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第1章 春
4. (Ray side)
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気づいた頃にはもう、
自分の世界の中心は玲奈だった。
どうしたら玲奈が笑ってくれるのか…
どうしたら玲奈が喜んでくれるのか…
考えることは、玲奈のことばかり。
玲奈の笑顔を見るのが、1番の幸せだった。
『大きくなったら、何になるの?』
ある日、母さんが俺たちに尋ねた。
『大きくなったら、伶とけっこんするの!』
玲奈は太陽のような輝く笑顔で笑う。
大きくなっても、
玲奈は自分の側にいてくれるんだ…って、
すごく嬉しかったことを覚えている。
『ぼくは、玲奈を世界で1番しあわせにするよ』
そう答えた。
たぶん母さんは、
"パパみたいなピアニストになる!"とか
そういう答えを期待して聞いたんだと思うけど、
俺たちが口々に言う言葉を聞いてにっこりと笑った。
『大きくなっても、2人とも今みたいにずーっと仲良しでいてね』
…そう。
あの日までは、ずっとそうだと思っていた。
玲奈と俺と、
心の中すべてをさらけ出して共有できるものだと、そう思っていたんだ。
「ちょっ…!!何で休みの日の朝っぱらからオレのベッドにいるわけ!??」
驚いた様子で飛び起きた透が、大きな声を出す。
「おじさんが入れてくれたけど、お前が寝てたから俺も休んでた」
土曜日の朝。
昨晩から一睡もできなかった俺は、透の家に来ていた。
ちょうど庭の手入れをしていたおじさんに家の中に入れてもらって、
寝ていた透の隣に仰向けで寝転んで、ただ天井を見つめていた。
「目ぇ覚めたら隣に人が寝てるなんてビックリだよー!しかも可愛い女子じゃなくて男なんて…」
「女装でもしておけばよかったか?俺は相当美しいと思うよ」
「おっぱいないだろ…!」
昨日の夜、
考え事をしていた俺に、玲奈があの日のことを謝ってきた。
『ひどいこと言ってごめんね』
『伶を傷つけてごめんね』
俺の額にそっと触れて、そう言った。
触れられたところが熱を帯びる。
すぐに起き上がって、
玲奈に声をかけることもできた。
だけど、動けなかったんだ。
俺は、何て言えばいい?
玲奈の言葉が一晩中ぐるぐる頭の中で回って、一睡も出来なかった。
「なに、伶がオレんち来るの珍しいよね。どしたの…って、すごい顔してるけどー!?寝てないの?」
落ち着きを取り戻した透が、俺の顔を見下ろして、また驚きの声を上げる。
「寝てない…。眠れなかった」
「なになになに!玲奈となんかあったの?あ、てか玲奈は?家に1人?」
「明け方、母さんが帰ってきたから玲奈は平気」
「そっか。で、どーしたの?」
透は枕をクッションがわりに、背中の後ろにやった。
寝起きで、しかも驚かせたのに、すぐに異変に気づいて心配をしてくれる。
優しいヤツ。
「……昨日のこと…」
昨日、
俺はまた…玲奈を泣かせてしまった。
学校の帰り、透の用事を待つ間、玲奈と2人きりだった。
隣に座る玲奈との距離が近くて、意識しないよう他のことを考えていたんだ。
…そうしたら。
玲奈が俺の名前を呼びながら、不思議そうな顔で俺の顔を覗き込んでいた。
驚いて、視線を合わせていられなくて、すぐに逸らして下を向くと…。
玲奈が俺の左腕を掴んでいるのが目に入った。
『触らないで!!!』
また、あの時の玲奈の声が頭の中で響いたんだ。
俺が玲奈に触れたわけじゃない。
だけど、咄嗟に玲奈の手を振り解いていた。
マズイ!
そう思った時には、玲奈は泣き出しそうな顔になっていて…。
しどろもどろで謝った俺の顔を一瞬見たかと思うと、そのまま俯いてしまった。
"ごめんね、考え事してたから、びっくりしただけだよ!"
そう言って、
手をつないであげられたら
頭を撫でてあげられたら
どんなによかっただろう……。
自分で手を振り払ったくせに、泣き出しそうな玲奈に触れたくて、触れようとして…
その気持ちを抑えて、途中まで伸ばした手を引っ込めた。
俺が触ると、また玲奈が傷つくだろ…。
結局、どうすればいいのか分からなくて、その場を離れた。
「あー、昨日ねえ」
俺が言葉に詰まっていると、透が口を開いた。
「伶にぶん殴られて置いて行かれたーって、玲奈が泣いてた!」
「オイ…!」
目だけ透の方に向けると、透はいたずらっぽく笑う。
「冗談だって」
それから透は言葉を続ける。
「お前に手を振り払われてショックだったって泣いてたよ」
あの日、俺を拒絶した玲奈。
その玲奈が、昨日は俺の手を掴んでいた。
「俺は…どうするのが正解だったと思う?」
目を閉じて、その上に手をのせた。
暗くなった視界、暗くなった世界で思考を巡らせる。
「昔のお前なら、玲奈のこと抱きしめてただろ」
「…できない」
透の答えを、俺はすぐに打ち消した。
そりゃ、できるなら抱きしめたいよ。
だけど"触らないで"と強く言った本人を、抱きしめられないだろ。
「できないわけないだろー」
「玲奈のこと傷つけたくない」
透はなおも食い下がってきたけど、俺はそれもまた打ち消した。
だって、俺が触ると玲奈は傷つくだろ。
「玲奈は傷つかない」
透の、力強い言葉だった。
……え?
閉じてた目を開いて、透の方を見る。
透は穏やかな顔で笑っていた。
「あの時の玲奈は感情的になってただけだよ。言われた言葉を、そのままの意味で捉えるな」
それってどういうこと?
触らないでって言葉を、他にどう解釈すればいい?
「……意味…わかんねぇ…」
俺はまた目を閉じる。
玲奈は、どんな気持ちで言ったの?
玲奈が、本当に言いたかったことは?
「お前たちキョーダイだろ~。お前も玲奈も、何で気持ちがすれ違ってばっかなんだよー」
ふーっとため息をつきながら、透はそう呟く。
昔は玲奈のことなら何でも分かったのに。
あの日以来、分からなくなったんだ。
やる事、考えている事、
全てを共有してきたのに、今はお互い上辺だけしか見れていない。
すれ違ってる?
それすらも、分からないんだ…。
「オレ、仲直りするキッカケ、あげたけど」
「玲奈が…昨日、俺に謝ったの…?」
「そー!話し合わなかったの?」
「無視した」
「ちょーっと!伶!!」
透は呆れた声で俺を咎める。
「…何て返事すればいいか…分からなかったんだ」
「なかなかの重症だねぇ~」
気にしてないよ、
大丈夫だよ、
そう言うには、時間が経ちすぎてる。
そんな、嘘だってすぐに分かるような返事を、どうしてもできなかった。
「…まあでも、玲奈は今でもお前のことが好きだと思ってるよ」
「———は?」
透の発言を聞いて、思わず眉間にシワを寄せて透を見る俺。
「だから、玲奈は伶のことが好きだって。あーーー!赤くなった!!」
「うるせー!」
「伶てば、純粋なとこあるじゃーん!」
嬉々として透は俺をからかう。
だけど、そこには優しさが漂っていた。
「少し寝たら?」
ひとしきり俺をからかうと、透は俺の顔をめがけて布団を投げた。
「オレは朝メシ食ってこよーっと」
そう言って、部屋を出て行く。
ドアが閉まって静かになった部屋。
そのはずなのに、自分の心臓の音がやたらとうるさい。
玲奈が今でも俺のことを好き?
それ…どういうこと?
あの、『触らないで』の意味は?
なんだよ、透。
全然わかんないよ。
好きにも種類があるだろ。
兄妹だから好きなのか、
友達みたいな感覚での好きなのか、
嫌いではないから…の好きなのか、
それとも昔みたいに、
心の底から『大好き!』と言ってくれていた時の好きなのか。
気がついたら俺は眠っていて、目が覚めたら静かに怒れる母さんがそこにいて。
朝早くから他人の家に上がり込んで人のベッドで寝てるという非常識をめちゃくちゃ叱られた。
それから数日は、母さんも父さんも日本にいたから、玲奈と2人きりになる時間は少なくて。
あれこれ考える余裕もなく時間が過ぎていった。
「どうするか決めたか?」
目の前に置かれた、白紙のプリント。
それを黙ったまま見つめる俺。
あれから十日ほど経った平日の午後。
すっかり忘れていた、進路を決める為の個人面談があった。
始業式の日に進路の話をされた時も、
先日この紙が配られた時も思ったんだけど…。
「何もない」
それだけ答えた。
「伶~、何もないじゃ困るんだよー!進学か?就職か?それだけでも希望を出してくれよ」
「えー…その2択じゃ希望って言われても…」
「その2択以外にあるかー!!」
先生の大きな声が教室中に響く。
確かに、高校3年だし。
卒業したらどうするのかを考えなくちゃいけないのは分かってるんだけどさ。
この先のことを、何も思いつかないんだ。
自分がどうしたいかなんて分からない。
だって、俺の世界の中心は玲奈だから。
玲奈がどうするか。
玲奈がどうしたいか。
それで俺が決めることは変わってくるだろ。
「成績いいんだから、大学進学じゃないのか?選び放題だぞ」
「特に学びたいものないし…選べない」
「音楽は?選ばないのか?」
「音楽は…いつもそこにあるものだから」
「…達観してるな、伶は」
そう言って先生は少し間を置く。
「お前は、好きな事とかやりたい事、なりたいものはないのか?得意なことをもっと掘り下げていけばいいと思うんだが」
「んー…」
言われた言葉は響かず、投げやりな返事をする。
教室の、空いてる窓の外を見た。
…あ。
カノンだ。
春の暖かい風に乗って、微かにだけど聴こえてくる。
玲奈の、好きな曲。
パッヘルベルのカノン。
ゆったりとした滑り出し、それからわくわくした気分が少しずつ大きくなっていって…
パッと花開くような。
聴くだけで、明るく幸せな気分になれる曲なんだ。
この曲を聴くと、子どもの頃を思い出す。
どの場面を切り取っても、太陽のように輝く玲奈の笑顔。
『玲奈を世界で1番しあわせにするよ』
あの時の誓いは、今でも有効なんだろうか?
俺がもっと強くなって、
俺がもっとしっかり玲奈を守れたら、
またあの輝く笑顔を見せてくれる?
幸せだと思ってくれる…?
———もし、
もし
願いが叶うなら。
玲奈の輝く笑顔が俺に向いた、その瞬間。
その瞬間で時を止めてしまいたい。
永遠に続くと思っていた、
あの幸せな瞬間が壊れてしまわないように。
心もすべてを共有できていたあの頃のまま
生きていきたい。
自分の世界の中心は玲奈だった。
どうしたら玲奈が笑ってくれるのか…
どうしたら玲奈が喜んでくれるのか…
考えることは、玲奈のことばかり。
玲奈の笑顔を見るのが、1番の幸せだった。
『大きくなったら、何になるの?』
ある日、母さんが俺たちに尋ねた。
『大きくなったら、伶とけっこんするの!』
玲奈は太陽のような輝く笑顔で笑う。
大きくなっても、
玲奈は自分の側にいてくれるんだ…って、
すごく嬉しかったことを覚えている。
『ぼくは、玲奈を世界で1番しあわせにするよ』
そう答えた。
たぶん母さんは、
"パパみたいなピアニストになる!"とか
そういう答えを期待して聞いたんだと思うけど、
俺たちが口々に言う言葉を聞いてにっこりと笑った。
『大きくなっても、2人とも今みたいにずーっと仲良しでいてね』
…そう。
あの日までは、ずっとそうだと思っていた。
玲奈と俺と、
心の中すべてをさらけ出して共有できるものだと、そう思っていたんだ。
「ちょっ…!!何で休みの日の朝っぱらからオレのベッドにいるわけ!??」
驚いた様子で飛び起きた透が、大きな声を出す。
「おじさんが入れてくれたけど、お前が寝てたから俺も休んでた」
土曜日の朝。
昨晩から一睡もできなかった俺は、透の家に来ていた。
ちょうど庭の手入れをしていたおじさんに家の中に入れてもらって、
寝ていた透の隣に仰向けで寝転んで、ただ天井を見つめていた。
「目ぇ覚めたら隣に人が寝てるなんてビックリだよー!しかも可愛い女子じゃなくて男なんて…」
「女装でもしておけばよかったか?俺は相当美しいと思うよ」
「おっぱいないだろ…!」
昨日の夜、
考え事をしていた俺に、玲奈があの日のことを謝ってきた。
『ひどいこと言ってごめんね』
『伶を傷つけてごめんね』
俺の額にそっと触れて、そう言った。
触れられたところが熱を帯びる。
すぐに起き上がって、
玲奈に声をかけることもできた。
だけど、動けなかったんだ。
俺は、何て言えばいい?
玲奈の言葉が一晩中ぐるぐる頭の中で回って、一睡も出来なかった。
「なに、伶がオレんち来るの珍しいよね。どしたの…って、すごい顔してるけどー!?寝てないの?」
落ち着きを取り戻した透が、俺の顔を見下ろして、また驚きの声を上げる。
「寝てない…。眠れなかった」
「なになになに!玲奈となんかあったの?あ、てか玲奈は?家に1人?」
「明け方、母さんが帰ってきたから玲奈は平気」
「そっか。で、どーしたの?」
透は枕をクッションがわりに、背中の後ろにやった。
寝起きで、しかも驚かせたのに、すぐに異変に気づいて心配をしてくれる。
優しいヤツ。
「……昨日のこと…」
昨日、
俺はまた…玲奈を泣かせてしまった。
学校の帰り、透の用事を待つ間、玲奈と2人きりだった。
隣に座る玲奈との距離が近くて、意識しないよう他のことを考えていたんだ。
…そうしたら。
玲奈が俺の名前を呼びながら、不思議そうな顔で俺の顔を覗き込んでいた。
驚いて、視線を合わせていられなくて、すぐに逸らして下を向くと…。
玲奈が俺の左腕を掴んでいるのが目に入った。
『触らないで!!!』
また、あの時の玲奈の声が頭の中で響いたんだ。
俺が玲奈に触れたわけじゃない。
だけど、咄嗟に玲奈の手を振り解いていた。
マズイ!
そう思った時には、玲奈は泣き出しそうな顔になっていて…。
しどろもどろで謝った俺の顔を一瞬見たかと思うと、そのまま俯いてしまった。
"ごめんね、考え事してたから、びっくりしただけだよ!"
そう言って、
手をつないであげられたら
頭を撫でてあげられたら
どんなによかっただろう……。
自分で手を振り払ったくせに、泣き出しそうな玲奈に触れたくて、触れようとして…
その気持ちを抑えて、途中まで伸ばした手を引っ込めた。
俺が触ると、また玲奈が傷つくだろ…。
結局、どうすればいいのか分からなくて、その場を離れた。
「あー、昨日ねえ」
俺が言葉に詰まっていると、透が口を開いた。
「伶にぶん殴られて置いて行かれたーって、玲奈が泣いてた!」
「オイ…!」
目だけ透の方に向けると、透はいたずらっぽく笑う。
「冗談だって」
それから透は言葉を続ける。
「お前に手を振り払われてショックだったって泣いてたよ」
あの日、俺を拒絶した玲奈。
その玲奈が、昨日は俺の手を掴んでいた。
「俺は…どうするのが正解だったと思う?」
目を閉じて、その上に手をのせた。
暗くなった視界、暗くなった世界で思考を巡らせる。
「昔のお前なら、玲奈のこと抱きしめてただろ」
「…できない」
透の答えを、俺はすぐに打ち消した。
そりゃ、できるなら抱きしめたいよ。
だけど"触らないで"と強く言った本人を、抱きしめられないだろ。
「できないわけないだろー」
「玲奈のこと傷つけたくない」
透はなおも食い下がってきたけど、俺はそれもまた打ち消した。
だって、俺が触ると玲奈は傷つくだろ。
「玲奈は傷つかない」
透の、力強い言葉だった。
……え?
閉じてた目を開いて、透の方を見る。
透は穏やかな顔で笑っていた。
「あの時の玲奈は感情的になってただけだよ。言われた言葉を、そのままの意味で捉えるな」
それってどういうこと?
触らないでって言葉を、他にどう解釈すればいい?
「……意味…わかんねぇ…」
俺はまた目を閉じる。
玲奈は、どんな気持ちで言ったの?
玲奈が、本当に言いたかったことは?
「お前たちキョーダイだろ~。お前も玲奈も、何で気持ちがすれ違ってばっかなんだよー」
ふーっとため息をつきながら、透はそう呟く。
昔は玲奈のことなら何でも分かったのに。
あの日以来、分からなくなったんだ。
やる事、考えている事、
全てを共有してきたのに、今はお互い上辺だけしか見れていない。
すれ違ってる?
それすらも、分からないんだ…。
「オレ、仲直りするキッカケ、あげたけど」
「玲奈が…昨日、俺に謝ったの…?」
「そー!話し合わなかったの?」
「無視した」
「ちょーっと!伶!!」
透は呆れた声で俺を咎める。
「…何て返事すればいいか…分からなかったんだ」
「なかなかの重症だねぇ~」
気にしてないよ、
大丈夫だよ、
そう言うには、時間が経ちすぎてる。
そんな、嘘だってすぐに分かるような返事を、どうしてもできなかった。
「…まあでも、玲奈は今でもお前のことが好きだと思ってるよ」
「———は?」
透の発言を聞いて、思わず眉間にシワを寄せて透を見る俺。
「だから、玲奈は伶のことが好きだって。あーーー!赤くなった!!」
「うるせー!」
「伶てば、純粋なとこあるじゃーん!」
嬉々として透は俺をからかう。
だけど、そこには優しさが漂っていた。
「少し寝たら?」
ひとしきり俺をからかうと、透は俺の顔をめがけて布団を投げた。
「オレは朝メシ食ってこよーっと」
そう言って、部屋を出て行く。
ドアが閉まって静かになった部屋。
そのはずなのに、自分の心臓の音がやたらとうるさい。
玲奈が今でも俺のことを好き?
それ…どういうこと?
あの、『触らないで』の意味は?
なんだよ、透。
全然わかんないよ。
好きにも種類があるだろ。
兄妹だから好きなのか、
友達みたいな感覚での好きなのか、
嫌いではないから…の好きなのか、
それとも昔みたいに、
心の底から『大好き!』と言ってくれていた時の好きなのか。
気がついたら俺は眠っていて、目が覚めたら静かに怒れる母さんがそこにいて。
朝早くから他人の家に上がり込んで人のベッドで寝てるという非常識をめちゃくちゃ叱られた。
それから数日は、母さんも父さんも日本にいたから、玲奈と2人きりになる時間は少なくて。
あれこれ考える余裕もなく時間が過ぎていった。
「どうするか決めたか?」
目の前に置かれた、白紙のプリント。
それを黙ったまま見つめる俺。
あれから十日ほど経った平日の午後。
すっかり忘れていた、進路を決める為の個人面談があった。
始業式の日に進路の話をされた時も、
先日この紙が配られた時も思ったんだけど…。
「何もない」
それだけ答えた。
「伶~、何もないじゃ困るんだよー!進学か?就職か?それだけでも希望を出してくれよ」
「えー…その2択じゃ希望って言われても…」
「その2択以外にあるかー!!」
先生の大きな声が教室中に響く。
確かに、高校3年だし。
卒業したらどうするのかを考えなくちゃいけないのは分かってるんだけどさ。
この先のことを、何も思いつかないんだ。
自分がどうしたいかなんて分からない。
だって、俺の世界の中心は玲奈だから。
玲奈がどうするか。
玲奈がどうしたいか。
それで俺が決めることは変わってくるだろ。
「成績いいんだから、大学進学じゃないのか?選び放題だぞ」
「特に学びたいものないし…選べない」
「音楽は?選ばないのか?」
「音楽は…いつもそこにあるものだから」
「…達観してるな、伶は」
そう言って先生は少し間を置く。
「お前は、好きな事とかやりたい事、なりたいものはないのか?得意なことをもっと掘り下げていけばいいと思うんだが」
「んー…」
言われた言葉は響かず、投げやりな返事をする。
教室の、空いてる窓の外を見た。
…あ。
カノンだ。
春の暖かい風に乗って、微かにだけど聴こえてくる。
玲奈の、好きな曲。
パッヘルベルのカノン。
ゆったりとした滑り出し、それからわくわくした気分が少しずつ大きくなっていって…
パッと花開くような。
聴くだけで、明るく幸せな気分になれる曲なんだ。
この曲を聴くと、子どもの頃を思い出す。
どの場面を切り取っても、太陽のように輝く玲奈の笑顔。
『玲奈を世界で1番しあわせにするよ』
あの時の誓いは、今でも有効なんだろうか?
俺がもっと強くなって、
俺がもっとしっかり玲奈を守れたら、
またあの輝く笑顔を見せてくれる?
幸せだと思ってくれる…?
———もし、
もし
願いが叶うなら。
玲奈の輝く笑顔が俺に向いた、その瞬間。
その瞬間で時を止めてしまいたい。
永遠に続くと思っていた、
あの幸せな瞬間が壊れてしまわないように。
心もすべてを共有できていたあの頃のまま
生きていきたい。
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