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第1章 春

7. (Rena side)

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一緒に絵本を見ながら、2人で色々想像した。

『伶とわたしと、動物だけの世界に行ってみたい』
そう言った私に、伶も
『そうしたいね』って答えてくれた。

森の中で、伶と私がひとつの家に住んでいて、
リスやウサギなどの小動物が果物を運んできてくれる。
動物たちとはおしゃべりができて、
みんな大好きで、みんな仲良し。

毎日みんなで歌を歌ったり、花冠をつくったり。
楽しく幸せに暮らすの。


「おはよー!!」
ホテルのロビーで、透が私たちに向かって大きく手を振っていた。
旅行に来て、2日目の朝。
「おはよう~」
駆け寄る私に、後ろからゆっくり歩いてくる伶。

「玲奈、行きたいところ決めた?」
「いっぱいあるから、伶が予定組んでくれたよ!」
はしゃぐ私たちに対して、伶は少しだけ機嫌が悪そうだった。
「伶、どうしたの?」
透が不思議そうにそう尋ねる。
「……寝不足なだけ。行こう、時間足りなくなるし」
そう言い終わると、伶は大きなあくびをした。


…昨日、伶と1日遊んだあと、パパママと合流して晩ご飯を食べた。
そのあとホテルに戻って、みんなでエレベーターに乗っている時、ママが言ったの。
「あ、そうだ。2人の部屋の暗証番号は、2人の誕生日にしてあるからね」
「……え?」
ママの言葉に一瞬考えて、私も伶も同時にそう呟いていた。
「だから、部屋のドア開けるための暗証番号よ」
「そうじゃなくて…」
伶がママに言葉を投げかけた瞬間。
ママがにっこりと笑った。
「それぞれに部屋をとってあげられるほど、余裕はないのよ」
…普段はおっとりしているママだけど、怒るとすっごくこわい。
声を荒げたりすることはなくて、静かにプレッシャーをかけてくる。
今が、まさにそんな感じ…。
「あなたたち、兄妹でしょ?たった3泊くらい、同じ部屋で過ごすのに文句言ったりしないわよね?」
ものすごい圧力を感じて、私も伶も、ハイと返事する以外なかった。
「じゃあ、2人の部屋はココ。父さんたちは隣の部屋だからね」
パパにそう言われて、私と伶は部屋の前に取り残された。
「…伶、とりあえず、入ろ?」
2人で呆然としばらく立ち尽くしたあと、エレベーターが開く音がして我に返る。
それで、私がドアのスマートキーを解除した。

中に入ると、私と伶の荷物が2つあるベッドのそばにそれぞれ置いてあって。
そのベッドの距離もなんだか近くて、それだけでドキドキした。
部屋は広くてキレイで、カーテンを開けてみたら、すぐそこには海が広がっている。
しばらくそれを眺めていたけど、夜の海は真っ黒で、何だか少し怖い気がしてカーテンを閉じた。
落ち着かなくて、部屋中をうろうろしてバスルームに行く。
「わー!アメニティがたくさんある」
そこで、ドキドキを誤魔化すように、私は大きな声を出したの。

変だよね。
昔はずっと一緒にいて、一緒のベッドで眠ったりしていたのに。
今は、同じ部屋で過ごすって思っただけでドキドキするの。
普段だって、家にはほとんど私と伶の2人なのに。
…なんでかな?
今日、すっごく久しぶりに手を繋いだりしたせいかな?

「玲奈、先にシャワー浴びていいよ」
伶が、バスルームに顔を出して、そう言ってくれた。
その伶の表情は、いつもと変わらないように見える。

私だけが意識してるのかな?

伶と繋いだ方の手をじっと見て、その時の感触を思い出す。
久しぶりに繋いだ伶の手は、昔より大きくなっていて、骨張っていて…温かかった。

『触らないで!!』

あの時の言葉は、許してくれたの?
あんなひどい事を言った私を、許してくれた?
それとも、人混みではぐれそうだから仕方なくだったのかな。

私は、すごく嬉しかったよ。
自分で拒絶したくせに、こんなのおかしいよね。
でも嬉しくて、あの日以来止まっていた時間が、少しだけ動いた気がしたの。

「伶、おふろあがったよ~」
そろりとバスルームから出て伶の姿を探すと、ベッドの上で枕を背中に当ててテレビを見ていた。
私に気づいて、目があった。
…と、思ったら。
「玲奈!なんつー格好してんだ…」
慌てて上半身を起こして、足をベッドから下ろす伶。
すぐに頭を抱えたけれど、ちらっと見えた表情は険しかった。
「あ…、さっき、シャワー浴びていいよって言われてそのままお風呂入っちゃって…。下着とか準備してなくって、それで…」
バスタオル1枚巻きつけただけの私。
伶が怒ってるみたいで、しどろもどろになる。
「それと私…パジャマ持ってくるの忘れた…」
ついでに、忘れ物の申告。
そうしたら、はあ…と深いため息をつかれてしまった。
それから伶は立ち上がって、自分のスーツケースを開ける。
呆れられちゃったのかもって、しゅんとする私に、伶は自分のTシャツを差し出してくれた。
「コレ着て寝な」
「あ…でも…」
「余分に持ってきてるから大丈夫。早く着替えて髪乾かしておいで」
そう言うと、伶はすぐに私に背を向けて、部屋の奥にあるソファに座った。

自分の荷物の中から下着を取り出して、バスルームに戻って、伶が貸してくれたTシャツに着替える。
…おおきい…。
腕は肘まで隠れるし、裾もお尻はすっぽり隠れる長さ。
なんだか伶に包まれてるみたいで、少し嬉しかった。

「伶、Tシャツありがとう。バスルーム使っていいよ」
「うん」
声をかけると、ソファに座ったまま、こっちを見向きもせずに伶は返事をした。
私の位置から見ると、ちょうど背を向けてる状態で…伶の表情は見えない。

怒ってるのかな…
呆れちゃってるのかな…

そう思いながら、自分の荷物の整理をした。
その横を伶はスッと通り抜けてバスルームへ行く。
しばらくすると、シャワーの音が聞こえてきた。

明日着る服を出して。
必要なものを揃えたり、今日買ったものをスーツケースにしまったり。
つけっぱなしになってたテレビを見たり。
気づけば、すごく時間が経ってる気がするのに、伶はまだバスルームから出てこない。
シャワーの音はしなくなってるけど…?
どうしちゃったのかな。
気になってソワソワする私。
しばらく待ってみたけど、伶が出てこないから様子を見に行くことにした。

「ねえ~、伶ー…」
バスルームのドアをゆっくり開ける。
「ん?…あ、ココ使いたかった?」
すぐに私に気づいてこっちを見る伶。
スウェットに、上半身裸。
濡れてる髪をタオルで拭いてるとこだった。
「ううん!!」
私はすぐさまドアを閉じる。
「伶、遅いな~って気になって見に来ただけ!」
それだけ言うと、小走りで自分が使うベッドまで戻る。
それから布団を頭までかぶった。

久しぶりに見る伶の裸が。
昔と全然違ってびっくりした。
あんなに筋肉あった?
あれ?
私が知ってる伶と全然違くて…

ドキドキする。

男の人…って感じになってた。

伶のことをぐるぐる考えてるうちに、私はいつの間にか、眠っていた。



「あはは!そっか、昨日は盛りだくさんな1日だったんだね」
私の話が終わったところで、透が笑ってそう言った。

私が行きたいって言った水族館に向かうバスの中。
着くまで寝たいからって伶は1人で座って、その前の座席に私と透が隣同士で座った。
透に、昨日何してたの?って聞かれて、1日のことをざっと一通り話したの。
朝から遊んだこと、
手を繋いでもらったこと、
海がキレイで何時間も砂浜にいたこと、
ホテルの部屋が同じだったこと。

「伶が寝不足なわけだ」
座席のシートの隙間から、後ろをチラリと覗きながら透は声を押し殺して笑う。
「え、なんで?なんで??私、疲れてたからすぐ眠っちゃって…もしかしてイビキとかかいちゃってたのかな?」
「そーいうんじゃない」
「えー…?」
私もシートの隙間から、後ろの席に座っている伶を見る。
…気持ちよさそうに寝てる。
昨日はどうして眠れなかったのかな…。

「玲奈、久しぶりに伶と手をつないだんでしょ?どうだった?」
話題を変えるように、透がそう聞いてきた。
その質問に、少しだけ考える。
「…いつの間にか、大きくなってた…」
その答えに、透は微笑んだ。
「それにね」
私は透の方を向いて、聞いて!って言わんばかりの勢いで続けた。
「伶の裸を見たら、なんか筋肉ついて細マッチョ?みたいになってて!私が知ってる伶と全然違くなってたの」
私の話を聞いて、透はおかしそうに声を出して笑う。
「え?なになに?伶の裸見たの?」
「上半身だけだよ」
「盗み見でもした?」
「違うよー!堂々と見た。…じゃなくって」

知らないうちに、伶がすごく大人になっていて…。
伶の大きくて温かい手も、
うっすらと筋肉のついたしなやかな身体も、
「すごく…ドキドキしたの……」

その言葉に、透は私の頭をくしゃっと撫でる。
透の方を見ると、優しい顔で微笑んでいた。

「でもさー…」
少し間を置いて、透は前を向くと口を尖らせる。
「オレだってけっこう筋肉あるんだぞ!プロテインとか飲むし!筋トレするし!なのに玲奈はオレにはドキドキしてくれないよね~」
私と透はたまに寝るけど。
でもお互いを思い合ってる関係じゃない。
好きだけど、伶とのそれとは違う。
透も、そういう人がいて、私とのことは違うと思ってる。
「あ~…うん。…でも透だって私にドキドキしたりしないじゃない」
「するよ。裸みれば。男だもん」
「それ私じゃなくても誰でもってことでしょー!?…あ、あれっ」
「どうした?」
話の途中で、ある事を思い出した。
「私はすごくドキドキしたけど、伶はバスタオル1枚の私見てもフツーだった。てゆーか、むしろため息つかれた」
それを聞いた透は吹き出す。
「え、なに、笑うとこ?」
「伶がかわいそう」
「どうして?…あ!私がグラマラスじゃないから?」
…伶は、他の女の人のカラダ見慣れてるから、私のあんな格好くらいじゃ何とも思わなくなったのかなあ…。
「心配しなくても、玲奈はちゃんと出るとこ出てる。イイ女だよ」
「そうかな、ありがとう」
透の言葉に、両手で胸を押さえてお礼を言う私。
…あれ、透に誤魔化された。
もうそれ以上はこの話題に触れられず、窓の外の風景に目をやった。

海沿いの道。
キレイな青色の海が続く。

…そういえば昨日、砂浜に座って海を見てる時。
心地いい風が吹いてきて、目を閉じたの。
目を閉じても、その美しい風景は脳裏に焼き付いていて、私の前に広がっていた。
静かに繰り返す波の音。
頬を撫でる風。
ふいに…頭の中に歌が流れた。
たった一曲、短い間だけだったけど。
少しだけ気持ちを取り戻せたような気がした。

あの時、流れた歌は…
大好きなフィガロの結婚のアリアだった。

『恋とはどんなものかしら』

…私も知りたい。
伶にドキドキするのは、恋なの?


ようやく目的地に着いて、バスから降りる。
「あー…よく寝た」
思いっきり伸びをする伶。
伶の伸ばした手の先を見上げると、眩しい太陽の光が目に入った。

…ああ、きっとこの南国の太陽のせいね。
いつもと気分が違うのは。
昨日からずっとそう。
明るい陽射しと包み込むように吹く風が、私の心をドキドキさせる。

「玲奈?どうしたの?楽しみにしてたところでしょ。ぼーっとしてないで行くよ」
伶が振り向いて私を呼ぶ。
「玲奈おいてくよーー!!」
それよりも前を行く透にも呼ばれて、私は2人を追いかけた。

「わぁ———……」
大きな水槽の前で、思わず感嘆の声をあげた。
青くきらめく水槽の中、たくさんの魚が悠然と泳いでいる。
どれくらい立ち尽くしてただろう。
「…玲奈、水族館大好きだなあ」
動こうとしない私を透は笑った。
「オレ、先にギフトショップ行ってるからね~」
「分かった」
透と伶のやりとりは聞こえていたけれど、水槽から目を離せない私。
すごく混んでいて、周りの人はどんどん入れ替わる。
それでも水槽にかじりついている私に、伶は黙って付き合ってくれた。
「——玲奈、そろそろ…」
ガツン!!
伶が私に声をかけた時。
私の隣に立っていた人が、振り向きざまに思いっきり私の肩にぶつかる。
「いた…っ」
「玲奈!」
よろけた私をとっさに支えてくれる伶。
「あ…ありがと」
気づけば、伶の腕の中にいた。
…え?
腕の中…?
顔は伶の胸にくっついてる…。
自分が今置かれてる状況を瞬時に整理する。
それと同時に、心臓がドキンと音を立てた。
視線を上げると、すぐそこに伶の顔。
「大丈夫?」
「う、うん…」
「時間なくなっちゃうし、そろそろ行こ」
肩を抱かれたまま、人混みを抜ける。
力強くて、温かい…。
人が少なくなったところで、伶は私の肩にまわしていた手をスッとおろした。

…だけど。
私の心臓はドキドキいったまま。
伶が触れていた右の肩が熱い。

いつも通り、半歩前を歩く伶はどんな顔をしてるんだろう。
私、今、火を吹きそうなほど顔が熱い。

昨日、頭の中で流れた歌の歌詞を思い出す。

"たくさんの欲求を感じていて
 それはときに喜びかと思ったら
 すぐに苦悩となってしまう

 凍てついたかと思うと次には心が燃え上がって
 そしてまたすぐ心は冷たく凍ってしまう"

嬉しい!って思った次の瞬間には、
これでいいのかな?大丈夫かな?って
気になるの。
色々考えすぎては苦しくなる。

だけど伶のちょっとした言動で、
心が燃えるように熱くなる。

今も、そう。
熱くて熱くて…

そうしたら今度は、また凍てつくようなことが待ってるの———?



———もし、

もし
願いが叶うなら。

子どもの頃に話した、おとぎの国のような、伶と2人だけの世界に行きたい。

ドキドキ心臓が飛び出しそうになったり、
悲しみで絶望するようなことはいらないの。

心の振り幅が大きすぎて、感情が揺さぶられるのは嫌だから。

ただ、子どもの頃の心のまま、
伶と2人で穏やかに幸せに暮らしたい。
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