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前夜

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 本当に日々はあっという間だ。
 プレゼンをいよいよ明日に控え......と言っても、実は前日にやることなんてあまりない。
 資料はすでに完成しているし確認もしている。してもらってもいる。
 持っていくものも準備済みだし、こちらも確認は済んでいる。楽器のチューニングもしてある。
 持参のスピーカーとマイクは使用するが、現地の機材やスピーカーに音源や楽器を繋ぐことはしないので、身体と持参するものだけあれば問題はない。現場で機器の接続に戸惑うと言ったイレギュラーは起こらない。

 みんな学校に行ってから直接現地に向かうので、どちらかと言えば学校に大荷物で行く方が厄介なくらいだ。


 がんちゃんの様子はどうだろうか。
 緊張しているかな?

 なんだか気になってきた。
 ちょっと見に行ってみようか。


「がんちゃん? 起きてる?」
 部屋の扉をノックし、尋ねた。
 ドアの枠から光が漏れているからまだ寝てはいないはずだ。

 かちゃりと扉が開いた。

「まだ寝てない。資料読んでた」

 明日のプレゼンの資料だ。
 がんちゃんの資料には裏に台本も書かれている。

「ちょっと練習したい」

 がんちゃんがいう。
 練習とは、プレゼンのロールプレイングだ。シナリオを作り資料を作り台本を作った時に一度やっているが、最後にもう一度やっておきたいのだろう。

「良いよ」と、がんちゃんの部屋に入らせてもらい、ラグの上に転がっていたクッションに座る。

 がんちゃんは机の上の資料を手に取り、立ったままプレゼンをやってみせた。

 台本はあくまでも参考だ。ガイドライン程度にしておくのが良い。台本通りにやろうとし過ぎると硬くなったり、ミスがあった時に全部崩れてしまってリカバリーできなくなってしまう。
 むしろ決め切らずに挑み、聴衆の様子やリアクションなんかも見ながら対応していける方が望ましい。


 がんちゃんはスムーズに読み上げている。
 きっとひとりでも何度も練習したのだろう。
 がんちゃんらしい。ただ、やっぱり「読んでいる」という印象は拭えない。
 資料を「読み上げて」プレゼンすることになんら違和感はないのだが、ここはやっぱり「読む」ではなく、自らの言葉で伝える......「訴えかける」といった言い方にしたい。

 ただ、前日に余計なことを言っても混乱するだけだろう。
 真面目ながんちゃんのことだから、言われたことも全部取り入れようとして、パンクしてしまう姿も容易に予想できた。
 今できていることすらできなくなってしまっては本末転倒だ。


「どうかな?」

 訊くがんちゃんからは自信満々という感じはないものの、不安が隠せないなんて感じもなく、「できてはいると思うけど、どこかおかしなところあった?」といった、確認のニュアンスだ。


 ここ、結構大事な場面かもしれない。
 伝えるべきは一言か二言。少ないワードでどう言えば効果的だろうか。

「良かったと思う。結構練習したでしょ? うん、よくできてたよ
あとは、そうねぇ......思いっきり気持ちを込めること、かな?」

 気持ち、心、感情を、言葉に載せる。
 ありきたりだ。けれど真ではある。
 特に今回の場は。発表するがんちゃんという人物の特性は。

「ありきたりだと思うかもしれないけど、本当にそれだけ意識してやってみて?
そこに集中しすぎたせいで内容飛ばしちゃったって良いくらい。
まあしっかり練習してて身についてるから、多少飛ばしてしまっても身体が......この場合口が、かな? が覚えていて、脳で無理に思い出さなくてもうまく言葉は出てくるはずだから」

 一言二言とはいかなかったが、要点は端的だったはず。
 要は感情に特化して良い、ということだ。

 すでに資料でロジックは積み上げている。
 数字も明快に出している。
 あとは問われるのは気持ちだ。なんて言うと青臭い体育会系の精神論だと思われるかもしれないが、企業の論理にだって気持ち=真剣さ、真摯さ、情熱は通じる。その熱量がそのまま提案内容の実現にかける熱量を表しているのだから。
 どんなに完璧な計画でも、運用するのは人間だ。完璧なスキームで誰がやっても一定の成果がでる、非属人的なものにしてあったとしても、携わる人間の精度、簡単な言葉で言えばやる気の有無で、結果に差は出るのだから。
 まして今回は身体を動かし心に訴えかける類の提案内容であり、求める成果でもある。

 企業は質と同等に信用も求める。

 私たちが提供できる信用とは、どれだけこの計画を成功させるために、情熱を傾けられるのか。それを示すことなのだから。

「わかった」といったがんちゃんの表情は、少し軽やかなものになっていたように見えた。
 覚えて一言一句間違わないようにするよりも、少しは気楽になったのなら良かった。



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