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第16話 近付く距離

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「はぁ……」

  帰りの馬車の中で私達はズンッと落ち込み、はぁ……とお互い大きなため息を吐いていた。

「……困りました。明日からどうすればいいのでしょう」
「…………すまない」

  ヒロインが陳腐な悪役のような捨てセリフを吐いていなくなり、ホッとしたのもつかの間。
  その場に残っていた私と殿下は、図書館の責任者に呼び出されて「他の利用者に迷惑です!」と、怒られてしまった。
  そして明日から私達は出入り禁止に……

  (そうよね……前世でも静かにするようにと言われていた場所だった……)

  あれだけ騒いでしまったのだからその措置になるのも納得よ。

「……もっと穏便に対処出来れば良かったんだが」
「グレイ様……」
「あまりにも、クロエ嬢の事をバカにして貶めるような事ばかり口にしていたから……許せなかった」

  そうして頭を抱えて落ち込む殿下に向かって私はそんなことは無いと首を振る。
   ───お前なんか、クロエなんか……
  お父様やジョバンニ様がよく私に対して使う言葉。
  耳にタコが出来るくらい言われてきたので、もう誰に言われても今更傷付くことは無いと思っていたけれど。
  殿下はこうして私の為に怒ってくれた。

「いいえ、グレイ様がたくさん怒ってくれて嬉しかったです」

  私が微笑みながらそう応えると、殿下が何か言いたげな表情で私を見つめてくる。

「クロエ嬢……」
「グレイ様?」

  互いに名前を呼び合って見つめ合った時、突然、馬車がガクンッと大きく揺れた。

「──きゃっ!?」
「危なっ!  クロエ!」
「──っ」

  急な揺れのせいで倒れ込みそうになった私を殿下が慌てて受け止めてくれた。

  馬車は急停止などはせず、そのまま何事もなく走り続けているので、何か事故があったわけではなさそうだった。

  (びっくりしたわ……)

  ホッと安堵の息をつく。

「大丈夫、か?」
「は、はい……驚いただけで……大丈夫で、す」

  殿下の腕の中から顔を上げてそう答えたら、至近距離でパチッと目が合った。

「───!」

  そのあまりの距離の近さに胸がドキンッと大きく跳ねたと思ったら、頬にじわじわと熱が集まって来るのを感じる。

「…………クロエ」
「あ……」

  じっと私の顔を見ていた殿下が小さな声で私の名前を呟くとそのままギュッと抱き込まれた。

  (今、私のこと“クロエ”って呼んだ?)

  急に物理的にも心情的にも、自分たちの距離が縮まってしまったような気がして戸惑いが隠せない。

「……グレイ様……は、離し」
「───嫌だ」
「ま、また、それですか……!」

  いつかもあったこのやり取り。
  今日も殿下は子供みたいなことを言って離してくれない。

「…………誰も見ていない。だから、今は……今だけはもう少し、このままで……」
「グレイ様……」

  (駄目です!  私に触れないでください)

  そう言わなくてはいけない。
  頭では分かっているのに。
  そんな切なそうな声でお願いされてしまったら、そんなこと言えない……いえ、私も言いたくない。

  ───どうしてこんな風に……私を抱きしめるのですか?

  本当はそう聞きたい。聞いてしまいたい。
  でも、聞いてはいけないから。そして、それはきっと殿下も分かっている。
  だから、今だけだと───


「……クロエ」
「え?」
「───君のことをそう呼んでもいいだろうか?」

  しばらくの間、互いの温もりを感じあっていたら、殿下がそんな事を口にした。
  私は驚いて顔を上げて殿下の顔をじっと見る。
  私と同じくらいかもって思えるほど殿下の頬は赤かった。

「……二人っきりの時だけでも構わないから」
「グレイ様」
「そう呼びたい……呼ばせて欲しい」
「!」

  (なんて目で私を見るのーー!)

  いったい、今日の殿下はどうしてしまったの?

「で、では。ひ、人前では……今まで通りでお願い……します」
「……ああ!」

  殿下は嬉しそうに笑いながらもしっかりと頷いた。
  何だかいけない事をしているような気持ちになるけれど、二人きりで過ごすのも試験までの間だしと自分に言い聞かせる。
  名前を呼び捨てにされる事なんて、別に大したことではな───……

「…………クロエ」
「ぅひゃっ!?」

  とんでもなく甘くて色っぽい声に耳元で囁かれた。

  (し、心臓が飛び出すかと……!)

  今もバクバク鳴っていて大変な事になってしまっている。
  停止してしまったらどうしてくれるのよ!
  
「グレイ様……み、耳元は反則です……!」
「え……でも……」

  私が抗議すると殿下は困った顔をする。

「でも……何ですか?」
「あまり、人に聞かれたくないのだろう?  だから、この方がいいと思ったんだ。それに……」
「それに?」

  そう聞き返すと殿下は、またしても私の耳元に顔を近付けそっと囁いた。

「……このほうが、クロエの照れて赤くなった可愛いらしい顔が見られる」
「~~~~!」

  ボンッと音がするくらい一気に私の頬が熱くなった。

「ほら、その顔だ!」
「っっっ!  か、からかってます!?」
「ははは、まさか!」

  殿下は何がそんなに可笑しいのか。クスクスと笑いながら否定する。
  その言葉に私がむぅっと不貞腐れると、更にニコニコして言った。

「……あぁ、そういう顔も新鮮で可愛い」
「ーーーー!!」

  こうして、その後も屋敷に到着するまで、殿下は私を抱き抱えたまま離すことなく、更には耳元で甘い言葉を囁き私を翻弄し続けた。


────


  馬車が止まった。
  おそらく屋敷に着いたのだと思われる。

「……あぁ、ブレイズリ伯爵家に着いたみたいだね、残念」
「……」

  殿下が名残惜しそうにそっと私から離れる。
  やっと……やっと離してくれたわ!
  そのはずなのに、何だか寂しく感じてしまう。

  (寂しい?  ……私ったら何を考えているの!)

  自分に喝を入れる。

「……クロエ」
「は、はい!」
「……そんな顔をするなんて…………本当に君って人はずるい……」
「グレイ様?」

  殿下は少し困ったように笑った。

「……さぁ、降りようか。このまま二人っきりだと私は君に何をするか分からないからね」
「え……?」
「それに、これから試験の日までどこで勉強するかも考えないといけない」
「あ!  そうですね、そうでした」

  図書館にはもう行けないから、代わりの場所を探さないといけない……
  そんな大事な事すら忘れそうになるくらい頭の中がグレイソン殿下の事でいっぱいになってしまっていた。

  (……ダメ!  今は試験のことを考えるのよ……だから気を引き締めなくちゃ!)

  色恋に溺れる訳にはいかないの!  
  そう思いながら殿下に手を引かれ、玄関前に寄せられた馬車から降り立ったその時だった。

「───クロエ!」

  突然、背後から声をかけられる。
  その声にビクッと肩が震えた。

  (この声は……何で……ここに) 

  振り向きたくないと、身体が拒否反応を起こしている。

  (放っておいて欲しいのに……)

「貴様……いったい何処に行っていた!?  それに、一緒に降りてきたその男はどこの誰だ!」
「…………ジョバンニ様」

  仕方なく私は振り向く。
  思った通り……我が家の玄関前には、あの日……私が殴って以来の顔合わせとなるジョバンニ様がギラギラした目で私を待っていた。
 
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