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第2章 夏
4. (Rena side)
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3年前のあの日までは、
悩みや迷いなんて一切なかった。
物事はすべて
好きかそうじゃないかに分かれていたし、
それを決めるのも簡単だった。
落ち込むほどのネガティブな感情を抱いたこともなければ、
与えられたこともなく、
秩序だった世界でなんの不自由もなく生きていた。
あの日初めて、
自分がいた世界が崩れ去るのを感じたの。
気づけば混沌とした世界の中で
これまで味わったことのない苦しみや痛みを感じて、必死にもがいた。
そして今も、
その世界からは抜け出せず
悩み迷い続けている。
「…あ。あれ、伶じゃない?」
ランチルームの外のテラスで紗弥とおしゃべりしていた時。
階下に見える、向かいの校舎の渡り廊下を紗弥が指さす。
「ほんとだ」
「2年生の女の子に囲まれてるわね」
離れているから、なんの話をしているのかはわからないけれど、伶の表情が柔らかいのは見てとれた。
制服のリボンの色で、学年が分かる。
…2年生の女の子、伶と何を話してるんだろう…。
気になってじっと見ていると、隣で紗弥が言った。
「伶、まぁ透もだけど。2人ともモテるよね」
それで私は紗弥の方を向く。
「たまに告られたりしてるの、知らない?」
「え…」
そうなの!?
びっくりして声にはならず、伶の方に視線を戻した。
思えば、中学生の時だって、クラスメイトの女の子は伶のことをキャーキャー言ってた。
それで私、ひどいこと言われたんだもんね…。
「…玲奈はさ、伶のこと好きよね」
隣で紗弥がふふっと笑いながらそう言った。
「え!?」
また紗弥の方を見る私。
目が合うと、微笑まれる。
「兄妹としてじゃなくて、異性として、っていう意味で」
…え……?
突然の不意打ちに、頭が真っ白になる。
兄妹仲良いよね~的なことじゃなくて、私が伶のことを好きだって、知ってたの?
「ささささ紗弥…??」
「驚かなくていいよ。ずっと知ってたから」
「え?えっ?」
「あ、ごめんね。言うつもりはなかったんだけど、今の玲奈の、伶を見つめる顔みてたらつい言いたくなっちゃって」
「私、どんな顔してた…!?」
「恋してる顔してた」
焦る私に、余裕な表情の紗弥。
「こ…恋?恋ってどんなの……?」
聞き返すと、私の方を見た紗弥は目を丸くしていた。
「え———っ!!!?」
昔は、単純だった。
好きか、そうじゃないか。
私はそれしか知らない。
紗弥にそう言うと、うーん…と悩む。
「好きの種類が違うの、分かる?透に対しての好きと、伶に対しての好きは違うでしょ?」
「うん」
「伶にはドキドキしたり、しない?」
「たまにする」
「色々考えない?」
紗弥は例をいくつかあげてくれた。
こうしたら可愛いって思ってもらえるかな?とか
コレ言ったらどう思われるかな?とか
こういう風に思ってもらいたいな、とか
喜んでくれるかな、とか
悲しませたくないな、とか
「相手の気持ちを推し量ろうとする。そして、相手の心を自分だけのものにしたくなる」
……そうだ。
紗弥が言ってること、分かる。
伶はどう思うかなって考えるもの。
それから、この前、紗弥と出かけた時に思ったこと。
他の人が伶を見るのが嫌。
伶が他の人を見るのも嫌。
そういう、もやもやした気持ちになる。
だから今も、伶が知らない女の子たちと話しているの、嫌だなって思って見てる。
「でも私…そういう醜い心、持つのがイヤで…」
「仕方ないじゃん」
紗弥は私の言葉を、あっさりと否定した。
「人を好きになるって、そういうことだと思う。人の心は自由なはずなのに、それが欲しいのよ。醜くなるし汚くなるし、貪欲になって当たり前。それが、恋でしょ」
「…そうなんだ…」
ドロドロとした感情を持つようになったくせに、そういう嫌な人間になりたくないと思った。
人を好きになるって、真っ白な清廉潔白の心じゃないとダメなんだと思ってた。
恋愛ってとてもキレイで素敵なもののイメージだったから。
…けど、違うのね。
ずっと昔の自分に戻りたいと思っていたけれど、私のこの気持ち、このままでいいんだ……。
「玲奈は、まだよく理解できてなかったのね。そーいえば、伶の方が全然分かりやすかったな」
「…え?」
「伶は玲奈のこと大好きでしょ」
その言葉に、紗弥の顔をまじまじと見てしまう私。
伶が、私のこと大好き…?
「何で眉間にシワ寄せてるの。2人とも見てれば分かるよっ」
「そうなの…?……いつから?」
「仲良くなった頃から」
「えっ、そんな前から?」
「伶のはすぐ分かったよ。玲奈のこと、壊れもの扱うみたいに大事にしてるし、いつもよく見てる。それに玲奈には口調がめちゃくちゃ優しい」
伶が優しいのは知ってる。
小さな頃からずーっとそうだもん。
でも、あんなにひどいことを言った私のこと、ずっと好きでいてくれてたの…?
変わらず優しいのは、兄妹だからじゃなくて?
「玲奈のは…授業中に気づいた。伶の背中を見つめる玲奈を見て、ああそうなんだ…って思ったの」
…紗弥、知ってたんだ。
私が授業中に伶をずっと見てたこと。
出席番号順での席の割り振りは好き。
だって絶対、伶の後ろに座れるもの。
毎日、伶の背中に言葉にできないことを色々問いかけてた。
「紗弥は、どうして何も言わないでくれたの?」
「ふたりがお互いを想いあってるって気づいた時に、透にも同じこと聞かれたの。その時の答えをそのまま玲奈に言うね」
それから紗弥は、こう言った。
"止められない気持ちを知ってるから"
「その時の透には言わなかったんだけど。このままじゃフェアじゃないから、玲奈にはわたしの秘密を教えてあげる」
「なぁに?」
紗弥は一度空を見上げてから、私の方に向き直って微笑んだ。
「わたし、こどもがいる」
「………へ?」
自分でも間の抜けた声が出たなあと思ってしまう。
突然の紗弥の告白に、びっくりしちゃって、うまく返事ができなかった。
こども…?
今まで一度も、そんなそぶり見せたことない。
絶句してる私に、紗弥は説明してくれた。
「中学生の時に通ってた塾のセンセイと、そーゆー関係になっちゃって。彼はその時まだ博士課程の学生で、アルバイトのセンセイだったのね。歳も10コ離れてる。…世間的には、そんなに歳が離れてる中学生なんかに手を出して!って思われるよね。しかも妊娠までさせちゃって」
ふふっと紗弥は笑う。
「でも…好きっていう気持ちは止められなくない?」
真っ直ぐ、前を見据えた瞳。
「わたし、どんなに反対されても全然響かなかった。結婚はまだしてないけど、彼とこどもと3人で暮らしてる。周りが何て言おうと、自分の気持ちは変わらないし、誤魔化せないのよ」
…紗弥は、すごいな。
芯がしっかりしていてブレない。
「だから、玲奈と伶のことを知っても、そうなんだな~って思って黙ってた」
「…紗弥は、兄妹でキモチワルイとか、思わなかったの…?」
クラスメイトだった人たちに言われた、あの日の言葉。
「えっ!なんで!?玲奈!!それもしかして誰かに言われたの!??」
私の質問で、紗弥の表情が一変する。
「今度そんなこと言うやつが出てきたら、すぐに言って。わたしがそいつの首へし折ってやるから!!」
キモチワルイって言わないの?
知ってたのにそんなことは思わず、ずっと黙って仲良くしてくれてたの?
それにあの時のことに対して、怒ってくれるの?
「ぅ……わぁ———ん!!」
気持ちが溢れて、紗弥に抱きついた。
涙が出てくる。
紗弥はぎゅっと私を抱きしめてくれた。
「飲み物買ってきたよー!って、なになに?何で2人で抱き合ってんの?え?玲奈泣いてるの?」
ちょうどそこへ、透が戻ってくる。
「透、きいて!伶と玲奈のことを仲良しだからってキモチワルイって言ったクソヤローがいるのよ。今度現れたら、そいつの首へし折ってやるって玲奈に約束したの!!」
「紗弥、言葉遣いめっちゃ悪いけど、それオレも賛成~。あ、あとクソヤローじゃなくて、クソ女だからね!」
紗弥に抱きついてる私を、透も一緒に抱きしめてくれる。
ずっと気になってた。
伶にあの日の話をしたら、そのあとどうなるのか。
昔みたいに戻りたいけど、そうしたらまた、ネガティブな言葉を投げかけてくる人が絶対にいる。
その時の私はそれにたえられるの?って。
考えても考えても、それが分からなくて。
だから伶に『怖い?』って聞かれたときに、頷いた。
だってこの気持ちを、否定されるのは怖いもの。
紗弥の言う通り、好きって気持ちは止められない。
なくせないものだから、余計に否定されるのは嫌。
… だけど、普通は受け入れてもらえないこの気持ちを、分かってくれる人が近くにいる。
弱虫の心が、少しだけ強くなれた気がした。
「えっ、何事?なんで3人で抱き合ってるの?」
戻ってきた伶が、私たちの様子を見て困惑した表情を浮かべる。
それを見て、私たちはパッと離れた。
「あ、そうそう。玲奈にわたしの秘密を打ち明けてたのよ」
紗弥が誤魔化してくれる。
それで紗弥は、さっき私に教えてくれたことを2人にも話して、その反応に笑っていた。
「ねー玲奈、さっき言いそびれたんだけど」
いつもの帰り道。
並んで歩いていた紗弥が、私の顔を見てそう言った。
「玲奈は、まだあんまり自分の気持ちを理解しきれてないみたいだけどさ」
そう前置きをしてから、私の耳元で囁く。
「もたもたしてると、伶のこと、他の女の子にとられちゃうかもよ~?」
「えっ!!」
思わず紗弥の方を向くと、含みのある笑いで私を見ていた。
「なーに?どうしたのー?」
前を歩いていた透と伶が振り返る。
「なんでもないっ!!」
私は焦って2人に前を向かせる。
紗弥は隣で笑っていた。
…なんだか今日は、盛りだくさんな一日だったなあ…。
思い出して、小さくため息が出る。
まだ何も知らなかった頃の私は、ただ純粋に伶のことが好きで、好きな人と触れ合うことは当たり前だと思っていた。
伶と昔のような関係に戻りたいなって思うけど、何も知らなかった頃と同じようには、戻れないって分かる。
色んな感情が邪魔をするの。
それが、紗弥のいう『恋』なのかな。
こういうドキドキするような、不安定な感情は苦手。
ピアノの前に座って、ポンと鍵盤を押す。
心を、落ち着けたい。
夜はいつも伶がピアノの練習をするけれど、その前に少しだけ弾こうと思った。
ちょうど伶がお風呂に入ってる時間。
ショパンのノクターン。
ゆったり流れるキレイな曲で、なぜかいつも夏の夜になると聴きたくなるの。
それを、自分で弾いた。
心の中のざわざわしたものが、少しずつ落ち着いてくる。
途中で、伶が部屋に入ってきて、後ろに立ったのが分かったけど、そのまま続けた。
静かに曲が終わると、鍵盤から手を離して伶の方へ振り向いた。
「玲奈はやっぱりキレイな曲を弾くのが上手だよね」
伶がそう言って微笑む。
…昔も、よくそう言ってくれたっけ。
「いつも俺が弾いてばっかりだし、今日は玲奈が何か聴かせてよ」
「いいよ」
返事をすると、伶は私の頭をポンポンと撫でて、ソファの方へ歩いていく。
…あ。
ピアノの方へ向き直ってから、気づいた。
私が『触らないで』って言ってから、伶が私に触れることなんかほとんどなかったのに。
今、以前と同じように、自然に頭撫でてくれた。
伶に触れてもらえると、すごく心地いい…。
少し迷って弾く曲を決めた。
平吉毅州の夏の夜のハバネラ。
伶がいつも弾いてくれるような、難しい曲じゃなくて。
こどもの頃に弾いた、懐かしい曲。
私はこの曲が大好きだった。
夢見心地になれるような、綺麗な旋律。
最後はその余韻が残る。
弾き終わって、イスから立ち上がると、ソファの方へ行って伶の隣に腰を下ろした。
「いい選曲。玲奈に合ってる。あれ好きだったよね」
「うん。穏やかな気分になれるから好き」
「…今日は何か荒んでたの?」
「えっ?えーっと…」
伶の質問に声が裏返る。
それで伶に笑われてしまった。
「何かあった?」
せっかく…心を落ち着けたのに。
そんなふうに優しく聞かれると、言わなくちゃいけなくなるじゃない…。
膝を抱えて、どう言おうか少し悩んでから、口を開いた。
「お昼休み、渡り廊下で話してた女の子たち…だれ?」
伶の顔を見れないまま、質問したんだけど、返事がない。
それで恐る恐る伶の顔を見ると、バッチリ目が合ってしまう。
「それってヤキモチ?」
微笑む伶に、私はみるみるうちに顔が赤くなっていくのが分かった。
「私が質問してるの!!」
「あははっ」
伶が声を出して笑う。
「笑わないで!」
「…プリントばら撒いちゃった子がいて、拾うの手伝っただけだよ」
それでも、伶と他の女の子が話してるの見るのは、嫌だな…。
伶の答えに、何も言えずに前を向いた。
「俺も玲奈に質問していい?」
黙っていると、伶が私にそう聞かれる。
「いいよ」
頷いて、伶の方を見た。
「玲奈、昔みたいに戻りたいって言ったでしょ。それって、いつの時の意味?」
「……ぇ…」
言葉に詰まる。
何を聞きたいのかはすぐに分かった。
私が言った"昔"が、子どもの頃を指すのか、それとももう少しあとのことを指すのか。
けれど、漠然としか考えていなかったから、答えられなくて。
伶を見つめたまま固まる私。
「手を繋ぐとか、ハグするとか?」
少し間を空けて伶が続ける。
「それとも…」
伶の指が、私の唇に触れた。
視線が絡み合う。
「ここから先は…?」
どうしよう。
なんて言ったらいいの?
キスと、それよりももっと先……。
「…なんてね、冗談」
唇に触れていた伶の指が離れて、眉間がその指先で軽く押される。
「そんな顔しないで。とって食ったりしないから」
伶は笑いながらそう言って、ソファから立ち上がるとピアノの方へ歩いて行く。
心臓が、うるさいほどドキドキいっていた。
私、どうしたいんだろう。
固まったまま動けず、頭の中で思考をめぐらせる。
頭を撫でてもらえたり、ぎゅってしてもらうのは好き。
すごく安心するし心地いい。
昔みたいに、それができるようになったら嬉しい。
じゃあ、その先は?
伶が指で触れた唇…、この前も思った。
指じゃなくて唇で触れたい……。
じゃあ、それよりも先は?
肌を…重ねたい?
それは罪だと分かっていても…?
何も知らなかった頃は、自然にそうしたいと、当たり前に思っていたけど…。
今は、想像がつかない。
ダメだと分かっていても、できるのかな。
そういう時がきたら、そうなりたいって思うのかな。
それともまた、あの3年前に言われたあの言葉が頭の中を支配するのかな……。
どうしよう。
伶に、何て言ったらいいの…?
———もし、
もし願いが叶うなら。
悩みや迷いなんて、なにもない世界へ行きたい。
この、ごちゃごちゃした感情が入り混じった混沌とした世界に囚われていたくない。
悩んで、迷って、遠回りして選んだ道が
もし間違っていたらと思うと怖くてたまらないの。
クリアな世界でただシンプルに
心のまま生きていければいいのに……。
悩みや迷いなんて一切なかった。
物事はすべて
好きかそうじゃないかに分かれていたし、
それを決めるのも簡単だった。
落ち込むほどのネガティブな感情を抱いたこともなければ、
与えられたこともなく、
秩序だった世界でなんの不自由もなく生きていた。
あの日初めて、
自分がいた世界が崩れ去るのを感じたの。
気づけば混沌とした世界の中で
これまで味わったことのない苦しみや痛みを感じて、必死にもがいた。
そして今も、
その世界からは抜け出せず
悩み迷い続けている。
「…あ。あれ、伶じゃない?」
ランチルームの外のテラスで紗弥とおしゃべりしていた時。
階下に見える、向かいの校舎の渡り廊下を紗弥が指さす。
「ほんとだ」
「2年生の女の子に囲まれてるわね」
離れているから、なんの話をしているのかはわからないけれど、伶の表情が柔らかいのは見てとれた。
制服のリボンの色で、学年が分かる。
…2年生の女の子、伶と何を話してるんだろう…。
気になってじっと見ていると、隣で紗弥が言った。
「伶、まぁ透もだけど。2人ともモテるよね」
それで私は紗弥の方を向く。
「たまに告られたりしてるの、知らない?」
「え…」
そうなの!?
びっくりして声にはならず、伶の方に視線を戻した。
思えば、中学生の時だって、クラスメイトの女の子は伶のことをキャーキャー言ってた。
それで私、ひどいこと言われたんだもんね…。
「…玲奈はさ、伶のこと好きよね」
隣で紗弥がふふっと笑いながらそう言った。
「え!?」
また紗弥の方を見る私。
目が合うと、微笑まれる。
「兄妹としてじゃなくて、異性として、っていう意味で」
…え……?
突然の不意打ちに、頭が真っ白になる。
兄妹仲良いよね~的なことじゃなくて、私が伶のことを好きだって、知ってたの?
「ささささ紗弥…??」
「驚かなくていいよ。ずっと知ってたから」
「え?えっ?」
「あ、ごめんね。言うつもりはなかったんだけど、今の玲奈の、伶を見つめる顔みてたらつい言いたくなっちゃって」
「私、どんな顔してた…!?」
「恋してる顔してた」
焦る私に、余裕な表情の紗弥。
「こ…恋?恋ってどんなの……?」
聞き返すと、私の方を見た紗弥は目を丸くしていた。
「え———っ!!!?」
昔は、単純だった。
好きか、そうじゃないか。
私はそれしか知らない。
紗弥にそう言うと、うーん…と悩む。
「好きの種類が違うの、分かる?透に対しての好きと、伶に対しての好きは違うでしょ?」
「うん」
「伶にはドキドキしたり、しない?」
「たまにする」
「色々考えない?」
紗弥は例をいくつかあげてくれた。
こうしたら可愛いって思ってもらえるかな?とか
コレ言ったらどう思われるかな?とか
こういう風に思ってもらいたいな、とか
喜んでくれるかな、とか
悲しませたくないな、とか
「相手の気持ちを推し量ろうとする。そして、相手の心を自分だけのものにしたくなる」
……そうだ。
紗弥が言ってること、分かる。
伶はどう思うかなって考えるもの。
それから、この前、紗弥と出かけた時に思ったこと。
他の人が伶を見るのが嫌。
伶が他の人を見るのも嫌。
そういう、もやもやした気持ちになる。
だから今も、伶が知らない女の子たちと話しているの、嫌だなって思って見てる。
「でも私…そういう醜い心、持つのがイヤで…」
「仕方ないじゃん」
紗弥は私の言葉を、あっさりと否定した。
「人を好きになるって、そういうことだと思う。人の心は自由なはずなのに、それが欲しいのよ。醜くなるし汚くなるし、貪欲になって当たり前。それが、恋でしょ」
「…そうなんだ…」
ドロドロとした感情を持つようになったくせに、そういう嫌な人間になりたくないと思った。
人を好きになるって、真っ白な清廉潔白の心じゃないとダメなんだと思ってた。
恋愛ってとてもキレイで素敵なもののイメージだったから。
…けど、違うのね。
ずっと昔の自分に戻りたいと思っていたけれど、私のこの気持ち、このままでいいんだ……。
「玲奈は、まだよく理解できてなかったのね。そーいえば、伶の方が全然分かりやすかったな」
「…え?」
「伶は玲奈のこと大好きでしょ」
その言葉に、紗弥の顔をまじまじと見てしまう私。
伶が、私のこと大好き…?
「何で眉間にシワ寄せてるの。2人とも見てれば分かるよっ」
「そうなの…?……いつから?」
「仲良くなった頃から」
「えっ、そんな前から?」
「伶のはすぐ分かったよ。玲奈のこと、壊れもの扱うみたいに大事にしてるし、いつもよく見てる。それに玲奈には口調がめちゃくちゃ優しい」
伶が優しいのは知ってる。
小さな頃からずーっとそうだもん。
でも、あんなにひどいことを言った私のこと、ずっと好きでいてくれてたの…?
変わらず優しいのは、兄妹だからじゃなくて?
「玲奈のは…授業中に気づいた。伶の背中を見つめる玲奈を見て、ああそうなんだ…って思ったの」
…紗弥、知ってたんだ。
私が授業中に伶をずっと見てたこと。
出席番号順での席の割り振りは好き。
だって絶対、伶の後ろに座れるもの。
毎日、伶の背中に言葉にできないことを色々問いかけてた。
「紗弥は、どうして何も言わないでくれたの?」
「ふたりがお互いを想いあってるって気づいた時に、透にも同じこと聞かれたの。その時の答えをそのまま玲奈に言うね」
それから紗弥は、こう言った。
"止められない気持ちを知ってるから"
「その時の透には言わなかったんだけど。このままじゃフェアじゃないから、玲奈にはわたしの秘密を教えてあげる」
「なぁに?」
紗弥は一度空を見上げてから、私の方に向き直って微笑んだ。
「わたし、こどもがいる」
「………へ?」
自分でも間の抜けた声が出たなあと思ってしまう。
突然の紗弥の告白に、びっくりしちゃって、うまく返事ができなかった。
こども…?
今まで一度も、そんなそぶり見せたことない。
絶句してる私に、紗弥は説明してくれた。
「中学生の時に通ってた塾のセンセイと、そーゆー関係になっちゃって。彼はその時まだ博士課程の学生で、アルバイトのセンセイだったのね。歳も10コ離れてる。…世間的には、そんなに歳が離れてる中学生なんかに手を出して!って思われるよね。しかも妊娠までさせちゃって」
ふふっと紗弥は笑う。
「でも…好きっていう気持ちは止められなくない?」
真っ直ぐ、前を見据えた瞳。
「わたし、どんなに反対されても全然響かなかった。結婚はまだしてないけど、彼とこどもと3人で暮らしてる。周りが何て言おうと、自分の気持ちは変わらないし、誤魔化せないのよ」
…紗弥は、すごいな。
芯がしっかりしていてブレない。
「だから、玲奈と伶のことを知っても、そうなんだな~って思って黙ってた」
「…紗弥は、兄妹でキモチワルイとか、思わなかったの…?」
クラスメイトだった人たちに言われた、あの日の言葉。
「えっ!なんで!?玲奈!!それもしかして誰かに言われたの!??」
私の質問で、紗弥の表情が一変する。
「今度そんなこと言うやつが出てきたら、すぐに言って。わたしがそいつの首へし折ってやるから!!」
キモチワルイって言わないの?
知ってたのにそんなことは思わず、ずっと黙って仲良くしてくれてたの?
それにあの時のことに対して、怒ってくれるの?
「ぅ……わぁ———ん!!」
気持ちが溢れて、紗弥に抱きついた。
涙が出てくる。
紗弥はぎゅっと私を抱きしめてくれた。
「飲み物買ってきたよー!って、なになに?何で2人で抱き合ってんの?え?玲奈泣いてるの?」
ちょうどそこへ、透が戻ってくる。
「透、きいて!伶と玲奈のことを仲良しだからってキモチワルイって言ったクソヤローがいるのよ。今度現れたら、そいつの首へし折ってやるって玲奈に約束したの!!」
「紗弥、言葉遣いめっちゃ悪いけど、それオレも賛成~。あ、あとクソヤローじゃなくて、クソ女だからね!」
紗弥に抱きついてる私を、透も一緒に抱きしめてくれる。
ずっと気になってた。
伶にあの日の話をしたら、そのあとどうなるのか。
昔みたいに戻りたいけど、そうしたらまた、ネガティブな言葉を投げかけてくる人が絶対にいる。
その時の私はそれにたえられるの?って。
考えても考えても、それが分からなくて。
だから伶に『怖い?』って聞かれたときに、頷いた。
だってこの気持ちを、否定されるのは怖いもの。
紗弥の言う通り、好きって気持ちは止められない。
なくせないものだから、余計に否定されるのは嫌。
… だけど、普通は受け入れてもらえないこの気持ちを、分かってくれる人が近くにいる。
弱虫の心が、少しだけ強くなれた気がした。
「えっ、何事?なんで3人で抱き合ってるの?」
戻ってきた伶が、私たちの様子を見て困惑した表情を浮かべる。
それを見て、私たちはパッと離れた。
「あ、そうそう。玲奈にわたしの秘密を打ち明けてたのよ」
紗弥が誤魔化してくれる。
それで紗弥は、さっき私に教えてくれたことを2人にも話して、その反応に笑っていた。
「ねー玲奈、さっき言いそびれたんだけど」
いつもの帰り道。
並んで歩いていた紗弥が、私の顔を見てそう言った。
「玲奈は、まだあんまり自分の気持ちを理解しきれてないみたいだけどさ」
そう前置きをしてから、私の耳元で囁く。
「もたもたしてると、伶のこと、他の女の子にとられちゃうかもよ~?」
「えっ!!」
思わず紗弥の方を向くと、含みのある笑いで私を見ていた。
「なーに?どうしたのー?」
前を歩いていた透と伶が振り返る。
「なんでもないっ!!」
私は焦って2人に前を向かせる。
紗弥は隣で笑っていた。
…なんだか今日は、盛りだくさんな一日だったなあ…。
思い出して、小さくため息が出る。
まだ何も知らなかった頃の私は、ただ純粋に伶のことが好きで、好きな人と触れ合うことは当たり前だと思っていた。
伶と昔のような関係に戻りたいなって思うけど、何も知らなかった頃と同じようには、戻れないって分かる。
色んな感情が邪魔をするの。
それが、紗弥のいう『恋』なのかな。
こういうドキドキするような、不安定な感情は苦手。
ピアノの前に座って、ポンと鍵盤を押す。
心を、落ち着けたい。
夜はいつも伶がピアノの練習をするけれど、その前に少しだけ弾こうと思った。
ちょうど伶がお風呂に入ってる時間。
ショパンのノクターン。
ゆったり流れるキレイな曲で、なぜかいつも夏の夜になると聴きたくなるの。
それを、自分で弾いた。
心の中のざわざわしたものが、少しずつ落ち着いてくる。
途中で、伶が部屋に入ってきて、後ろに立ったのが分かったけど、そのまま続けた。
静かに曲が終わると、鍵盤から手を離して伶の方へ振り向いた。
「玲奈はやっぱりキレイな曲を弾くのが上手だよね」
伶がそう言って微笑む。
…昔も、よくそう言ってくれたっけ。
「いつも俺が弾いてばっかりだし、今日は玲奈が何か聴かせてよ」
「いいよ」
返事をすると、伶は私の頭をポンポンと撫でて、ソファの方へ歩いていく。
…あ。
ピアノの方へ向き直ってから、気づいた。
私が『触らないで』って言ってから、伶が私に触れることなんかほとんどなかったのに。
今、以前と同じように、自然に頭撫でてくれた。
伶に触れてもらえると、すごく心地いい…。
少し迷って弾く曲を決めた。
平吉毅州の夏の夜のハバネラ。
伶がいつも弾いてくれるような、難しい曲じゃなくて。
こどもの頃に弾いた、懐かしい曲。
私はこの曲が大好きだった。
夢見心地になれるような、綺麗な旋律。
最後はその余韻が残る。
弾き終わって、イスから立ち上がると、ソファの方へ行って伶の隣に腰を下ろした。
「いい選曲。玲奈に合ってる。あれ好きだったよね」
「うん。穏やかな気分になれるから好き」
「…今日は何か荒んでたの?」
「えっ?えーっと…」
伶の質問に声が裏返る。
それで伶に笑われてしまった。
「何かあった?」
せっかく…心を落ち着けたのに。
そんなふうに優しく聞かれると、言わなくちゃいけなくなるじゃない…。
膝を抱えて、どう言おうか少し悩んでから、口を開いた。
「お昼休み、渡り廊下で話してた女の子たち…だれ?」
伶の顔を見れないまま、質問したんだけど、返事がない。
それで恐る恐る伶の顔を見ると、バッチリ目が合ってしまう。
「それってヤキモチ?」
微笑む伶に、私はみるみるうちに顔が赤くなっていくのが分かった。
「私が質問してるの!!」
「あははっ」
伶が声を出して笑う。
「笑わないで!」
「…プリントばら撒いちゃった子がいて、拾うの手伝っただけだよ」
それでも、伶と他の女の子が話してるの見るのは、嫌だな…。
伶の答えに、何も言えずに前を向いた。
「俺も玲奈に質問していい?」
黙っていると、伶が私にそう聞かれる。
「いいよ」
頷いて、伶の方を見た。
「玲奈、昔みたいに戻りたいって言ったでしょ。それって、いつの時の意味?」
「……ぇ…」
言葉に詰まる。
何を聞きたいのかはすぐに分かった。
私が言った"昔"が、子どもの頃を指すのか、それとももう少しあとのことを指すのか。
けれど、漠然としか考えていなかったから、答えられなくて。
伶を見つめたまま固まる私。
「手を繋ぐとか、ハグするとか?」
少し間を空けて伶が続ける。
「それとも…」
伶の指が、私の唇に触れた。
視線が絡み合う。
「ここから先は…?」
どうしよう。
なんて言ったらいいの?
キスと、それよりももっと先……。
「…なんてね、冗談」
唇に触れていた伶の指が離れて、眉間がその指先で軽く押される。
「そんな顔しないで。とって食ったりしないから」
伶は笑いながらそう言って、ソファから立ち上がるとピアノの方へ歩いて行く。
心臓が、うるさいほどドキドキいっていた。
私、どうしたいんだろう。
固まったまま動けず、頭の中で思考をめぐらせる。
頭を撫でてもらえたり、ぎゅってしてもらうのは好き。
すごく安心するし心地いい。
昔みたいに、それができるようになったら嬉しい。
じゃあ、その先は?
伶が指で触れた唇…、この前も思った。
指じゃなくて唇で触れたい……。
じゃあ、それよりも先は?
肌を…重ねたい?
それは罪だと分かっていても…?
何も知らなかった頃は、自然にそうしたいと、当たり前に思っていたけど…。
今は、想像がつかない。
ダメだと分かっていても、できるのかな。
そういう時がきたら、そうなりたいって思うのかな。
それともまた、あの3年前に言われたあの言葉が頭の中を支配するのかな……。
どうしよう。
伶に、何て言ったらいいの…?
———もし、
もし願いが叶うなら。
悩みや迷いなんて、なにもない世界へ行きたい。
この、ごちゃごちゃした感情が入り混じった混沌とした世界に囚われていたくない。
悩んで、迷って、遠回りして選んだ道が
もし間違っていたらと思うと怖くてたまらないの。
クリアな世界でただシンプルに
心のまま生きていければいいのに……。
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