詩片の灯影② 〜過去から来た言葉と未来へ届ける言葉

桜のはなびら

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古書店と少女

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「これ、買います」
 いつの間にかカウンターに居た少女が本を差し出した。
 先ほどまで読書スペースで静かに本を読んでいたはずだ。
 気配がないわけではないが、彼女もまた荷物や古書と同様、この店舗によく溶け込んでいて、風景の一部になっている。

「もうずいぶん読み進めたんじゃない?」彼女が差し出した本は、決して分厚いものではなかった。
 二時間ほど集中して読んでいたはずだ。ほぼ読み終えているのではないだろうかと圭吾は考えた。


 夏休みに入ってから、頻繁にお店に顔を出すようになった少女は、志貴結しきゆいといった。
 彼女が何回目かの来店時に、手持ちの本を売ろうと身分証明書を提示したことをきっかけに、お互い氏名を開示し合った。
 未成年者であった結が本を売ることは叶わなかったが、以降お互いを名前で呼ぶ関係性になっていた。

 結はほぼ毎回何らかの本を購入している。
 読書スペースを利用したことを気遣っての購入だったら、無用な気遣いだと圭吾は考えていた。
 店舗側が勝手に用意したサービスなのだ。
 客は店舗が想定した範囲内で無条件でサービスを享受する権利がある。
 決して購入を条件にはしていないのだから、気兼ねなく使えば良いのだ。

 結が購入する本は大抵高い値札がつけられた本ではないが、高校生の懐事情が潤沢だとは思えなかった圭吾は、老婆心ながらやんわりと無理して購入はしなくても良いのだと伝えた。
 しかし結は、「手元に置いておきたいと思ったので」と、最近の女子高生が持つにはやや子どもっぽい印象の使用感のある財布から小銭を取り出した。小銭がないときはスマートフォンで電子決済で購入することもある。

 この店は古いし、住人には高齢者が多く、店舗の利用者も住民の層に比例して高齢者が中心だ。
 手数料もばかにならない電子決済を導入するメリットはほとんどないが、言葉や風情を大事にする圭吾は一方で、風情や雰囲気を目的化し、現在の経済や社会、文化の在り方として、利便性、安全性、衛生性などの方に物事が進んでいくのは当然の理であり、それに逆らい抗って風情や雰囲気を無理に残そうとする風潮は、心情的には理解できても、それもまた人間のエゴと一部の人間の価値観の押し付けだと感じていた。

 今この瞬間の普及率は低くとも、自然の流れとして主流が切り替わる未来が見えているのなら、対応するのが人の営みというものだろう。

 だから圭吾は、都心にありながら古いままの姿を残すこの町を気に入ってはいても、それは自然と人の営みが続いてきた結果の今であって、そこに目をつけた市政が政治力を揮い力技で保護・保存に躍起になることに、反対はしないものの流れに反した動きは、自ずとどこかで無理が生じるのではと考えていた。


 
 夏が連れてきた少女。
 彼女がいる空間を、圭吾は好ましく感じていた。

 細々とした作業をしている店主と、本を選び、読書スペースで読んでいる客。
 それぞれの動きに干渉せず、何時間も無言で過ごすこともあれば、時折本や言葉に関しての会話、時にはお互いの生活や過去の話をぽつりぽつりと交わすこともある。

 そんな距離感が圭吾は好きだった。

 積極的でも密でもない関係性だったが、結が存在することで、古く優しく静かでどこか寂しいお店に、瑞々しさとやや危うい未熟さを伴う若さが灯ったようで、まだまだ長いはずのこの先の自分の人生を老衰した店舗になぞらえて閉じ縮小していくだけだと考えていた圭吾の心に、変化の兆しを与えていた。
 
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