナーは、扉を開けた瞬間、足を止めた。
「……ここ」
中に入る。
床は古いが、きしみはない。
空気が、やわらかい。
タナーは、ぽつりと言った。
「……ここ、すきです」
不動産屋の男性が、理由を尋ねる。
「どうしてでしょう?」
タナーは、少し考えてから答えた。
「はいってきた とき」
「すこし……ほっと しました」
その言葉に、アンダーソンは何も言わず、静かにうなずいた。
それで、決まった。
鍵を受け取ったとき、タナーはそれを両手で握りしめた。
(……ここが)
(わたしの ばしょ)
まだ、何も置かれていない空間。
けれど、確かに「始まり」の匂いがした。
王宮へ戻る道すがら、タナーは小さくつぶやいた。
「……おみせ」
「ほんとうに……はじまります」
アンダーソンは、微笑みながら答えた。
「ええ」
「ここは、殿下に選ばれた場所です」
それは、
後に多くの人が「居心地がいい」と口にする店になる。
けれど今はまだ――
ただの、小さな空き店舗。
そこに、物語が入ってくるのは、
もう少し先の話だった。
新しい通帳を受け取ってから、タナーの胸の奥には、ずっと小さな灯りがともっていた。
それは、嬉しさというよりも――
「ここから始めていい」という、静かな許可のようなものだった。
朝の王宮は、いつも通りだった。
廊下は磨かれ、侍女たちは静かに歩き、朝食の香りが漂っている。
誰も、昨日の出来事を話題にしない。
それでも、タナーは分かっていた。
(……わたしは もう)
(いっぽ すすめた)
食後、部屋に戻り、通帳を机の上に置いた。
ぱらりと開く。
そこに記された数字を、じっと見つめる。
「……」
そして、ふと首をかしげた。
(あれ……?)
小さな指で、机をとん、と叩く。
(おみせ……)
(どこに だすんでしょう)
物は、これから集める。
口座も、もうある。
けれど――
(ばしょが ない)
その当たり前の事実に気づいた瞬間、
タナーは少しだけ恥ずかしくなった。
「……」
考え込んだまま、椅子から降りる。
そして、廊下へ出た。
アンダーソンは、ちょうど王宮での用事を終えたところだった。
「アンダーソンさん」
呼び止めると、すぐに振り返ってくれる。
「どうなさいました、姫様」
タナーは、少しだけ言いにくそうにしながら、正直に言った。
「……あの」
「おみせを やろうと おもったんですけど」
「はい」
「……ばしょが ありません」
一瞬。
アンダーソンは、目を丸くした。
そして――
次の瞬間、声を出さずに笑った。
「……なるほど」
口元を押さえ、軽く咳払いをする。
「大切なことですな」
「……やっぱり そう ですか」
「ええ」
アンダーソンは、うなずいた。
「お店は、“何を売るか”と同じくらい」
「“どこにあるか”が大切です」
タナーは、真剣な顔で聞いている。
「……じゃあ」
「どうすれば いい ですか」
「不動産屋です」
「……ふどうさんや?」
「ええ」
アンダーソンは、穏やかに説明した。
「お店を置く場所を、探す専門の人たちです」
タナーは、少し考えてから言った。
「……いっしょに いって くれますか」
その言葉に、アンダーソンは迷いなく答えた。
「もちろんです」
こうして、その日の午後。
タナーは「お店の場所」を探しに行くことになった。
向かったのは、王都の一角にある不動産屋だった。
看板は少し色あせているが、窓は綺麗に拭かれている。
扉を開けると、木の床が軽く鳴った。
「いらっしゃいませ……?」
応対に出てきたのは、中年の男性だった。
タナーを見ると、一瞬だけ言葉に詰まる。
「……ええと」
「お使いですか?」
その問いかけに、タナーは首を振る。
「いいえ」
「おみせを さがしに きました」
男性は、一瞬きょとんとした。
「……お店?」
「はい」
タナーは、はっきりうなずいた。
「かう か……かりたい です」
男性は、思わずアンダーソンを見る。
そこで初めて、同行者の存在に気づいたようだった。
「……失礼ですが」
「王宮御用商人、アンダーソンです」
その名を聞いた瞬間、男性の背筋が伸びる。
「こ、これは失礼いたしました!」
だが、タナーはすぐに言った。
「……さっきみたいに ならなくて いい です」
男性は、はっとして、口を閉じる。
「わたし」
タナーは、ゆっくり続けた。
「おみせを さがしに きました」
「それだけ です」
その言葉に、男性は一度深く息を吸い、姿勢を正した。
「……承知しました」
「では、お話をお聞かせください」
タナーは、少しだけ安心して言った。
「ちいさくて」
「きれいで」
「かわいい おみせが いいです」
それは、曖昧な条件だった。
だが、男性は否定しなかった。
「……分かりました」
「では、いくつか見て回りましょう」
最初に案内されたのは、大通りに面した店だった。
人通りは多く、看板も目立つ。
「……すごい です」
タナーは、そう言いながらも、少し後ずさった。
「……でも」
「でも?」
「ここは……ちょっと こわい です」
次は、裏通りの安い店。
家賃は安いが、暗く、湿っぽい。
「……ここは」
タナーは首を振った。
「ほっと しません」
三軒目、四軒目。
どれも、決め手に欠けた。
最後に案内されたのは、大通りから一本入った角地の小さな店だった。
白い壁。
大きな窓。
午後の光が、やさしく差し込んでいる。
タナーは、扉を開けた瞬間、足を止めた。
「……ここ」
中に入る。
床は古いが、きしみはない。
空気が、やわらかい。
タナーは、ぽつりと言った。
「……ここ、すきです」
不動産屋の男性が、理由を尋ねる。
「どうしてでしょう?」
タナーは、少し考えてから答えた。
「はいってきた とき」
「すこし……ほっと しました」
その言葉に、アンダーソンは何も言わず、静かにうなずいた。
それで、決まった。
鍵を受け取ったとき、タナーはそれを両手で握りしめた。
(……ここが)
(わたしの ばしょ)
まだ、何も置かれていない空間。
けれど、確かに「始まり」の匂いがした。
王宮へ戻る道すがら、タナーは小さくつぶやいた。
「……おみせ」
「ほんとうに……はじまります」
アンダーソンは、微笑みながら答えた。
「ええ」
「ここは、殿下に選ばれた場所です」
それは、
後に多くの人が「居心地がいい」と口にする店になる。
けれど今はまだ――
ただの、小さな空き店舗。
そこに、物語が入ってくるのは、
もう少し先の話だった。
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