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64. 脱走兄妹
しおりを挟むなんであれ、脱走のベテラン、ジョシュア・ギルモアは無事に捕まえたので部屋に戻ることになった。
「あっぷぁあ……」
ジロッ
「あうあ!」
ニパッ!
「……あっぷぁあ……」
ジロッ
「あうあ!」
ニパッ!
部屋に向かう途中、ナターシャがうわ言のようにジョシュア・ギルモアの名前を口にしながらジロッと睨むけど、ひたすらニパッと可愛い笑顔を返されている。
そんな明らかに機嫌を損ねたナターシャに向かって、ジョシュア・ギルモアを荷物のように小脇に抱えたガーネットお姉さまが高らかに笑いかけた。
「オーホッホッホ! ナターシャ! あなたいい拳を持っていたわね?」
「うあっあ!」
褒められたナターシャの目がキラッと輝く。
「ホホホ、頭突きにパンチ……ギャフンさせるまでは及ばなくっても強い子は大好きよ」
「うあっあ!」
そして、今度は嬉しそうに笑う。
「あうあ~」
しかし、何故かそこに強引に加わろうとするジョシュア・ギルモア。
そんなベビーを見てエドゥアルトが苦笑した。
「ジョシュア。ガーネット様は君に言ったんじゃないぞ。ナターシャに言ったんだ」
「あうあ!」
「なに? でも、ボクもとっても強い子です! …………まあ、それは充分すぎるほど知ってるが」
「あうあ!」
ジョシュア・ギルモアはニパッと笑ってどうだと言わんばかりに胸を張る。
「いや……だが、ジョシュア。君の場合は強さが違うというか……」
「あうあ!」
「どういうことですか? いや、そう言われても。まあ、それはだな……はっはっは!」
エドゥアルトは笑って誤魔化そうとした。
しかし……
「あうあ! あうあ!」
グイッ
ジョシュア・ギルモアがグイグイとエドゥアルトに迫っていく。
「あうあ~」
「くっ、ジョシュア! なんで君はすぐそうやってグイグイ迫ってくるんだ!?」
「あうあ、あうあ!」
「もちろん、このボクがとっても可愛いからです? 可愛いボクを前にしてうっかり口を滑らせるといいです?……なるほど、使えるものは何でも使う───ガーネット様の教えをしっかり守ってるわけか」
「あうあ!」
ニパッと笑ったジョシュア・ギルモア。
確かにこの子の笑顔は可愛い。
こんな顔に迫られたらうっかり口も滑らすかもしれない。
「はいはーい、ジョシュア。あなたのニパッが無敵なのは、よーーく分かってるから少し大人しくしてなさい!」
「あうあ~」
ガーネットお姉さまに怒られてもニパッ!
ジョシュア・ギルモアはどこまで行ってもマイペースだった。
「────あうあ!」
もうすぐ部屋に着くというところで、ジョシュア・ギルモアがハッと顔を上げて手足をパタパタさせて何かを訴え始めた。
「なに、ジョシュア? いきなり暴れたら床に落とすわよ!?」
「あうあ、あうあ!」
「───それはご褒美というより痛いです! ああ……ジョシュア、君、ちゃんと痛いという感覚はあったのか」
エドゥアルトがポソッと呟いた。
「あうあ!」
「それより、エドゥアルト。ジョシュアは急にパタパタしてどうしたわけ?」
「あ、はい。どうもアイラが起きてます、と」
ガーネットお姉さまに聞かれて説明するエドゥアルト。
「アイラが?」
「あうあ!」
「───天使のお目覚めです! だそうだ」
「相変わらずシスコンね───だけど、アイラ……このタイミングで起きちゃったのね」
ホホホ……と笑っていたガーネットお姉さまがすぐに険しい表情になる。
「あーあっうあ?」
ガーネットお姉さまの雰囲気が変わったのでナターシャが不思議そうな顔をしている。
「ホーホッホッ……いいこと? うちのお姫さまのアイラはね」
「うあっあ」
深刻な雰囲気を感じ取ったナターシャがじっとガーネットお姉さまを見つめる。
「お昼寝から目が覚めた時に……」
「うあっあ」
「この、アイラ大好きシスコンジョシュアの姿が見えないと───」
ガーネットお姉さまが、“この”と言ってジョシュアギルモアにチラッと視線を送る。
「あうあ~」
「あーあっうあ?」
ふぅ、とガーネットお姉さまが大きなため息を吐いた。
「───おにーさまがいませんわ! 捜索しなくちゃいけないですわ、と言って──」
「!」
ナターシャがハッと息を呑んだ。
───脱走するのよ。
そんなあとに続く言葉を察したに違いない。
ガーネットお姉さまが静かに頷いたその瞬間。
「あぁぁぁあ、アイラお嬢様がーー!」
「逃げられたぁぁあ」
「お嬢様ーーーー」
オ~オッオッオッオ!
微かに聞こえるアイラ・ギルモアの笑い声と使用人たちの絶望の声。
「あうあ、あうあ~」
ニパッ、ニパッ!
ジョシュア・ギルモアが手を叩いてキャッキャと楽しそうに笑う。
「聞こえたです? 今のは天使の笑い声です~って、いや、ジョシュア……きっと今、この邸内でそんな風に思って笑っているのは君くらいだろう……」
「あうあ!」
エドゥアルトの言葉にニパッ! と満面の笑みで応えるジョシュア・ギルモア。
「褒めてないぞ?」
「あうあ!」
「くっ! …………あともう少しだけ、目が覚めるのが遅ければ間に合ったのに」
ガーネットお姉さまが悔しそうに唇を噛む。
「アイラお嬢様が消えた……消えました!」
「今日もお嬢様は絶好調のようです」
使用人たちの絶望の声を聞きながら私とエリオットは顔を見合わせる。
「……エリオット」
「ああ。一難去ってまた一難───今度は妹が脱走だ」
「ここの家って静かになる時はあるの?」
「……」
カーン
ギルモア家の邸内には、再び戦いのゴングが鳴ったような気がした。
「───あら、見て。エリオット。ナターシャが眠ってしまったわ」
「ん?」
ジョシュア・ギルモアの脱走に続いて、妹のアイラ・ギルモアの脱走にも巻き込まれたナターシャ。
すっかり疲れ切って眠ってしまった様子。
「……まあ、さすがにそうなるだろ」
「ずっと……あっぷぁあ! って叫んでいたものね」
私が苦笑していると、ナターシャがゴソッと動く。
「…………ぁっぷぁぁ」
とても苦しそうに唸っていた。
(ナターシャ……!)
寝言だけでも分かる。
ナターシャはきっと、また夢の中でもジョシュア・ギルモアを追いかけているに違いない。
そして、ガーネットお姉さまも───
第二の追いかけっこが勃発したことで、ガーネットお姉さまは再び戦場へと向かうことになった。
兄に負けないくらいアイラ・ギルモアも素早くそして予測不能な行動を繰り返し、周囲を翻弄。
その結果……
「むり、もーむり……腰が痛い……」
「…………ぅ、ぁ!」
「そこ、そこよ、アイラ。そこで飛び跳ねて!」
「…………ぅぁ」
アイラ・ギルモアが横たわったガーネットお姉さまの指示を受けて、先程からずっと背中と腰の上で無表情で飛び跳ねている。
(何この光景……)
私は額に手を当てながら下を向いてはぁ、と大きなため息を吐く。
「ねぇ、エリオット。ジョシュア・ギルモアをギャフンさせるどころか、こんなの周囲……ナターシャの方がギャフンされてるみたいじゃない?」
「あうあ~」
「どうしたのよ。あうあ、じゃなくて。はぁ……せめて、あうあはあうあでも、哀のあうあくらいは聞いてみたかったわ……」
「あうあ~」
「……エリオット? ふざけてるの?」
こんな時にあの子の真似? エリオットはどういうつもり……?
そう思って顔を上げた。
「あうあ~~!!」
ニパッ!
「ひ、ひぃっっ!?」
顔を上げた私の目の前に飛び込んできたのは愛しの夫、エリオットの顔…………ではなく、ジョシュア・ギルモアの満面の笑み。
驚いた私は悲鳴をあげて後退る。
「あうあ~~」
「なっ、なっ!? ちょっ……いつの間に!? エリオットォォ!?」
「───すまない、ウェンディ。突然、割り込まれた」
ジョシュア・ギルモアの向こうからエリオットの声がする。
どうやら、エリオットはジョシュア・ギルモアを抱っこしているらしい。
「なっ……」
「あうあ~~」
そんなジョシュア・ギルモアはもう一度私にニパッと笑う!
「えっと、聞いたところで分かる気がしないけど、なにかしら?」
「────今日はおにーさんのおとうさまとおかあさまはずっと何してるです? かくれんぼです? とジョシュアは聞いている」
「!」
背後から聞こえたその声に振り返ると、ギルモア侯爵が立っていた。
「こ、侯爵……」
「ベビーちゃんはお寝んね、アイラもガーネットと遊んでるからお話聞きに行くです、とジョシュアに無理やり連れて来られた」
「あうあ!」
(やっぱりこの子、私たちだって気付いてたんだ……)
あと、ガーネットお姉さまは遊んでるわけじゃない。
あれは死活問題だ。
まあ、きっとピッチピチのベビーにこの気持ちは分からない。
「ほっほっほ! こんなにも完璧な使用人風を装ったのに、よく私だと分かったわね!」
「あうあ!」
ニパッ!
「いえ、ダダ漏れでした! って笑ってるぞ?」
「くっ!」
なんて憎たらしい笑顔と言葉なのかしら。
「あうあ、あうあ!」
「ふむ。ギルモア家の男として、僕は常に人を見る目を磨いているです、とジョシュアは言っている」
「ほっほっほ……意味分かんない」
私はもう笑うことしか出来なかった。
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