雨傘の狂詩曲

楪 伊緒

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第2章

初恋の記憶

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 「いよっしゃあ!パネル上げてー!」
 あれから数日間寝込み、精神的にも肉体的にも完全に回復した私が、学校に来ることが出来たのは、体育祭当日の日だった。
 先生から奪ってきたメガホンを使って、長がいない間もせっせとパネルを作っていてくれた後輩達が、パネルを校庭の端に飾る作業を行っている。その指揮を取ってんのが私ね。なんもしてないわけじゃない。
 すると、隣にぬっと大きな影が現れる。驚いて目線を隣の影にやると、そこにはひつじが立っていた。
 「ほう、パネルもすげえなぁ」
 腕を組んで、関心したように頷いた。
 だろ?と、ドヤりたいとこだったが、相手が相手なので、「ありがとう」と素っ気なく一言伝えて作業に戻る。
 ひつじは、詰まんねえなとでも言いたげな顔でこちらを睨んできた。なんだコイツ、かまちょ?
 「優姫!どうよ?パネルはぁ?」
 ドンッと呼吸が乱れるほどの衝撃を背中に感じ、後ろを振り向くとそこには菜摘がいた。まだ開始1時間前だって言うのに、もう学ランを着ている。気合い入ってんなぁ。
 「お前なぁ、気合い入れ過ぎなんだよ馬鹿仁科」
 ひつじが菜摘に悪態をつく。え、もうそんな関係?少しの間一緒に練習しただけで?
 「いーんですぅー!ほらおめぇもさっさと着てこいや」
 菜摘もそう言い返して、ひつじの背中をグイグイと押した。
 どうやら、菜摘のフレンドリーはあのひつじにも通用したようだ。恐ろしや、我が親友よ。
 そんな二人の事をマジマジと見ていた私に気付いた2人が、声を合わせて「何見てんだよ!?」と言ってくる。ひゃあ。
 「仲いいんね、菜摘と坤くん」
 若干目を逸らして言った。なんか、怒られそうな気がして。
 「まぁね」
 得意気に言う菜摘の頭をびしっと叩いて、突っ込むひつじも、本気で嫌がってる様ではなかった。
 「ま、頑張れよ。優姫」
 ひつじは、そう言い残して、俺に手を振り、菜摘と去っていった。優姫っていきなり呼び捨てかよ。まぁそうだよな。
 2人は、歩きながらも仲良さそうで、そんな様子を虚ろな目で姿が見えなくなるまで眺めていた。

 「五十鈴!ついに私等の番だね!」
 目を輝かせて、ひつじに話し掛ける菜摘の背中をぼんやりと眺める。菜摘とひつじは、他軍の応援を一緒に眺めていた。
 今は、次の応援合戦に向けての待機・練習中。でも、大抵練習は無しで、ぶっつけ本番で行く。それがまた面白いんだけどね。
 「仲いい・・・」
 ボソッと漏れた嫉妬の言葉は、青春の応援歌にかき消された。
 私は、さっきから意識が上の空だった。もう、菜摘の事など気にしてはいない。何故だろうか。とても、気持ちが悪いのだ。
 応援団として、一緒にひつじと前に立つ菜摘に嫉妬している自分がいる。
 「どうして?」
 答えが返ってくることは無い。2人の真後ろで密かに潜む私の応援は、皆に届くのだろうか。
 俯き、地面の砂を蹴る。ふわりと舞った砂を意味もなく眺めていると、私達の軍の応援合戦開始の掛け声が響いた。
 そして、無意識の間に、応援は終わっていたのだ。

 皆がそれぞれに解散し始める。汗を輝かせた生徒1人1人がかっこよく光って見えた。私は、そんな中、グラウンドの端のネットに1人体育座りして、菜摘の帰りを待っていた。
 菜摘は応援団員なので、パネル下ろしから、テントの折り畳みなど、全てを先陣切って片付けていた。そんなことしたって帰りが遅くなるだけなのに。自分の太股を強く締め付け、顔をうずくめる。
 「上の空だったな、お前。またなんか考え事かよ。忙しい奴だな」
 不意に目の前から声がした。嫌だったあの声が、今は心に染みる。なんで?
 「・・・煩い」
 初めて反抗した気がした。こんなに親しい事を言った気がした。やっと、ひつじにも慣れることが出来た。
 あいつはどんな顔をしているだろうか。怒ってるかな?笑ってる?
 ゆっくりと、相手からは目のみ見えるくらいに顔を微かに上げる。
 「あれ、いない・・・」
 目の前に居ると思っていたひつじは、いなかった。私は肩を落としてガッカリする。あーあ、折角来てくれたと思ったら。
 「馬鹿、こっちだよ」
 横から聞こえたその声。そんな所にいたんだ。
 つい口元が綻ぶ。ひつじが、私の隣に座っている。そんな、優しい幸せ。
 「わかんないよ・・・、そんな所にいても」
 小さく、静かにそう言う。顔は笑顔で、菜摘じゃなくて、私の為にここに来た喜びをめいっぱいに感じた。
 「なんか元気無いなと思ったから・・・、また何かあったんか?」
 心配して眉をひそめるひつじは可愛い。
 「またってなに・・・、別になんもないけど?」
 そんな思いとは裏腹に、苦笑しながら素っ気ない態度を返した。思いは爆発しそうなのに、素直になれない。
 「そう、ならいい」
 ひつじは深い溜息をついて、その場を立ち去ろうと立ち上がった。その時、私は自分の意思も無く、無意識にひつじのジャージを掴んでいた。
 「なんだよ」
 何してんだ私。
 咄嗟に手を引っ込める。何が起きたのか、よく分からないまま、恥ずかしさに呑まれ俯き、私はひつじに手を振った。
 「訳わかんねぇ奴だな。本当に」
 もう顔を真っ赤に染めている時、そんな事を言われた。顔をすぐに上げてみるとひつじはけらけらと笑っている。嘲笑うとかじゃなくて、純粋に。こちらだけを向いて・・・。
 その時私は、まるでシャボン玉の様にふわふわと飛んでゆく感覚を覚えた。幸せなこの瞬間。世界が虹色に変わった気がする。胸は早く私の体を打ち付け、指の先までじわりと暖かいものが広がった。
 「ひつじ」
 この感覚に侵されたまま、私の声は不思議と自然に発された。
 「五十鈴って呼んでいい?」
 夕焼けが眩しい。でも、決して目を細めたくはなかった。真っ直ぐに。座ったままだけど、ひつじと視線を合わせて。
 「・・・」
 ひつじは珍しく顔を赤らめた。口元を手で覆い、恥ずかしそうに視線を逸らす。
 「お前に呼び捨てされると、なんか照れる」
 目線だけをこちらに向けて、そう小さな声で言ってきた。有難いことに、私の身体はまだ侵された状態で、素直になれる。
 すっと飛んでゆくかのようにその場を立ち上がると、五十鈴の前にストンと立った。
 「五十鈴。ばいばい」
 人生最大の喜びを噛み締めている今、私の笑顔はどんなだったのだろうか。
 
 そして、帰宅後。
 私は、もう正常に戻ってしまった頭で今更死ぬ程今日の行動を恥ずかしく思い、そして、五十鈴が好きなことを自覚した。
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