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9. 近付く距離
しおりを挟む覚束無い足取りで邸に戻った私をお父様が出迎えた。
「戻ったか、フリージア! 殿下とはどうだった?」
「……とりあえず、婚約の件は保留にしてもらいました」
「保留!? どういう意味だ? おい、フリージア!」
「そのままの意味です、お父様……」
「??」
もっと詳しく説明しろ!
そう憤るお父様に、今は他に説明する為の言葉が見つからず私は黙り込む事しか出来なかった。
「デュカス……」
自分の部屋に戻った私はそう呟いてベッドに突っ伏す。
そっくり所じゃ無かった。殿下の声も見た目もデュカスそのものだった。違ったのは中身だけ。
その中身も最初は物腰は丁寧なように感じたけれど、段々様子がおかしくなっていって最後はローラン様を思い出させた。
そう、ローラン様。
(もし、シュバルツ殿下がローラン様の生まれ変わりだったら?)
私と同じ様に記憶を持っていたら?
アマーリエが私だと気付いた上での申し込みだとすれば…………怖い。
「分からない。もし、そうならそうまでして執着される理由が分からない!」
◇◇◇
(殿下との約束どうしよう)
殿下との婚約を回避するには来月のパーティー迄に私が婚約していないといけない。
でも、ルーセント様は……
ルーセント様に話すべき?
そんな事を考えながら登校した翌朝、学院に着くと何やら教室が騒がしかった。
(な、何かしら?)
何事だろうと思いながら教室に向かい、中に入ると人だかりが出来ている。
その真ん中に居るのはルーセント様。
何故か分からないけれど、彼が多くの人に囲まれている。
「……?」
「どうしたんだそれ?」「大丈夫か?」そんな声が聞こえて来るのでルーセント様に何か良くない事があったらしいという事だけは分かった。
(こういう時に気軽に近付けない自分の立場が悔しい)
私は席に座り、そこからチラチラとルーセント様の様子を窺う事しか出来ない。
そうして、何度目かのチラ見の時にようやく人の隙間からルーセント様の姿が見えた。
(───え!?)
叫びたくなる気持ちを私は必死に抑えた。
────
「ルーセント様、それはどうしたのですか?」
「……何でもない」
私の質問にルーセント様はプイッと顔を逸らす。
「それは、何でもない、と言って放っておける様子ではないですよ??」
「……」
「ルーセント様!」
放課後、いつものように呼び出したルーセント様に私はそう詰め寄る。
私の婚約問題よりも何よりもルーセント様のこの状態の方が大事だ。
「ちょっと怪我をしただけだ」
「それが、ちょっとですか?」
「ちょっとだ。うっかり怪我をした」
「~~~っ」
どこからどう見ても“ちょっと”では無いし、“うっかり”怪我をしたようには全く見えない。
ルーセント様の顔はボロボロだった。
手当はされているものの、頬は明らかに腫れているし、目の下には誰が見ても分かるほどのはっきりとした青痣が出来ていた。
(明らかに誰かに殴られている……)
「……ルーセント様、隠しているけれど肩にも怪我をしていますよね?」
ビクッとルーセント様の身体が震えた。
そして、私から目を逸らしながら言う。
「な、何の事だ? フリージアの気のせいだろう?」
「いいえ! 今日一日ずっと貴方を見ていて思いました。腕の動きも変でした!」
「……」
どうしてこんなに痛々しい姿になっているの?
何があったの?
誰にやられたの?
(───まさか、シュバルツ殿下……?)
一瞬、そんな事が頭を過ぎったものの、さすがにそれは違う……と否定する。
昨日の今日だ。学院に来ていない殿下に、まだ“私の想い人”がバレているとは思えない。
ちなみに、今日から学院に来たりするのかと怯えていたものの、殿下は今日も登校はしていない様子。私はその事に密かに安堵していた。
(殿下が学院にいたら、彼の目を盗んで二人で会うのもきっと難しくなる)
「───初めて」
「え?」
考え事をしていたら、ルーセント様が小さな声で何か呟く。
「昨日、生まれて初めて我儘を言ったんだ」
「我儘……?」
「どうしても欲しいものがあって」
ドキッ!
そう言って私の頬に手を触れるルーセント様。
「ほ、欲しいものですか?」
「そう」
(な、何で頬を撫でるのーー!?)
突然のスキンシップに私の顔はどんどん赤くなっていく。
「反対されるのも、許されないのも分かっていたけれど、まさかこんなに殴られるとは思っていなかったよ」
「ルーセント様……?」
殴られるほど許されないものって……一体何を欲しがったのかしら?
つまり、ルーセント様の怪我は父親の侯爵様に殴られた……?
「そ、そんなに欲しかった……?」
「あぁ、手遅れになる前にと思ったけど、想像以上に厳しかった」
ルーセント様の瞳がじっと私を見つめる。
見つめられた私はドキドキと胸が大きく高鳴った。
(瞳の色はデュカスと全然違うのに……それでも、“デュカス”だと思えるのはやっぱり、ルーセント様)
「……痛そうです」
私がそっとルーセント様の顔に触れると、彼はフッと笑った。
「そりゃね。ボコボコにされたからね」
「せっかくの麗しいお顔を……」
「フリージア」
ルーセント様の声が真剣なものに変わる。
その事に少しドキドキしながら返事をする。
「は、はい!」
「俺は諦めない」
「は、はい?」
いったい、なんの宣言??
「上手く言えないけれど、自分ではない誰かの“今度は絶対に諦めるな”そんな声が聞こえるんだ」
「え?」
「だから──……」
私の胸のドキドキは最高潮で見つめ合った私達の顔の距離が近付いた……
───そう思った瞬間、
「きゃーーーー! 本物よ!」
「入学式以来!」
「どこどこ?」
「向こうよ! こっちから行く方が近いわ!」
ビクッ!
二人でこっそり過ごしている教室の前をパタパタと走っていく令嬢達らしき声が聞こえて来た。
その声に驚いた私達は慌てて身体を離す。
「な、な、何の騒ぎかしら?」
「そ、そ、そうだな……!」
冷静を装うとするも、心臓がバクバク騒いで落ち着いてくれない。
(い、今、私達、何をしようとしていた!?)
あれでは顔が近付いてまるで……
(か、考え過ぎよ!! 私の願望だわ!)
私が照れくさくて恥ずかしくて顔を覆っている間も、教室の前を何人かの人達がパタパタと走り去って行く。
「……誰か来たんだろうか? 放課後なのに?」
「そうみたい……本物、入学式以来……」
(……あ!)
深く考えなくても、そんな風に騒がれる人なんて、一人しかいない!
───シュバルツ殿下だわ!
赤かった私の顔は一気に冷めた。
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