選ばれた勇者は保育士になりました

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第16話  赤

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 朝日が昇ると同時にアレックスは祖父と共に喫茶店へと向かっていた。
「祖父さん、まだ誰もいないよ。もう少ししてから来た方がいいよ」
 市場が開くまでまだ時間がある。そんな朝早くからアレックスを叩き起こした祖父ゲンは、彼が止めるのも聞かずにどんどん道を進んでいく。
「一度決めたら曲げないんだから~~」
 頑固な性格は知っていたが、朝早くから押しかけるほど常識知らずだとは思いもよらなかった。
 アレックスは喫茶店に誰もいなかったら一旦家に戻ろうと提案したが、ゲンは全く聞いていなかった。

 そうこうしているうちに、喫茶店の前までやってきた。
 辺りは静まり返っており、誰もいない。
「言っただろ? 早すぎなんだよ」
 アレックスがゲンを連れて帰ろうとした時、喫茶店の扉が開いた。そして中からヴァーグが姿を見せた。
「おはようございます。お待ちしておりました」
「ヴァーグさん、もう来ていたんですか!?」
「来ていた…というよりも、ここに皆で泊まってしまいました」
「皆?」
「昨日のメンバーですよ。今、門を開けますね」
 喫茶店の入り口から数メートル離れている所にある門を開けると、ヴァーグは2人を中に入れた。
「アレックス君のお祖父さまですね。わたしはヴァーグと申します」
 ヴァーグが挨拶をすると、ゲンの顔つきが険しくなった。
 言葉を返さない彼に、ヴァーグは何か失礼な事でもしたかな…と不安になった。
「祖父さん!!」
 アレックスが大声で叫ぶと、ゲンはニヤッと笑った。
「そなた、女神の加護を受けているじゃろ?」
「…え?」
 しばらく聞いていなかった言葉に、ヴァーグは驚いた。この言葉を聞いたのは8年前。初めてこの世界に来た時に出会った神父から聞いた以来だ。
「美食家の神父を知っているかね? 30代に見える金髪の神父だ」
「は…はい、だいぶ昔ですがお会いしたことがございます」
「そうか、そうか。なら話は早い。昨日、ケインが持ってきた弓矢の他にも武器を貰っているな? それらすべてを見せてもらえるかね?」
「は…はい…」
 一部の人にしか話していない美食家の神父の事を、なぜゲンは知っているのだろう。
 もしかして何らかの繋がりがあるのではないだろうか。ヴァーグの胸がワクワクしてきた。

 喫茶店のスペースでは、昨晩のメンバーが朝食を食べていた。ヴァーグが言う様にこの店に泊まったようだ。
「ゲン祖父ちゃん、おはよう!」
 ケインが元気よく挨拶すると、ゲンは「わしにも飯!!」と叫んだ。
「だと思ったよ。祖父ちゃんの分の用意してあるよ」
 ケインはエテ王子の目の席に用意された朝食を指した。
 今日に朝食は鮭の切り身を中に入れたおにぎりと、卵焼き、大豆から作った味噌を使った豆腐とわかめの味噌汁、レタスとキュウリとハムの簡単なサラダという献立だ。
「見たこともない食べ物だな」
「ヴァーグさんの故郷で食べていた定番の朝食なんだって。座って、座って」
 ケインはゲンを席に座られた。
 目の目に座っているエテ王子を見て、ゲンは
「なんじゃ、王子もいたのか」
と呟いた。
 その言葉に、飲んでいた味噌汁を吹きだすエテ王子。
 おにぎりを咥えたまま、目を見開くリチャード。
 手にしていたフォークを落とすカトリーヌ。
「何を驚く。わしは王室御用達の武器職人だったんだぞ。王子が生まれた時の事も知ってるわい」
「俺が生まれた時の事?」
「そなたの母君は王妃の侍女だったんだろ? 結婚する相手も決まっていたが、誰かの陰謀で国王との子を身ごもり、更に誰かの陰謀で本当の婚約者は亡くなり、両親を始め親族一同までもが謎の死を遂げた。誰かさんにしてみれば、王妃を陥れようとの企みだったが、生母を亡くしたそなたが王妃の実家と養子縁組をしたのは計算外だったんだろう。だから王女が2人も生まれた」
「ちょ…ちょっと待って。それ、実話?」
「当たり前じゃ! 誰が国王と王妃の名を使って作り話を話すか! 今の王室は誰が次期国王に相応しいか、誰も決められない。誰が国王になっても混乱を招くだけだ」
「祖父さん!」
「それに、そなたは王室を出ようと考えている」
「そ…それは…」
「まあ、好きに生きるがいい。そなたが王室を出た所で、国が潰れるわけではない。たとえ王都が衰退しても、どこかが代わりの王都になる」
 予言めいたことを言うゲンの発言に、王都から来た三人は目を見開き驚いたままだった。
 そんな三人を見てゲンはフッと小さく笑った。
「先に行っておく。わしは武器職人でもあるが、そなたの父君の武術の講師でもあった。そなたが軍の育成学校に入るまでは王子たちに武術を教えていた。エテ王子、そなたは誰よりも実力があり、才能もあった。育成学校に進んだのは正解だったな」
 まるで愛おしい孫を見つめるかのように、優しい眼差しを向けるゲン。
 エテ王子にとっては、自分の過去を知る唯一の人物。王妃に過去を聞こうとしたが、それが原因で今の関係が崩れそうで聞き出せないでいた。
「それよりも王子、婚約者を放っておいていいのか?」
 二度目の衝撃発言に、王都組三人だけでなく、ケインとアレックスも同時に口にしていたものを吹きだした。
「ここここ婚約者!? 誰だよ、そいつ!」
「おや? あの話はただの噂だったのか。王妃が親友の娘を王子の妃にって願い出たそうだぞ。国王からしつこく娘に会わないかと言われていなかったか?」
「確かに言われていたが…」
「どなたですの? エテ様のご婚約者って」
 興味津々のカトリーヌが身を乗り出してきた。
「王妃の親友で、国立歌劇団の団長を務める子爵のご令嬢だ。たしか、今年で19になると聞いている」
「国立歌劇団の団長さんの娘さん?」
「団長の家は一人娘で、後を継いでくれる人がいない。だから、王室を嫌っているエテ王子を子爵家に婿として婚姻関係を結んで、王室を出る手配をすると王妃が国王に願い出たそうだ。今の地位は無くなってしまうが、王室を出る手配をしてくれているのなら、王妃に感謝しないといけないな」
「王妃がそんなことを…」
「だ…だけど、どうしてエテに縁談を持ち込んだんだ? いくらエテが王室を嫌っているとはいえ、普通第一王子から縁談が来るものだろ? 第三王子のエテが先に結婚したら、上の王子・王女が怒り狂うぞ?」
「王妃が言うには、エテ王子とそのご令嬢、一度会っているらしいな。今から10年ぐらい前の王妃の誕生日を祝う席で」
「え? 俺は会っていな……もしかして、あの子?」
 エテ王子に心当たりがあるようだ。
 たしかに10年ぐらい目、王妃の誕生日を祝う舞踏会で、宴を抜け出した時に中庭で一人の少女に出会っている。あの時の子が国立歌劇団団長の娘だったのだろうか…。
「その、国立歌劇団の団長のご令嬢の容姿って…」
「赤い髪と赤い瞳をしていて、歌うことが好きだそうだ」
 ゲンの口からその容姿が出てくると、エテ王子は「やっぱり…」と納得した言葉を出した。
 だが、今はコロリスがいる。彼女も赤い髪に赤い瞳を持ち、歌うことが好きなようだが、小さい頃に一度だけであった少女に似ている部分があったから惹かれたのだろうか?
「でも、そのご令嬢、今は行方不明だそうですわ」
 カトリーヌが昨日得た情報を口にした。
「行方不明?」
「ええ。昨日、彼が教えてくださいましたの。一年以上も前から行方が分からないんですって」
 リオから聞いた情報を話すと、カトリーヌの隣に座っていたリチャードの拳が突然ワナワナと震え出した。
「わたしはまだ認めていないぞ!!! あいつのこと、認めていないからな!!!」
 まだリオの事を憎んでいるリチャードは、椅子から立ち上がり大絶叫していた。
「今はそんなお話、していないですわ」
 カトリーヌは却って冷静だった。
「だいたい、出会ったその日に告白してくる男なんか信用できるか!」
「兄上様こそ、エミーさんに同じことをしているではありませんか」
「わたしと一緒にするな!」
「わたくしの人生はわたくしの物ですわ。兄上様に指図される筋合いはございませんわ」
「王都に帰ったら家族会議だ!!」
 突然はじまった兄弟喧嘩。
 エテ王子は見慣れている光景なので、無視しご飯を食べ始めた。
 ゲンは「若い者は朝から元気だな!」と豪快に笑い「おかわり!」と朝食のおかわりを催促した。
 ケインは喧嘩を止めようとオロオロしており、アレックスはゲンのおかわりを止めている。

 そんな賑やかな朝食の光景をカウンターから眺めていたヴァーグは、パソコンに更新される人物の詳細情報をニマニマした表情で眺めていた。

 その時、パソコンの画面の地図のアイコンが急に赤く点滅しだした。
「なに、これ…」
 初めてのことで赤く点滅する地図のアイコンをすぐにマウスでクルックすると、村周辺の地図が赤く染まっていた。
 マウスポインタを村に合わせると『緊急事態 敵 襲撃』という文字が浮かび上がった。
 そして黒い丸印が『秋の森』から村目掛けてゆっくりとだが近づいてきていた。

 そこへ窓を誰かが叩く音がしてきた。
 窓の外にはオルシアがおり、鼻先で窓枠を突いていた。
「オルシア、どうした」
 ケインが窓を開けると、オルシアは空を見ろと首を空に向けた。オルシアの後ろではシエルとアクアが不安そうな顔で空を見上げていた。
「なんだあれ!!」
 ケインの叫びに、喫茶店にいた人たちは、一斉に空を見上げた。
 村の遥か彼方ではあるが、上空に黒い雲は渦巻いていたのだ。その九尾は徐々にこちらに向かってきている。
「緊急事態よ! 村人たちを全員避難させて!」
「ヴァーグさん、どういうことなんですか?」
「この村の近く…正確には『秋の森』周辺に敵が現れたみたい。この村を襲撃の対象としているわ。リチャードさん、王都からの援軍は頼めますか?」
「すぐそこの村まで来ている。進撃の命令を出そう」
「リチャードさん、シエルに乗ってください! その方が早い!」
「ありがとう」
「シエル、リチャードさんを頼む」
 ケインに命じられたシエルは小さく頷くと、リチャードを背中に乗せて空高く飛び上がった。
「アレックス君、村人たちを避難させて。『秋の森』と反対の位置にある『春の草原』まで行けば大丈夫よ」
「わかった!」
「カトリーヌさんは宿に戻り、メアリーさんたちにお客様を避難させるように伝えてください。アクア、カトリーヌさんの護衛について」
 ヴァーグに命じられたアクアは「きゅっ!」と凛々しい顔つきで返事をすると、カトリーヌと共に宿へと戻った。
「ゲンさんはアレックス君と村人の避難をお願いします」
「祖父さん、行くぞ!!」
 アレックスはゲンの腕を引っ張り、建物の外へと促した。
 だが、ゲンはケインとエテ王子の前に立ったまま動こうとしなかった。
「祖父さん!!」
 アレックスが力強く引っ張ろうとすると、ゲンは彼の腕を振りほどいた。
 そして、ケインとエテ王子の前に、拳を突き出した。
「これを武器に装着しろ」
 ゲンはケインの手のひらに円柱の形をした緑色のガラスのような物を、エテ王子の手のひらに長方形の形をした半分青色と半分赤色のガラスのような物を置いた。どちらも長さは10cmほどの大きさだ。
「銃の台尻を軽く押すとこれを装着できる空洞が現れる。これを装着すれば、無限に水と炎の攻撃ができる。頭で念じれば念じた方の攻撃ができる」
 ゲンが言う様に『女神の拳銃』を取り出したエテ王子は、持ち手の底に当たる台尻を軽く押すと、空洞が現れた。ゲンから受け取った二色の超崩壊のガラスを嵌め込むとピタリと嵌り、再び台尻の底は蓋が閉じた。
「弓のハンドル…握る部分だ。ハンドルの内側に丸いボタンがある。そこを押せば銃と同じように空洞が現れる。これを装着すれば、念じるだけで無限の矢を生み出すことができる」
 ケインも、ゲンの言う通り、『女神の弓矢』のハンドル部分にある丸いボタンを押し、現れた空洞に円柱のガラスを嵌め込んだ。
「大いに暴れて来い! 武器が壊れてもわしが直してやる!」
 ケインとエテ王子の背中を勢い良く押し、ゲンは2人を建物の中から送り出した。
「ゲンさん、今のは…」
「なに、昔作ったわしの最高傑作じゃ。詳しい事は終わったら話そう。ヴァーグ殿、彼らの援護を頼む」
「…はい!」
 ヴァーグは愛用のノートパソコンを抱え込むと、先に外へ出たケインとエテ王子と合流し、オルシアの背に乗り『秋の森』の方角に向かって飛び上がった。


 市場で開店準備をしていた村人たちは、徐々に近づく渦巻く黒い雲に不安を感じていた。
 そこに、
「ここは危険です! 皆さん、『春の草原』まで避難してください!」
とアレックスが大声をあげながら走り込んできた。
「アレックス!」
 大声をあげながら走り回るアレックスを、同級生のビリーが呼び止めた。
「ビリー、ここは危険だ。すぐ逃げろ」
「一体何が起きたんだ。あの雲はなんだ?」
「かなり危険な敵が襲撃してくるらしい。ビリー、お前も避難誘導を手伝ってくれ!」
「わかった!」
 ビリーは自分の店ー花屋の周りにテントを張る店主たちに、緊急事態だから避難するように呼びかけた。だが、どこが緊急事態なのか、何も起こっていない今の現状に、避難する者はいない。
「だから、避難しないといけないんだよ! 空の雲を見ただろ? あれは緊急事態を知らせるサインなんだよ!」
 アレックスも必死に呼びかけるが、市場の人たちは動こうとしない。それどころか開店準備で忙しいとアレックスを追い払ってしまった。

 誰一人避難しない状況に、どうしたらいいんだ…途方に暮れていると、アレックスのすぐ後ろで爆発音が響いた。
 後ろを振り向くと、青果を売っていたテントに何かが降ってきたらしく、果物を並べていた棚が粉々に砕け散っていた。その傍らで店主が腰を抜かしている。
 すると、次から次へとテント目指して何かが空から降ってきて、市場のあちこちで爆発音が鳴り響いた。
 ようやく事態を把握した市場の関係者たちは、悲鳴を上げながら逃げまとい始めた。
「皆! 『春の草原』まで逃げるんだ!」
 アレックスとビリーは逃げまとう村人たちを、『春の草原』まで行くように何度も声を掛けた。素直に聞く人もいれば、パニックで全く違う方向へと逃げる人もいる。それでも空から降ってくる何かが止まず、小さい市場だが大混乱となった。
 混乱した現場を2人だけで収拾するのは困難で、アレックスにもビリーにも疲労が見え始めた。

 そこへ『秋の森』方面へと繋がる道を塞ぐ人の壁ができ始めた。
 その壁は徐々に広がり、終いには市場の一か所の出口を残して、ぐるりと取り囲む壁となった。
「誘導はわたしたちに任せろ。君たちは先に逃げた人たちの事を頼む」
 アレックスとビリーに声をかけてきたのは、王都に王宮警備騎士団の制服に身を包んだリチャードだった。
「リチャードさん…」
「君たちの今からの指令は、誰一人として死者を出さない事。わたしの部下を一人ずつ付けるので、村に残った人たちを速やかに避難させなさい」
「…は…はい!」
「何人か村の中に散れ。ここが終息次第我々も向かう」
「はっ!」
 リチャードは的確に部下たちを指示し、市場の混乱の終息に向かわせていた。
 アレックスとビリーは、リチャードの部下たちと村の中心部へ戻り、逃げ遅れた村人たちの救出へと向かった。


 宿に戻ってきたカトリーヌはサリナスやメアリーたちに緊急事態を伝え、宿に泊まっているお客たちの避難を呼びかけた。すでに外では市場と同じく、空から何かが降り続け、逃げまとう村人たちでパニック状態だった。
「『春の草原』まで逃げれば大丈夫とのことです」
 カトリーヌがそう伝えるが、マックスもメアリーも場所が分からなかった。
「マリー、知ってる!!」
「ミリーも知ってる!!」
 双子が場所を知っていた。
 カトリーヌは双子に誘導を頼むと、自分は最前線に向かうことを告げた。
「危険です! 私たちと逃げましょう!」
 エミーが説得するも、カトリーヌは首を横に振り続けた。
 そして、何を思ったのか身に纏っていたドレスを脱ぎ捨てると、何時でも出撃できるように、着こんでいた騎士団の制服姿をエミー達に見せた。
 白い軍服に膝丈のプリーツの入った水色のスカート、膝まであるロングブーツを着こなすカトリーヌは、ヴァーグより預かっている短剣を腰に装着した。
「カトリーヌさん、あなたは…」
「わたしは王都警備騎士団第一部隊隊長を務めています。エミーさん、村人たちの避難をお願いします」
「は…はい…」
 ドレス姿とはまた違う美しさのあるカトリーヌに、エミーはぽーっとしてしまった。
「「カトリーヌお姉ちゃん、頑張って!!」」
「ありがとう。マリーちゃんとミリーちゃんも皆を頼みましたよ」
 カトリーヌは双子の頭を軽く叩いて、建物の外へと飛び出した。
 向かうは渦巻く黒い雲の下!


 今日も村までやってきたコロリスは、村の異変をグリフォンのヴァンに乗って上空から眺めていた。
「一体何があったの?」
 空から降り続ける大きな水の塊。
 その塊から逃げまとう村人たち。
 遥か上空には渦巻く黒い雲。
 そして、雲に向かって飛ぶドラゴン。そのドラゴンの背中にはエテ王子の姿があった。
「エテさん!」
 コロリスがドラゴンの後を追おうとした時、ヴァンが急に方向を変えて、村に向かって急降下していった。
「ちょ…! ヴァン! こっちじゃないわ!」
 コロリスの言葉を無視し、ヴァンは村の住宅街に降り立った。
 ヴァンの足元には親と逸れたのだろう。2歳ぐらいの女の子が地面に座り込み大きな声で泣き続けていた。
 コロリスはヴァンから降りると、泣いている女の子を抱き上げた。女の子は母親ではない腕に抱かれたことで、恐怖と不安、寂しさからさらに大きな声で泣き出した。
「大丈夫、大丈夫よ。すぐにお母さんの所に連れて行ってあげるからね」
 泣きじゃくる女の子の背中を優しく撫で続け、女の子はなんとか泣き止んでくれた。
 コロリスも落ち着きを取り戻し、もう一度辺りを見回した。
 空から降る水の塊は、次々に建物を壊していき、辺りには壊れた木造の破片が舞い上がっている。今にも崩れ落ちそうな壁もあり、なぜ一日でここまで変わり果ててしまったのか、コロリスは理解できなかった。

 その時、コロリスの背後で、ギシギシっという音が鳴った。
 音に気付き、後ろを振り向いたコロリスが目にしたのは、自分に向かって倒れてくる木造の壁だった。
 逃げる間もなく、その場にしゃがみ込み、抱えた子供を抱きしめたコロリスは目をつぶった。

 が、何時まで経っても自分の体に衝撃はなかった。
 恐る恐る目を開いたコロリスは、自分の背後に一人の男が立っていることに気付いた。
 白い軍服を着、灰色のズボンを身に着け、灰褐色の髪の色を持つその男の手には双剣が握られていた。男を中心に木材が左右に崩れ落ちているのを見る限り、この男が助けてくれたことが分かる。
「ここは危険です。お逃げください」
 そう言いながら振り返った男の顔は、コロリズがよく知る人だった。
 コロリスはその男の名前を呼んだ。
「リオ様!?」
 自分の名前を呼ばれた男ーリオは、左は緑、右は灰褐色の瞳で、地面にしゃがみ込むコロリスを見た。
「コロリス様、なぜここに…」
「リオ様こそどうしてここに? 王立研究院にいらしたのではないのですか? それにその制服…」
「今はとある方のご命令で、この村に滞在しております。王立研究院より盗まれた魔法玉を追って、こちらに辿り着きました。今はガラス工芸の工房を開きながら調査していましたが、やっと犯人を見つけました。その犯人を捕まえるために探していたところ、コロリス様にお会いしました」
「で…でも、その制服は警察騎士団の制服ですよね? リオ様は研究員ではなかったのですか?」
「兼任しております」
「兼任?」
 リオがコロリスを立ち上がらせようと手を差し出した時、
「隊長! こちらの地区は全員避難完了しました!」
と灰色の軍服に灰色のずぼんを身に着けた数人の兵士たちがやってきた。
「ご苦労。引き続き他の場所も捜索するように。王宮警備騎士団団長からの命令だ! 死者を一人も出すな!」
「はっ!!」
 リオに命じられた兵士たちは敬礼をすると、四方へと散っていった。
「た…隊長?」
「今は警察騎士団第一部隊隊長に就いています。コロリス様、ご両親が心配されています。お屋敷に帰られてはいかがでしょうか?」
「それはできません。わたしはこのまま行方不明のままでいます」
「コロリス様!」
「あなたにはわからないのよ! 王家に嫁がなくてはならなくなった気持ちなんて! わたしは自由に生きたいの! 家には二度と戻らないわ!」
 そう宣言すると、コロリスは女の子を抱えたままヴァンに飛び乗り、空高く飛び上がってしまった。
「コロリス様、それは誤解です! あなたは王家に嫁ぐことはありません!!!」
 リオが必死に訂正するが、コロリスはヴァンに乗って飛び去ってしまった。

 リオが出会ったコロリスは、行方不明となっている国立歌劇団団長の娘その人である。
 ある日、母親から王子との結婚話を持ち掛けられた。貴族の娘ならとても名誉な事なのだが、コロリスは10年以上前に出会った軍の育成学校の制服を着たあの青年の事が忘れられないでいた。あの青年に出会うまで、誰にも嫁がないと親と喧嘩をし、家を飛び出した。
 家を飛び出した後、旅一座に拾われ、雑用係として旅一座と行動を共にしている。
 その旅一座の団員として、コロリスは運命の相手であるエテ王子と出会い、そしてお互いに恋に落ちた。

 この2人が、親が持ち掛けた結婚の相手だと気づくのはそう遠くないだろう。


 女の子を保護したコロリスは、沢山の人が逃げる方向に向かって飛び続けた。
 しばらくすると、色とりどりの花が咲き乱れる草原が見えてきた。その草原に村人たちが避難していた。
 コロリスはヴァンに降りるように命じ、草原へと降りていった。

 草原では一人の若い女性が「子供を見ませんでしたか?」と何人にも声をかけていた。その女性は保育所の利用者第一号だった若い夫婦の妻だった。逃げる途中で娘を見失ったらしく、乱れた髪はより悲壮感を漂わせていた。
 母親の声が聞こえたのか、コロリスの腕の中にいた女の子が「ママ!!」と大きな声を出した。
 その声に気付いた若い女性は、コロリスの方へと走ってきた。
「サクラ!」
 母親が名前を呼ぶと、女の子はコロリスの腕の中で暴れた。コロリスは地面に降ろしてあげると、まだ速くは走れないが、母親に向かって一生懸命足を動かした。
「サクラ!」
「ママ!!」
 母親は娘を力強く抱きしめた。娘のサクラも、母親に会えた安心感で大きな声で泣きながら何度も何度も「ママ」「ママ」と呼び続けた。
「よかったですね」
 コロリスが母親に声を掛けると、何度も何度もお礼を言ってきた。
「コロリスさん!」
 そこにエミーがやってきた。
「エミーさん。エテさんは? エテさんは何処にいますか?」
「それが…」
「やはりドラゴンに乗っていたのはエテさんだったんですね。ヴァン、私たちも行きましょう」
「コロリスさん!?」
「一人でも多い方が戦力になりますからね」
「危険です! ここで待ちましょう!」
「わたしは大丈夫です。ヴァンが着いていますから。エミーさん、ここはよろしくお願いします」
 コロリスはヴァンにヒラリと飛び乗ると、エミーが止めるのも聞かずに渦巻く黒い雲に向かって飛び上がった。

 彼女にはエテ王子に会わなくてはいけない理由がある。
 リオも最前線へと向かっただろう。そうなると、リオの口からエテ王子に自分の事が知らされるだろう。自分の本当の身分を知ったら、エテ王子は今の関係を終わらせるに違いない。
 だったら自分から別れを告げよう。もう二度と会わないことを告げよう。
 別れを告げる前に、彼の力になるために、ヴァンと共に最前線へと向かった。
 コロリスの勘違いは、ますます二人を離すことができないことになっていく。


                  <つづく>
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