上 下
104 / 207
第3章 人と人とが行き交う街 アザレア

3-27 瞑想の湖に浮かびし幻影

しおりを挟む

「いけ~! ゼランゲリオン、発進~!」
「ふはっ! なんだそりゃ。珍しくやたらとカッコイイあだ名くれるじゃないか」
「なんだかゼラくん、すごく強そう。グオオオオ! って叫びそうな感じがするよ~!」

 ミミリたちがアザレアの街を出発して丸1日経った。比較的モンスターとの遭遇エンカウント率が低いアザレアの森であることをいいことに、ミミリたちは緊張感もさほどなく、ゆるゆるとした雰囲気の冒険を楽しんでいる。

「ところで、ゼランゲリオンっていうあだ名の由来はなんなんだよ」
「特にないわ。こうしてゼラの肩に座っていると、まるで私がゼラを操縦しているみたいな気がしてきちゃって。そう思ってたら、ふと名前が降ってきたのよ」

「こーら! ゼランゲリオンたち! ここはいつモンスターと遭遇エンカウントしてもおかしくない森の中だぞ」

「「「ごめんなさーい」」」

 アザレアの森の中、デイジーと横並びで先頭を進むコブシが振り返って注意した。デイジーはコブシに加担することなくチラリとだけ振り返って、落ち込むミミリたちに優しく微笑む。

 ミミリたちは今、アザレアの森の中を歩いている。

 長距離・長期間の移動は幌馬車での移動が一般的らしいが、モンスターとの遭遇エンカウント率が高いアンスリウム山を目指すともなれば話は別。
 目的地のアンスリウム山へ行くためには、アザレアの森を抜け、足場の悪い瞑想の湖を経る必要があるということもあり、ミミリたちは徒歩での移動を決めた。

 ミミリたちがアザレアの街を出発したのは昨日ののこと。アザレアの森はさほど広くはないようで森の端まで進んだようだ。
 しっとりとした土の上に落ちた枯れ木を踏んでパキパキと鳴る音を楽しんでいたはずが、気づけば青々とした芝生の上を歩いている。もともと広かった樹間もさらに広くなり、陽の光を直に浴びるようになってきた。

 そしてなんだか……。

「なんだか向こうのほう、すごく眩しくない?」
「本当だな!」

 テンションが上がるうさみとゼラ。
 引率兼護衛のコブシとデイジーの足取りも軽くなっていく。

 ……でも、なんだか……。

「ね、ねぇ、待って! なんだか、声聞こえない?」

「「「「え?」」」」

「ホラ、声が聞こえるよ!」

 両耳に手を当て、耳を澄ませるミミリ。
 森の端にいくにつれて、どんどん声が鮮明になってくる気がする。

 ――――――――――――だよ。

「何も聞こえないわよ? ゼラは?」
「俺も全然」

 ――――――――ここだよ。

「兄さん、聞こえる?」
「いや、俺には何も」

 ――――ここだよ。早く来て……!

「やっぱり、聞こえるよ! 呼んでる! 行かなきゃ!」
「待ってくれミミリ! 行くなら俺が先に……!」

 ミミリを引き止めようと伸ばしたゼラの手は一歩届かず、ミミリはみんなに背を向けて森向こうに見える眩い光に向かって駆け出した。

「ちょ、待つんだミミリちゃん!」
「待ってください!」

 追いかけるコブシとデイジー。しかし、意外にもミミリの足は早い。


「ゼラ……!」
「ああ」


 うさみの呼びかけに応じて、身体に巡る魔力を足に集中させたゼラは――

「はやっ」 「ええ⁉︎」

 ――コブシとデイジーを瞬時に追い越して、ミミリの前に躍り出た。



 ――トスッ!

「……いたた……」

 ミミリは、急に目の前に現れたゼラの肩甲骨付近に鼻をぶつけてしまう。

「ごめん、ミミリ。でも、せめて俺たちと一緒に。1人で先に行かないでくれ」
「そうよミミリ。私の探索魔法にはひっかからないけど、何か感じるんでしょう?」

 真剣なゼラと、ミミリが心配そうなうさみ。
 ゼラとうさみに少し遅れて、

「どうしたんだミミリちゃん! 何が聞こえるんだ?」

 と言うコブシと、
 
「はぁっ、はあっ、ゼラくん、早い……ですね」

 息を上げたデイジーも追いついた。

 ――――ここだよ、早く、来て。この、瞑想の湖に。

 ミミリは真剣な面持ちでパーティーに告げる。

「うん、聞こえるの。呼んでる。この先にある『瞑想の湖』から女の人が呼んでるの……!」

 もう、ミミリは両耳に手を当て、耳を澄ませることもしていない。そうしなくても、ミミリの耳には明瞭に聞こえるのだ。

「コブシ、デイジー。この地に来たばかりの私たちは、この先にあるのが瞑想の湖なんて知り得ないわ。合ってるのかしら」
「――! あぁ、アザレアで冒険者をしている俺たちにとっては違和感のない発言だったからピンと来なかったけど……。間違いなくこの先が瞑想の湖だ」
「ということは、兄さん……。ミミリちゃんの言うことは……」

 一同は、ミミリの横顔を見る。
 ミミリは眩い光が差すところ、瞑想の湖がある方向を一身に見据えている。
 苦しそうに、ぎゅうっと胸を、つかみながら。


「行こう。ミミリは俺が守る」
「ゼラ、俺たちもいる。みんなで行こう」
「あらやだ! 私だっているのよん」
「わ、私も……!」


 ミミリを囲み、大きく頷き合う。

「行こう。女の人の呼び声がする、瞑想の湖へ……!」

 ミミリはゼラに手を引かれ、眩い光が差す方へ向かって、アザレアの森を踏み出した――。

◆ ◆ ◆

 青々とした芝生に囲まれた、群青の湖。
 眩しい光は、湖に反射する陽の光だった。
 空の雲が合わせ鏡のように描かれた群青のキャンパスのほとりで――少女は1人、裸足の指で描かれた雲をなぞっていた。

 ミミリに気がついて、こちらを向く少女。
 ニコリと笑顔で微笑んだ。
 
 ――来てくれて、ありがとう。待ってたよ。

 湖のほとりに立つ少女は、一歩、また一歩と水面を歩いていく。少女が歩くたびに湖の水面に輪の波紋が広がり、彼女が纏う丈の長いワンピースの裾も、彼女の腰上くらいの長いストレートの髪も、動きに合わせて風になびく。

「待って……! ――キャッ!」

 ミミリは思わず少女に駆け寄ろうとして、湖の中に飛び込むところだった。危なく落ちかけたところで、ゼラに身体を支えられてことなきを得る。

「ミミリ、大丈夫か? 落っこっちゃうとこだったぞ」
「ありがとうゼラくん。でもね、あのお姉さんが……」
「お姉さん?」

 ミミリとゼラを間に挟んで、背中合わせになるコブシとデイジー。

「デイジー」
「ええ、兄さん」

 コブシとデイジーは、辺りを警戒しながら、拳を握って戦闘態勢をとった。

 そしてうさみは……。
 
 ゼラの肩に立ち上がり、に対応すべく右手を天に掲げた。急に何かが現れたとしても、すぐに魔法を使えるように。

 ――――――そう、うさみたちには――――――

「ミミリ、何がいるの? 全く見えないわ!」


 ――彼女の姿は、見えていなかった。


「え、見えないの……?」
 
 ミミリだけに見える少女には、色がなかった。
 彼女越しに瞑想の湖が透けて見える。

「ねえ、お姉さん、もしかして……」

 ミミリは、少女に向かって問いかける。
 美しい容姿の少女は、ミミリの問いに答えることなく一歩ずつ湖の中央に向かって歩んでゆく。
 水に波紋を、残しながら。

 ミミリは少女に釘付けになってしまう。
 彼女が湖の上を歩いているから、というもっともらしい理由ではない。
 驚くべきは……。

 ミミリは、少女に向かって呼びかける。

「――貴方、アルヒのお姉さんですか?」

「「――⁉」」

 うさみもゼラも、愛しい家族の名前を呼んだミミリの声で更に入念に辺りを見回した。

「な、どうしたのミミリ! アルヒのお姉さんって、どういうこと?」
「俺にも何も見えない!」

「「……?」」

 一方で、事情を知らないコブシとデイジーは互いに見合って首を傾げた。

 アルヒのお姉さんと呼ばれた少女は、湖の中央へ辿り着くと、両手を軽く水に沈め、大事そうに水中からあるモノ――輝く蒼の球体――を取り出した。
 
「ど、どういうことだろう、兄さん。水の中から勝手に球体が浮かび上がってきた」
「あぁ、検討もつかないよ」

 少女はミミリに向かって微笑んだ。にこりと穏やかに笑う彼女の顔は、あまりにアルヒに似ている。顔だけではない。声質までそっくりなのだ。

 ――これ。この湖の結晶、大事に取っておいて。きっと役に立つから……。

 少女はミミリに話しかける。
 アルヒと顔と声が瓜二つの少女は、ミミリにそう言い残し――蒸発するかのように消えていった。

「ま、待って……! 消え……ちゃった……。アルヒにそっくりなんだけど、でも、少し違うの。誰なんだろう。あのお姉さん」

 そっくりだけれど、そっくりでない。
 似ているけれど、少し違う。

 アルヒにピロンという妹がいたように、ミミリが知らないだけで実はアルヒのもう1人の姉妹かもしれない。だけれど、少し違うような気もする。

 ミミリは思わず、ゼラの服の裾をキュッとつかんだ。
 ゼラは肩に乗るうさみをミミリそっとミミリに渡し……、そのままミミリの肩を抱き寄せようとしたが思いとどまり拳を握る。

「アルヒ……」
 
 ミミリは、瞑想の湖に浮かび上がる蒼の球体にアルヒの面影を重ね、無意識のうちに愛しい家族の名を呟いた。


 

 
しおりを挟む

処理中です...