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9.焔(ほのお)に包まれて

譲れない場所

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 ゴォォォォォォン……!!

 フロアの乾いた空気を揺らし、銅鑼の音が響く。

 「よっ……と」

 ヌポンッ❤︎

 「はぅッ❤︎」

 紅花がペニスを引き抜くと、ケイの身体がピクンと跳ねる。

 紅花は絶頂の深い余韻に未だ震えるケイの腰を抱き寄せると、マットに叩きつけるように荒々しく投げ倒した。

 「ふんッ!」

 ダァンッ

 「うぐッ!?……ぁ……ぅ……」

 マットに横たわり、全身で呼吸するケイと、それを不敵な笑みで見下ろす紅花。

 「ハッ、〝ARISAの右腕〟が聞いて呆れるわ。こんなザコならアタシじゃなくてもよかったね」

 紅花は鼻で笑うと、未だざわめきの止まない場内に目線をやる。

 冷たい眼差しで観客らの顔を眺め回す紅花は、ニヤリと笑って叫んだ。

 「もうすぐARISAの時代が終わるッ!!今日がその始まりッ!!このサークルになんて必要ないッ!!」

 それは、サークルの根幹を揺るがす「宣戦布告」そのものだった。



 ザワザワ……

 「ARISAの時代が終わる……?」

 「どういうこと?このサークルはどうなるの?」

 突然飛び出た紅花の不規則発言に、観客席には動揺が広がる。

 そんな喧騒を他所に、紅花は満足げにそそくさとステージから立ち去ろうとする。

 そこに飛び込んだのは愛理だった。

 「待ちなさいッ!!」

 猫のような大きな眼を見開き、鼻筋に深い皺を刻んだ愛理が、今にも飛び掛からんばかりに肩をいからせて立ちはだかる。

 紅花は足を止め、目の前に飛び出てきた小さな女を見下ろして微笑む。

 「どうも、愛理ちゃん♪何か御用かしら?」

 「どこの誰だか知らないけど、随分と好き勝手言ってくれるじゃない……たかが一度勝ったからって、調子に乗るんじゃないわよ……!」

 愛理は拳を握り、喉の奥から振り絞るように言葉を出す。

 ケイの敗北、そして紅花の横暴な振る舞い……。

 今にも爆発しそうな怒りや悲しみを、必死に抑え込んで紅花に対峙した。

 そんな愛理とは対照的に、紅花は飄々ひょうひょうとした態度で愛理を挑発する。

 「さっきの話聞いてなかった?次はアンタとヤッてやるって言ってんの。ARISAのが何匹来ようが受けて立ってやるから、大人しく待ってなさいよ?」

 立ちはだかる愛理に対し「あっちへ行け」とばかりに怠そうに手のひらを扇ぎ、紅花は舞台袖へ帰ろうとするが、愛理はなおも道を塞いで食って掛かる。

 「なんなら今ここでヤッてやってもいいわよ?それとも、そんな勇気は無いかしら?一晩で2人相手はさすがに自信ない?」

 「……はぁ?」

 愛理のこれ見よがしな挑発に、紅花の表情が変わる。
 鋭い切れ長の眼の奥に、明らかに怒りの色が滲んでいた。



 「……お前、誰にクチ利いてるか分かってんの?」

 低く鋭い声で紅花が愛理を威圧する。

 愛理の正面にズイッと詰め寄り、勝気な性格そのままのツンと上向きな胸を愛理の眼前に見せつける。

 だが愛理も一歩も退く気はない。

 「随分と自意識過剰ね、自惚れ屋なアンタに言ってんのよ。アンタごときがどうこうできる程、El Doradoこのステージは甘くないわ!!」

 見せつけられた胸に対して、愛理も負けじと胸を突き出して押し返す。

 2人の女の間に流れる緊張は、まるで導火線に引火したダイナマイトのように今にも破裂しそうな一触即発の危険な空気だ。

 「やめろッ!愛理……!」

 紅花の背後から制止したのはケイだった。

 未だにダメージの残る身体を必死に起こそうと、片膝をついたまま愛理に呼びかける。

 「愛理……コイツは愛理が闘うべき相手じゃないわ。あなたは、あなた自身の闘いをしなさい……」

 「ケイ!何を言ってるのよッ!」

 ケイの言葉は愛理には理解できない。

 やっと見つけた自分の居場所、自分が輝ける〝El Dorado〟という最高の舞台を、紅花のような傍若無人な女に土足で踏み躙るような真似をされることは、何より許し難かった。

 「ハハッ、ケイの方がまだお利口さんだね。愛理、アンタみたいなキャンキャン鳴くだけの小物、いつでも潰してやるよ❤︎」

 プッ!!

 「あぅッ!?」

 紅花が、愛理の顔面に唾を吐いた。

 その瞬間、愛理の怒りが一気に頂点に昇る。

 プツン──。

 愛理の頭の中で、音がした。



 「この女ァァッ!!」

 パァンッ!!

 「ぐッ!?」

 愛理のビンタが紅花の頬に炸裂する。

 予想外の威力に、紅花の上体が大きくグラつく。

 パァンッ!!パァンッ!!

 「うッ!!」

 顔を背けた紅花に対し、愛理は追撃に左右のビンタを二発見舞う。

 歯を食いしばり、眼をひん剥いて紅花を叩く愛理の形相は、「この女を倒す」というその一心しか頭に無い。

 だが紅花も黙って叩かれてはいない。

 「こンのッ……ふざけんなクソ女ッ!!」

 ギチィィッ!!

 長いリーチを生かして愛理の猛進を止めると、愛理の長い髪を掴んで真上に力任せに引っ張り上げた。

 「ッ!?キャァァッ!?」

 あまりの激痛に悲鳴を上げる愛理。

 だが紅花はそんな悲鳴に耳を貸さず、掴んだ髪を容赦なく引っ張り回して、愛理を徹底的に痛めつける。

 「お前ごときの薄汚い売女ばいたがッ!アタシに勝てると思ってんのかよッ!!オラッ!!」

 「ひィィィッ!?痛いィッ!!離してェェッ!!」

 首が折れそうなほど何度も前後に髪を引っ張られ、愛理の瞳から大粒の涙が零れ落ちる。

 「ストップッ!!二人とも離れてッ!!」

 遂にスタッフ数名がステージに駆け上がり、2人の間に割って入った。

 すると紅花はすぐさま愛理の髪から手を離し、先程までの攻撃性が嘘のようにニッコリと笑って両手を挙げた。

 「はいはーいOK♪もうしませーん♪」

 引き摺り回された愛理は、その場に崩れるように跪いた。



 予想外の乱闘騒ぎに、観客は当初呆気に取られていたが、新たに巻き起こる「遺恨勃発」に期待の歓声を上げた。

 「愛理ィィッ!!頑張ってェェッ!!」

 「絶対勝ってェェェェッ!!」

 湧き上がる観客の声を鬱陶しげに苦笑いで聞く紅花は、足元にへたり込んでいる愛理に呼びかける。

 「愛理ちゃん、アンタ期待されてんだねー❤︎これでもうけど、どうする?」

 太々しく笑う紅花の顔を見上げ、愛理は涙目のままでキッと睨み返す。

 「やってやるッ!!〝El Dorado〟の怖さ、嫌てっほど味わわせてやるわッ!!アンタこそ逃げ出すんじゃないわよッ!!」

 「あっそ、じゃあその時はご褒美に……気の狂うほどしてあげるから期待しときな❤︎」

 ドスッ!!

 「ふッ……!?」

 去り際に気の緩んだ一瞬、紅花の蹴りが愛理の腹に突き刺さる。

 つま先が埋まる程に深々と刺さった一撃は、愛理の呼吸を瞬時に奪った。

 「ぉッ……はァァッ……ッ!!」

 「紅花ッ!!」

 「ふふッ……再見またね❤︎」

 スタッフの注意を他所に、紅花はステージから飛び降りてフロアから退場してゆく。

 「ふぐッ……ぅッ……ぁぅ……」

 残された愛理の苦悶に満ちた呻きだけが、ステージに響いていた。



 真夜中の事務所。

 突如現れた夏樹に些か動揺する久美であったが、事務員としての小慣れた仕草で応接する。

 「なんか久しぶりじゃないですか?今お茶入れますから、座ってもらって……」

 だが、そんな久美の言葉には一切応えず、夏樹は事務机の上のノートPCを開く。

 それは先程まで久美が使っていたPCだ。

 「なッ……ちょっと勝手にッ!?」

 「邪魔しないでッ」

 ドンッ!

 「はうッ!」

 突如、激しく狼狽ろうばいした久美は夏樹を制止しようと駆け寄るが、そんな久美を夏樹は両手で突き飛ばした。

 カーペットの上で倒れる久美を尻目に、夏樹はメールボックスをチェックする。

 過去の送受信内容、添付ファイル、それらすべてが〝外部の何者か〟に転送されていた。

 (ARISAの読みが当たってる……久美この女……!)

 「なるほど……ね」

 「ひィッ」

 夏樹が振り向くと、久美は怯えたように声を上擦らせる。

 「付け焼き刃でいきなり事務仕事させられてる恭子よりも、前からやってるアンタの方が内部事情に詳しいもんね?アンタを通じて、史織はサークルの情報を得ていたってワケだ」

 「わッ、私は史織さんに言われた通りにしただけで……」

 「へぇ、追放された女に義理立てる意味ある?」

 「それは……」

 畳み掛けるように久美に問いかける夏樹に、久美は目を附せながら消え入りそうな声で答え始めた。



 「ARISAさんだけで……このサークルがつワケないじゃないですか……」

 久美は恐るおそる、僅かに視線を夏樹に送ると、再び目を附せた。

 絶対女王に対する批判はタブーという、このサークルにおける〝暗黙の掟〟──。

 それに反旗を翻したのが、ARISAの右腕であり、事実上のサークル運営のトップでもあった〝史織〟だ。

 「事実、このサークルを動かしていたのは史織さんですよ。ARISAさんは業界への顔の広さでをやっていただけ。あの人に組織運営なんて考え、ありせんから」

 夏樹は鼻息で失笑する。

 「久美、アタシにとってはぶっちゃけどっちでもいいワケ。ARISAだろうが、史織だろうが、あんまキョーミないし」

 夏樹の言葉に、久美はいぶかしげな表情を浮かべる。

 「夏樹さん、あなたの目的はなんですか?私の事をARISAさんに告発します?それとも、コレをネタにでもする気ですか?愛理さんに対する〝暴走〟で、謹慎の身のあなたが?」

 もはや破れかぶれ、久美は夏樹に対して怯える佇まいは見せない。

 「なーんだ、久美までアタシの〝例の件〟知ってるんだ?アレ、上層部だけの秘密だったんだけど?」

 「……!」

 久美は一瞬眉をあげ動揺した素振りを見せたが、フンと横を向いて表情を取り繕う。

 「そりゃあ……人事担当ですから、多少は情報として入ってきますよ」

 「あっそ、まぁいいけど」

 夏樹は興味なさげに、長い黒髪の毛先を指で弄んでいたが、ふと視線を上げて久美に言った。

 「あのさ、史織の居場所教えてよ」



 「史織さんの居場所を……?」

 意外な夏樹の要求に、久美はまたしても怪訝そうな表情を浮かべると、その真意を問いただす。

 「夏樹さんに教えてどうするんですか?ARISAさんにバラすんじゃ……」

 当然、久美は夏樹とARISAの繋がりを疑っている。

 だが夏樹はそんな久美の疑いに、失笑で応える。

 「ハハッ……だからさ、アタシにとってはARISAも史織もどーでもいいの。どっちの味方とか、そういう気持ちは一切ないよ。ただ……」

 夏樹はふと真顔になると、久美に近づき耳打ちする。

 「最近の仲良しごっこみたいなARISAのやり方にもウンザリしてるし……もうサークルそのもの、って思ってる❤︎」

 「!?……な、夏樹さん、それって……!」

 久美は驚きの声を上げ、目を剥いて夏樹の顔を見る。

 「そっ♪だからそれまでは史織の味方になってやる。〝一時的共闘〟ってヤツ?アタシが掴んでるARISAの情報も、史織に教えてあげる」

 あっけらかんと「謀反」を口にする夏樹に対し、未だ半信半疑の久美だったが、スマホを手に取り何やらメールを打ち込む。

 「……今の言葉、史織さんにそのまま伝えます。史織さんの許可があれば、明日にでもお連れしますよ」

 「ふふッ、ありがと。んむッ❤︎」

 チュッ❤︎

 久美の言葉に、夏樹はここに来て初めて人懐っこい笑顔を見せると、久美の肩に手を回して頬に軽くキスをした。

 「あンッ……ちょっと夏樹さん」

 「いーじゃん。掛け合ってくれたんだから、〝お礼〟くらいはさせてよ?」

 あれよあれよという間に、夏樹は久美の腰に手を回してソファへ押し倒し、首、胸元へとキスを移してゆく。

 「んッ❤︎……これだから……ナンパ師って……❤︎」

 「キライじゃないでしょ?強引に求められるの……んふゥッ❤︎」

 チュパッ❤︎ジュルッ❤︎

 「ふゥンッ❤︎チュッ❤︎……ふふっ、ですよね……私も……❤︎」

 久美は夏樹の口付けに、舌を絡ませて応える。

 深夜の事務所で、〝淫らな密談〟は成立した。



 控え室へと続く廊下を、愛理はスタッフに支えられながら歩く。

 「くッ……!あの女……絶対許さないからッ……!!」

 ジンジンと痛む脇腹を押さえながら、先程までの光景が脳裏にこびり付いて離れない。

 紅花あの女の憎たらしい顔と声、そして与えられた痛みと屈辱……。

 自らの居場所、仲間、自尊心を貶され、愛理の身体に熱い怒りが込み上げた。

 「愛理!大丈夫!?」

 愛理の姿を見て、控え室の前で待っていた綺羅が駆け寄る。

 「うん、ありがとう大丈夫……恥ずかしいとこ見せちゃったわね」

 心配する綺羅に、愛理は額に汗を滲ませながらも微笑んで応える。

 (それより……あの紅花って女、一体何者なの……?)

 対峙した時に感じた威圧感、感情の伴わない冷酷な眼。

 ケイが言った「闘うべき相手じゃない」という言葉の意味。

 只者ではない事だけは、直感的に理解した。

 まるで住む世界が違うような、どこか暗い影を纏った、危険な香りのする女……。

 (でも、El Doradoはあの女の居場所じゃないわ。女達が誇りを懸けて闘う、気高いステージだから……あんなヤツに好き勝手な真似はさせない……!)

 それぞれの思惑と、新たなる勢力の黒い影。

 「サークルの秩序」は今、音を立てて崩れようとしている──。
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