聖女だった老婆は、機械になった王子ともう一度恋をする~ love again~

月詠 夜音

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静かな日常、止まった時間

壊れても、そばに

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朝の冷たい空気のなか、ひとつの軋んだ足音が、乾いた土の上をゆっくりと進んでいた。
  畑の端に、小さな影がふたつ――老婆と、古びた金属の影。
「……こっちよ、セレ。遅れてるわよ」
 しゃがみこんで草を摘む老婆が、振り返らずに声をかける。
  返事の代わりに、ガコンと鈍い金属音。膝関節の錆びたオートマタが、軋みながら数歩前に出る。
 朝露に濡れた土はやわらかく、リゼルの指先はゆっくりと薬草を摘んでいく。
  白い髪をゆるく束ねたその背中は、年を重ねてなお、どこか気品のようなものを纏っていた。
「ふふ……言っても、動きは鈍る一方ね。私も、人のこと言えないけれど」
 返るのは無音。セレ――そう呼ばれるそのオートマタは、顔とも言えぬ無機質な頭部をわずかに傾けて見せた。
  だがそれが、まるで返事のように見えるのだから、不思議だ。
 朝露の匂い。土の感触。軋む金属音。
  すべてが、ここでは当たり前の日常だった。
 リゼルはそっと立ち上がり、腰を押さえながらため息を漏らす。
「……そろそろ、お茶にしましょうか。あなたも、休まなきゃ」
 セレは一歩踏み出し、ぎしりと音を立てた。
  左足の膝あたりに、また新しい亀裂が走っている。昨日、補修したばかりの箇所だった。
「……あらあら。また壊れかけてるじゃないの」
 呆れたように笑いながらも、リゼルの目に浮かんだのは、言葉にしない寂しさ。
  黙って、彼女はセレの膝に手を添え、そっとさすった。
「帰ったら……また見てあげるわね。大丈夫。直るものよ、きっと」
 返るのは、やはり無言の傾きだけ。
  それでもリゼルは、微笑んだ。ごく自然に。いつもそうしているように。
 この朝の光のなか、老婆とオートマタは肩を並べて、ゆっくりと家路についた。
  その歩みは遅く、軋む音だけが小道に残っていた。


 彼女たちの暮らしは、村の外れの石造りの小さな家にあった。
  屋根には蔦が這い、窓辺には乾いたハーブが干されている。ドアのきしみも直していないまま、何十年も経つ。
 リゼルが手にした籠を台に置くと、セレがぎこちなく後に続く。
  腕の関節がガクリと外れかけ、思わずバランスを崩した。
「――っと。ちょっと待ってて」
 リゼルはお手製の工具箱を取り出し、セレの右腕にそっと触れた。
  小さな金具を締め直し、緩んだ歯車を慎重に動かす。その指先は、驚くほどやさしい。
「ここも、限界かしらね。もう部品も残ってないし……ああ、でも、捨てられないのよ」
 くすくすと笑いながら、リゼルは椅子に腰を下ろした。
  セレは彼女のそばに、ぎしりと音を立ててしゃがみこむ。
 どちらからともなく、時間がゆっくりと流れはじめる。
 テーブルの上には、小さな茶器。
  リゼルが淹れた温かい薬草茶の香りが、家の中にほのかに漂った。
「ねえ、セレ。今日はね、小麦粉を分けてもらったの。あの子、来るって言ってたから、お団子でも作ろうかしら。……あなたも、好きだったわよね?」
 もちろん、返事はない。
  けれど、セレの体がわずかに動いた。首が少しだけ、リゼルの方へと向く。
「うふふ、そんな気がしたの。……やっぱり、好きだったんじゃない」
 老人の笑い声は、風の音にまぎれて、静かに溶けていった。


 午後、村の子どもたちがふたりの庭に立ち寄った。
「リゼルおばあちゃん、これ持ってきたよ!」
 「おかあさんが余ったからって!」
 木の実やパンの端、時には絵本まで。
  リゼルの家は、いつしか子どもたちの秘密基地のような場所になっていた。
 その理由は、決して彼女の優しさだけではない。
 ぎし、ぎし、ぎし――
  子どもたちの背後で、金属の音を立ててセレがゆっくりと動いた。
 はじめは、みんな怖がった。
  無機質な顔、声もない、壊れかけたオートマタ。
 でも、ある日一人の子が言った。
「このひと、いつもおばあちゃんのそばにいるね。まるで……」
「まるで、家族みたい」
 それから少しずつ、子どもたちはセレにも話しかけるようになった。
  もちろん返事はない。でも、それでもいいのだ。そこにいる。それがすべてだった。
「セレ、見て。これ、ぼくが描いたんだよ」
 子どもが手にしたのは、チョークで描いた紙。
  曲がった線で、リゼルと、セレが並んで歩いている絵だった。
 リゼルは目を細め、笑って言った。
「まぁ……あなた、上手に描けたじゃないの」
 そしてセレの方を見つめ、小さく頷いた。
「――セレ、見てるわ。ちゃんと、見てくれてるのよ」
 その時だった。
  セレの背から、小さな金属のかけらがカラン、と音を立てて落ちた。
「……あら」
 リゼルが思わず立ち上がる。
  セレの左肩の継ぎ目。そこに、目に見えて隙間ができていた。
「……」
 彼女はすぐに拾い上げ、子どもたちには見えぬようポケットに入れた。
「今日はもう、帰った方がいいわね。暗くなる前におうちに戻りなさい」
 子どもたちは素直にうなずき、元気よく手を振って走り去った。
  静かになった庭で、リゼルはセレのそばにしゃがみ込む。
「……痛くは、ないでしょうけど」
 誰に聞かせるわけでもなく、呟く。
「でも……これ以上、壊れていったら……」
 リゼルの手が、震えていた。
 それでも、セレの目はただ、無言のままリゼルを見つめていた。
  機械の体に宿るものなどない――そう思われていたはずなのに、その目には、どこか懐かしい温もりが、確かにあった。
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