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第86話 黒
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ケルベを取り戻したあと、黒い森の中は静かな時間が流れていた。あれから少しの時間が経ったが、魔力を使い果たしたリディが目を覚ます様子はない。
ケルベと戦ってるときにも聞こえた不気味な声の正体もわかっておらず、魔素の充満しているこの森に長時間いるのは避けたかったが、今はリディの回復を優先して、黒い森の中にとどまっている。
ニケはリディの側に座り、二人を囲うようにケルベ、バジル、グリフの三頭は伏せの格好をして寛いでいた。その様子にニケはリディと初めて会った時のことを思い出した。
あの時も気絶したリディを森の中へ運び、焚き火を囲むようにして今と同じような感じでゆっくりとした時間が流れていた。
ずっとこうして、のんびりとした時間が続けばいいのに。ニケはそんなことを考える。しかし、そろそろリディを起こして山を降りなければ、山の中で夜を過ごすことになる。そうなると、このあたりに住む魔獣に襲われる可能性もある。もっともケルベたちがいれば大丈夫かもしれないが……。
リディの腕は戻っているとはいえ、体調に問題ないかは定かではない。できれば野宿ではなく、ニケの村跡にあるラルゴの家を借りて、リディをちゃんとした場所で寝かせてあげたかった。
「リディ、起きて」
ニケはリディの肩を軽くゆすり、起きるように促す。普段はニケがリディに起こされているため、いつもと立場が逆転だ。何気ないことだが、それがなんだかおかしかった。
リディがニケの呼びかけに反応し、まぶたをゆっくりと開いていた時、それは突然やってきた。
ニケもケルベたち三頭も突如として全身の毛が逆立ち、本能的に警戒態勢を取る。ニケの肌は粟立ち、ニケ自身に今すぐこの場から離れるよう呼びかけている。
寝ぼけ眼だったリディもニケたちと同じく、異様な気配を感じた瞬間に、かっと目を見開き、ニケ越しに黒の森の奥を見据える。
眠気など感じている場合ではなかった。魔素、いや、邪悪の塊のような気配が迫っているのを感じた。
森の奥でゆらゆらと黒い靄が揺れていた。
実体はあるようだが、輪郭ははっきりとせず、背には翼のように靄が広がっていた。
頭部にあたる部分には、鋭く光る赤い目のような光があり、不気味にリディたちを見ているようだった。
黒いそれは徐々にリディたちの方へと近づいてくる。
ニケはその近づいてくる存在から、目が離せなくなっていた。恐怖か、怒りか、自分でもよくわからない感情に心が揺さぶられる。
その黒い靄をかつてニケは見たことがあった。ニケが住んでいた村に突如として現れ、村をこの黒い森のように黒く焼き尽くした存在が、今目の前にいた。
「黒き、竜……」
その姿を見て、村を滅ぼされたあの時の記憶が鮮明に蘇る。二ケの家族も、村の皆もあの竜が吐いた黒い炎に全て焼き尽くされた。あとに残ったのは黒く染まり、全てが壊された村と、ニケだけだった。
ニケと出会って、ニケの話を聞いた時、リディはニケの話を半信半疑に思っていた。黒き竜は遥か昔に倒された、おとぎ話上の存在だ。それが今現れるわけはない、黒き竜に似た魔獣か何かを見間違えたのだろうと思っていた。しかし、こうしてその存在を目の前にすると認めざるを得ない。
ニケの村は本当に黒き竜に滅ぼされたのだと。
『なぜ、従わない』
近くにいるためか、ケルベがいなくなったときには聞こえなかったその声はリディにもはっきりと聞こえた。耳から聞こえるのではなく直接頭に響くような感覚で、リディの意思に反して引き込まれてしまうような、そんな声だった。
『従え』
その言葉とともに黒き竜は咆哮を上げ、全身から魔素が放たれる。放たれた魔素は周囲に広がりリディたちも包み込む。
リディの魔力はもうほとんど残っていない。その上リディの腕ごとケルベに喰われてしまったため、魔力を浄化する青いペンダントももう手元になかった。
何もない状態でこの魔素に包まれていたら、リディもニケも正気ではいられなかったかもしれない。しかし、そうはならなかった。
リディの目に背中が映る。いつも小さいと感じていた、守らねばならないと思っていたニケの背中だ。ニケは手にペンダントを持ち、自身の魔力を注ぎ込む。浄化の青い光が周囲を包み、黒き竜が放った魔素による侵食を阻んでいた。
「ニケ、お前……」
黒き竜の魔素が収まったのを見て、ニケも魔力の放出を止めた。
ニケはひつものぼんやりとした目ではなく、鋭い意志を持った目で黒き竜を見ていた。あれは村のみんなの仇だ。ここで倒さなければならない。
物語で描かれる黒き竜は邪悪な存在だった。黒き竜には滅ぼすことに対する感情や、事情はない。ただ壊し、ただ滅ぼす。物語ではそう描かれていた。そして、それは事実だった。ニケの村も、ルナークという村も黒き竜に、ただ襲われ、ただ破壊されたのだ。
だから、ニケの覚悟は簡単だった。黒き竜に遠慮はいらない。これを倒せば自分の村のような悲劇を今後防ぐことができる。それで十分だった。
黒き竜に対峙するニケの後ろで、リディは立ち上がろうとしていた。しかし、魔力を使い切った体は思うように動いてくれない。剣を杖のようにして、なんとか立ち上がるが、足に力は入らず立っているのがやっとの状態だった。
「リディは休んでて」
ちらりと、リディを振り返ってそれだけ言うと、ニケは黒き竜へ向かって歩き出す。
「いや、しかし」
「大丈夫……。あいつは僕が倒す」
ケルベと戦ってるときにも聞こえた不気味な声の正体もわかっておらず、魔素の充満しているこの森に長時間いるのは避けたかったが、今はリディの回復を優先して、黒い森の中にとどまっている。
ニケはリディの側に座り、二人を囲うようにケルベ、バジル、グリフの三頭は伏せの格好をして寛いでいた。その様子にニケはリディと初めて会った時のことを思い出した。
あの時も気絶したリディを森の中へ運び、焚き火を囲むようにして今と同じような感じでゆっくりとした時間が流れていた。
ずっとこうして、のんびりとした時間が続けばいいのに。ニケはそんなことを考える。しかし、そろそろリディを起こして山を降りなければ、山の中で夜を過ごすことになる。そうなると、このあたりに住む魔獣に襲われる可能性もある。もっともケルベたちがいれば大丈夫かもしれないが……。
リディの腕は戻っているとはいえ、体調に問題ないかは定かではない。できれば野宿ではなく、ニケの村跡にあるラルゴの家を借りて、リディをちゃんとした場所で寝かせてあげたかった。
「リディ、起きて」
ニケはリディの肩を軽くゆすり、起きるように促す。普段はニケがリディに起こされているため、いつもと立場が逆転だ。何気ないことだが、それがなんだかおかしかった。
リディがニケの呼びかけに反応し、まぶたをゆっくりと開いていた時、それは突然やってきた。
ニケもケルベたち三頭も突如として全身の毛が逆立ち、本能的に警戒態勢を取る。ニケの肌は粟立ち、ニケ自身に今すぐこの場から離れるよう呼びかけている。
寝ぼけ眼だったリディもニケたちと同じく、異様な気配を感じた瞬間に、かっと目を見開き、ニケ越しに黒の森の奥を見据える。
眠気など感じている場合ではなかった。魔素、いや、邪悪の塊のような気配が迫っているのを感じた。
森の奥でゆらゆらと黒い靄が揺れていた。
実体はあるようだが、輪郭ははっきりとせず、背には翼のように靄が広がっていた。
頭部にあたる部分には、鋭く光る赤い目のような光があり、不気味にリディたちを見ているようだった。
黒いそれは徐々にリディたちの方へと近づいてくる。
ニケはその近づいてくる存在から、目が離せなくなっていた。恐怖か、怒りか、自分でもよくわからない感情に心が揺さぶられる。
その黒い靄をかつてニケは見たことがあった。ニケが住んでいた村に突如として現れ、村をこの黒い森のように黒く焼き尽くした存在が、今目の前にいた。
「黒き、竜……」
その姿を見て、村を滅ぼされたあの時の記憶が鮮明に蘇る。二ケの家族も、村の皆もあの竜が吐いた黒い炎に全て焼き尽くされた。あとに残ったのは黒く染まり、全てが壊された村と、ニケだけだった。
ニケと出会って、ニケの話を聞いた時、リディはニケの話を半信半疑に思っていた。黒き竜は遥か昔に倒された、おとぎ話上の存在だ。それが今現れるわけはない、黒き竜に似た魔獣か何かを見間違えたのだろうと思っていた。しかし、こうしてその存在を目の前にすると認めざるを得ない。
ニケの村は本当に黒き竜に滅ぼされたのだと。
『なぜ、従わない』
近くにいるためか、ケルベがいなくなったときには聞こえなかったその声はリディにもはっきりと聞こえた。耳から聞こえるのではなく直接頭に響くような感覚で、リディの意思に反して引き込まれてしまうような、そんな声だった。
『従え』
その言葉とともに黒き竜は咆哮を上げ、全身から魔素が放たれる。放たれた魔素は周囲に広がりリディたちも包み込む。
リディの魔力はもうほとんど残っていない。その上リディの腕ごとケルベに喰われてしまったため、魔力を浄化する青いペンダントももう手元になかった。
何もない状態でこの魔素に包まれていたら、リディもニケも正気ではいられなかったかもしれない。しかし、そうはならなかった。
リディの目に背中が映る。いつも小さいと感じていた、守らねばならないと思っていたニケの背中だ。ニケは手にペンダントを持ち、自身の魔力を注ぎ込む。浄化の青い光が周囲を包み、黒き竜が放った魔素による侵食を阻んでいた。
「ニケ、お前……」
黒き竜の魔素が収まったのを見て、ニケも魔力の放出を止めた。
ニケはひつものぼんやりとした目ではなく、鋭い意志を持った目で黒き竜を見ていた。あれは村のみんなの仇だ。ここで倒さなければならない。
物語で描かれる黒き竜は邪悪な存在だった。黒き竜には滅ぼすことに対する感情や、事情はない。ただ壊し、ただ滅ぼす。物語ではそう描かれていた。そして、それは事実だった。ニケの村も、ルナークという村も黒き竜に、ただ襲われ、ただ破壊されたのだ。
だから、ニケの覚悟は簡単だった。黒き竜に遠慮はいらない。これを倒せば自分の村のような悲劇を今後防ぐことができる。それで十分だった。
黒き竜に対峙するニケの後ろで、リディは立ち上がろうとしていた。しかし、魔力を使い切った体は思うように動いてくれない。剣を杖のようにして、なんとか立ち上がるが、足に力は入らず立っているのがやっとの状態だった。
「リディは休んでて」
ちらりと、リディを振り返ってそれだけ言うと、ニケは黒き竜へ向かって歩き出す。
「いや、しかし」
「大丈夫……。あいつは僕が倒す」
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