7 / 36
第1章 春
7. (Rena side)
しおりを挟む
一緒に絵本を見ながら、2人で色々想像した。
『伶とわたしと、動物だけの世界に行ってみたい』
そう言った私に、伶も
『そうしたいね』って答えてくれた。
森の中で、伶と私がひとつの家に住んでいて、
リスやウサギなどの小動物が果物を運んできてくれる。
動物たちとはおしゃべりができて、
みんな大好きで、みんな仲良し。
毎日みんなで歌を歌ったり、花冠をつくったり。
楽しく幸せに暮らすの。
「おはよー!!」
ホテルのロビーで、透が私たちに向かって大きく手を振っていた。
旅行に来て、2日目の朝。
「おはよう~」
駆け寄る私に、後ろからゆっくり歩いてくる伶。
「玲奈、行きたいところ決めた?」
「いっぱいあるから、伶が予定組んでくれたよ!」
はしゃぐ私たちに対して、伶は少しだけ機嫌が悪そうだった。
「伶、どうしたの?」
透が不思議そうにそう尋ねる。
「……寝不足なだけ。行こう、時間足りなくなるし」
そう言い終わると、伶は大きなあくびをした。
…昨日、伶と1日遊んだあと、パパママと合流して晩ご飯を食べた。
そのあとホテルに戻って、みんなでエレベーターに乗っている時、ママが言ったの。
「あ、そうだ。2人の部屋の暗証番号は、2人の誕生日にしてあるからね」
「……え?」
ママの言葉に一瞬考えて、私も伶も同時にそう呟いていた。
「だから、部屋のドア開けるための暗証番号よ」
「そうじゃなくて…」
伶がママに言葉を投げかけた瞬間。
ママがにっこりと笑った。
「それぞれに部屋をとってあげられるほど、余裕はないのよ」
…普段はおっとりしているママだけど、怒るとすっごくこわい。
声を荒げたりすることはなくて、静かにプレッシャーをかけてくる。
今が、まさにそんな感じ…。
「あなたたち、兄妹でしょ?たった3泊くらい、同じ部屋で過ごすのに文句言ったりしないわよね?」
ものすごい圧力を感じて、私も伶も、ハイと返事する以外なかった。
「じゃあ、2人の部屋はココ。父さんたちは隣の部屋だからね」
パパにそう言われて、私と伶は部屋の前に取り残された。
「…伶、とりあえず、入ろ?」
2人で呆然としばらく立ち尽くしたあと、エレベーターが開く音がして我に返る。
それで、私がドアのスマートキーを解除した。
中に入ると、私と伶の荷物が2つあるベッドのそばにそれぞれ置いてあって。
そのベッドの距離もなんだか近くて、それだけでドキドキした。
部屋は広くてキレイで、カーテンを開けてみたら、すぐそこには海が広がっている。
しばらくそれを眺めていたけど、夜の海は真っ黒で、何だか少し怖い気がしてカーテンを閉じた。
落ち着かなくて、部屋中をうろうろしてバスルームに行く。
「わー!アメニティがたくさんある」
そこで、ドキドキを誤魔化すように、私は大きな声を出したの。
変だよね。
昔はずっと一緒にいて、一緒のベッドで眠ったりしていたのに。
今は、同じ部屋で過ごすって思っただけでドキドキするの。
普段だって、家にはほとんど私と伶の2人なのに。
…なんでかな?
今日、すっごく久しぶりに手を繋いだりしたせいかな?
「玲奈、先にシャワー浴びていいよ」
伶が、バスルームに顔を出して、そう言ってくれた。
その伶の表情は、いつもと変わらないように見える。
私だけが意識してるのかな?
伶と繋いだ方の手をじっと見て、その時の感触を思い出す。
久しぶりに繋いだ伶の手は、昔より大きくなっていて、骨張っていて…温かかった。
『触らないで!!』
あの時の言葉は、許してくれたの?
あんなひどい事を言った私を、許してくれた?
それとも、人混みではぐれそうだから仕方なくだったのかな。
私は、すごく嬉しかったよ。
自分で拒絶したくせに、こんなのおかしいよね。
でも嬉しくて、あの日以来止まっていた時間が、少しだけ動いた気がしたの。
「伶、おふろあがったよ~」
そろりとバスルームから出て伶の姿を探すと、ベッドの上で枕を背中に当ててテレビを見ていた。
私に気づいて、目があった。
…と、思ったら。
「玲奈!なんつー格好してんだ…」
慌てて上半身を起こして、足をベッドから下ろす伶。
すぐに頭を抱えたけれど、ちらっと見えた表情は険しかった。
「あ…、さっき、シャワー浴びていいよって言われてそのままお風呂入っちゃって…。下着とか準備してなくって、それで…」
バスタオル1枚巻きつけただけの私。
伶が怒ってるみたいで、しどろもどろになる。
「それと私…パジャマ持ってくるの忘れた…」
ついでに、忘れ物の申告。
そうしたら、はあ…と深いため息をつかれてしまった。
それから伶は立ち上がって、自分のスーツケースを開ける。
呆れられちゃったのかもって、しゅんとする私に、伶は自分のTシャツを差し出してくれた。
「コレ着て寝な」
「あ…でも…」
「余分に持ってきてるから大丈夫。早く着替えて髪乾かしておいで」
そう言うと、伶はすぐに私に背を向けて、部屋の奥にあるソファに座った。
自分の荷物の中から下着を取り出して、バスルームに戻って、伶が貸してくれたTシャツに着替える。
…おおきい…。
腕は肘まで隠れるし、裾もお尻はすっぽり隠れる長さ。
なんだか伶に包まれてるみたいで、少し嬉しかった。
「伶、Tシャツありがとう。バスルーム使っていいよ」
「うん」
声をかけると、ソファに座ったまま、こっちを見向きもせずに伶は返事をした。
私の位置から見ると、ちょうど背を向けてる状態で…伶の表情は見えない。
怒ってるのかな…
呆れちゃってるのかな…
そう思いながら、自分の荷物の整理をした。
その横を伶はスッと通り抜けてバスルームへ行く。
しばらくすると、シャワーの音が聞こえてきた。
明日着る服を出して。
必要なものを揃えたり、今日買ったものをスーツケースにしまったり。
つけっぱなしになってたテレビを見たり。
気づけば、すごく時間が経ってる気がするのに、伶はまだバスルームから出てこない。
シャワーの音はしなくなってるけど…?
どうしちゃったのかな。
気になってソワソワする私。
しばらく待ってみたけど、伶が出てこないから様子を見に行くことにした。
「ねえ~、伶ー…」
バスルームのドアをゆっくり開ける。
「ん?…あ、ココ使いたかった?」
すぐに私に気づいてこっちを見る伶。
スウェットに、上半身裸。
濡れてる髪をタオルで拭いてるとこだった。
「ううん!!」
私はすぐさまドアを閉じる。
「伶、遅いな~って気になって見に来ただけ!」
それだけ言うと、小走りで自分が使うベッドまで戻る。
それから布団を頭までかぶった。
久しぶりに見る伶の裸が。
昔と全然違ってびっくりした。
あんなに筋肉あった?
あれ?
私が知ってる伶と全然違くて…
ドキドキする。
男の人…って感じになってた。
伶のことをぐるぐる考えてるうちに、私はいつの間にか、眠っていた。
「あはは!そっか、昨日は盛りだくさんな1日だったんだね」
私の話が終わったところで、透が笑ってそう言った。
私が行きたいって言った水族館に向かうバスの中。
着くまで寝たいからって伶は1人で座って、その前の座席に私と透が隣同士で座った。
透に、昨日何してたの?って聞かれて、1日のことをざっと一通り話したの。
朝から遊んだこと、
手を繋いでもらったこと、
海がキレイで何時間も砂浜にいたこと、
ホテルの部屋が同じだったこと。
「伶が寝不足なわけだ」
座席のシートの隙間から、後ろをチラリと覗きながら透は声を押し殺して笑う。
「え、なんで?なんで??私、疲れてたからすぐ眠っちゃって…もしかしてイビキとかかいちゃってたのかな?」
「そーいうんじゃない」
「えー…?」
私もシートの隙間から、後ろの席に座っている伶を見る。
…気持ちよさそうに寝てる。
昨日はどうして眠れなかったのかな…。
「玲奈、久しぶりに伶と手をつないだんでしょ?どうだった?」
話題を変えるように、透がそう聞いてきた。
その質問に、少しだけ考える。
「…いつの間にか、大きくなってた…」
その答えに、透は微笑んだ。
「それにね」
私は透の方を向いて、聞いて!って言わんばかりの勢いで続けた。
「伶の裸を見たら、なんか筋肉ついて細マッチョ?みたいになってて!私が知ってる伶と全然違くなってたの」
私の話を聞いて、透はおかしそうに声を出して笑う。
「え?なになに?伶の裸見たの?」
「上半身だけだよ」
「盗み見でもした?」
「違うよー!堂々と見た。…じゃなくって」
知らないうちに、伶がすごく大人になっていて…。
伶の大きくて温かい手も、
うっすらと筋肉のついたしなやかな身体も、
「すごく…ドキドキしたの……」
その言葉に、透は私の頭をくしゃっと撫でる。
透の方を見ると、優しい顔で微笑んでいた。
「でもさー…」
少し間を置いて、透は前を向くと口を尖らせる。
「オレだってけっこう筋肉あるんだぞ!プロテインとか飲むし!筋トレするし!なのに玲奈はオレにはドキドキしてくれないよね~」
私と透はたまに寝るけど。
でもお互いを思い合ってる関係じゃない。
好きだけど、伶とのそれとは違う。
透も、そういう人がいて、私とのことは違うと思ってる。
「あ~…うん。…でも透だって私にドキドキしたりしないじゃない」
「するよ。裸みれば。男だもん」
「それ私じゃなくても誰でもってことでしょー!?…あ、あれっ」
「どうした?」
話の途中で、ある事を思い出した。
「私はすごくドキドキしたけど、伶はバスタオル1枚の私見てもフツーだった。てゆーか、むしろため息つかれた」
それを聞いた透は吹き出す。
「え、なに、笑うとこ?」
「伶がかわいそう」
「どうして?…あ!私がグラマラスじゃないから?」
…伶は、他の女の人のカラダ見慣れてるから、私のあんな格好くらいじゃ何とも思わなくなったのかなあ…。
「心配しなくても、玲奈はちゃんと出るとこ出てる。イイ女だよ」
「そうかな、ありがとう」
透の言葉に、両手で胸を押さえてお礼を言う私。
…あれ、透に誤魔化された。
もうそれ以上はこの話題に触れられず、窓の外の風景に目をやった。
海沿いの道。
キレイな青色の海が続く。
…そういえば昨日、砂浜に座って海を見てる時。
心地いい風が吹いてきて、目を閉じたの。
目を閉じても、その美しい風景は脳裏に焼き付いていて、私の前に広がっていた。
静かに繰り返す波の音。
頬を撫でる風。
ふいに…頭の中に歌が流れた。
たった一曲、短い間だけだったけど。
少しだけ気持ちを取り戻せたような気がした。
あの時、流れた歌は…
大好きなフィガロの結婚のアリアだった。
『恋とはどんなものかしら』
…私も知りたい。
伶にドキドキするのは、恋なの?
ようやく目的地に着いて、バスから降りる。
「あー…よく寝た」
思いっきり伸びをする伶。
伶の伸ばした手の先を見上げると、眩しい太陽の光が目に入った。
…ああ、きっとこの南国の太陽のせいね。
いつもと気分が違うのは。
昨日からずっとそう。
明るい陽射しと包み込むように吹く風が、私の心をドキドキさせる。
「玲奈?どうしたの?楽しみにしてたところでしょ。ぼーっとしてないで行くよ」
伶が振り向いて私を呼ぶ。
「玲奈おいてくよーー!!」
それよりも前を行く透にも呼ばれて、私は2人を追いかけた。
「わぁ———……」
大きな水槽の前で、思わず感嘆の声をあげた。
青くきらめく水槽の中、たくさんの魚が悠然と泳いでいる。
どれくらい立ち尽くしてただろう。
「…玲奈、水族館大好きだなあ」
動こうとしない私を透は笑った。
「オレ、先にギフトショップ行ってるからね~」
「分かった」
透と伶のやりとりは聞こえていたけれど、水槽から目を離せない私。
すごく混んでいて、周りの人はどんどん入れ替わる。
それでも水槽にかじりついている私に、伶は黙って付き合ってくれた。
「——玲奈、そろそろ…」
ガツン!!
伶が私に声をかけた時。
私の隣に立っていた人が、振り向きざまに思いっきり私の肩にぶつかる。
「いた…っ」
「玲奈!」
よろけた私をとっさに支えてくれる伶。
「あ…ありがと」
気づけば、伶の腕の中にいた。
…え?
腕の中…?
顔は伶の胸にくっついてる…。
自分が今置かれてる状況を瞬時に整理する。
それと同時に、心臓がドキンと音を立てた。
視線を上げると、すぐそこに伶の顔。
「大丈夫?」
「う、うん…」
「時間なくなっちゃうし、そろそろ行こ」
肩を抱かれたまま、人混みを抜ける。
力強くて、温かい…。
人が少なくなったところで、伶は私の肩にまわしていた手をスッとおろした。
…だけど。
私の心臓はドキドキいったまま。
伶が触れていた右の肩が熱い。
いつも通り、半歩前を歩く伶はどんな顔をしてるんだろう。
私、今、火を吹きそうなほど顔が熱い。
昨日、頭の中で流れた歌の歌詞を思い出す。
"たくさんの欲求を感じていて
それはときに喜びかと思ったら
すぐに苦悩となってしまう
凍てついたかと思うと次には心が燃え上がって
そしてまたすぐ心は冷たく凍ってしまう"
嬉しい!って思った次の瞬間には、
これでいいのかな?大丈夫かな?って
気になるの。
色々考えすぎては苦しくなる。
だけど伶のちょっとした言動で、
心が燃えるように熱くなる。
今も、そう。
熱くて熱くて…
そうしたら今度は、また凍てつくようなことが待ってるの———?
———もし、
もし
願いが叶うなら。
子どもの頃に話した、おとぎの国のような、伶と2人だけの世界に行きたい。
ドキドキ心臓が飛び出しそうになったり、
悲しみで絶望するようなことはいらないの。
心の振り幅が大きすぎて、感情が揺さぶられるのは嫌だから。
ただ、子どもの頃の心のまま、
伶と2人で穏やかに幸せに暮らしたい。
『伶とわたしと、動物だけの世界に行ってみたい』
そう言った私に、伶も
『そうしたいね』って答えてくれた。
森の中で、伶と私がひとつの家に住んでいて、
リスやウサギなどの小動物が果物を運んできてくれる。
動物たちとはおしゃべりができて、
みんな大好きで、みんな仲良し。
毎日みんなで歌を歌ったり、花冠をつくったり。
楽しく幸せに暮らすの。
「おはよー!!」
ホテルのロビーで、透が私たちに向かって大きく手を振っていた。
旅行に来て、2日目の朝。
「おはよう~」
駆け寄る私に、後ろからゆっくり歩いてくる伶。
「玲奈、行きたいところ決めた?」
「いっぱいあるから、伶が予定組んでくれたよ!」
はしゃぐ私たちに対して、伶は少しだけ機嫌が悪そうだった。
「伶、どうしたの?」
透が不思議そうにそう尋ねる。
「……寝不足なだけ。行こう、時間足りなくなるし」
そう言い終わると、伶は大きなあくびをした。
…昨日、伶と1日遊んだあと、パパママと合流して晩ご飯を食べた。
そのあとホテルに戻って、みんなでエレベーターに乗っている時、ママが言ったの。
「あ、そうだ。2人の部屋の暗証番号は、2人の誕生日にしてあるからね」
「……え?」
ママの言葉に一瞬考えて、私も伶も同時にそう呟いていた。
「だから、部屋のドア開けるための暗証番号よ」
「そうじゃなくて…」
伶がママに言葉を投げかけた瞬間。
ママがにっこりと笑った。
「それぞれに部屋をとってあげられるほど、余裕はないのよ」
…普段はおっとりしているママだけど、怒るとすっごくこわい。
声を荒げたりすることはなくて、静かにプレッシャーをかけてくる。
今が、まさにそんな感じ…。
「あなたたち、兄妹でしょ?たった3泊くらい、同じ部屋で過ごすのに文句言ったりしないわよね?」
ものすごい圧力を感じて、私も伶も、ハイと返事する以外なかった。
「じゃあ、2人の部屋はココ。父さんたちは隣の部屋だからね」
パパにそう言われて、私と伶は部屋の前に取り残された。
「…伶、とりあえず、入ろ?」
2人で呆然としばらく立ち尽くしたあと、エレベーターが開く音がして我に返る。
それで、私がドアのスマートキーを解除した。
中に入ると、私と伶の荷物が2つあるベッドのそばにそれぞれ置いてあって。
そのベッドの距離もなんだか近くて、それだけでドキドキした。
部屋は広くてキレイで、カーテンを開けてみたら、すぐそこには海が広がっている。
しばらくそれを眺めていたけど、夜の海は真っ黒で、何だか少し怖い気がしてカーテンを閉じた。
落ち着かなくて、部屋中をうろうろしてバスルームに行く。
「わー!アメニティがたくさんある」
そこで、ドキドキを誤魔化すように、私は大きな声を出したの。
変だよね。
昔はずっと一緒にいて、一緒のベッドで眠ったりしていたのに。
今は、同じ部屋で過ごすって思っただけでドキドキするの。
普段だって、家にはほとんど私と伶の2人なのに。
…なんでかな?
今日、すっごく久しぶりに手を繋いだりしたせいかな?
「玲奈、先にシャワー浴びていいよ」
伶が、バスルームに顔を出して、そう言ってくれた。
その伶の表情は、いつもと変わらないように見える。
私だけが意識してるのかな?
伶と繋いだ方の手をじっと見て、その時の感触を思い出す。
久しぶりに繋いだ伶の手は、昔より大きくなっていて、骨張っていて…温かかった。
『触らないで!!』
あの時の言葉は、許してくれたの?
あんなひどい事を言った私を、許してくれた?
それとも、人混みではぐれそうだから仕方なくだったのかな。
私は、すごく嬉しかったよ。
自分で拒絶したくせに、こんなのおかしいよね。
でも嬉しくて、あの日以来止まっていた時間が、少しだけ動いた気がしたの。
「伶、おふろあがったよ~」
そろりとバスルームから出て伶の姿を探すと、ベッドの上で枕を背中に当ててテレビを見ていた。
私に気づいて、目があった。
…と、思ったら。
「玲奈!なんつー格好してんだ…」
慌てて上半身を起こして、足をベッドから下ろす伶。
すぐに頭を抱えたけれど、ちらっと見えた表情は険しかった。
「あ…、さっき、シャワー浴びていいよって言われてそのままお風呂入っちゃって…。下着とか準備してなくって、それで…」
バスタオル1枚巻きつけただけの私。
伶が怒ってるみたいで、しどろもどろになる。
「それと私…パジャマ持ってくるの忘れた…」
ついでに、忘れ物の申告。
そうしたら、はあ…と深いため息をつかれてしまった。
それから伶は立ち上がって、自分のスーツケースを開ける。
呆れられちゃったのかもって、しゅんとする私に、伶は自分のTシャツを差し出してくれた。
「コレ着て寝な」
「あ…でも…」
「余分に持ってきてるから大丈夫。早く着替えて髪乾かしておいで」
そう言うと、伶はすぐに私に背を向けて、部屋の奥にあるソファに座った。
自分の荷物の中から下着を取り出して、バスルームに戻って、伶が貸してくれたTシャツに着替える。
…おおきい…。
腕は肘まで隠れるし、裾もお尻はすっぽり隠れる長さ。
なんだか伶に包まれてるみたいで、少し嬉しかった。
「伶、Tシャツありがとう。バスルーム使っていいよ」
「うん」
声をかけると、ソファに座ったまま、こっちを見向きもせずに伶は返事をした。
私の位置から見ると、ちょうど背を向けてる状態で…伶の表情は見えない。
怒ってるのかな…
呆れちゃってるのかな…
そう思いながら、自分の荷物の整理をした。
その横を伶はスッと通り抜けてバスルームへ行く。
しばらくすると、シャワーの音が聞こえてきた。
明日着る服を出して。
必要なものを揃えたり、今日買ったものをスーツケースにしまったり。
つけっぱなしになってたテレビを見たり。
気づけば、すごく時間が経ってる気がするのに、伶はまだバスルームから出てこない。
シャワーの音はしなくなってるけど…?
どうしちゃったのかな。
気になってソワソワする私。
しばらく待ってみたけど、伶が出てこないから様子を見に行くことにした。
「ねえ~、伶ー…」
バスルームのドアをゆっくり開ける。
「ん?…あ、ココ使いたかった?」
すぐに私に気づいてこっちを見る伶。
スウェットに、上半身裸。
濡れてる髪をタオルで拭いてるとこだった。
「ううん!!」
私はすぐさまドアを閉じる。
「伶、遅いな~って気になって見に来ただけ!」
それだけ言うと、小走りで自分が使うベッドまで戻る。
それから布団を頭までかぶった。
久しぶりに見る伶の裸が。
昔と全然違ってびっくりした。
あんなに筋肉あった?
あれ?
私が知ってる伶と全然違くて…
ドキドキする。
男の人…って感じになってた。
伶のことをぐるぐる考えてるうちに、私はいつの間にか、眠っていた。
「あはは!そっか、昨日は盛りだくさんな1日だったんだね」
私の話が終わったところで、透が笑ってそう言った。
私が行きたいって言った水族館に向かうバスの中。
着くまで寝たいからって伶は1人で座って、その前の座席に私と透が隣同士で座った。
透に、昨日何してたの?って聞かれて、1日のことをざっと一通り話したの。
朝から遊んだこと、
手を繋いでもらったこと、
海がキレイで何時間も砂浜にいたこと、
ホテルの部屋が同じだったこと。
「伶が寝不足なわけだ」
座席のシートの隙間から、後ろをチラリと覗きながら透は声を押し殺して笑う。
「え、なんで?なんで??私、疲れてたからすぐ眠っちゃって…もしかしてイビキとかかいちゃってたのかな?」
「そーいうんじゃない」
「えー…?」
私もシートの隙間から、後ろの席に座っている伶を見る。
…気持ちよさそうに寝てる。
昨日はどうして眠れなかったのかな…。
「玲奈、久しぶりに伶と手をつないだんでしょ?どうだった?」
話題を変えるように、透がそう聞いてきた。
その質問に、少しだけ考える。
「…いつの間にか、大きくなってた…」
その答えに、透は微笑んだ。
「それにね」
私は透の方を向いて、聞いて!って言わんばかりの勢いで続けた。
「伶の裸を見たら、なんか筋肉ついて細マッチョ?みたいになってて!私が知ってる伶と全然違くなってたの」
私の話を聞いて、透はおかしそうに声を出して笑う。
「え?なになに?伶の裸見たの?」
「上半身だけだよ」
「盗み見でもした?」
「違うよー!堂々と見た。…じゃなくって」
知らないうちに、伶がすごく大人になっていて…。
伶の大きくて温かい手も、
うっすらと筋肉のついたしなやかな身体も、
「すごく…ドキドキしたの……」
その言葉に、透は私の頭をくしゃっと撫でる。
透の方を見ると、優しい顔で微笑んでいた。
「でもさー…」
少し間を置いて、透は前を向くと口を尖らせる。
「オレだってけっこう筋肉あるんだぞ!プロテインとか飲むし!筋トレするし!なのに玲奈はオレにはドキドキしてくれないよね~」
私と透はたまに寝るけど。
でもお互いを思い合ってる関係じゃない。
好きだけど、伶とのそれとは違う。
透も、そういう人がいて、私とのことは違うと思ってる。
「あ~…うん。…でも透だって私にドキドキしたりしないじゃない」
「するよ。裸みれば。男だもん」
「それ私じゃなくても誰でもってことでしょー!?…あ、あれっ」
「どうした?」
話の途中で、ある事を思い出した。
「私はすごくドキドキしたけど、伶はバスタオル1枚の私見てもフツーだった。てゆーか、むしろため息つかれた」
それを聞いた透は吹き出す。
「え、なに、笑うとこ?」
「伶がかわいそう」
「どうして?…あ!私がグラマラスじゃないから?」
…伶は、他の女の人のカラダ見慣れてるから、私のあんな格好くらいじゃ何とも思わなくなったのかなあ…。
「心配しなくても、玲奈はちゃんと出るとこ出てる。イイ女だよ」
「そうかな、ありがとう」
透の言葉に、両手で胸を押さえてお礼を言う私。
…あれ、透に誤魔化された。
もうそれ以上はこの話題に触れられず、窓の外の風景に目をやった。
海沿いの道。
キレイな青色の海が続く。
…そういえば昨日、砂浜に座って海を見てる時。
心地いい風が吹いてきて、目を閉じたの。
目を閉じても、その美しい風景は脳裏に焼き付いていて、私の前に広がっていた。
静かに繰り返す波の音。
頬を撫でる風。
ふいに…頭の中に歌が流れた。
たった一曲、短い間だけだったけど。
少しだけ気持ちを取り戻せたような気がした。
あの時、流れた歌は…
大好きなフィガロの結婚のアリアだった。
『恋とはどんなものかしら』
…私も知りたい。
伶にドキドキするのは、恋なの?
ようやく目的地に着いて、バスから降りる。
「あー…よく寝た」
思いっきり伸びをする伶。
伶の伸ばした手の先を見上げると、眩しい太陽の光が目に入った。
…ああ、きっとこの南国の太陽のせいね。
いつもと気分が違うのは。
昨日からずっとそう。
明るい陽射しと包み込むように吹く風が、私の心をドキドキさせる。
「玲奈?どうしたの?楽しみにしてたところでしょ。ぼーっとしてないで行くよ」
伶が振り向いて私を呼ぶ。
「玲奈おいてくよーー!!」
それよりも前を行く透にも呼ばれて、私は2人を追いかけた。
「わぁ———……」
大きな水槽の前で、思わず感嘆の声をあげた。
青くきらめく水槽の中、たくさんの魚が悠然と泳いでいる。
どれくらい立ち尽くしてただろう。
「…玲奈、水族館大好きだなあ」
動こうとしない私を透は笑った。
「オレ、先にギフトショップ行ってるからね~」
「分かった」
透と伶のやりとりは聞こえていたけれど、水槽から目を離せない私。
すごく混んでいて、周りの人はどんどん入れ替わる。
それでも水槽にかじりついている私に、伶は黙って付き合ってくれた。
「——玲奈、そろそろ…」
ガツン!!
伶が私に声をかけた時。
私の隣に立っていた人が、振り向きざまに思いっきり私の肩にぶつかる。
「いた…っ」
「玲奈!」
よろけた私をとっさに支えてくれる伶。
「あ…ありがと」
気づけば、伶の腕の中にいた。
…え?
腕の中…?
顔は伶の胸にくっついてる…。
自分が今置かれてる状況を瞬時に整理する。
それと同時に、心臓がドキンと音を立てた。
視線を上げると、すぐそこに伶の顔。
「大丈夫?」
「う、うん…」
「時間なくなっちゃうし、そろそろ行こ」
肩を抱かれたまま、人混みを抜ける。
力強くて、温かい…。
人が少なくなったところで、伶は私の肩にまわしていた手をスッとおろした。
…だけど。
私の心臓はドキドキいったまま。
伶が触れていた右の肩が熱い。
いつも通り、半歩前を歩く伶はどんな顔をしてるんだろう。
私、今、火を吹きそうなほど顔が熱い。
昨日、頭の中で流れた歌の歌詞を思い出す。
"たくさんの欲求を感じていて
それはときに喜びかと思ったら
すぐに苦悩となってしまう
凍てついたかと思うと次には心が燃え上がって
そしてまたすぐ心は冷たく凍ってしまう"
嬉しい!って思った次の瞬間には、
これでいいのかな?大丈夫かな?って
気になるの。
色々考えすぎては苦しくなる。
だけど伶のちょっとした言動で、
心が燃えるように熱くなる。
今も、そう。
熱くて熱くて…
そうしたら今度は、また凍てつくようなことが待ってるの———?
———もし、
もし
願いが叶うなら。
子どもの頃に話した、おとぎの国のような、伶と2人だけの世界に行きたい。
ドキドキ心臓が飛び出しそうになったり、
悲しみで絶望するようなことはいらないの。
心の振り幅が大きすぎて、感情が揺さぶられるのは嫌だから。
ただ、子どもの頃の心のまま、
伶と2人で穏やかに幸せに暮らしたい。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる
えくれあ
恋愛
丞相の娘として生まれながら、蔡 重華は生まれ持った髪の色によりそれを認められず使用人のような扱いを受けて育った。
一方、母違いの妹である蔡 鈴麗は父親の愛情を一身に受け、何不自由なく育った。そんな鈴麗は、破格の待遇での皇帝への輿入れが決まる。
しかし、わがまま放題で育った鈴麗は輿入れ当日、後先を考えることなく逃げ出してしまった。困った父は、こんな時だけ重華を娘扱いし、鈴麗が見つかるまで身代わりを務めるように命じる。
皇帝である李 晧月は、後宮の妃嬪たちに全く興味を示さないことで有名だ。きっと重華にも興味は示さず、身代わりだと気づかれることなくやり過ごせると思っていたのだが……
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる