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第26話 ケインとクリスティーヌ王女
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太陽が西の空に傾き始めた頃、王宮からミゼル侯爵が中央広場に駆け込んできた。
リチャードを探そうと、辺りを見回していると、ある人物の顔が飛び込んできた。
「なんでお前が先に来ているんだ!?」
ミゼル侯爵が見つけたのは、たこ焼きを片手に持ち、エテ王子と談笑しているダイスだった。自分が王宮を出る時、ダイスはたしかに王妃の傍に居た。なのにそのダイスがすでに広場におり、更に手にしているたこ焼きが半分以上、無くなっていた。
「これはミゼル侯爵。わたくしがいかがしましたか?」
「わたしより後に王宮を出たはずなのに、なんでここにいるんだよ! どんな手を使った!? なにをしたんだ!?」
体力には自信があり、ダイスよりも年が若いミゼル侯爵は、彼の肩を掴み前後に揺すりながら問い詰めた。
ダイスは表情を変えずに、冷静を保ちながらたこ焼きを食べ続けていた。
「あなた、お帰りになっていたのですね」
そこにミゼル侯爵夫人がエミーと共に声をかけてきた。
どうやらリチャードとカトリーヌは仕事に戻ったようだ。広場に姿はなかった。
「おお、お前か」
「あなたも召し上がりますか?」
そう言いながら侯爵夫人は、夫の前に湯気の上がったたこ焼きを差し出した。
「これはなんだ?」
「『たこ焼き』と呼ばれる食べ物ですわ。熱いので気を付けてくださいね」
「はい」と言いながら、竹串に刺さったたこ焼きを差し出すと、ミゼル侯爵は不思議そうに覗き込んだ。今まで見たこともない柔らかく、茶色い丸い物体を前に、本当に食べられるのか?と疑っているようだ。
だが、隣のダイスは美味しそうに頬張っている。
周りを見ると、色々な人が美味しそうに食べている。
「いらないのでしたら、わたくしがいただきますわ」
侯爵夫人が夫の前から自分の口に運ぼうとした時、侯爵は夫人の手を掴んで、そのまま自分の口にたこ焼きを運んだ。
初めて口にするたこ焼き。
外はカリカリで、中はとろ~りとしている。何度か噛みしめると、タコの弾力に当たり、不思議な食感が続く。
ゴクリと飲み込むと、すぐに次を欲する誘惑にかられた。
「なんだ、この食べ物は!?」
「驚いたでしょ? これを作ってくださったのが、エミーさんの弟さんなのよ」
「エミー?」
侯爵に名前を呼ばれて、エミーは背筋をピンっと伸ばした。
「紹介しますね。こちら、リチャードに嫁いでくださるエミーさん」
「エエエエミーと申します。宜しくお願いいたします!」
ドモりながらも挨拶をしたエミーは、侯爵に向かって深く頭を下げた。
「こちらのお嬢さんの弟さんが作ったということは、お嬢さんは商人の娘なのかね?」
「商人…というか、ある村の温泉宿の従業員とおっしゃった方がよろしいかしら?」
「温泉宿?」
「ドラゴンのいる温泉宿。あなたも噂で聞いたことぐらいあるでしょ?」
侯爵夫人からの説明に、ミゼル侯爵は改めてエミーを見た。
息子が選んだ相手と聞いたから、どこかの大貴族の娘だと思い込んでいた。だが、妻から紹介されたのは、ドレスを着て、一見貴族の令嬢に見える娘だが、聞けば商売をしている娘だという。息子のリチャードがどういう経緯でこの娘と出会ったのかわからないが、恋愛経験のないリチャードが本気で惚れこんだ娘だと言うことは分かった。
なぜなら、侯爵の好みと一致していたからだ。なぜかわからないが、侯爵とリチャードは好みの女性のタイプが同じ。親子だからと片づけられそうだが、実は、今のエミーの雰囲気が若い頃の侯爵夫人に似ているのだ。
「エミー嬢と申したか?」
「は…はい!」
「侯爵家に嫁ぐとなると、色々と大変な事がある。だが、何も心配することはない。わたしたちが必ず守ってあげよう」
「あ…あの…」
「つまり、こういうことだ。『ようこそ、ミゼル侯爵家へ!』」
最初は断られると思っていた。国境警備とはいえ、軍人に違いない。侯爵家の正当な跡取りの嫁として相応しくないと断られる覚悟でいたエミーは、それと真逆に快く迎え入れてくれる侯爵の言葉に、涙が止まらなくなった。
「エミーさん、断られると思っていたそうよ。わたくしは大丈夫だと何度も言ったんですけどね」
「息子が選んだ相手を断る親がどこにいる!」
「夫はこういう性格なの。子供たちの事に対しては何も口を出さない。自分の選んだ道を歩きなさいって、自由に生きさせてくださるのよ」
「エミー嬢、ご両親に挨拶させてほしい。大切な娘さんを預かるのだ。ちゃんと挨拶しなければな」
「は…はい、ご案内します」
ミゼル侯爵は、エミーの前に腕を差し出した。
「夫がエスコートしてくださるわ」
そう教えられてエミーはミゼル侯爵の腕に手を添えた。
自分よりも背の高い侯爵を見上げると、そこにはリチャードと同じ笑顔があった。不安だったエミーはその笑顔に安心し、侯爵のエスコートで両親の元へと向かった。
その二人を見送った侯爵夫人は溜息を吐いた。
「どうかされましたか?」
同じように見送っていたエテ王子が、侯爵夫人に声を掛けた。
「夫はリチャードに対しては自由に生きなさいって言いますけど、カトリーヌに対してはとても厳しいのよ。あの子もお付き合いしている方を紹介したいようだけど、夫はどんな反応をするかしら?」
「リオの事をまだ話していないのですか?」
「ええ。一応、手紙では知らせてありますが、あの人、手紙を半年溜めるほど面倒くさがりなのよね」
「あのカトリーヌ殿なら大丈夫だと思いますが…」
「それがね、リチャードも認めていないようなの。『妹が欲しければ俺の屍を超えていけー!』って叫びながら、カトリーヌに会いに来た相手の方を門前払いにしてしまうの。夫もカトリーヌには絶大な愛情を注いでいるから、2人揃って追い出さないか心配で心配で」
「その時はわたしが何とかしますよ。リオはわたしの大切な仲間ですからね」
エテ王子は侯爵夫人に向かってウインクを飛ばした。
何を話しているのかわからないが、侯爵夫人の周りにいた若い娘たちは、突然飛んできたエテ王子のウインクにキャーキャーと黄色い声を出していた。
そして、それを見ていたコロリスは静かに微笑んでいた。その笑みに影が見えるのは気のせいだろうか…。
太陽が西の空に沈む頃、王都内にある教会の鐘が一斉に鳴らされる。この鐘の音を合図に、人々は仕事を終え、帰路に着くが、今日は今からがメインイベントの始まりだ。
王宮の裏手に作られた野外劇場で、有志による歌や踊り、芝居などが披露される。一組の持ち時間に制限はないが、芝居などは長い演目は禁止されている。
まずは国立歌劇団団長夫妻と、数名の芸術祭実行委員の役人が選んだ出場者による演目が上演される。
国立歌劇団団長夫妻が選んだ出場者は、歌劇団の選抜メンバーによるお芝居のダイジェスト。公演間近の宣伝を兼ねているためか、もうすぐ上演される演目のハイライトのような作りになっている。
実行委員の役人が選ぶ出演者は、大体が昨年も出場した人たち。
見慣れた光景に国王は退屈しているように見える。
第一王女のマリーベル王女は扇で顔を隠し、舞台など見ていない。
第一王子と第二王子は王族専用席に姿はなく、友人たちと一般席に座っている。
第二王女のセリーヌ王女は王妃と並んで舞台を鑑賞していた。
中央広場から戻ってきたクリスティーヌ王女とルイーズ王女は静かに王族専用席で鑑賞しているが、昼間の疲れからか、ウトウトしだしている。
エテ王子は何故か裏方スタッフから力を貸してほしいと頼まれ、舞台袖で裏方の指示を出している。なぜ王子が裏方に徹しているのか誰も知らない。
裏方に入るにあたり、エテ王子はヴァーグからインカムを借りていた。
「王子、この道具は素晴らしいですね。遠くにいる人と話せる道具があるなんて信じられません」
この野外劇場の管理を任されている男性は、エテ王子が借りてきたインカムに感動していた。今までは何かトラブルがあると、何人ものの人を解せて伝えられていた為、解決までに時間が掛かったり、違うことが伝わったりしていた。それがインカムを使うことで、直に状況把握でき、すぐに解決することが出来た。今までの苦労が嘘のようだ。更に裏方に配置する人数も少なく済む。
「貴重な物なので壊さないように」
「わかっております。この道具の持ち主にお会いしたいですね」
「この後のダンスパーティーに招待したので、後ほど紹介しますよ。この道具の持ち主も演劇に携わっていたようですから」
「それはぜひお会いしたい!」
喜ぶ男性は、国立歌劇団団長の甥…つまり、コロリスの従兄に当たる。
団長であるクオランティ子爵は、歌劇団でピアノ弾きをしていた頃、親も兄弟も親族もいない天涯孤独だと言っていたが、実は先代国王に仕えていた伯爵の孫の一人だ。クオランティ子爵には2人の兄と一人の弟がいるが、兄弟たちは全員王宮で官職に就いている。だがクオランティ子爵は堅苦しい仕事を嫌い、若い時に屋敷を飛び出した。そして天涯孤独だと偽り、歌劇団へピアノ弾きとして入団した。
元々、音楽家を目指していただけあって、ピアノの腕前は当時の団長が惚れこむほどの実力で、誰にでも優しく接するその性格もあって、団員たちに慕われていた。
その時、今の妻と出会い、本当の身分を教えることなく大恋愛を貫いた2人は王妃の力を借りて結婚した。結婚後、当時の団長から後継者として新しい団長に選ばれた。このまま、歌劇団の団長として過ごして行こうと思ったときに、クオランティ子爵の父が亡くなり、父の遺言に彼の名前があったことで、実は由緒正しい伯爵家の息子だと言うことが知れた。
だが、伯爵家は兄たちが継ぎ、妻の実家も妻の兄弟たちが継いでおり(妻の実家も王立研究院に関わりのある伯爵家)、このまま一般人として過ごすことを宣言したが、妻が王妃のお気に入りということで爵位の一番下の子爵を王妃から授かった。
自由に生きなさいと、国王夫妻からの助言があり、子爵の位を持ちながら国立歌劇団の団長をしている。歌劇団の歴史の中で、団長に爵位を持つ人物が立つのは史上初らしい。
今ではクオランティ子爵の二番目の兄の子供が演劇に興味を持ち、国立歌劇団に入ることは許されなかったが、王宮専属の歌劇団のまとめ役をしている。まだ30歳前の若い青年だが、クオランティ子爵の力を借りて仕事を全うしている。最も、甥は表舞台に立つことよりも、裏方に徹して、表舞台に立つ役者たちの力になることを誇りに思っている。
「王子には本当に感謝しています。急なお願いも聞き入れてくださり、頭を下げる事しかできません」
コロリスの従兄ーイヴィールはエテ王子に向かって頭を下げた。
今回、裏方のスタッフが半分以上、中央広場に出かけたっきり戻ってこなかったのだ。どうしようかと焦っていたところに、飛び入りで出場できないかと相談に来たエテ王子とコロリスに、藁を掴む思いで泣きついたところ、エテ王子は快く引き受けてくれた。コロリスも何かの役にたてれば…と、衣装やメイクの手伝いを引き受けてくれた。旅一座で同じような仕事をしていたので、コロリスも何の迷いもなく動いていた。
「イヴィール兄様、わたしたちは勝手に手伝っているだけです。気になさらないでください」
最後に出演者を送り出したコロリスがエテ王子の隣に立った。
「コロリス、お前もありがとう」
「困っているときは助け合うのが当たり前ですわ。ね、エテ様」
「そうだな」
お互いに顔を見合わせて、疲れを見せずに微笑みあうエテ王子とコロリス。
2人の温かい空気に、まだ2人が付き合ってることを知らないイヴィールは、2人がどういう関係なのかわかっていなかった。
「え~~…と、2人はどういう関係で…?」
今さら何を聞いてくるんだ?と思ったかどうかは分からないが、コロリスはにっこりと微笑んだだけで返事はしなかった。
エテ王子も「もうすぐわかるさ」と一言だけ返すだけで、それ以上は言わなかった。
その頃、中央広場ではイヴィールの仲間たちが、村の職人たちと話し込んでいた。どうやら舞台セットを作ってほしいという注文が入ったようだ。
なかなか話が纏まらず、あーでもないこーでもなと話し合っているうちに日が沈んでしまった。
「何を悩んでいるんですか?」
店の片づけをしていたヴァーグが、テーブルを囲んで唸りあっている職人たちに声をかけてきた。
「ああ、ヴァーグさん。何かいい案ありませんか?」
「舞台の事は何もわからないのでお手上げなんです」
話し合っていたのはステンドグラス職人の2人だった。
テーブルには一枚の紙が広げられており、演劇を齧ったことがあるヴァーグは、それが舞台装置を描いた図面だということにすぐに気づいた。
「どんなお芝居なんですか?」
「若い恋人たちの悲劇を描いたお話です。お互いに対立している両家の男女が出会い、恋に落ち、両家の騒動に巻き込まれ、そして二人は死を選ぶんです。2人の死によって両家は和解するんです」
(おぅ、『ロミオとジュリエット』かよ)かつていた世界で大好きな演目だったヴァーグは、軽く語ったあらすじだけで大体の内容が把握できた。
「それで、この演目はどこで上演されるんですか? 屋外ですか? 屋内ですか?」
「国立歌劇団の専用劇場で上演予定です。春に定期公演を行います」
「まだ半年以上あるのね。因みに、何を悩んでいたんですか?」
「舞台の後方にステントグラスを設置したいのですが、最初から最後まで置いておきたいんです。物語によって当てる光で表情が変わるようにしたいのですが、問題はどんな絵柄にするか…なんです」
「わたしが見たことあるのは、物語の一場面を一枚の大きな枠の中にいくつも収めて、進行する物語の沿って光を当てるという演出方法はありましたね。でも、どの場面を抜き出すかで結末が分かってしまうので、あまりお勧めできません」
「そうですか…。いい案だと思ったのですが…」
「例えばなんですが、ステンドグラスの後方上部から光を当てて、舞台の床に映し出すことはできないんですか? 一枚の大きなステンドグラスを舞台後方に吊り下げて、場面によって光を当てる角度と色を変えて、装置の一部にするってことはできませんか?」
「可能だと思います」
「両家の対立の場面があるのなら、両家の色を決めるとより効果的かもしれませんね。例えば主人公の家は青、ヒロインの家は赤。でも主人公たちはその色を一切使わない。主人公たちは白や水色、ピンクなど淡い色を使えばより引き立つと思うんです。主人公たちの出会いには淡いピンク色の薔薇の花を映し出すとか、最後の2人の死では白い十字架を映し出すとか」
「ほぉほぉ」
「そうすると職人さんたちは、大きなステンドグラスの枠に薔薇の花と十字架を中心に、舞台に生える模様を作ればいいですからね」
「なるほどなるほど」
ヴァーグから飛び出すアイデアに、イヴィールの仲間も、ステンドグラス職人も感心しながらうなづいていた。どこで得た知識なのか、思いもつかなかったアイデアを出すヴァーグを尊敬な眼差しで見つめていた。
「そうだ! ぜひ責任者と会ってください!」
「直接言ってくだされば、わたしたちが伝えるよりもより明確です」
「え!? え!?」
「王宮に行きましょう!」
椅子から立ち上がったイヴィールの仲間たちは、ヴァーグを両脇から抱え込み、王宮へ向かって走り出した。
「え~~~!!???」
ヴァーグの抵抗も空しく、連行されていった。
「皆~~! 後片付け宜しくね~~!!」
と叫ぶ声だけが広場に木霊していた。
その様子を見ていたケインは、止めることもできず、立ち尽くしていた。
そんなケインに肩をポンポンと叩く人物が現れた。
「ラインハルト」
肩を叩いたラインハルトは、籠に入った大量のたこ焼きとたい焼き、そしてドーナツをケインに差し出した。
「これを王宮に届けるついでに、ヴァーグさんの護衛をして来い」
「だけど、片づけ…」
「それぐらいオレたちがやっておくよ。デイジー、ナンシー、こいつに着替えを頼む。この格好だと門前払いだからな」
「は~~い!!」
最初から打ち合わせをしていたかのように、タイミングよく現れたデイジーとナンシーは、ケインの両脇をがっちりと固め、自分たちが開いていた店へと連れていった。そこでは目をキラキラと輝かせているナンシーの両親が待ち構えていた。
その両親に怯えつつも、ケインは王宮へ向かう準備を始めた。
野外劇場では、飛び入り参加を表明したコロリスの歌声が響いていた。
マリアのピアノ伴奏で奏でるコロリスの歌声は、観客の誰もが魅了されていた。
一般席で友人と観劇していた第一王子と第二王子は、退屈しのぎで話していた友人との談笑を辞め、舞台に見入っていた。
王妃はバルコニー席にいたコロリスの両親のところへ出向き、3人で聞き入っている。
ルイーズ王女は王族専用席から身を乗り出して聞き入っていた。そのルイーズ王女が落ちないようにクリスティーヌ王女が支えている。
国王はその美しい歌声にうんうんと何度もうなづいていた。
舞台袖で見守っていたエテ王子は、時折、コロリスと目を合わせると優しい笑みを浮かべた。
「あの、王子…」
隣にいたイヴィールが遠慮気味にエテ王子に声をかけてきた。
エテ王子は彼の背中を軽く叩き、
「近々、親戚になるからよろしくな」
と返事をした。
エテ王子の返事にイヴィールはポカーンと口を開いたまま彼の顔を見た。
その顔にエテ王子は吹き出した。
「芸術祭が終わったら、正式に発表する予定だ。最も、あの親父の様子だと、この後にダンスパーティーで発表しそうだがな」
舞台袖から見える国王は満足した表情を浮かべている。
これなら何もかもうまくいくはずだ。
エテ王子は自分たちの未来に明るい光を見つけた。
コロリスの歌声は観客全員が総立ちになるほどの感動を与えた。
国王は「素晴らしい!」という言葉しか出さず、立ち上がって拍手を送り続けた。
それはクリスティーヌ王女も同じだった。近い将来、義理の姉になる彼女を尊敬の眼差しを向けながら拍手を送り続けた。
野外劇場は鳴りやまない拍手がいつまでもいつまでも鳴り響いていた。
場所を王宮の大広間に移して芸術祭の締めくくりであるダンスパーティーが行われた。
その席で、コロリスは多くの男性たちに囲まれ、ダンスの相手の申し出を受けていた。
が、
「コロリス」
と、エテ王子が彼女に手を差し出すと、コロリスは何の迷いもなく彼の手を取った。
第三王子からの誘いを受けたことで、男性たちは次は自分たちが!と活きこんだが、国王からの一言で男性たちは全員肩を落とす事になる。
エテ王子が予測したように、国王は最初のダンスの前にエテ王子とコロリスの婚約を正式に発表したのだ。
「若い二人の新しい門出に盛大なる拍手を!」
国王の言葉に参列者は2人に大きな拍手を送った。
大勢に祝福されつことに恥ずかしさもあったが、お互いに顔を見合わせて微笑みあうエテ王子とコロリス。2人の笑顔に参列者達からも自然と笑みがこぼれた。
それに続いて、今度はリチャードから国王に結婚の報告が上がった。
「なに!? そなたも相手を見つけたのか!?」
今まで恋愛話が一切なかったリチャードの結婚報告に、国王は大いに驚いた。
「今日はお祝い事が続きますね、陛下」
「嬉しい事だ! さあ、若いカップルたちを盛大に祝おうではないか!」
国王が合図を出すと、王宮音楽団によるワルツが演奏された。
エテ王子とコロリス、リチャードとエミーの2組から始まった踊りの輪は、次第に数を増やし、華やかな宴が始まりを告げた。
カトリーヌはドレスに着替え、父ミゼル侯爵にリオを紹介した。
最初は引きつった顔を見せていたが、リオの両親が王立研究院の責任者であること、リオ自身が警察騎士団の第一部隊隊長の職に就いている事を知ると表情を変えた。
「我が息子よ! 娘を頼んだぞ!!」
ミゼル侯爵はすぐにリオを認め、カトリーヌとの交際を許してくれた。
ミゼル侯爵はカトリーヌの相手には必ず騎士団に所属する男と決めていた。リオは部隊長を任されているので、すんなりと認めてくれたのだ。しかもリチャードの育成学校の後輩で、首席卒業しているという。申し分のない男だ。
国王の御前に出るには相応しくない!と一喝されたヴァーグは、エテ王子とコロリスの手を借りて着替えさせられた。長い黒髪はコロリスの手によって整えられ、パステルグリーンのドレスに身を包んだヴァーグは、普段の寒色系の服を好む彼女からは想像できない出来栄えとなった。
そのヴァーグは王宮専属の歌劇団と王立歌劇団の舞台演出チームから、定期公演のアドバイスを求められていた。
「ステンドグラスの光を床に映すには、舞台を平面ではなく、後方に向かって傾斜をつけた方が見栄えがいいと思うの。傾斜がついていれば、前の方に座るお客様にも舞台の床が見えるでしょ?」
「なるほどなるほど」
「それから、脚本を読ませていただきましたが、少し手直ししてもよろしいですか?」
「どこか気になる所でも?」
「この脚本によると、劇が突然始まって、突然両家が争って、そこに大公様が仲裁に入るでしょ? それよりも、ナレーターが一人いるとお客様も物語に入りやすくなると思うのね」
「ナレーター?」
「ええ。物語を引っ張ってくれる人。どうせなら客席も使いたいわね。例えば、幕が開くとごく普通の街中で、市民たちが普通に生活している。そこに客席からヒロインの両親が客席から現れる。市民たちは道を開け、一家を見ながら噂話をする。『昨日も向こうの家を戦っていた』とか、『奥様には若い愛人がいる』とかね。そこにナレーターが彼らを説明する。その説明が終わると、今度は対立する主人公の両親が客席から現れ、両家の睨み合いからの一族を巻き込んだ喧嘩となる。そこに大公様が現れ、仲裁に入り一旦は解散する。そこに残った主人公の母親と主人公の親友との短い会話の後、主人公が現れる……なんていうのはどうかしら?」
「「ほぉほぉほぉ」」
「ついでに主人公とヒロインが出会う前に、お互いに2人の『恋』について語る場面があったら面白いと思うわ。お互いに別の空間にいる2人が、同じ理想の恋を語り、その台詞が掛け合いになっていたら、運命に導かれた出会いになると思うんですけど?」
「「「おぉーーーー!!」」」
歓声を上げる歌劇団関係者は、次から次へとアイデアを出すヴァーグの言葉をメモに取り続けた。
まるで自分が考えたように語るヴァーグだったが、内心は冷や汗が絶え間なく流れるほど動揺している。
(い…言えない……前にいた世界で大好きだった『ロミオとジュリエット』を参考にしているなんて言えない……しかもエテさんとコロリスさんに似ている役者と歌姫が主演していた作品を参考にしているなんて……)
すぐにでも前の世界に戻って謝罪したい気持ちでいっぱいだったが、この世界に来たからこそ、大好きだった作品に関われる事に感謝もしていた。
「…ん?」
脚本をパラパラとめくっては、改定個所の指摘していたヴァーグはある事に気付いた。
「どうかされましたか?」
イヴィールが動きを止めたヴァーグを心配して声を掛けた。
「あ、ううん、なんでもないの」
否定しているヴァーグだったが、脚本を読む彼女は再び動いを止めた。
(やだ……主人公とヒロインをエテさんとコロリスさんを想像して読んでた…。最初は違ったのに~~!!)
頭の中を掛け巡る想像した舞台の映像が、エテ王子とコロリスに変換され、ヴァーグは勢いよく頭を振ったり、何もない頭上を手で払ったりしていた。
その行動に、歌劇団関係者はどうしたんだろう?と首を傾げた。
ナンシーの両親によって、貴族の青年へと変身したケインは、先に来ているであろうヴァーグを探していた。
ケインは宮廷服だけは勘弁してくれ!と泣き叫び、ナンシー両親が店から持ってきてくれたフロックコートと呼ばれる、上着の裾が長いグレーの服を着ていた。
すらっと伸びた長身にフロックコートを着こなす、ここらでは見かけない青みがかった銀髪の青年に、参列した貴族たちはざわついた。
「あの方はどなた?」
「見かけない顔ですわね」
王宮に出入りする貴婦人たちは、ケインの姿を見てヒソヒソと話していた。
貴族の娘たちは見かけないイケメンに頬を染めていた。
誰かが勇気をもって声を掛けようとしたその時、
「ケインさん!」
と、彼の名前を呼ぶ人が現れた。
声をかけてきたのはクリスティーヌ王女だった。パステルピンクのドレスに身を包み、髪は村で貰った布地の白い髪留で一つに纏めているだけだった。
「クリスティーヌ王女」
「どなたかお探しですか?」
「ヴァーグさんが来ていると思うんですけど、見ませんでしたか?」
「ヴァーグさんでしたら歌劇団の関係者とお話中ですよ。かなり話し込んでいましたから、今日中には終わらないと思います」
「そうですか…」
クリスティーヌ王女からヴァーグの居所を聞いたにもかかわらず、ケインは辺りをキョロキョロと見渡していた。
「どうかなさいましたか?」
「いや、なんか、視線が…」
ケインが気にしていたのは周りからの視線だった。
貴族たちの興味津々という視線よりも、若い娘たちの熱い視線が気になるようだ。
「皆さん、ケインさんに興味があるんですよ」
「なんか慣れないんだよね。国王様にこれを届けたら帰るよ」
「お父様に?」
「たい焼きとたこ焼き。クリスティーヌ王女から渡しておいてくれる?」
「あら、ケインさんから渡された方がいいと思います。ご案内しますね」
「俺なんかが国王様に直に会っていいの?」
「ええ、大丈夫です。父も会いたがっていましたから」
「でも…」
国王と話したことは一度だけあるが、あの時はオークションについての説明だけだった。それから一年後に直に会うことができるなんて、とんだ出世コースだ!…とケインが浮かれることはなかった。
なぜなら、クリスティーヌ王女と並んで歩いていると、若い娘たちの熱い視線よりも、若い貴族の息子たちの突き刺さるような視線を多く感じたからだ。クリスティーヌ王女にも縁談は持ち込まれている。王族の親戚になれるチャンスを逃したくない独身の男たちがケインにライバル心をむき出しにしていたのだ。
国王は退屈そうに足をぶらぶらさせながら王座に座っていた。
すぐ側では王妃がミゼル侯爵夫人とクオランティ子爵夫人と自分たちの子供の結婚話で盛り上がっており、大臣たちは近隣諸国の来賓と話し込んでいる。国王に話しかける人は誰もいなかったのだ。
「つまんないな~~」
さらに足をぶらぶらと弄んでいる国王は、この隙に逃げちゃおう!と王座から飛び降りようとした。
その時、
「お父様!」
とクリスティーヌ王女がケインを連れてやってきた。
逃げるチャンスを失った国王は、明らかに不機嫌な顔を見せたが、ケインの顔を見た途端、ぱぁーと顔を明るくした。
「ケインさんがお見えになりましたわ」
「おおー!! そなたは新年祭の時に珍しい食べ物を作っていた青年ではないか!」
「ご無沙汰しております、国王様。本日は中央広場での出店許可をありがとうございました」
「いいんじゃ、いいんじゃ。そなたたちは王都でも人気があるからの。今年も賑わったようでなによりじゃ」
「今回は王子と王女も手伝っていただき、ありがとうございました。あの、これをお礼としてお持ちしました。どうぞ召し上がってください」
ケインは手に持っていた籠を国王の前に差し出した。
中には透明な箱に入ったたこ焼きと、三色の紙に包まれたたい焼きがたくさん入っていた。たい焼きだけでも一種類10個は入っていた。
「これは、前に食べた物か?」
「はい。今回は味を変えてみました。前回と同じカスタードクリームは白い紙に、粒あんという甘い豆のクリームは茶色い紙に、チョコレートというお菓子に使う甘いソースは赤い紙に包まれています」
「粒あんはとても美味しかったですわ。お父様もぜひ召し上がってください」
クリスティーヌ王女は茶色い紙に包まれた粒あん入りのたい焼きを、国王の前に差し出した。
国王はそれを受け取ると、包まれていた紙をめくり、現れた魚の顔を見て「これじゃこれじゃ!」と大はしゃぎで一口頬張った。
久しぶに食べるたい焼きは、少し冷めてしまっているが、外はカリカリ、中はもっちりとしており、粒の形状をある程度残した粒あんという物は甘すぎず、しつこさもなく、生地の甘みと絶妙なバランスを保っていた。
「これは!!」
国王は一口目を飲み込むと、すぐに二口目、三口目とたい焼きを頬張った。
「お父様、いかがですか?」
「旨い! 旨いぞ!! 毎日食べたい!」
「国王様、たまに召しあがるから美味しいんですよ。他にもたこ焼きと新作のドーナツをお持ちしましたので、ぜひ召し上がってください」
「新作もあるのか! 王妃、そなたもどうだ? セリーヌも食べるがいい」
国王は近くにいた王妃と第二王女のセリーヌ王女を呼んだ。
2人に渡したのはドーナツ。白い紙に包まれた穴の開いた丸い食べ物に、王妃もセリーヌ王女もよく観察してから一口頬張ると、2人揃って「美味しいですわ!」と声を揃えて感想を述べた。
「セリーヌお姉様、そのドーナツという食べ物は、ケーキの土台と同じ材料で作られているんです。しかも、これを油で揚げるんですよ。わたくし、油で揚げるお菓子を初めて見ました」
「油で揚げるお菓子もあるんですね。クリス、ぜひ作り方を教わって、わたくしたちに食べさせてください」
セリーヌ王女はドーナツが気に入ったようだ。
王妃も初めて口にするドーナツの食感に驚き、クリスティーヌ王女の「ケーキと同じ材料」という説明に二度驚いた。
「ケインさん、教えていただくことはできますか?」
「俺…あ、いや、僕だけでは決められないので、ヴァーグさんと話し合ってみます」
「ありがとうございます!」
嬉しそうに笑顔を見せるクリスティーヌ王女の顔を見て、ケインはドキッとした。
昼間、手伝ってくれた時は何とも思わなかったのに、今のクリスティーヌ王女はキラキラと輝いている。ヴァーグの時とは違う胸の高鳴りがケインを襲っていた。
「おや?」
「あら?」
顔を赤らめてクリスティーヌ王女を見るケインを、国王と王妃は「クリスティーヌ王女に興味がある?」と思った。聞けばケインは来年の夏前で17歳。クリスティーヌ王女が今度の薔薇祭り(12月に行われる)で15歳になる。年も離れておらず、見た目もいい感じだ。
「ダイス」
王妃は側に仕えていたダイスに声を掛けた。
ダイスは国王が周りに配ったたこ焼きを喉に詰まらせながら、王妃の声掛けに返事をした。
「な…何か御用でしょうか」
「あら、あなたも召し上がっていたのね」
「申し訳ございません」
「謝ることはないわ。それより調べていただきたい事があるの。あのケインと申す青年の事を調べてくださらないかしら。あと、あの青年が住む村についても」
「はっ」
王妃が一般市民について興味を持つ事は珍しい。それも王位継承権を持つクリスティーヌ王女と親しく話す相手について調べさせるということは、クリスティーヌ王女の生母よりも先に情報を掴もうとしているようだ。
クリスティーヌ王女の生母は、先代王妃の親戚にあたる伯爵令嬢だ。国王とは親戚関係にあり、現在の財務大臣とも親戚関係に当たる。財務大臣がもっと濃い王族との繋がりを求めた結果、クリスティーヌ王女の生母が側室に選ばれた。だが、王妃は財務大臣が嫌いだ。本当は認めたくない側室だったが、大臣全員を味方につけた財務大臣がいいように言いくるめ、国王と王妃に無理やり首を縦に振らせた。きっと国家予算のことなどで脅迫したのだろう。
これ以上、財務大臣のいいようにさせたくない王妃は、気分が悪いと言って宴を欠席しているクリスティーヌ王女の生母よりも先にケインの情報を仕入れようとしたのだろう。
王妃の他に、ケインの事について調べ始めた人物がいた。
ノアル・ファルコン伯爵だった。
何の接点もない伯爵がなぜケインについて調べようとしているのか…。
<つづく>
リチャードを探そうと、辺りを見回していると、ある人物の顔が飛び込んできた。
「なんでお前が先に来ているんだ!?」
ミゼル侯爵が見つけたのは、たこ焼きを片手に持ち、エテ王子と談笑しているダイスだった。自分が王宮を出る時、ダイスはたしかに王妃の傍に居た。なのにそのダイスがすでに広場におり、更に手にしているたこ焼きが半分以上、無くなっていた。
「これはミゼル侯爵。わたくしがいかがしましたか?」
「わたしより後に王宮を出たはずなのに、なんでここにいるんだよ! どんな手を使った!? なにをしたんだ!?」
体力には自信があり、ダイスよりも年が若いミゼル侯爵は、彼の肩を掴み前後に揺すりながら問い詰めた。
ダイスは表情を変えずに、冷静を保ちながらたこ焼きを食べ続けていた。
「あなた、お帰りになっていたのですね」
そこにミゼル侯爵夫人がエミーと共に声をかけてきた。
どうやらリチャードとカトリーヌは仕事に戻ったようだ。広場に姿はなかった。
「おお、お前か」
「あなたも召し上がりますか?」
そう言いながら侯爵夫人は、夫の前に湯気の上がったたこ焼きを差し出した。
「これはなんだ?」
「『たこ焼き』と呼ばれる食べ物ですわ。熱いので気を付けてくださいね」
「はい」と言いながら、竹串に刺さったたこ焼きを差し出すと、ミゼル侯爵は不思議そうに覗き込んだ。今まで見たこともない柔らかく、茶色い丸い物体を前に、本当に食べられるのか?と疑っているようだ。
だが、隣のダイスは美味しそうに頬張っている。
周りを見ると、色々な人が美味しそうに食べている。
「いらないのでしたら、わたくしがいただきますわ」
侯爵夫人が夫の前から自分の口に運ぼうとした時、侯爵は夫人の手を掴んで、そのまま自分の口にたこ焼きを運んだ。
初めて口にするたこ焼き。
外はカリカリで、中はとろ~りとしている。何度か噛みしめると、タコの弾力に当たり、不思議な食感が続く。
ゴクリと飲み込むと、すぐに次を欲する誘惑にかられた。
「なんだ、この食べ物は!?」
「驚いたでしょ? これを作ってくださったのが、エミーさんの弟さんなのよ」
「エミー?」
侯爵に名前を呼ばれて、エミーは背筋をピンっと伸ばした。
「紹介しますね。こちら、リチャードに嫁いでくださるエミーさん」
「エエエエミーと申します。宜しくお願いいたします!」
ドモりながらも挨拶をしたエミーは、侯爵に向かって深く頭を下げた。
「こちらのお嬢さんの弟さんが作ったということは、お嬢さんは商人の娘なのかね?」
「商人…というか、ある村の温泉宿の従業員とおっしゃった方がよろしいかしら?」
「温泉宿?」
「ドラゴンのいる温泉宿。あなたも噂で聞いたことぐらいあるでしょ?」
侯爵夫人からの説明に、ミゼル侯爵は改めてエミーを見た。
息子が選んだ相手と聞いたから、どこかの大貴族の娘だと思い込んでいた。だが、妻から紹介されたのは、ドレスを着て、一見貴族の令嬢に見える娘だが、聞けば商売をしている娘だという。息子のリチャードがどういう経緯でこの娘と出会ったのかわからないが、恋愛経験のないリチャードが本気で惚れこんだ娘だと言うことは分かった。
なぜなら、侯爵の好みと一致していたからだ。なぜかわからないが、侯爵とリチャードは好みの女性のタイプが同じ。親子だからと片づけられそうだが、実は、今のエミーの雰囲気が若い頃の侯爵夫人に似ているのだ。
「エミー嬢と申したか?」
「は…はい!」
「侯爵家に嫁ぐとなると、色々と大変な事がある。だが、何も心配することはない。わたしたちが必ず守ってあげよう」
「あ…あの…」
「つまり、こういうことだ。『ようこそ、ミゼル侯爵家へ!』」
最初は断られると思っていた。国境警備とはいえ、軍人に違いない。侯爵家の正当な跡取りの嫁として相応しくないと断られる覚悟でいたエミーは、それと真逆に快く迎え入れてくれる侯爵の言葉に、涙が止まらなくなった。
「エミーさん、断られると思っていたそうよ。わたくしは大丈夫だと何度も言ったんですけどね」
「息子が選んだ相手を断る親がどこにいる!」
「夫はこういう性格なの。子供たちの事に対しては何も口を出さない。自分の選んだ道を歩きなさいって、自由に生きさせてくださるのよ」
「エミー嬢、ご両親に挨拶させてほしい。大切な娘さんを預かるのだ。ちゃんと挨拶しなければな」
「は…はい、ご案内します」
ミゼル侯爵は、エミーの前に腕を差し出した。
「夫がエスコートしてくださるわ」
そう教えられてエミーはミゼル侯爵の腕に手を添えた。
自分よりも背の高い侯爵を見上げると、そこにはリチャードと同じ笑顔があった。不安だったエミーはその笑顔に安心し、侯爵のエスコートで両親の元へと向かった。
その二人を見送った侯爵夫人は溜息を吐いた。
「どうかされましたか?」
同じように見送っていたエテ王子が、侯爵夫人に声を掛けた。
「夫はリチャードに対しては自由に生きなさいって言いますけど、カトリーヌに対してはとても厳しいのよ。あの子もお付き合いしている方を紹介したいようだけど、夫はどんな反応をするかしら?」
「リオの事をまだ話していないのですか?」
「ええ。一応、手紙では知らせてありますが、あの人、手紙を半年溜めるほど面倒くさがりなのよね」
「あのカトリーヌ殿なら大丈夫だと思いますが…」
「それがね、リチャードも認めていないようなの。『妹が欲しければ俺の屍を超えていけー!』って叫びながら、カトリーヌに会いに来た相手の方を門前払いにしてしまうの。夫もカトリーヌには絶大な愛情を注いでいるから、2人揃って追い出さないか心配で心配で」
「その時はわたしが何とかしますよ。リオはわたしの大切な仲間ですからね」
エテ王子は侯爵夫人に向かってウインクを飛ばした。
何を話しているのかわからないが、侯爵夫人の周りにいた若い娘たちは、突然飛んできたエテ王子のウインクにキャーキャーと黄色い声を出していた。
そして、それを見ていたコロリスは静かに微笑んでいた。その笑みに影が見えるのは気のせいだろうか…。
太陽が西の空に沈む頃、王都内にある教会の鐘が一斉に鳴らされる。この鐘の音を合図に、人々は仕事を終え、帰路に着くが、今日は今からがメインイベントの始まりだ。
王宮の裏手に作られた野外劇場で、有志による歌や踊り、芝居などが披露される。一組の持ち時間に制限はないが、芝居などは長い演目は禁止されている。
まずは国立歌劇団団長夫妻と、数名の芸術祭実行委員の役人が選んだ出場者による演目が上演される。
国立歌劇団団長夫妻が選んだ出場者は、歌劇団の選抜メンバーによるお芝居のダイジェスト。公演間近の宣伝を兼ねているためか、もうすぐ上演される演目のハイライトのような作りになっている。
実行委員の役人が選ぶ出演者は、大体が昨年も出場した人たち。
見慣れた光景に国王は退屈しているように見える。
第一王女のマリーベル王女は扇で顔を隠し、舞台など見ていない。
第一王子と第二王子は王族専用席に姿はなく、友人たちと一般席に座っている。
第二王女のセリーヌ王女は王妃と並んで舞台を鑑賞していた。
中央広場から戻ってきたクリスティーヌ王女とルイーズ王女は静かに王族専用席で鑑賞しているが、昼間の疲れからか、ウトウトしだしている。
エテ王子は何故か裏方スタッフから力を貸してほしいと頼まれ、舞台袖で裏方の指示を出している。なぜ王子が裏方に徹しているのか誰も知らない。
裏方に入るにあたり、エテ王子はヴァーグからインカムを借りていた。
「王子、この道具は素晴らしいですね。遠くにいる人と話せる道具があるなんて信じられません」
この野外劇場の管理を任されている男性は、エテ王子が借りてきたインカムに感動していた。今までは何かトラブルがあると、何人ものの人を解せて伝えられていた為、解決までに時間が掛かったり、違うことが伝わったりしていた。それがインカムを使うことで、直に状況把握でき、すぐに解決することが出来た。今までの苦労が嘘のようだ。更に裏方に配置する人数も少なく済む。
「貴重な物なので壊さないように」
「わかっております。この道具の持ち主にお会いしたいですね」
「この後のダンスパーティーに招待したので、後ほど紹介しますよ。この道具の持ち主も演劇に携わっていたようですから」
「それはぜひお会いしたい!」
喜ぶ男性は、国立歌劇団団長の甥…つまり、コロリスの従兄に当たる。
団長であるクオランティ子爵は、歌劇団でピアノ弾きをしていた頃、親も兄弟も親族もいない天涯孤独だと言っていたが、実は先代国王に仕えていた伯爵の孫の一人だ。クオランティ子爵には2人の兄と一人の弟がいるが、兄弟たちは全員王宮で官職に就いている。だがクオランティ子爵は堅苦しい仕事を嫌い、若い時に屋敷を飛び出した。そして天涯孤独だと偽り、歌劇団へピアノ弾きとして入団した。
元々、音楽家を目指していただけあって、ピアノの腕前は当時の団長が惚れこむほどの実力で、誰にでも優しく接するその性格もあって、団員たちに慕われていた。
その時、今の妻と出会い、本当の身分を教えることなく大恋愛を貫いた2人は王妃の力を借りて結婚した。結婚後、当時の団長から後継者として新しい団長に選ばれた。このまま、歌劇団の団長として過ごして行こうと思ったときに、クオランティ子爵の父が亡くなり、父の遺言に彼の名前があったことで、実は由緒正しい伯爵家の息子だと言うことが知れた。
だが、伯爵家は兄たちが継ぎ、妻の実家も妻の兄弟たちが継いでおり(妻の実家も王立研究院に関わりのある伯爵家)、このまま一般人として過ごすことを宣言したが、妻が王妃のお気に入りということで爵位の一番下の子爵を王妃から授かった。
自由に生きなさいと、国王夫妻からの助言があり、子爵の位を持ちながら国立歌劇団の団長をしている。歌劇団の歴史の中で、団長に爵位を持つ人物が立つのは史上初らしい。
今ではクオランティ子爵の二番目の兄の子供が演劇に興味を持ち、国立歌劇団に入ることは許されなかったが、王宮専属の歌劇団のまとめ役をしている。まだ30歳前の若い青年だが、クオランティ子爵の力を借りて仕事を全うしている。最も、甥は表舞台に立つことよりも、裏方に徹して、表舞台に立つ役者たちの力になることを誇りに思っている。
「王子には本当に感謝しています。急なお願いも聞き入れてくださり、頭を下げる事しかできません」
コロリスの従兄ーイヴィールはエテ王子に向かって頭を下げた。
今回、裏方のスタッフが半分以上、中央広場に出かけたっきり戻ってこなかったのだ。どうしようかと焦っていたところに、飛び入りで出場できないかと相談に来たエテ王子とコロリスに、藁を掴む思いで泣きついたところ、エテ王子は快く引き受けてくれた。コロリスも何かの役にたてれば…と、衣装やメイクの手伝いを引き受けてくれた。旅一座で同じような仕事をしていたので、コロリスも何の迷いもなく動いていた。
「イヴィール兄様、わたしたちは勝手に手伝っているだけです。気になさらないでください」
最後に出演者を送り出したコロリスがエテ王子の隣に立った。
「コロリス、お前もありがとう」
「困っているときは助け合うのが当たり前ですわ。ね、エテ様」
「そうだな」
お互いに顔を見合わせて、疲れを見せずに微笑みあうエテ王子とコロリス。
2人の温かい空気に、まだ2人が付き合ってることを知らないイヴィールは、2人がどういう関係なのかわかっていなかった。
「え~~…と、2人はどういう関係で…?」
今さら何を聞いてくるんだ?と思ったかどうかは分からないが、コロリスはにっこりと微笑んだだけで返事はしなかった。
エテ王子も「もうすぐわかるさ」と一言だけ返すだけで、それ以上は言わなかった。
その頃、中央広場ではイヴィールの仲間たちが、村の職人たちと話し込んでいた。どうやら舞台セットを作ってほしいという注文が入ったようだ。
なかなか話が纏まらず、あーでもないこーでもなと話し合っているうちに日が沈んでしまった。
「何を悩んでいるんですか?」
店の片づけをしていたヴァーグが、テーブルを囲んで唸りあっている職人たちに声をかけてきた。
「ああ、ヴァーグさん。何かいい案ありませんか?」
「舞台の事は何もわからないのでお手上げなんです」
話し合っていたのはステンドグラス職人の2人だった。
テーブルには一枚の紙が広げられており、演劇を齧ったことがあるヴァーグは、それが舞台装置を描いた図面だということにすぐに気づいた。
「どんなお芝居なんですか?」
「若い恋人たちの悲劇を描いたお話です。お互いに対立している両家の男女が出会い、恋に落ち、両家の騒動に巻き込まれ、そして二人は死を選ぶんです。2人の死によって両家は和解するんです」
(おぅ、『ロミオとジュリエット』かよ)かつていた世界で大好きな演目だったヴァーグは、軽く語ったあらすじだけで大体の内容が把握できた。
「それで、この演目はどこで上演されるんですか? 屋外ですか? 屋内ですか?」
「国立歌劇団の専用劇場で上演予定です。春に定期公演を行います」
「まだ半年以上あるのね。因みに、何を悩んでいたんですか?」
「舞台の後方にステントグラスを設置したいのですが、最初から最後まで置いておきたいんです。物語によって当てる光で表情が変わるようにしたいのですが、問題はどんな絵柄にするか…なんです」
「わたしが見たことあるのは、物語の一場面を一枚の大きな枠の中にいくつも収めて、進行する物語の沿って光を当てるという演出方法はありましたね。でも、どの場面を抜き出すかで結末が分かってしまうので、あまりお勧めできません」
「そうですか…。いい案だと思ったのですが…」
「例えばなんですが、ステンドグラスの後方上部から光を当てて、舞台の床に映し出すことはできないんですか? 一枚の大きなステンドグラスを舞台後方に吊り下げて、場面によって光を当てる角度と色を変えて、装置の一部にするってことはできませんか?」
「可能だと思います」
「両家の対立の場面があるのなら、両家の色を決めるとより効果的かもしれませんね。例えば主人公の家は青、ヒロインの家は赤。でも主人公たちはその色を一切使わない。主人公たちは白や水色、ピンクなど淡い色を使えばより引き立つと思うんです。主人公たちの出会いには淡いピンク色の薔薇の花を映し出すとか、最後の2人の死では白い十字架を映し出すとか」
「ほぉほぉ」
「そうすると職人さんたちは、大きなステンドグラスの枠に薔薇の花と十字架を中心に、舞台に生える模様を作ればいいですからね」
「なるほどなるほど」
ヴァーグから飛び出すアイデアに、イヴィールの仲間も、ステンドグラス職人も感心しながらうなづいていた。どこで得た知識なのか、思いもつかなかったアイデアを出すヴァーグを尊敬な眼差しで見つめていた。
「そうだ! ぜひ責任者と会ってください!」
「直接言ってくだされば、わたしたちが伝えるよりもより明確です」
「え!? え!?」
「王宮に行きましょう!」
椅子から立ち上がったイヴィールの仲間たちは、ヴァーグを両脇から抱え込み、王宮へ向かって走り出した。
「え~~~!!???」
ヴァーグの抵抗も空しく、連行されていった。
「皆~~! 後片付け宜しくね~~!!」
と叫ぶ声だけが広場に木霊していた。
その様子を見ていたケインは、止めることもできず、立ち尽くしていた。
そんなケインに肩をポンポンと叩く人物が現れた。
「ラインハルト」
肩を叩いたラインハルトは、籠に入った大量のたこ焼きとたい焼き、そしてドーナツをケインに差し出した。
「これを王宮に届けるついでに、ヴァーグさんの護衛をして来い」
「だけど、片づけ…」
「それぐらいオレたちがやっておくよ。デイジー、ナンシー、こいつに着替えを頼む。この格好だと門前払いだからな」
「は~~い!!」
最初から打ち合わせをしていたかのように、タイミングよく現れたデイジーとナンシーは、ケインの両脇をがっちりと固め、自分たちが開いていた店へと連れていった。そこでは目をキラキラと輝かせているナンシーの両親が待ち構えていた。
その両親に怯えつつも、ケインは王宮へ向かう準備を始めた。
野外劇場では、飛び入り参加を表明したコロリスの歌声が響いていた。
マリアのピアノ伴奏で奏でるコロリスの歌声は、観客の誰もが魅了されていた。
一般席で友人と観劇していた第一王子と第二王子は、退屈しのぎで話していた友人との談笑を辞め、舞台に見入っていた。
王妃はバルコニー席にいたコロリスの両親のところへ出向き、3人で聞き入っている。
ルイーズ王女は王族専用席から身を乗り出して聞き入っていた。そのルイーズ王女が落ちないようにクリスティーヌ王女が支えている。
国王はその美しい歌声にうんうんと何度もうなづいていた。
舞台袖で見守っていたエテ王子は、時折、コロリスと目を合わせると優しい笑みを浮かべた。
「あの、王子…」
隣にいたイヴィールが遠慮気味にエテ王子に声をかけてきた。
エテ王子は彼の背中を軽く叩き、
「近々、親戚になるからよろしくな」
と返事をした。
エテ王子の返事にイヴィールはポカーンと口を開いたまま彼の顔を見た。
その顔にエテ王子は吹き出した。
「芸術祭が終わったら、正式に発表する予定だ。最も、あの親父の様子だと、この後にダンスパーティーで発表しそうだがな」
舞台袖から見える国王は満足した表情を浮かべている。
これなら何もかもうまくいくはずだ。
エテ王子は自分たちの未来に明るい光を見つけた。
コロリスの歌声は観客全員が総立ちになるほどの感動を与えた。
国王は「素晴らしい!」という言葉しか出さず、立ち上がって拍手を送り続けた。
それはクリスティーヌ王女も同じだった。近い将来、義理の姉になる彼女を尊敬の眼差しを向けながら拍手を送り続けた。
野外劇場は鳴りやまない拍手がいつまでもいつまでも鳴り響いていた。
場所を王宮の大広間に移して芸術祭の締めくくりであるダンスパーティーが行われた。
その席で、コロリスは多くの男性たちに囲まれ、ダンスの相手の申し出を受けていた。
が、
「コロリス」
と、エテ王子が彼女に手を差し出すと、コロリスは何の迷いもなく彼の手を取った。
第三王子からの誘いを受けたことで、男性たちは次は自分たちが!と活きこんだが、国王からの一言で男性たちは全員肩を落とす事になる。
エテ王子が予測したように、国王は最初のダンスの前にエテ王子とコロリスの婚約を正式に発表したのだ。
「若い二人の新しい門出に盛大なる拍手を!」
国王の言葉に参列者は2人に大きな拍手を送った。
大勢に祝福されつことに恥ずかしさもあったが、お互いに顔を見合わせて微笑みあうエテ王子とコロリス。2人の笑顔に参列者達からも自然と笑みがこぼれた。
それに続いて、今度はリチャードから国王に結婚の報告が上がった。
「なに!? そなたも相手を見つけたのか!?」
今まで恋愛話が一切なかったリチャードの結婚報告に、国王は大いに驚いた。
「今日はお祝い事が続きますね、陛下」
「嬉しい事だ! さあ、若いカップルたちを盛大に祝おうではないか!」
国王が合図を出すと、王宮音楽団によるワルツが演奏された。
エテ王子とコロリス、リチャードとエミーの2組から始まった踊りの輪は、次第に数を増やし、華やかな宴が始まりを告げた。
カトリーヌはドレスに着替え、父ミゼル侯爵にリオを紹介した。
最初は引きつった顔を見せていたが、リオの両親が王立研究院の責任者であること、リオ自身が警察騎士団の第一部隊隊長の職に就いている事を知ると表情を変えた。
「我が息子よ! 娘を頼んだぞ!!」
ミゼル侯爵はすぐにリオを認め、カトリーヌとの交際を許してくれた。
ミゼル侯爵はカトリーヌの相手には必ず騎士団に所属する男と決めていた。リオは部隊長を任されているので、すんなりと認めてくれたのだ。しかもリチャードの育成学校の後輩で、首席卒業しているという。申し分のない男だ。
国王の御前に出るには相応しくない!と一喝されたヴァーグは、エテ王子とコロリスの手を借りて着替えさせられた。長い黒髪はコロリスの手によって整えられ、パステルグリーンのドレスに身を包んだヴァーグは、普段の寒色系の服を好む彼女からは想像できない出来栄えとなった。
そのヴァーグは王宮専属の歌劇団と王立歌劇団の舞台演出チームから、定期公演のアドバイスを求められていた。
「ステンドグラスの光を床に映すには、舞台を平面ではなく、後方に向かって傾斜をつけた方が見栄えがいいと思うの。傾斜がついていれば、前の方に座るお客様にも舞台の床が見えるでしょ?」
「なるほどなるほど」
「それから、脚本を読ませていただきましたが、少し手直ししてもよろしいですか?」
「どこか気になる所でも?」
「この脚本によると、劇が突然始まって、突然両家が争って、そこに大公様が仲裁に入るでしょ? それよりも、ナレーターが一人いるとお客様も物語に入りやすくなると思うのね」
「ナレーター?」
「ええ。物語を引っ張ってくれる人。どうせなら客席も使いたいわね。例えば、幕が開くとごく普通の街中で、市民たちが普通に生活している。そこに客席からヒロインの両親が客席から現れる。市民たちは道を開け、一家を見ながら噂話をする。『昨日も向こうの家を戦っていた』とか、『奥様には若い愛人がいる』とかね。そこにナレーターが彼らを説明する。その説明が終わると、今度は対立する主人公の両親が客席から現れ、両家の睨み合いからの一族を巻き込んだ喧嘩となる。そこに大公様が現れ、仲裁に入り一旦は解散する。そこに残った主人公の母親と主人公の親友との短い会話の後、主人公が現れる……なんていうのはどうかしら?」
「「ほぉほぉほぉ」」
「ついでに主人公とヒロインが出会う前に、お互いに2人の『恋』について語る場面があったら面白いと思うわ。お互いに別の空間にいる2人が、同じ理想の恋を語り、その台詞が掛け合いになっていたら、運命に導かれた出会いになると思うんですけど?」
「「「おぉーーーー!!」」」
歓声を上げる歌劇団関係者は、次から次へとアイデアを出すヴァーグの言葉をメモに取り続けた。
まるで自分が考えたように語るヴァーグだったが、内心は冷や汗が絶え間なく流れるほど動揺している。
(い…言えない……前にいた世界で大好きだった『ロミオとジュリエット』を参考にしているなんて言えない……しかもエテさんとコロリスさんに似ている役者と歌姫が主演していた作品を参考にしているなんて……)
すぐにでも前の世界に戻って謝罪したい気持ちでいっぱいだったが、この世界に来たからこそ、大好きだった作品に関われる事に感謝もしていた。
「…ん?」
脚本をパラパラとめくっては、改定個所の指摘していたヴァーグはある事に気付いた。
「どうかされましたか?」
イヴィールが動きを止めたヴァーグを心配して声を掛けた。
「あ、ううん、なんでもないの」
否定しているヴァーグだったが、脚本を読む彼女は再び動いを止めた。
(やだ……主人公とヒロインをエテさんとコロリスさんを想像して読んでた…。最初は違ったのに~~!!)
頭の中を掛け巡る想像した舞台の映像が、エテ王子とコロリスに変換され、ヴァーグは勢いよく頭を振ったり、何もない頭上を手で払ったりしていた。
その行動に、歌劇団関係者はどうしたんだろう?と首を傾げた。
ナンシーの両親によって、貴族の青年へと変身したケインは、先に来ているであろうヴァーグを探していた。
ケインは宮廷服だけは勘弁してくれ!と泣き叫び、ナンシー両親が店から持ってきてくれたフロックコートと呼ばれる、上着の裾が長いグレーの服を着ていた。
すらっと伸びた長身にフロックコートを着こなす、ここらでは見かけない青みがかった銀髪の青年に、参列した貴族たちはざわついた。
「あの方はどなた?」
「見かけない顔ですわね」
王宮に出入りする貴婦人たちは、ケインの姿を見てヒソヒソと話していた。
貴族の娘たちは見かけないイケメンに頬を染めていた。
誰かが勇気をもって声を掛けようとしたその時、
「ケインさん!」
と、彼の名前を呼ぶ人が現れた。
声をかけてきたのはクリスティーヌ王女だった。パステルピンクのドレスに身を包み、髪は村で貰った布地の白い髪留で一つに纏めているだけだった。
「クリスティーヌ王女」
「どなたかお探しですか?」
「ヴァーグさんが来ていると思うんですけど、見ませんでしたか?」
「ヴァーグさんでしたら歌劇団の関係者とお話中ですよ。かなり話し込んでいましたから、今日中には終わらないと思います」
「そうですか…」
クリスティーヌ王女からヴァーグの居所を聞いたにもかかわらず、ケインは辺りをキョロキョロと見渡していた。
「どうかなさいましたか?」
「いや、なんか、視線が…」
ケインが気にしていたのは周りからの視線だった。
貴族たちの興味津々という視線よりも、若い娘たちの熱い視線が気になるようだ。
「皆さん、ケインさんに興味があるんですよ」
「なんか慣れないんだよね。国王様にこれを届けたら帰るよ」
「お父様に?」
「たい焼きとたこ焼き。クリスティーヌ王女から渡しておいてくれる?」
「あら、ケインさんから渡された方がいいと思います。ご案内しますね」
「俺なんかが国王様に直に会っていいの?」
「ええ、大丈夫です。父も会いたがっていましたから」
「でも…」
国王と話したことは一度だけあるが、あの時はオークションについての説明だけだった。それから一年後に直に会うことができるなんて、とんだ出世コースだ!…とケインが浮かれることはなかった。
なぜなら、クリスティーヌ王女と並んで歩いていると、若い娘たちの熱い視線よりも、若い貴族の息子たちの突き刺さるような視線を多く感じたからだ。クリスティーヌ王女にも縁談は持ち込まれている。王族の親戚になれるチャンスを逃したくない独身の男たちがケインにライバル心をむき出しにしていたのだ。
国王は退屈そうに足をぶらぶらさせながら王座に座っていた。
すぐ側では王妃がミゼル侯爵夫人とクオランティ子爵夫人と自分たちの子供の結婚話で盛り上がっており、大臣たちは近隣諸国の来賓と話し込んでいる。国王に話しかける人は誰もいなかったのだ。
「つまんないな~~」
さらに足をぶらぶらと弄んでいる国王は、この隙に逃げちゃおう!と王座から飛び降りようとした。
その時、
「お父様!」
とクリスティーヌ王女がケインを連れてやってきた。
逃げるチャンスを失った国王は、明らかに不機嫌な顔を見せたが、ケインの顔を見た途端、ぱぁーと顔を明るくした。
「ケインさんがお見えになりましたわ」
「おおー!! そなたは新年祭の時に珍しい食べ物を作っていた青年ではないか!」
「ご無沙汰しております、国王様。本日は中央広場での出店許可をありがとうございました」
「いいんじゃ、いいんじゃ。そなたたちは王都でも人気があるからの。今年も賑わったようでなによりじゃ」
「今回は王子と王女も手伝っていただき、ありがとうございました。あの、これをお礼としてお持ちしました。どうぞ召し上がってください」
ケインは手に持っていた籠を国王の前に差し出した。
中には透明な箱に入ったたこ焼きと、三色の紙に包まれたたい焼きがたくさん入っていた。たい焼きだけでも一種類10個は入っていた。
「これは、前に食べた物か?」
「はい。今回は味を変えてみました。前回と同じカスタードクリームは白い紙に、粒あんという甘い豆のクリームは茶色い紙に、チョコレートというお菓子に使う甘いソースは赤い紙に包まれています」
「粒あんはとても美味しかったですわ。お父様もぜひ召し上がってください」
クリスティーヌ王女は茶色い紙に包まれた粒あん入りのたい焼きを、国王の前に差し出した。
国王はそれを受け取ると、包まれていた紙をめくり、現れた魚の顔を見て「これじゃこれじゃ!」と大はしゃぎで一口頬張った。
久しぶに食べるたい焼きは、少し冷めてしまっているが、外はカリカリ、中はもっちりとしており、粒の形状をある程度残した粒あんという物は甘すぎず、しつこさもなく、生地の甘みと絶妙なバランスを保っていた。
「これは!!」
国王は一口目を飲み込むと、すぐに二口目、三口目とたい焼きを頬張った。
「お父様、いかがですか?」
「旨い! 旨いぞ!! 毎日食べたい!」
「国王様、たまに召しあがるから美味しいんですよ。他にもたこ焼きと新作のドーナツをお持ちしましたので、ぜひ召し上がってください」
「新作もあるのか! 王妃、そなたもどうだ? セリーヌも食べるがいい」
国王は近くにいた王妃と第二王女のセリーヌ王女を呼んだ。
2人に渡したのはドーナツ。白い紙に包まれた穴の開いた丸い食べ物に、王妃もセリーヌ王女もよく観察してから一口頬張ると、2人揃って「美味しいですわ!」と声を揃えて感想を述べた。
「セリーヌお姉様、そのドーナツという食べ物は、ケーキの土台と同じ材料で作られているんです。しかも、これを油で揚げるんですよ。わたくし、油で揚げるお菓子を初めて見ました」
「油で揚げるお菓子もあるんですね。クリス、ぜひ作り方を教わって、わたくしたちに食べさせてください」
セリーヌ王女はドーナツが気に入ったようだ。
王妃も初めて口にするドーナツの食感に驚き、クリスティーヌ王女の「ケーキと同じ材料」という説明に二度驚いた。
「ケインさん、教えていただくことはできますか?」
「俺…あ、いや、僕だけでは決められないので、ヴァーグさんと話し合ってみます」
「ありがとうございます!」
嬉しそうに笑顔を見せるクリスティーヌ王女の顔を見て、ケインはドキッとした。
昼間、手伝ってくれた時は何とも思わなかったのに、今のクリスティーヌ王女はキラキラと輝いている。ヴァーグの時とは違う胸の高鳴りがケインを襲っていた。
「おや?」
「あら?」
顔を赤らめてクリスティーヌ王女を見るケインを、国王と王妃は「クリスティーヌ王女に興味がある?」と思った。聞けばケインは来年の夏前で17歳。クリスティーヌ王女が今度の薔薇祭り(12月に行われる)で15歳になる。年も離れておらず、見た目もいい感じだ。
「ダイス」
王妃は側に仕えていたダイスに声を掛けた。
ダイスは国王が周りに配ったたこ焼きを喉に詰まらせながら、王妃の声掛けに返事をした。
「な…何か御用でしょうか」
「あら、あなたも召し上がっていたのね」
「申し訳ございません」
「謝ることはないわ。それより調べていただきたい事があるの。あのケインと申す青年の事を調べてくださらないかしら。あと、あの青年が住む村についても」
「はっ」
王妃が一般市民について興味を持つ事は珍しい。それも王位継承権を持つクリスティーヌ王女と親しく話す相手について調べさせるということは、クリスティーヌ王女の生母よりも先に情報を掴もうとしているようだ。
クリスティーヌ王女の生母は、先代王妃の親戚にあたる伯爵令嬢だ。国王とは親戚関係にあり、現在の財務大臣とも親戚関係に当たる。財務大臣がもっと濃い王族との繋がりを求めた結果、クリスティーヌ王女の生母が側室に選ばれた。だが、王妃は財務大臣が嫌いだ。本当は認めたくない側室だったが、大臣全員を味方につけた財務大臣がいいように言いくるめ、国王と王妃に無理やり首を縦に振らせた。きっと国家予算のことなどで脅迫したのだろう。
これ以上、財務大臣のいいようにさせたくない王妃は、気分が悪いと言って宴を欠席しているクリスティーヌ王女の生母よりも先にケインの情報を仕入れようとしたのだろう。
王妃の他に、ケインの事について調べ始めた人物がいた。
ノアル・ファルコン伯爵だった。
何の接点もない伯爵がなぜケインについて調べようとしているのか…。
<つづく>
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ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
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ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
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