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6章 六日目 ろくしょう
6-3 いつもどおりといえばいつもどおりな午前
しおりを挟む午前の授業中、出席番号の関係から咲が指名された。
が、その咲は風邪で学校を休んでいる。
となれば普通はスキップして別の人を指名するのが当然なはずだが……。
「じゃあ代わりに黒柳。前に出て黒板に解答を書きなさい」
「はあ!? なんで俺が」
「だって、なあ」
現国の教師である山田の言葉に、なぜか教室中が同意するかのようにウンウンと頷く。
俺に味方はいないのかと周囲を見回すが、緑青も砂川も笑みを浮かべるだけで俺を助けてはくれない。
それどころか麗美までもが……。
「仕方ありませんわ悦郎さん。咲さんの代わりといえば、悦郎さんですもの」
「え……お前までそう思うのか?」
「もちろんです。というか、悦郎さん自身はそう思わないんですか?」
そこまで言われてしまうと、こちらの方が間違っているのかと思ってしまう。
まあでも、俺以外の誰かが指名されるのはちょっと違うのではないかと俺も思ってしまうのは事実。
だからと言って、俺を指名するのはどうかとも思うのだが……。
「ほら諦めろ黒柳。というか、ちょっと漢字の穴埋めをするだけじゃないか。間違ってもいいんだぞ? それはそれでみんなの勉強になるんだから」
「くっ……」
完全に退路を塞がれていた。
というか、最初から退路なんかなかった。
っていうか、別にどうでもいいような気もしてきた。
そもそも、代わりって名目じゃなくても俺を指名することはできるわけで、山田がちょっとしたクラスの盛り上げ要素として俺をいじっているだけだということがなんとなくわかってきてしまった。
よく考えてみれば、独身の山田はこの手のネタでよく咲をいじっていた。
俺は授業中ウトウトしていることが多かったからそっちをネタにされることがほとんどだったけど、咲の方はそうではなかった。
それが今日は、たまたま俺の方にお鉢が回ってきたというわけだ。
「りょーかい。その空欄を埋めればいいわけね」
「ああ。わかるだろ? このくらいならお前にも」
黒板には、誰でも知っているような四字熟語が書かれている。
そしてその一部が、□に置き換わっていて虫食いになっている。
その答えを、俺は当然のことながら……。
(わからん)
冷たい汗が、タラリとひとすじ俺の額を流れ落ちた。
いつもならこんなとき咲に小声で答えを聞くのだが……。
「がんばってください」
反対側の席に座っている、麗美にその代役を頼むのは酷なような気がした。
そもそも麗美は日本語ネイティブではない。
流暢に日本語を話してはいるが、そもそもの母国語はルーガなんとかとか言う国で使われている妙に音楽チックな節回しのついた俺の知らないきれいな音の外国語だ。
では砂川はどうか。
ヤツはモグモグと、何かを咀嚼しながら俺の方を見ていた。
聞けば教えてくれそうな気もするが、代わりになにかの食べ物を要求するだろう。
ダメだ。
交換材料になりそうな、咲の弁当が今日はない。
何もない状態では、いくら仲がいい砂川とはいえ答えを教えてはくれないだろう。
そして緑青。
「ぐふふ」
その笑みを見ただけで答えがわかった。
ヤツは絶対に教えてはくれない。
なぜなら、俺が間違えた方が面白いからだ。
(よし)
俺は覚悟を決めた。
こうなれば、間違っててもいいから適当な漢字をあそこに当てはめてこよう。
なーに、漢字だって無限ではないんだ。
万が一ということもある。
適当に入れても、正解してしまうことだってまったくないとは言えないだろう。
……もちろん、そんなことはほぼありえないとはわかってはいたが。
「えーっと……山□□明。最初が山で最後が明……」
チョークを持って黒板に向かう。
もしかしたらそこに立てば、何かが思いつくかと思っていた。
だが、これっぽっちもなにも湧いてこなかった。
俺の脳みその中には、どうやらこの空欄を埋められるような四字熟語は存在していないようだった。
「にやにやにや」
俺の隣では、山田がニヤニヤとした笑みを浮かべていた。
俺の間違いをもとに、授業を円滑に進めようと思っているのだろう。
おのれ山田め。
独身で38歳の柔道部顧問め。
いや別に38歳で独身なことはダメなことではないけれども。
もちろん柔道部の顧問をやっていることも。
(……ん?)
ここで俺は、ふとした事実に気づいた。
(山□□明……山ではじまって明で終わる……山田……)
それは絶対に四字熟語ではなかったけれども、それを埋められる四文字の言葉に、俺は一つだけ心当たりがあった。
俺は山田を見ながらニヤッと笑うと、その言葉をチョークで黒板に書き込んでいく。
「山田……利明っと」
ドッと教室がそれなりの大きさで湧いた。
もちろんギャグセンスとしてはそんなにいいものではないのはわかっていた。
だが、授業中特有のハードルの低さがある。
そして山田自身のキャラもまた、それを笑いに昇華してくれた。
「あのなあ……間違ってると言いづらいものを書き込むなよ」
いつもどおりっぽいけれどもいつもおどりではない午前の授業。
咲のいない午前は、そうして過ぎていった。
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