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9.焔(ほのお)に包まれて

私の闘い

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 「はぁ、はぁ……」

 ARISAに呼び出された愛理と恭子は、マンションの廊下で息を弾ませている。

 闇夜の中で煌々と灯りに照らされたその一室に、ARISAが待っているハズだ。

 エレベーターを降りてからは大股で早足に、一刻を争うようにサークル事務所へと急いだ。

 ガチャッ

「ARISAさんっ」

 扉を開けてなだれ込むように勢いよく部屋に入る二人。

 「あら、随分と早かったわね」

 部屋の奥の応接室に、脚を組んでソファに座るARISAの姿があった。

 その隣には、ARISAに肩を抱かれて力無く座り込む一人の少女。

 (この娘……どこかで……?)

 少女は虚ろな目で愛理たちを一べつすると、怪訝そうに眉をしかめて再び目線を伏せた。

 ARISAの対面にはケイも座り、愛理の顔を見るや些か驚いた表情を見せた。

 「あれ?愛理も一緒?」

 「あ……まぁ~、今日はちょっとね。この間の試合の労いを兼ねて食事でも……ってカンジ……かな?」

 恭子はARISAの手前、取り繕うように事情を説明する。

 「……」

 その横で、愛理は不服そうに頬を膨らませて恭子を睨んでいた。

 (何よ、ホントのこと言ったっていいじゃない…)



 恭子と愛理がソファに腰を下ろすと、愛理が矢も盾も堪らずといった調子で身を乗り出して口を開く。

 「ねぇ、美雪……いえ、綺羅は今どうなっているの?なんで史織が綺羅を……」

 矢継ぎ早に問い掛ける愛理に対して、ARISAは小さく頷いて事のあらましを話し始めた。

 「ええ、その事なんだけど……」

 「……」

 いつにも増して真剣なARISAの空気感に、一同は無意識に姿勢を正す。

 「史織がいよいよ本気で私たちとをする気みたい。一線を越えるような真似を、同時多発的に行なってきたわ……」

 そう言いながら、ARISAは手にしたスマホをテーブルに置いた。

 「見て……この写真」

 「……!?」

 画面には、衣服を乱暴に剥かれた女が大の字に横たわるショッキングな写真。

 その女には見覚えがあった。

 「この娘……史織と闘っていた……」

 「そう、日菜ひな。ここにいる柚月ゆづきのパートナーよ」

 夏樹との因縁に決着を付けるべく、愛理が文字通りの死闘を繰り広げたあの夜……。

 同じくEl Doradoエルドラードの舞台で、史織への〝制裁〟と称してARISAが送り込んだ若き刺客。

 ギラギラとした10代の無邪気さと、それ故に手加減を知らない残酷性を秘めた危険な2人だが、写真の中の無惨な姿の少女と、今まさに目の前で蒼褪あおざめて縮こまる少女が、あの時の彼女らであるとは誰も思わないだろう。

 「そして、もう一枚」

 ARISAが画面をスライドさせて見せた写真に、愛理は思わず声を上げた。

 「綺羅ッ……!?」

 そこに写っていたのは、どこかのオフィスのような間取りの部屋に、全裸でたたずむ綺羅の姿……。

 手を後ろに回し、真正面をその瞳は、恐怖と悔しさを孕んで画面の外にいる人物を睨んでいた。



 「フンッ……こんな回りくどい事をせずに、正面から私に挑めばいいものを……」

 ARISAは忌々しげにそう吐き捨てると、愛理の顔に視線を向けた。

 「ご覧の通りよ。史織は綺羅をおとりに愛理を誘き出す腹積もりみたいね……」

 「な、なら私が行けばッ!」

 「いや、でも……これは」

 恭子の疑念に、ARISAが言葉を被せる。

 「ええ、完全に罠よ。あの女がただ考えもなく綺羅に接近したとは思えない……愛理の他にも、何か狙いがあるはずよ」

 (狙い……?)

 史織がいよいよ直接的な行動に打って出た事は、サークルのメンバーにも少なくない動揺を与えた。

 だが、史織の〝真の狙い〟が分からない以上、無闇に動くことは得策ではない──。

 「……ところで」

 ARISAはあえて話題を変えた。

 「愛理、El Doradoエルドラードの開幕戦まであと1週間……相手は紅花ホンファだったわね?」

 「?……えぇ……」

 急な話題の転換に愛理は戸惑いながらも、ARISAの質問に頷いて答える。

 「あの女だけは許せない……絶対に……」

 愛理が決意を口にしようとした時、ARISAが割って入った。

 「愛理、紅花と闘うのはやめなさい。あなたでは、絶対に勝てないわ」

 「なっ……」



 ARISAから言い渡された、突然の〝不戦敗〟指令。

 当然愛理は納得ができない。

 「何言ってるのよ!そんなのやってみなきゃ……」

 「やって、勝てるとあなたは思っているの?」

 「そ、それは……でも……」

 ARISAに言われるまでもなく、勝算の低い戦いである事は分かっている。

 先日のプレイベントでケイを破り、興奮のままに紅花に噛み付いたあの舞台ステージでの一幕……。

 あの僅かな数分のやり取りだけで、紅花が纏うどす黒く澱んだ〝危険な匂い〟は、愛理の身体を震わせたのだ。

 今までの相手とは根本的に異なる何かを、彼女は秘めている。

 無謀と言われれば確かにその通りであると、愛理自身も理解していた。

 それでも──。

 「私は……私は紅花と闘いたいの!!」



 ARISAは何も言わず、愛理の顔を見据えたまま眉間に皺を寄せる。

 「……あなたはまだまだ、El Doradoの看板としての自覚が足りないわね」

 「どういう意味?私が無鉄砲な分からず屋だから?言っとくけど、私は自分を〝El Doradoの看板〟だなんて思った事は一度も……」

 「あなたが思わなくてもあなたの地位が、観客がそれを許してはくれないわ。サークルで表舞台に立つという事は、それ相応の責任が要求されるの」

 「責任……」

 ARISAの言葉に愛理は下唇を噛み締めて押し黙る。

 El Doradoへの電撃参戦からここまで負け知らず、まさに破竹の勢いで一気に人気選手へと駆け上がった愛理。

 そのムーブメントは、サークル側の想定よりも何倍も大きな波紋を描いていた。

 「愛理……あなたはこの業界での経験値ナシに、文字通り裸一貫でここまで登り詰めた。それは素晴らしいことよ。でもね……」

 刹那、ARISAの穏やかな眼がカッと見開かれ、愛理を真正面から刺した。
 
 「……ッ!!」

 やいばのように冷たく鋭利なその視線に、愛理は呼吸さえ忘れて硬直する。

 「今のあなたには、否応なしにEl Doradoの選手筆頭としての責任が付いて回るわ。そのあなたが自ら感情だけの無謀な闘いを挑んで、に敗北したら……あるいは再起不能な怪我でも負ったら……」

 テーブルの下で、愛理は拳を握り締める。

 ただがむしゃらに闘い続けたこの半年間。

 自分の存在の証明の為、自分の居場所を守る為、El Doradoはやっと見つけたただ唯一の舞台だった。

 ARISAの言う事は、愛理にも理解できる。

 サークルという組織の中で「愛理」という立場が確立された今、そこから逃げる事はできない。

 だが、それでも……愛理が前に進む為には、闘い続けるしかないのだ。



 「……ご忠告ありがと。でも、やっぱり私……紅花とやる」

 「愛理……!」

 会話を沈黙のまま聴いていたケイも不安気に声を掛けるが、隣に座る恭子が小さく首を横に振った。

 「ケイ、大丈夫……ARISAさん、私からもお願いします。愛理にやらせてください」

 「いや恭子……さすがに今回ばかりは」

 小声で揉める2人の言い合いを切り断つように、愛理が声を張った。

 「これは私の闘い!私が闘いたいからやる!〝El Dorado〟を背負って!!」

 「……!」

 愛理の堂々たる宣言に、その場の2人は沈黙する。

 「勝つとか負けるとか、どんな目に遭うとか……そんなの気にしてたらEl Doradoあのステージに立ってないわよ。今までだって散々恥を晒してきたんだから」

 「……フッ」

 愛理の言葉にARISAは思わず笑みを溢す。

 「それにねARISA、勘違いしてもらったら困るの」

 「ん……勘違いって?」

 「史織がどうとか、外敵がどうとか……私、あなた達のケンカの代理をやるつもりは一切無いのよ?私は、売られたケンカを買う為に闘う。これは〝愛理と紅花のドツキ合い〟……ただそれだけよ!」

 愛理はいつもの調子でニカッと笑い、横髪を耳に掛けて涼しい顔をしてみせた。



 そして、運命の幕が開く──。

 舞台となるハプニングバー『DEEP LOVERディープラヴァー』には、El Dorado開幕当日とあって、多くの客が集まっていた。

 彼女らの目当てはただ一つ。

 「愛理vs紅花」の対決を見届けること……。

 そして運営はこの目玉カードを、開幕のオープニングに打ってきた。

 「初っ端からフルスロットルだね~❤︎恭子、随分大胆なことするじゃん!」

  せ返る程の女たちの興奮がフロアに充満し、その対決を今か今かと待ち構えている状況だ。

 コツ、コツ、コツ……

 そんな熱気の只中を、煌びやかな紫のドレスを着た女がゆっくりと歩く。

 取り巻きを2、3人と連れ立ちながら、笑みを湛えて、時折顔見知りの常連客に手を振りながら。

 それはまるで何処ぞの王族のような、ハリウッド女優のような振る舞いである。

 「ウソッ、ARISA来てる!?」

 「ARISAァァッ!!」

 「ARISAさん素敵ーッ!!」

 サークルの主催にして絶対女王、ARISAがフロア2階のVIPルームへと消えてゆく。

 ザワザワザワ……

 ARISAの姿を見届けた客席の女たちは、皆一様に小声で話し始めた。

 「……ARISAと史織、かなり揉めてるってマジ?」

 「あー……ホラ、いつだったかEl Doradoでさ……」

 「なんか紅花も史織が送り込んだ相手らしいよ」

 「何それ?それを愛理にぶつけるってコト?」

 サークルの不穏な雲行きは、末端の会員にも認知され始めていた。



 控え室では、シャワーを浴び終えた愛理が一糸纏わぬ姿のまま、鏡の前で立ち尽くしていた。

 蛍光灯に照らされて輝く滑らかな白い肌の下に、薄っすらと筋肉の陰影を落とすその均整の取れた身体は、半年前よりもどこか逞しく見えた。

 (闘ってきたんだ……このカラダで)

 愛理は自らを抱き締めるように両腕を身体に回すと、ともに生き抜いてきたその肉体を優しく撫でてみた。

 (今日も無理させちゃうかもだけど、ヨロシクね)

 コンコン

 「……どうぞ」

 ドアをノックする音に愛理が応えると、ケイが顔を覗かせた。

 「着替え中だったかしら?」

 「ん、大丈夫よ」

 ケイは愛理の後ろに立ち、鏡越しに話を続けた。

 「恭子が忙しそうだったから、私が様子を見にきた。愛理……最終確認だけど、本当に紅花とやるのね?」

 愛理も後ろを振り向かず、黙って頷く。

 「やるという事は……勝つつもりで?」

 「当然」

 愛理は下ろした長い後ろ髪を頭頂部で一つに束ねながら応える。

 「……分かった。なら、一つだけアドバイス」

 ケイの言葉に、愛理は振り向く。

 「紅花……あの女は真正の加虐性愛者サディストよ。あの女のペースに呑まれちゃダメ。あくまで責める姿勢でいきなさい」

 「……うん、分かってる。大丈夫よ」

 愛理は再び鏡を向き、背後のケイに頷いてみせた。

 (分かってる……分かってるのよ……)

 それでも、否が応でも乱暴に押し寄せる不安と恐怖の波動。

 ふとした瞬間に壊れてしまいそうになる、精神と肉体。

 高鳴る胸の鼓動をケイに悟られまいと、深く息を吐く。

 抗えぬ運命さだめの焔が、今や狂熱となって愛理の身を焦がしていた。



 フロアのライトが消灯すると、遂にそのがやってくる。

 待ち望んだ瞬間への拍手、そして好き者な女たちの絶叫にも似た歓喜の声。

 照らし出されたスポットライトの下には、マイクを握った恭子の姿があった。

 「皆さん!長らくお待たせしました……今宵、El Dorado開幕しますッ!!」

 ワァァァァァァァァァァァァッ!!

 ステージ下には闘いの合図を待ち侘びる色欲に飢えた女どもが大挙し、割れんばかりの歓声をあげる。

 「愛理!!愛理!!愛理!!愛理ィィッ!!!」

 群衆は誰ともなく愛理の名を叫び、半ば半狂乱の様相で煽り立てるその光景は、「愛理」という一人の女の絶大なるカリスマ性をまざまざと示してみせていた。

 「ふッ……まるで教祖様ね……」

 VIPルームのスモークガラス越しにステージを見下ろすARISAは、そんなの喧騒に目を細めて微笑わらう。

 (愛理……可愛い女……狂おしいほどに……)

 「昇って来なさい……もがいて、足掻いて……私の頂点ところまで……ふふッ……❤︎」

 ガチャッ……

 「……?」

 突如ドアの開く音にARISAが後ろを振り向くと、そこには予期せぬ来訪者の姿があった。

 いや、これは必然というべきか──。

 「……ノックもしないのね。マナーの無い女」

 「あはっ♪あなた相手にマナーが必要?私たち、ケンカの真っ最中よ?」

 そこにいたのは、妖しく笑う史織だった。

10

 《紅花、入場ッ!!》
 
 アナウンスの声に続き、大仰な入場曲と煌びやかな照明がフロアを彩る。

 遂に幕を開けるEl Doradoのステージに、最初に足を踏み入れたのは不気味な外敵……。

 史織の送り込んだ危険な女は、フロア全体を見渡すように左右に目配せすると、大股にステージへと歩み出した。

 「うわ……脚なが……」

 「モデルか何か?」

 「なんか前に見た時と印象が違う……怖い」

 口々に交える観客の声には一切応えずに、紅花は無言のままステージ中央に躍り出る。

 首には無骨な黒革のチョーカーと、股間のが収まりきらない程に極小の黒エナメルTバック。長い両脚を際立たせる、シースルーの黒いサイハイソックス。

 身につけているものは、僅かにそれだけだ。

 ただ、彼女の左の肩口に彫られた〝紅牡丹の刺青〟が、どんな絢爛な装飾よりも「紅花という女」を明確に観客の目に印象付けてた。

 「……ハァ」

 髪を掻き上げ息を吐くと、対角に位置する入場口を睨みつける。

 その眼光は獰猛で鋭く、この後にやって来る獲物を舌舐めずりで待ち構える、飢えた虎のように殺気立っていた。

 《愛理……入場ッ!!》

 ドォォォォワァァァァァァッ!!!

 コールと同時に湧き上がる観客たちの爆発のような歓声は、入場曲を最も容易く呑み込んだ。

 緊迫と畏怖を纏った紅花の入場とは対照的な、愛理が持つ絶大なる求心力が巻き起こす大熱狂。

 「愛理ィィ!頑張れーッ!!」

 「絶対勝ってェェッ!!」

 観客は誰もが「愛理の登場」を待ち望み、その視線はライトに照らされた舞台袖の一点に注がれている。

 「愛理、行こう」

 ケイが愛理の背中に声を掛ける。

 「……」

 だが愛理は返答せず、その場に立ち尽くしたままだ。

 「愛理ッ」

 「はッ……あ……ええ、行くわ」

 愛理は驚いたように肩をすくませると、いつもの試合前と同じように自らの頬を二回叩いた。

 パシッ!パシッ!

 「ハァ……よっしッ!!」

 勝負服の黒いミニチャイナドレスに身を包んだ愛理がステージに躍り出ると、観客のボルテージは一層高まり、フロア一帯が揺れるような大歓声に包まれる。

 「愛理ッ!愛理ッ!!愛理ッ!!!」

 観客の声に、愛理は右拳を突き上げて応えると、紅花の待つステージ中央に並び立った。

11

 オォォォ……!!

 「……」

 「フーッ、フーッ」

 紅花と愛理が真正面から睨み合う。

 身長差20cm以上の両者の対比に、観客からはどよめきが上がる。

 紅花は腕を組んだまま無言で愛理を見下ろし、愛理は今にも飛び掛かりそうな興奮した様子で、紅花を見上げて睨みつけた。

 両者は睨んだまま、まったく目線を逸らそうとしない。

 アナウンスがルール説明を行っている際も、片時も互いから視線を外そうとはしない。

 これから相手の顔を網膜に焼き付けるように……。

 「ん……」

 紅花が押し付けるように、愛理にコンドームの小袋を差し出す。

 を使用するかの選択肢は、愛理側にある。

 「……!」

 愛理はその小袋を見つめたまま、一瞬考えるように目を瞑ったが、すぐさまそれを受け取ると、間髪入れずに観客席へと投げ捨てた。

 オォォォォォォォォォォォッ!!!

 愛理の決断に、場内が湧く。

 もはや愛理の一挙手一投足が、観客たちを煽動する一流のパフォーマンスとなっていた。

 「……ははッ、おもしろ」

 「うるさいッ」

 嘲笑する紅花を一喝すると、愛理は自らの陣営に戻る。

 その背中を見送り、紅花も自陣へときびすを返す。

 「フフッ…… 我殺你殺してやる……」

12

 ドクン……ドクン……

 大歓声の中で、脈打つ鼓動が生々しいほどに聴こえてくる。

 喉が渇き、手足が震え、額に、背中に、腋に、脂汗がじっとりと滲み出ている。

 (くッ……落ち着いて……大丈夫だから……)

 自らに言い聞かせるように、左胸を抑えて深呼吸する愛理。

 紅花と向かい合ったあの僅かな時間、まるで喉元に白刃を突き立てられたような、血も凍る恐怖と戦慄。

 一瞬、頭をぎった「後悔」という二文字を、必死に取り払う。

 「愛理、ナーバスになってはダメ。とにかく守りに入らずに、あなたが主導権を握るの。紅花はあなたを侮っている。ファーストコンタクトが勝負よ」

 ケイのアドバイスにコクコクと頷くが、その声は限りなく遠く、愛理の曇った思考からスルリと抜け落ちてゆく。

 (負けない!このEl Doradoを……私の居場所を守り抜く!!)

 今はただひたすらに、己自身のプライドだけが肉体と精神を支えている。

 いつだってそうやって闘ってきた。そしてこれからもそうやって闘ってゆくのだろう。

 (私は愛理……El Doradoを背負って闘うって決めたんだからッ)

 《両者、準備OK?》

 アナウンスに促され、愛理は再びステージを向く。

 腕を組み、こちらを睨む紅花が視界に映る。

 「う……」
 
 思わず後退りしそうになる身体をなんとか踏ん張り、歯を食いしばって睨み返す。

 だが、愛理の覚悟を時間は待ってはくれない。

 《Ready……》

 (始まるッ……!!)

 開始の合図を待つ、静寂に包まれたフロア。

 その刹那、紅花の口がニヤリと笑う。

 その禍々しい狂気を孕んだ笑顔。

 愛理の脳裏に浮かんだ姿。

 (鬼……)

 《Fightッ!!》

 ゴォォォォォォォォォォォン……!!

 闘いの幕が、今開いた。

13

 シィィン……

 先程までの大歓声とは打って変わって、水を打ったような静寂。

 誰もが今から起こる事の成り行きを1秒たりとも見逃すまいと、食い入るようにステージを見つめていた。

 「ハァッ、ハァッ、ハァッ」

 愛理がゆっくりと紅花に向かい歩み出す。

 まだコンタクトする前だが、すでに愛理の肌は汗でキラキラと輝いている。

 エナメルロンググローブの中で握った拳はぐっしょりと不快な感触を帯びて、愛理自身に焦りの様相を伝えていた。

 (来る……来る……)

 対峙する紅花は仁王立ちのまま、愛理の顔を冷たい視線で見つめている。

 先程までの殺気は不気味なほどに鳴りを潜め、愛理の出方をうかがっているようだった。

 (来ない?私から……私から行かなきゃ……)

 「愛理!躊躇ためらうな!自分から責めろ!」

 背後から飛ぶケイの言葉に、愛理は勢いよく走り出した。

 「うッ、うァァァァァァッ!!」

 真正面から向かい来る愛理を抱き止めようと、紅花が両手を開いて身構えた。

 その時──。

 (ここッ!!)

 ガシッ!!

 愛理は紅花の両腕を掻い潜り、紅花の長く細い右脚を掴んで引っこ抜いた。

 「おッ……」

 ドォンッ

 紅花の巨体が、よろめきながらゆっくりとマットに倒れた。

14

 (よしッ!)

 狙いの片足タックルが見事に成功し、愛理は紅花の上に跨がった。

 (寝かせてしまえば身長差は関係ないッ!)

 「ちッ!」

 だが、紅花も蜘蛛のように長い腕を伸ばして愛理を突き飛ばそうと抵抗を試みる。
 
 「うぐッ……!」

 それでも愛理は必死に紅花の胴にしがみつき、じりじりと身体を捩って紅花の眼前へと対面すると、そのまま唇を重ねた。

 ムチュッ……ジュルッ!❤︎

 「んむゥッ❤︎」

 「ふッ……んぐッ!❤︎」

 それは「キス」と呼ぶにはあまりにもな、真上から蓋をするような荒々しい口づけ。

 人一倍大きな口を存分に活かし、愛理は紅花の鼻もろとも、口腔でぱっくりと咥え込んだ。

 これは、綺羅との闘いで愛理が苦しめらた、呼吸を奪うキスそのものだった。

 ジュルルルルッ❤︎

 「くふッ!?んぐゥゥ……ッ!」

 愛理の顔を引き剥がそうと、必死に悶える紅花。

 だが、愛理は紅花の頭に腕を回してガッチリと固定し、全力で抗う。

 (このまま気絶させてやる!絶対に離さない!)

15

 危険な賭けに勝ち、転がり込んだ千載一遇のチャンス。

 まともにやり合えば、ただでは済まない強敵相手に、愛理は今、勝機を見出している。

 「ふッ❤︎ふーッ❤︎んぶッ❤︎ぶふゥッ❤︎」

 舌を動かし唾液腺を刺激すると、愛理の口内にはダラダラと湧水のように唾液が溢れ出す。

 「ぶッ!?んぶゥッ、ぐゥゥッ!!」

 呼吸器を粘っこい唾液で塞がれた紅花は、先程にも増して手足をもがいて暴れ狂う。

 それはまるで罠に捕らえられた獣のように、一心不乱の本気の抵抗だ。

 もはや寸前の相手を尻目に、愛理はまったく攻撃の手を休めない。

 開いた顎、しがみつく腕にも疲労が見えてきたが、紅花の抵抗があるうちはこの手を離すまいと、我慢比べの膠着戦を続けるしかない。

 だが、その思惑はあっけなく終わりを告げる。

 グイッ……!

 「あぐッ!?」

 紅花の大きな手が、遂に愛理の首を掴んだ。

 猛禽類のような指が愛理の喉元に強く食い込み、頸動脈を圧迫してゆく。

 ギリッ……ギリッ……

 「へあ"ッ……あ"ァ"……ッ!!」

 「ハァーッ……ハァーッ……!!こンのクソ女が……ッ!!」

 掴んだその右手で、愛理の顔をメリメリと引き剥がしてゆく紅花。

 目が合ったその表情は、憤怒の形相と化していた。

 「ふんッ!!」

 「キャッ!?」

 そして、紅花が仰向けの身体を弓形に勢いよく反らせると、愛理の身体が弾むように前方へと転がり落ちた。

 (しまった……!)

 すぐさま身を反転して振り向いた愛理だが、それよりも先に紅花はすでに立ち上がっていた。

 「う……ウソ……」

16

 見上げた先に、紅花がすでに待ち構えている。

 (効いてない!?1分以上呼吸を奪ったのに!?)

 一分の隙も無かったはずの責めが、まるで効いていないという事実。

 「あ……あ……」

 愛理も続けて立ち上がるが、その絶望感に2歩、3歩と退いてしまう。

 「汚ったねぇなこのヨダレ女……タダじゃ済まさねぇから……!」

 愛理の唾液にまみれた顔を手で拭いながら、紅花の眼は血奔っていた。

 「はッ……はッ……うッ……!」

 (どうしよう!?責めなきゃ……責めなきゃ……)

 恐怖と混乱で思考が回らない。

 そうしている間にも、紅花がゆっくりと近づいてきている。

 「はァ……うァァァァァァッ!!」

 愛理は再び紅花に向かって走り出す。

 そして、またも紅花の右脚を掴んで引き倒そうと試みた。

 だが──。

 グンッ!

 「あうッ!?」

 ビタァンッ!!

 紅花は右脚を引くと、愛理の身体を上から押さえつけてそのまま体重を乗せて腹這いに潰した。

 「はッ、二度もかからねぇよバーカ」

 グイッ

 「ぐぁぁッ!?痛いィィッ!!」

 愛理の髪を掴んで顔を無理矢理に起こす紅花。

 堪らない激痛に愛理は悲鳴を上げ、思わず上半身を浮かせた。

 次の瞬間──。

 グボォッ❤︎

 「おぶッ!?!?」
 
 叫んだ愛理の口内に、飛び飛んできた異物。

 硬く、太く、熱く、鼻腔に沁み渡るような野性的な匂い……。

 「うゥ❤︎……ふっふ~❤︎いきなり奥までだわ……❤︎」

17

 ガポ……ジュル……

 (なッ!?!?!?)

 一瞬、愛理自身も何が起きたか分からなかった。

 ただ、舌に広がる濃い〝雄の味〟が、たった今喉奥に捩じ込まれた異物の正体を本能的に理解させた。

 (ぐ……苦し……❤︎)

 「んッ❤︎ふ……ぅ……❤︎」

 容赦なく挿入された紅花のペニスは、すっぽりと根元まで愛理の口内に収まり、その先端部は口蓋をズルリと抜けて咽頭まで到達した。

 「ゴポッ!ブジュルッ!ゴブッ……❤︎」

 体内に侵入した異物を吐き出そうと、反射で噴き出す大量の唾液と胃液。

 目からは涙が溢れ落ち、鼻からも逆流した胃液が垂れ下がる。

 愛理の端正な顔をたった一発で崩壊させた、紅花のペニスによる凶行。

 (これ……ムリ……し、死ぬ……)

 「がッ……んごッ……かへェェ……❤︎」

 呼吸の自由を奪われた愛理は、なんとか舌を動かして気道を確保しようとするが、みっちりと根元まで埋まった紅花のペニスと、溢れ出る唾液の粘りがそれを許さない。

 「ん"ーーッ!❤︎ん"ン"ーーッ!❤︎」

 (死ぬッ!死ぬッ!!)

 バンッ!バンッ!

 両手で紅花の膝を叩いて、文字通りの死に物狂いで抵抗する愛理。

 だが、紅花はそんな愛理に対して無慈悲にも次なる凶行に及び出た。

 「もできない出来損ないのマゾ豚……だったらせめて、〝穴〟としての役割くらい果たせよ?❤︎」

18

 そう言うと、紅花は長い腕を愛理の尻へと伸ばす。

 (なッ、何……)

 ズプッ!!

 「~~~~~~~~~~ッッ❤︎❤︎」

 躊躇なく尻穴に挿し込まれた、紅花の中指。

 ヌプゥ……❤︎

 「ん"ぉ"──────ッ!?❤︎❤︎」

 続け様に挿入された、薬指。

 (ウソッ❤︎ウソッ❤︎ありえないッ❤︎)

 まったく予想外の紅花の責めに、愛理の膝がガクガクと震える。

 口内をペニスに犯され、肛門を指で貫かれ、今の愛理はまるで串刺し状態のまま身動き一つ取れない。

 「いくぞ……❤︎」

 グッ……ググッ……

 言った刹那、肛門に挿入された2本の指が吊り上げられてゆく。

 「ん"ォォッ!?❤︎ん"ン"ン"~~ッ!!❤︎」

 (嫌ァァッ!?何ッ!?痛いッ!!)

 肛門の刺激から逃れるため、必死に腰を浮かせる愛理。

 だがすでに膝は伸び上がり、つま先だけで立っている状態だ。

 「おらッ!!」

 ガッ!

 「ぶッ!?」

 膝が震え、完全に下半身のバランスが奪われた体勢で、紅花は愛理の両脚を足払いで刈り上げた。

 ブォンッ

 愛理の両脚が宙に浮き、視界がグルンと回転する。

 ヌポッ❤︎

 (くぉッ❤︎)

 回転した勢いで、肛門に挿入された指が強く引き抜かれると、背筋を電流が奔ったような衝撃が貫く。

 ズルゥゥ……❤︎

 喉を犯していたペニスがすっぽ抜け、愛理の身体は一回転して仰向けになり、そのまま背中からマットに叩きつけられた。

 ダァンッ!!

 「がはァァッ!?」

19

 あまりに変則的。あまりに力技。

 常識を逸脱した紅花の責めに、フロアにいる誰もが呆気に取られていた。

 「なん……だ、アレ……」

 アナウンスブースから戦局を見守っていた恭子さえ、愛理の安否など一切忘れて、目の前で起こった信じ難い出来事にただ呆然としていた。

 「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!!」

 だが、最も信じられないのは掛けられた愛理自身だった。

 (な……何が起こった……の……)

 自分の身体を完全に他人にコントロールされ、何も為す術なくマットに転がっている。

 だが、仰向けに見えるフロアの天井はボンヤリと霞み、自身の肉体が深刻なダメージを受けていることは間違いなかった。

 (た、立たなきゃ……)

 腹筋に力を入れて上体を起こそうとするが、肛門がジンジンと疼き、まるで力が入らない。

 (なんで……どうなってるのよ……!)

 立て直しにまごついていたその時、愛理の頭上に影が落ちる。

 「さぁ……どうしよっか❤︎」

 「ひッ……」

 覗き込むように見下ろす紅花が、口角を歪ませて不気味に笑う。

 闘いはまだ、始まったばかりだ──。
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