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第1章 春

6. (Ray side)

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『好き』という感情は、
一体どこから『恋』にかわり
『愛』に行き着くんだろう。

子どもの頃は、ただ『好き』という感情だけで生きていた。

好きだから、玲奈と一緒にいる。
好きだから、ピアノを弾く。

それに、
玲奈が好きだと言ってくれるからピアノをもっと弾けるようになりたいと思ったし、
玲奈が俺のピアノで歌うのが好きだと言うから、玲奈だけのためにピアノを弾こうと決めた。

いつからだろう。

その『好き』という感情に、理由と制限が必要になったのは。



「沖縄??」
俺と玲奈は声を揃えてそう聞き返した。

「うん!奈々ちゃんのコンサートに何公演かママもパパも出るのよ。それで、沖縄でのコンサートの時に、せっかくだから2人も一緒に連れて行こうと思って」
俺たちが座っているソファの前に立っている母さんは、嬉しそうにそう言った。
母さんが言った"奈々ちゃん"は、透の母親のこと。
「ふたりとも沖縄行ったことないでしょ?ちょうどコンサートあるのはゴールデンウイーク期間中だし、旅行もいいかなって。もう手配は済ませちゃったからね!」
それから、ハイと俺に袋を差し出す。
開けてみると、ガイドブックが2冊入っていた。
そのうちの1つを玲奈に渡す。
「わあ、沖縄って海がキレイなところだね」
ガイドブックの表紙を見て、玲奈がそう言った。
「そうよ~。ママたちは仕事だから忙しいけど、2人で行きたいところ決めてまわるといいわ。それに、透くんもいけるようにするって奈々ちゃんも言ってたし!きっと楽しいお休みになるわね」
そう言って、上機嫌の母さんはキッチンへ行った。
玲奈の方を見ると、笑みを浮かべてガイドブックのページをめくっている。
…楽しそうだな。
そう思うと、自分も自然と笑っていた。

長期の休みの時は、たいてい父さんも母さんも仕事でいなくて。
夏休みや冬休みだとドイツの家で過ごすけれど、
こういう中途半端な連休はいつも持て余していた。
今回は、透も行くと言ってたし、母さんの言う通り楽しく過ごせるのかもな。
「ねーねー、伶!ここ行きたいね」
玲奈が、自分の見ていたガイドブックを俺との間に置いて指をさす。
その表情がとても無邪気で、昔の玲奈を思い出させた。
「うん、いいね。じゃ、そこに行こう」
そう答えると、玲奈は嬉しそうに笑う。

玲奈が喜ぶ顔を見るのが好きだ。
玲奈の笑顔を見ると安心するし、俺も笑っていられる。

でも時々考えるんだ。
この『好き』は、どこに分類される?


「ねー!みて!!海!すごくキレイだよ!」
飛行機の中、隣に座っている俺に玲奈が話しかけてきた。
窓にかじりついていた玲奈が、俺にも見やすいようによけてくれる。
そこから覗いた海は、とても鮮やかでキレイだった。

俺たちは海がないところで育ったから、初めて海を見たのは7歳の時。
バカンスでニースに行った時だった。
海ってこんなに綺麗なんだ!と感動したことを覚えてる。
2人でずっと海辺で遊んだ。
ただ、眺めているだけでも楽しかった。
それから何度か海へは連れていってもらったけれど、日本に来てからは今回が初めて。
最近、玲奈にあまり元気がないような気がしていたから、喜んでいる姿を見て少しホッとした。

空港に着いて、荷物を受け取る。
「そうだ、2人とも。ここからそのまま遊びに行く?」
父さんが俺たちに聞いた。
「ホテルに荷物置きに行くけど、父さんたちは荷物置いたらすぐ、打ち合わせや練習で出てしまうし。2人の荷物は一緒に持っていってあげるから、このまま行きたいところ行ってきていいよ」
俺と玲奈は顔を見合わせる。
玲奈の顔を見て、決めた。
「じゃあ、そうする」
「ホテルの場所は、あとで伶にメールしておくわね」
俺が返事をすると、母さんがそう言った。
「伶、危ないことはしないようにね。玲奈は伶の言うこと聞いて、わがまま言わないように」
「言わないもん!」
「そーかな?伶は玲奈に甘いからな~」
ムキになる玲奈を見て父さんは笑う。
「7時くらいまでにはホテルに戻るようにしてね!晩ご飯はみんなで食べましょう」
「じゃあ、2人とも気をつけていっておいで」
「またあとでねー!」
父さんと母さんは俺たちに手を振ると、荷物を持って行ってしまった。

2人の姿が小さくなったころ、玲奈が俺の顔を覗き込んだ。
「伶、どこから行く?」
わくわくした気持ちに満ち溢れた顔。
「まずは腹ごしらえでもするか」
着いたのがちょうどお昼前だったこともあって、そう提案した。
「うん!そしたらねぇ…」
玲奈はガイドブックやネットで仕入れたことを一生懸命話し出す。

…かわいいなぁ。

元気な玲奈を見て、ふとそう思った。
俺と一緒に楽しもうと、色々調べてくれたことが愛しく感じる。

「あ!伶、なんで笑ってるの!?」
「いや…。食べたいものありすぎてデブになるんじゃないかなーって思って!」
「なんないよ!伶と半分こするもん!!」
「あはは。俺そんなに食べれないよ」
「育ち盛りの男子でしょー。大丈夫だよ」
「ほら、じゃあ食いしん坊ツアーにいくよ。モノレールに乗ろう」
2人で連れ立って歩き出した。

こんなに心が穏やかなのは久しぶりだ。
なんでだろう。
この暖かい南国の陽気のせいかな。
一歩外に出ると、いつもとは違う強い陽射しが降り注ぐ。
玲奈の笑顔がいつもより明るい。

「お腹いっぱいだね」
「やっぱり食べすぎたんじゃない?」
国際通りをぶらぶら歩きながら、2人で話す。
色々と食べ歩きして、珍しいものを見ては立ち止まったり、お店に入ったりして楽しんでいた。
「あ!ねえねえ、伶、あれ——…わっ」
半歩ほど後ろを歩いていた玲奈が、話の途中で声を上げる。
咄嗟に振り向くと、玲奈が人にぶつかったようで、相手の人と互いに謝っていた。
ゴールデンウイークということもあって、人通りがとても多い。
「玲奈、気をつけないと…」
「ごめんね伶。楽しくて、ついよそ見しちゃった…」
少ししょんぼりした様子で俺にも謝る玲奈。
せっかく楽しんでたのに、俺も怒ることなかったかな…。
しゅんとした顔で後ろをついてくる玲奈の顔を見て、少し考える。

「…ほらっ」

一か八か。
どうなるか分からなかったけれど、俺は玲奈に手を差し出した。
びっくりした顔で目を大きくする玲奈。
「今だけ、特別」
そう付け加えると、玲奈の表情がパッと明るくなる。
「うん…!!」
玲奈が俺の手を握り返す。

『玲奈は傷つかないよ』
透がこないだ俺に言った言葉。
それを、信じた。

「そうそう、さっき人とぶつかる前にね、アレ気になったの!」
玲奈は手を繋いでいない方の手を伸ばして、行きたい場所を指さす。
行こう、って言うように、繋いでいる俺の手を少しひっぱった。

久しぶりに繋いだ玲奈の手は、華奢で少しでも強く握ると折れそうだ。
本当に俺が触れても大丈夫?
無理してない?
「伶?伶が行きたいところはどこ?」
そう聞かれて、玲奈の方を見る。
隣に並んで歩く玲奈は、昔と同じ…輝くような笑顔で俺を見ていた。

…ああ、そうだ。
この玲奈に、ずっと会いたかったんだ…。

「俺が行きたいところは、玲奈が行きたいと思うところ」
「えー!でも遠くは明日、透と合流してからいくよね。そしたらねー…」
目を輝かせて行きたい場所を話す玲奈。

…ヤバイな。
繋いだ手から俺の心臓の音が伝わりそうだ。
あの日以来、初めてまともに玲奈に触れた。
あれだけ遠いと思っていた玲奈との距離が、今はこんなにも近い。
隣で笑う玲奈が、かわいくて愛しいと思う。
ようやく手を繋ぐことができたばかりなのに、抱きしめたいと思ってしまう。
この気持ちと、高なる心臓の音は、何と説明すれば良い?


砂浜に座って、ただ海を眺めていた。

あれから玲奈が、ビーチに行きたいと言うから、車がなくてもいける場所を探してビーチに来た。
最初はキレイな海にはしゃいで、写真をとったり一緒に足をつけたりしていたけれど。
一通り遊んだあと、玲奈がしばらく眺めていたいと言うから、そうすることにした。
2人で並んで、足を投げ出して座った。
キレイな海は見ていて飽きない。
それに、すぐ側には玲奈がいる。
それだけでも幸せな時間に思えた。

どのくらい経っただろう。
「…玲奈、飲み物買ってくるね。ここで待ってて」
なかなか帰ると言わない玲奈に、水分補給したほうがいいだろうと思って一度その場を離れた。

…玲奈は、何を考えているんだろう。

飲み物を買って戻ってくる時も、玲奈は微動だにせず海を眺めていた。
「玲奈…」
近づいて声をかける。
と、同時に。
続く言葉を失った俺は、その場に立ち尽くした。

玲奈は、俺が戻ってきたことには気づいてなくて。
気づかないくらい夢中なのか、それとも無意識なのか。
それは分からないけど。
目を閉じて、少しだけ顎を上げて。
心地よい風に吹かれながら、玲奈は歌っていた。

あの日。
あの日以来、一切、歌うことをやめた玲奈が。
声が出ない歌えないと絶望の淵で泣いていた玲奈が。

…正確に言うと、歌っていたとは少し違う。
声はほとんど出ていないから。
それでも、口の動きとたまに小さく出る言葉と音で、何の歌を歌っているのかすぐに分かった。

『フィガロの結婚』のアリアだ。

モーツァルトのオペラ『フィガロの結婚』。
その中で歌われる、『恋とはどんなものかしら』というアリア。

このアリアの歌詞が、今の自分と重なる。

"熱望に満ちた感情を感じ、
 それは今、喜びかと思えば、
 次の瞬間には苦悩となる

 凍てついたかと思うと次には心が燃え上がり
 そしてまた一瞬のうちに冷たく凍ってしまう

 自分の外に幸せを探しているんだ

 誰がそれを持っているのか、わからない
 それが何かもわからない

 おのずとため息が出て嘆いて…
 知らないうちに心がときめき、身体が震える

 安らぎが見つからない
 夜も昼も…"


そう。
玲奈が好きだ。
だけどこれがどれに分類されるか分からないんだ。
玲奈の言動ひとつで、喜んだり悩んだり。
心が燃え上がったり凍りついたり。
この感情をどうすればいいか分からない。
悩んで落ち込んだかと思えば、
玲奈を見ているだけで心臓がドキドキ音を立てる。
安らがない。
ずっと玲奈のことばかり考えている。


これが、『恋』なのか?


「玲奈」
歌が終わったところで、もう一度声をかけた。
目を開けて俺を見た玲奈は、俺を見て微笑む。
「伶、ありがと」
俺が差し出したペットボトルを受け取りながら、
玲奈はそれだけ答えた。
歌のことは話題にしなかった。
玲奈が無意識で歌っていたなら、わざわざそれを伝える必要がないと思ったから。
少しでも…声が出ていなかったとしても。
たとえ今だけだったとしても。
玲奈があんなに好きだった歌を取り戻せたことが、俺には嬉しかった。

———それから、
俺たちは特に会話をすることもなく、再びそこに座り続けた。
昔のように、何も言わなくてもお互いの気持ちが分かるわけじゃないけど。
ただ、隣で同じ景色を見ているだけで、幸せを感じた。

今のこの時間が永遠に続けばいいのに…。

あたり一面を真っ赤に染め、ゆっくりと太陽が海へ沈んでいく。
その想いが儚く崩れ去るのがわかった。

「…そろそろ、行こう」
先に立ち上がった俺は、玲奈を立たせるために手を差し出した。
それを掴む玲奈。
その表情は、少し憂いに満ちた…そんな感じがした。
玲奈を立たせると、それぞれ砂を払って、それからはまたいつもと同じ。
少しだけ距離を保って歩いた。


本当なら、また手を繋ぎたかった。
でも、陽が沈んで暗くなったこの世界で。
俺の邪な心が、太陽のように輝く玲奈を汚してしまいそうで嫌だったんだ。

いつから、
どこから、変わってしまったんだろう。
子どもの頃の純粋な『好き』という感情が、
ただそれだけでは物足りなくなったのは、いつから?

抑えようとしても、
他に目を向けて誤魔化そうとしてもできなかった。
『兄妹』なんだからと自分に言い聞かせても、ダメだった。

いくら制限されても、この気持ちは消えていくことなんかない。
このやり場のない気持ちは、どうすればいいんだろう。

いつか、『愛』が分かるようになれば、この気持ちも手放すことができるのか…?



———もし、

もし
願いが叶うなら。

子どもの頃に感じていた『好き』の感情だけで生きて行きたい。

『恋』も『愛』も知らなくていい。

子どもの時の『好き』のままなら、
玲奈の真っ白な心を、俺の真っ黒な欲望で染めることはないだろう。

あの純粋に互いのことだけを考えていたあの楽しかった日々が、永遠続けばいい…。
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