詩片の灯影①〜想い結びの糸〜

桜のはなびら

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『灯影書房』

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 その古書店は、町並みに溶け込むように、あるいは隠れるように、ひっそりと佇んでいた。

 木造の外壁は陽に焼け、雨に打たれ、時の重みをそのまま受け止めているようだった。
 看板には、手書きの文字で「灯影書房」とある。墨のかすれ具合が、かえって品のある静けさを醸していた。

(トウエイショボウ? ホカゲ、かな?)
 どちらとも読める灯影の文字は、どちらの読み方でもともしびの光を意味している。

 
 扉は半分だけ開いていた。
 風に揺れる鈴の音が、かすかに耳に届く。
 結は、立ち止まったまましばらく動けなかった。
 
(入ってもいいのだろうか)
 
 そう思いながらも、足は自然と一歩を踏み出していた。

 半分開いた扉を押すと、木の軋む音がした。
 同時になった鈴の音。扉の内側には、上部に古く小さな鈴がつけられていた。

 店舗の中は、外の暑さが嘘のようにひんやりとしていて、空気が少しだけ重たかった。
 それは湿気ではなく、紙とインクと埃と、そして静けさの重みだった。
 
 天井近くまである高い棚は本で埋め尽くされていた。膝下ほどの高さの平台には平置きの本が少々乱雑に積まれている。

 棚に収まっている本の背表紙の色は褪せていて、どれも少しずつ違う時間を生きてきたようだった。
 新刊書店のような整然とした陳列ではなく、どこか無造作で、それでいて秩序がある。

 本の森のような店内を歩くと、まるで、誰かの記憶の中を歩いているような感覚だった。

 
 奥のカウンターには、ひとりの男性がいた。

 年齢は四十前くらいだろうか。
 無精髭に、くたびれたシャツ。
 彼は結に気づいたようだったが、何も言わなかった。
 ただ、軽くうなずいて、また本の整理に戻った。
 
 結は、店主らしき男性に声をかけるでもなく、店内を歩き始めた。

 詩集の棚の前で立ち止まり、手に取ったのは谷川俊太郎の一冊だった。
 ページをめくると、紙の手触りとともに、静かな言葉が胸に染みてくる。
 
「それ、いい詩集だよ」
 
 不意に、背後から声がした。
 振り返ると、さっきの男性がこちらを見ていた。
 声は低く、けれど柔らかかった。
 
「……はい。知ってます」
 
 結はそう答えた。
 それ以上、言葉はなかった。
 でも、それで充分だった。


 また少し詩集を読み進めた結。


 静寂と、ほのかな独特の匂い、不思議な涼しさと少し重たい空気。
 壁と扉と屋根とで区切られたこの空間は、言葉を体内に浸透させるために用意された特別な空間のようだった。
 
 その日、結は本を一冊だけ買って、店を出た。
 扉を閉めると、また鈴の音が鳴った。
 店を出ると、夏の熱と町の音が戻ってきた。
 
 けれど、結を包む町は何かが少しだけ変わっていた。
 いや、変わっていたのは結の方だったのかもしれない。

 結の中の、ほんの小さな何かが。
 
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