婚約破棄されたのでファンシーショップ始めました。 ― 元婚約者が、お人形さんを側室にしようとして大恥をかきました ―

鷹 綾

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第三十一話 ディディ・バトラーは、おちゃを いれます

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第三十一話 テイデイ・バトラーは、おちゃをいれる

 最初に変わったのは、音だった。

 工房の奥に置かれた作業台。その上に腰かけるように座っていたクマの縫いぐるみが、ほんのわずかに布を擦らせた音を立てたのだ。

 それは、がさり、でも、ばさり、でもない。
 誰かが椅子を引いたときに鳴る、ごく自然な生活音だった。

 アンダーソンは、その音で顔を上げた。

「……今、動いたかい?」

 問いかけに答える者はいない。

 だが、次の瞬間、クマは立ち上がった。

 大きな体。だが威圧感はなく、丸い背中は少し前屈みで、まるで「すみません」と言いながら歩く人のようだった。クマは何も言わず、ただ静かに、棚の方へ向かう。

 タナーは、その様子を落ち着いた目で見ていた。

「……ちゃんと できてる」

「姫様、今のは……」

「テイデイ・バトラー です」

 タナーは、そう紹介した。

 クマは棚からティーポットを取り出した。持ち方は丁寧で、落とさない角度を正確に守っている。次に、カップを二つ。どちらも、少し前に完成した“冷めないティーカップ”だった。

 湯を沸かすため、クマはコンロの前に立つ。火を点ける。強すぎず、弱すぎない。適温になるまで待つ姿勢も、人と変わらない。

 アンダーソンは、思わず喉を鳴らした。

「……執事、ですな」

「ちがいます」

 タナーは即答した。

「この こ は
 つかえる ため に
 いる んじゃ ありません」

 クマが湯を注ぐ。音は静かで、跳ねもない。ポットを傾ける角度も一定だった。

「この こ は
 おちゃ を いれて
 かたづける だけ です」

 クマはティーカップをトレイに乗せ、テーブルへ運ぶ。トレイを置く位置も正確だった。ずれない。音を立てない。

 そして、何も言わない。

「……なるほど」

 アンダーソンは、深く頷いた。

「命令も、愛想も、期待もいらない。必要なことだけを、静かに行う存在……」

 クマは、使い終えたカップを回収すると、ゴム手袋を装着した。スポンジを取り、水を流し、丁寧に洗い始める。布の指先が、割れやすい縁に触れないよう、無意識に避けていた。

 タナーは、その様子を見ながら言った。

「ひと は
 “ありがとう” を
 きたい します」

「……ええ」

「でも
 この こ は
 きたい される と
 こわれます」

 洗い終えたカップを、クマは拭き、棚に戻す。最後に、作業台の周囲を軽く整え、元の場所へ戻った。

 そして、また座る。

 最初と同じ姿勢で。

 動きは止まったが、そこに「仕事が終わった」という空気だけが残った。

 アンダーソンは、しばらく言葉を失っていた。

「……姫様。これは……商品、ですか?」

「はい」

 タナーは頷いた。

「テイデイ・バトラー です
 おちゃ と
 やすらぎ を
 あつかいます」

「……売れるでしょうな」

「うれなくても
 いい です」

 タナーは、少しだけ微笑んだ。

「この こ が
 ここ に いる だけ で
 おみせ は
 ちゃんと
 おみせ に
 なります」

 工房の中には、静かな空気が戻った。

 テーブルの上には、まだ湯気の立つティーカップ。
 その横には、何も言わず、何も求めないクマの店員。

 ――おみせは、もう、完成していた。


---

次に進める候補です:

第32話:洗い物まで完璧。メイン商品確定

テイデイ・バトラー視点の日常回(短編)

ドール回との対比を強める調整


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