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第1章 春

3. (Rena side)

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小さい頃からずーっと。
何をするにもどこへ行くにも、私と伶は必ず一緒だった。

出掛ける時は必ず手を繋いで、ふたりで並んで歩いた。
本を読む時は、ひとつの本をふたりで一緒に読んだ。
お絵描きも別々に描くより一緒に描く方が楽しかったし、
楽器の練習も一緒にやった。
お互い別々の部屋を持っているのに、寝る時は一緒がよかった。

ほっぺたにキスするのも、
ハグするのも、
当たり前のことだった。

もう、気づいた時にはお互い大好きで、片時も離れたことがなかったの。

『大きくなったら、伶とけっこんする!』

絶対にそうなると信じていた。



配られたばかりのプリントをぼんやりと眺めながら、子供の頃のことを思い出していた。

「進路調査」と書かれたプリント。
ホームルームの時間。
クラスの全員にこのプリントが配られた。

一応進学校だから、基本的にはどの大学を受験したいのかを書かなくちゃいけないらしい。
2年生の時もなんだかそれっぽい話をされてた時があったんだっけ?

始業式の日も、進路をどうするか考えておくよういわれた。
それで数日考えてみてたんだけど…どうしても子どもの頃の事ばかり思い出してしまう。
終いには考えすぎて気分が悪くなってしまう始末…。

まわりからは、カリカリとプリントに記入するペンの音が聞こえてくる。
だけど私はそれすら持てずにいた。

正直、将来のことなんて全然わからない。
やりたいこともないし、
行きたい大学なんて思いつかない。
就職?
働いてる自分が想像できない。

子どもの頃は、よかったな…

『伶とけっこんする』

大きくなっても、ずっと一緒にいられるものだと信じて疑わなかった。
伶の側にいられることが、私の全て。
身長が伸びて大人になっても、ずっと変わらない心のままでいられると思ってた。

前の席に座る伶の背中を見つめる。

伶は、将来のことちゃんと考えているの?
このプリントに何か書いてる?

「このプリントを元に個人面談するからな。じゃ、そろそろみんな書けたか?集めるぞー!」
先生の声が教室に響く。
結局私は何もかけないまま、白紙のプリントを提出した。

あとで、伶に何て書いたか聞いてみようかな…。
本当は聞くのが少し怖い。
だって、伶が将来のことをハッキリ決めていたら?
そしたら何もない私は、ひとり置いて行かれたような気持ちになる。
でも…やっぱり伶がどうするのか気になる…。


「かえろー!!」
ホームルームが終わって、透が私と伶のところへくる。
「玲奈、行ける?」
伶に尋ねられて、うん、と頷いた。
席を立ったちょうどその時。
「成瀬!まだ帰るなー!」
透が先生に呼び止められる。
「森園兄妹も!あと、朝比奈!!ちょっと4人こっちにこい!」
伶と私。
それから紗弥も。

えぇ~!?って嫌そうな声を出しながら、紗弥が仕方なく教壇の方へ歩いて行く。
私たちもそれに続いて集まった。

「えぇ~じゃないんだよ!枚数揃ってるか確認してたら、お前ら4人は…」
先生はため息をつきながら、先ほど集めた進路調査のプリントを4枚並べる。
私たち、4人のプリント。

「まず朝比奈!家事手伝いまたは専業主婦ってどういうことだ…」
「どうもこうも、そのままの意味」
「じゃなんだ、無職希望ってことか?」
「いや、職業が家事手伝いか専業主婦ってこと」

紗弥と先生は言い合いになる。
私はそれを聞きながら、カジテツダイって何だろう?って考えていた。
小さい頃から家では日本語だったけど、日本に来て、知らない言葉がたくさんあることにビックリしたんだよね…

先生は私たちの進路のことを考えてくれていて、一生懸命なんだと思うけど、どうしてもまだピンときてなくて私は全然違うことを考えていた。

「とにかく、せっかく成績もいいのに進学しないのはもったいないだろ!もう少しよく考えてこい。次、成瀬!この落書きはなんだ!!」
「え?先生、こんな上手に描けてるのにこの絵が何か分かんないの?」
透はとぼけて答える。
並べてあるプリントを見ると、すっごく上手にゲームのキャラクターとその世界が描いてあった。
「この絵が何かは分かるよっ。じゃなくて、進路はどーするんだ」
「え~だって書くことなくてさあ」
先生は頭を抱える。
「伶も白紙だし、玲奈にいたっては名前すら書いてないし…」

そっか、考え事してて私、名前も書いてなかった。
伶も…白紙のままなんだ。
少しだけ、ほっとする。

「お前ら3人は音楽の何かに進むのかと思ってたのに…。それかあれか?親とは違う道を行くぞ!みたいな感じで迷ってるのか?」
先生のその言葉に、透と伶が何か答えていた。

っていうか…
私たち4人以外はみんなもう、将来のこと、ちゃんと決めてるんだ。
みんな、すごいな…。
将来ってずっとずっと遠くの夢みたいなことに思えてたけど、そうじゃないんだ。
もう、今、現実を見つめて決める時なんだ……。

「おーい、玲奈ー。聞いてるか?」
「え?ううん、聞いてない」
名前を呼ばれて、首を横に振った。

みんな、先生とごちゃごちゃ言い合っていたけど、私は何も言うこともなくて。
ただぼんやりと、他人事のようにそれを眺めて、他のことを考えていた。

「ほんと…お前らは……。じゃあ4人とも、面談の日程を最後の方にするから、それまでにしっかり考えろよ」
深いため息とともに、先生は広げていたプリントをまとめて、ゲンナリとした顔で教室を出て行った。
それを見届けたあと、私たち4人は顔を見合わせて笑う。
「さー、今度こそ帰ろー!」
透のその声で、私たち4人も教室を出た。

「透の絵、めっちゃ上手だった~」
並んで歩きながら帰る道すがら、紗弥が感心したようにそう言った。
「だろ?オレってば才能に溢れちゃってるからさあ~!紗弥の家事手伝いもおもしろかったけど」
「ニートって書くよりマシでしょー」
「ねえ、カジテツダイって何?どんなこと?」
私はさっきから気になっていた事を聞く。
「あ、俺もそれ何って思った。家事を手伝う仕事?あれ?なんで無職なのって」
不思議がっている私と伶を見て、紗弥と透は、あはは!と声を出して笑った。
「実家暮らしで仕事をせず、親のスネをかじってる女の子の事を言うのよ。進学も就職も、まだどっちもピンときてなくて、書くことがなかったからそう書いておいたの!」
へえ~!と、私たちはうなずく。
真面目な話は一切ナシで、冗談を言い合って笑いながら帰った。

駅前で紗弥と別れて、私と伶と透の3人になる。
今日は用事がないみたいで、伶も一緒だった。
「透、ウチ寄ってく?」
「行く行く~」
放課後はいつも、私と透の2人きりか、私と伶と透の3人。
「あ!オレ、買いたいものあるからコンビニ寄っていい?」
「いいよ。じゃ俺と玲奈はここで待ってる」
ちょうど駅前広場のベンチの前。
透は、すぐ済むから~!と言い残し、向かいにあるコンビニへ入って行った。

先にベンチに腰を下ろした伶は、自分が座っている左側を手で払ってキレイにする。
「玲奈、ここ座っていいよ」
「ありがとう」
小さな気遣いが、嬉しかった。
座ってからは会話はなかったけれど、家で隣に座る時よりも距離が近くて、何だか昔に戻れたような気がした。
懐かしくて、心がざわざわする。
落ち着かない私は、行き交う人たちをキョロキョロと見ていた。

ふいに、どこか遠くからクラシック音楽が聴こえてくるのが分かった。
耳を澄ましてみる。
………ああ、カノンだ。
雑踏に紛れて聴き取りづらかったけど、これは私の好きな曲。

「ねえ、伶…」
…あれ?
伶はどこか遠くの方を見ていて、私が話しかけたのに気づいていない。
「ねーねー、伶」
私は少し身を乗り出して、表情をうかがいながら、伶の左手を軽く揺すった。
「ん?」
ようやく気づいて私の方を向く。
視線がばっちり合って、それはすぐに逸らされた。
伶が目線を落とした、その瞬間だった。
「……っ!」
呼びかけに気づいて欲しいと、揺すった伶の左手の上に置いたままだった私の手。
それが思いっきり、振り払われた。

びっくりして、固まる私。

「…あ…玲奈…ごめん。驚いて…」
すぐに伶は謝ってくれたけど、その声はとても動揺しているようだった。
私はゆっくりとその声の方を見る。

そこには、とても傷ついた表情をしている伶がいた。

『触らないで…!!!』

あの日の自分のセリフが頭の中にフラッシュバックする。

…ああ、そうだった。
先に手を振り払ったのは、私の方。
私が、自分で伶との関係を壊したの。
泣くな。
傷ついたのは私じゃない。

俯いて泣きそうになるのをぐっと堪えていると、伶はスッと立ち上がった。
「ごめんね、玲奈…。先に透と帰ってて」
そう言うと、伶はそのままどこかへ行ってしまった。

「お待たせ~!」
ほどなくして、透が戻ってきた。
「あれっ、伶は?てか、玲奈どうしたの?」
すぐに異変に気づいた透は、私の前に立って、俯いている私の頭をぽんぽんと撫でた。
「手が痛いの?」
黙ったまま首を振る。
伶に振り払われた右手を、左手でぎゅっと押さえていたのを見て、そう聞いてくれた。
「どうしたの。泣いてるの?」
透の言葉で、我慢していた涙が溢れ出す。
「あーあー…。オレが泣かせちゃったみたいじゃーん!」
冗談ぽく透は言うけれど、すっごく優しくて、立ったまま私の頭を自分に引き寄せて、背中をトントンしてくれる。
私が少し落ち着いたの見て、手を引っ張って家まで連れて帰ってくれた。

「…それで、伶は?」
楽器の練習部屋。
そこのソファに2人で座る。
膝を抱えて丸まって座っている私と、ソファの背にもたれかかってオットマンに足を伸ばしている透。

外にいた時は何も聞かなかった透だけど、家に着いてからは尋問モードに…。
「伶には、透と先に帰っててって言われた」
「何があったの?」
「伶に話しかけたけど聞いてなくって、それで腕を揺すったら、手を振り払われたの…」
それを聞いた透は、ふぅっと息を吐く。
「…それで右手を押さえてたのか」
コクンと頷く私。
すると、透は近くにあったヴァイオリンの弓で私をつつく。
「でも、先に振り払ったのは、玲奈の方だろ」

透は、私と伶の関係を、全部知っている。
あの日のことも。
私が思っていることも。
多分、伶が思っていることも。

「手、振り払われてショックだった?」
私を諭すように、優しい声。
「そうだったんなら、謝るのは玲奈だよ。伶はずっと、玲奈に言われたこと守ってたんだ」
さらに透は続ける。
「触らないで、って言ったでしょ」

そう。
拒絶したのは私。

あの日、
クラスメイトと喧嘩したんじゃない。
…言われたの。

『キョーダイでベタベタしすぎじゃない!?気持ち悪いんだけど』

———キモチワルイ…?

『いっつもアンタからくっついていってるよね?伶クンも迷惑してると思うわ!』

———レイハ ワタシノセイデ メイワクシテル?

『この歳で双子の片割れのお守りなんてツラすぎだよね~』

———ワタシトイルト ツライノ?

私が当たり前に思っていたことは、他の人から見ると気持ち悪いって言われることだった。
私が伶の側にいることで伶が迷惑するなんて、考えたこともなかった。

私が…
私のせいで、

伶はつらい思いをするの?

だから。
『触らないで』って言ったの。
私のせいで、伶をつらい目に遭わせたくないの。
私のせいで、伶が傷ついてほしくないの。

伶のことが
大好きだから。

それであの時、
私を心配する、伶の優しい手を振り払った。


「伶はさ、自分が玲奈に触れたら、玲奈が傷つくと思ってる。さっきもそれで、手を振り払っちゃったんだと思うよ」
「違うのに…」
「うん、オレは知ってる。でも伶は知らないだろ。玲奈が今、話せる範囲で理由を教えてあげたら?」

伶は、とても傷ついた顔をしていた。
きっとあの日も、そうだったんだと思う。

伶を守りたくて、
私のせいで傷ついてほしくなくて、
距離をとったほうがいいと思って、
それだけだったのに。

私が、伶のことを傷つけた。

「そもそも"触らないで"じゃ、言葉足らずすぎていけないんだ。だから伶も玲奈も…2人とも色々すれ違っちゃうんだよ…」
そう言うと透は私の前にきて、頭をくしゃっと撫でる。
そして、私の手を引っ張って立たせると、そのままピアノの前まで連れて行って、イスに座らせた。
「ホラ、何か弾いて。もうウジウジするな。気分変えて、あとで伶に謝りなよ」
透は後ろから私の肩をポンポンと叩く。

あの時も、そうだった。
あの日以来、塞ぎ込んで部屋に閉じこもっていた私を連れ出して、元気をくれたのは透だった。
『オレたちには音楽しかないだろ。暗い重たい曲でもいいから、自分の気持ちに合うやつ弾いて。そっちに嫌な気分は置いてこいよ』
そのおかげで、私は弾くことまでも失わずに済んだ。

最初の一音を押す。
静かに始まるこの曲。
「…『悲愴』か」
うしろで透が小さな声でつぶやいた。

ベートーベンのピアノソナタ『悲愴』。
でもこの曲は、悲しんで暗く進んでいくような曲じゃないの。
始まりは苦悩するような悲しい音だけど、すぐに激しくなって、でも途中は穏やかになったりして…。
感情の起伏や変化の様子が、
私の心のうちに合ってるなって、そう思って選んだ。

あの時も、今もそう。
弾き終わると、気持ちが軽くなっていて。
少しずつだけど元気が湧いてくる。
「どう?さっきより気分良くなったっしょ」
「うん」
得意げに笑う透に、イスを譲った。
「透も何か弾いて」
「そーだなぁ…」
イスに座って透は少し悩む。
「そうだ。さっきのヴァイオリンの弓、玲奈のだろ。ヴァイオリン持ってきて」
言われた通り、ヴァイオリンを持ってきた。
「さっきの曲も好きだけど…。やっぱり玲奈には、歌うような旋律の曲が合ってる」
透はそう言って笑うと、自分はピアノの上に指を置く。
それから、私にヴァイオリンを弾くよう目配せした。
「ベートーベンつながりで、『春』」
透のその言葉で、私はヴァイオリンの弦に弓をすべらせた。

ベートーベンのヴァイオリンソナタ、『春』。
さっき透が言った通り、歌うようなキレイな旋律をしている。
春の息吹で眠りから目覚めて、生命が活気づくような…。
ヴァイオリンとピアノの音が合わさって、美しい世界が広がる。

…そうだ。
昔、私が見ていた景色は、
この曲のような、幸せに満ち溢れたきらめく世界だった。


パチパチパチ…
第一楽章が終わったところで、後ろから拍手が聞こえた。
私と透は、2人一緒に振り向く。
「伶!いつからそこにいた~?」
部屋のドアの横。
伶が壁にもたれて立っていた。
「第1主題の提示部が終わったあたり」
「最初の方じゃん。声かけてくれればよかったのに」
「演奏止めたらもったいないだろ」
透と伶の会話。
私は何も言えずに、ただ2人を交互に見つめる。
伶は私たちの方に近づいてきて、少し申し訳なさそうな顔で私を見た。
「玲奈、さっきはごめんね」
「うん…」
謝ってくれた伶に、消え入りそうな声で、それだけ答えるのが精一杯。
透に、あの日のことを謝りなって言われたけど…
時間が経ち過ぎていて、どう切り出せばいいのか分からなくて。
「伶、オレにはオレには!?戻ってきたら玲奈しかいないしさぁ、泣いてるしさぁ~。キョーダイゲンカの尻拭いしたんですけどー!!」
微妙な空気を察して、透が会話に割って入ってきてくれた。
「あー…、悪かった」
「棒読みじゃん!もっと気持ちを込めて!」

それから冗談言ったりふざけたり。
3人で晩ごはんを作って、一緒に食べた。
透は、私と伶がいつも通り普通に話せるよう、気を遣っていつもより長い時間いてくれた。

伶と二人きりになって、しんと静まり返った家の中。
「ね~伶、お風呂あがったよー」
濡れた髪を拭きながら、リビングに入る私。
声をかけたけど、返事はない。
「あれ…?」
自分の部屋に戻ったのかな?
2階に上がろうと、一度部屋を見回すと、ソファで横になっている伶に気づいた。
「伶、寝てる…?」
近づいてそう聞いてみるけど、反応はない。
仰向けで、電気が眩しいからか、右手の手のひらを上に向けて腕で目を覆っている。

…寝てるんじゃなくて、考え事してる時のやつだ…。

そう思って、伶の頭の側に立つ。
「…ねぇ、伶」
名前を呼んで、前髪がかかっている額に、指先をほんの少しだけ触れた。
伶の指がピクッと小さく動く。

「あの日…ひどいこと言ってごめんね」

謝っても、私が傷つけた伶の心は癒えないかもしれない。
それにまだ今は、
『触らないで』って言った、理由を言えそうにない。
それでも…

「伶のこと、傷つけてごめんね…」

それだけ言うと、伶に触れていた手をひっこめて、その場を後にした。


伶、ごめんね。
触らないでなんて、本当は嘘。

本当は、触れてもらいたい。
私も伶に触れたい。
昔みたいに、ずっとくっついていたい。

だって、
今もずっと…伶のことが好き。



———もし、

もし
願いが叶うなら。


さっきのヴァイオリンの曲のような、
毎日がきらめきと幸せで溢れていたあの時で、
時間を止めておきたい。

『伶とけっこんする!』

絶対に叶うと思っていたあの時を
永遠に感じていたいの…。
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