黒柳悦郎は走ったり走らなかったりする

織姫ゆん

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2章  二日目 カレーは別腹

2ー6 いつもどおりといえばいつもどおりな午後の授業

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そして、みどり先生のロングホームルームがはじまった。

「はい、今日のホームルームでは……」

教卓で勢いよくしゃべりはじめたみどり先生だったが、不意に首をかしげるとクンクンとあたりのニオイを嗅ぎ始めた。

「この教室、なんか変わったニオイしない?」

ざわざわとみどり先生のそのひと言で教室がざわつく。
中には振り返って、チラチラと俺たちを見てくる奴らもいた。
そしてそれに気づいたみどり先生は、原因が俺にあるようだと推測して名指ししてきた。

「はい黒柳くん。何か知ってることあったら言って」
「あー、えーっと……」

ガタンと椅子から立ち上がり、どこまで言おうかと考えていると俺の隣の席の麗美が手を上げた。

「先生。私の責任です」
「え?」

お昼のカレーパーティーのことを麗美がみどり先生に説明する。

「なるほど、そういうことだったのね」
「で、そのあと体育の授業があって、俺たち男子がここで着替えたから」

みどり先生はカレーパーティーと男子の着替えの関連性が一瞬わからなかったらしくキョトンとしたが、前の方の座席の男子がジャージを見せ、そのそばの男子が制汗スプレーを見せたことですべてを理解した。

「あー。そうするとこういうニオイが生まれるわけか」

厳密に言えばそのあと女子たちのニオイ対策のいろいろがミックスされていたが、主な原因はその2つだ。
カレーと汗とホコリと制汗スプレー。
みどり先生は窓がすべて開け放たれていることを確認すると、仕方ないわねと小さく肩をすくめた。

「ま、しばらくすれば落ち着くはずね」
「それで先生。今日のホームルームの内容は?」
「あ、うん。今日は、来週ある芸術鑑賞会に行くときのバスの座席決めをしまーす。もちろんくじ引き! 男子ども気合い入れろー」
「おー!」

ざわざわと男子も女子もざわめきはじめる。
誰が誰の隣になるか。
小さなことではあったが、俺たちにとってはものすごく大きな問題だ。
もっとも、俺はわりとその問題からは蚊帳の外に置かれることが多かったが。

「ぐふふ。悦郎はもうお相手が2人も決まってるもんね」
「うっせ。それとこれとは関係ない」

割りとセットで見られることが多かった俺と咲。最近(と言っても昨日からだが)は、そこに麗美も加えられることが多くなった。
とはいえ、くじ引きであれば必ずしもそうなるとは限らない。
自分たち自身のことが気になりつつも、俺と咲、麗美の座席位置がどうなるかは、クラスでのなかなかの関心事になっていた。

「というわけで開帳しまーす」

唐突に緑青が立ち上がった。

「悦郎の隣が咲になると思う人はこっちの赤い札、麗美が隣になると思う人はこっちの青い札。勝った人は負けた人たちから集めた座席のくじを譲ってもらえるってことで投票開始~」
「あ、あの……緑青さん?」

教卓でくじ引きの準備をしていたみどり先生は、自分とは無関係に始められたこの茶番劇に呆気にとられてしまう。

「ふふふ、なんだか楽しいです」
「まーたはじまった。ちーちゃんの悪ふざけ」

二者二様な咲と麗美の反応。
俺はやれやれと思いながらも、それはそれでちょっと楽しいかもと、いつもとはちょっと違った展開のホームルームに少しだけワクワクしていた。
みどり先生は、教室で一人だけ困った顔をしていた。

「はいしつも~ん。両方共えつろーの隣にならなかった場合は?」

男子の一人が緑青に質問をした。

「その場合は悦郎の負け。あ、ううん。ちょっと待って」

緑青が何かを思いついたかのように少し考える顔をした。
そしてニヤリと笑う。

「逆にしよう。2人のどっちが悦郎の隣になるかじゃなくて、悦郎が2人のどっちの隣を引けるかにしよう」

教室が一瞬シンと静まる。
そして緑青の言っている意味を理解した途端、ワッと歓声が上がった。

「なるほど、そっちのが面白い」
「がんばれえつろー」
「ひゅーひゅー」

俺を完全に置いてけぼりにしたまま、緑青のくじ引き盛り上げ企画が勝手にどんどん進んでいく。
そしていつの間にか、みどり先生もそちら側に与していた。

「よーし、それじゃあまずは2人の場所を決めちゃおうか! 咲さんと麗美さん、前に来てー」

黒板に、すべての座席が空欄になったバスの座席表が張り出される。
そして用意してきたくじ引きの箱を、楽しそうに上下左右に振るみどり先生。

「咲さん、お先にどうぞ」
「うん、ありがとう。じゃあまずは私から」

咲がくじ引き箱に右手を入れる。
そしてしばらく中で探るようにしてから……。

「えいっ!」

一枚の紙を引き抜いた。

「あ、まだ見ないで。2人同時の方が楽しい」

緑青から指示が飛ぶ。

「はーい。じゃあ次は麗美さん、どうぞ」
「行きます」

意外とこういうノリが好きなのか、気合の入った顔で麗美がくじ引き箱に手を入れた。
そしてグルグルと何度も中をかき混ぜる。
しばらくしてどれを取るか決めたのか、麗美の手が動きを止めた。
そして……。

「これです!」

シュピーンと効果音が鳴りそうな勢いで、麗美が一枚の紙を掲げた。
クラス全員の視線がそこに集中する。

「ぐふふ。それじゃあ2人の席を確認しようか」

いつの間にか黒板のところに移動していた緑青が、咲と麗美を呼び寄せて何かを耳打ちする。

「わかったわ。そうすればいいのね」
「はい、了解です」

どうやら、発表の方法を打ち合わせたらしい。
そして、2人がそれを実行する。

「「せーの」」

声を合わせてタイミングを揃え、2人が同時にそれぞれの紙を大きく掲げた。

「「私たちの席は、ここです!」」

クラス中の視線が2人の手元に集中する。
そこには、『11-B』と『11-D』と書かれていた。

「おー」
「すげー」

一瞬で何かを悟った連中は、その偶然に声を上げる。
俺もすぐにはわからなかったが、神様の悪戯のようなその結果に少し頭を抱えた。

(いや待て……なんでそこで揃う)

そしてみどり先生も、その事実に気づいた。

「あれ? もしかしてそれって……一番うしろの席?」

そう。11列目というのは、バスの一番後部座席だった。
そしてそこは、他の座席とは違って5人がけ。
つまり、それぞれの隣の席の『11-A』『11-E』だけでなく、真ん中の『11-C』という結果もありうるわけで……。

「これは腕がなりますなー、悦郎選手」

なぜか妙なノリでひと口ドーナツをモグモグしていた砂川が俺に透明なマイクを向けてきた。

「さあ、真ん中を引く自信は?」

砂川のそのひと言で、それに気づいていなかった連中もそのことに気づく。

「ねーねー緑青さん。もし悦郎が真ん中引いたらどうするの? 赤? 青?」

どれだけノリがいいのか、いつの間にやらクラスの全員がそれぞれ赤と青の札を手にして左右に分かれていた。
俺と咲、麗美以外は。
そして緑青が質問に答えた。

「それは胴元の勝ち」
「胴元?」
「私の全取り。すべての席は、私が決めさせてもらう」
「ちょっ!」
「なんと!」
「悦郎頼むっ!」

クラスが一丸となって、俺の引き当てる座席に願いをかけていた。
しかし、そろそろみんな気が付きはじめていた。
これが、ただの茶番だと言うことを。

「さー悦郎くん。引いて引いて」

純粋にくじ引きを楽しんでいるみどり先生。
俺にくじ引き箱を差し出し、自分の席を決めさせようとする。

「恨みっこなしだからな」

その場の雰囲気に合わせて、俺はクラスの連中をグルッと見てからくじ引き箱に手を入れる。
そして指先に触れた一枚目の紙を掴み、そのまますばやく箱から引き抜いた。

「お、早い!」
「即断即決男らしい!」

外野が茶々を入れてくる。
そして俺は、その紙に書かれた座席番号を確認した。

「えーっと……『A-2』」

一瞬シンとなり、直後クラス中がずっこける音が聞こえてきた。

「おま……全然違うじゃねーか!」
「いくらなんでもそりゃねーよ」
「あはははははははっ!」

男子たちから浴びる非難の声。
そしていかにも面白いといった風な緑青の笑い声。
元々女子たちはそれほど興味がなかったのか、みどり先生に促されて普通にくじを引いている。

「あ、私窓側がいいー」
「じゃあ私と交換しようか」
「あー、私咲のとなりー」
「おー、陽ちゃん来たかー」

咲と麗美の周りも、続々と決まっていく。

「ま、人生なんてこんなもんだよな悦郎。一番前の席で当日は大人しくしてなさい」

モグモグとフレンチクルーラーを食べながら砂川は、自分のくじを引く。
そしてその席は『A-3』。
バチがあたったかのように、俺の通路を挟んだ反対側を引きやがった。

「くくくっ。そういういことだよ砂川」
「くっ!」

そして最後に緑青。
というか最後なだけに、もうすでに席は決まっていた。

「あれ? 残ってるのって……」

みどり先生が黒板に張ってある座席表を見て言う。

「『11-C』か」

狙ったようなその結果に、再び何人かのノリのいいクラスメイトがずっこけていた。

「まあこういうこともある」

くじ引き箱の中から緑青が引いた紙。
そこにはしっかりと、『11-C』と書かれていた。
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