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次の日。
マーシアは、パスカルの屋敷に向かった。むろん、このことはパスカルに伝えてはいない。
馬車の中で、マーシアが自身を落ち着かせるように深呼吸をする。それでも鼓動は、いつもより早かった。
(……わたしが来たこと、使用人たちが先にパスカルに伝えるだろうから……もし本当に逢い引きしていたとしても、その相手をどこかに逃がしてしまうかもしれない)
それでも。マーシアがこぶしを握る。
「……それでも、おとなしくなんでも従うなんて思わせていては駄目よね」
なにもつかめないかもしれない。また怒らせるだけかもしれない。でも、その意思表示にはなるだろう。
それにこれは、評判が落ちる一方のパスカルのためでもあるのだ。
怖れず、勇気を出して。
言い聞かせ、マーシアは停止した馬車をおりた。マーシアの護衛の男の声に反応し、パスカルの屋敷の玄関扉が開いた。
玄関扉を開けたのは、ゴンザレス子爵に仕える執事だった。顔見知りの執事は、マーシアの訪問に、目を僅かに見開いていた。
「突然、ごめんなさい。パスカルに用があって」
応接室にてお待ちください。それか、パスカル様は出掛けておられます。そのどちらかを告げられると予想していたマーシアは、執事がすっと横にずれ、腰を折ったことに目を丸くした。
「パスカル様は、二階の自室におられます」
「え、と。行ってもいいの?」
「もちろんでございます。マーシア様は、パスカル様の婚約者なのですから」
──これは、どういうことなのだろうか。
予想に反した執事の対応に、もしかしたら考えすぎだったのかもしれない。そう、マーシアは思った。けれど、ゆっくりと面を上げた執事の強張った表情に、唇をぎゅっと引き結んだマーシアは、二階にあるパスカルの自室の方へ視線を向けた。
「……ありがとう。お邪魔させてもらうわ」
マーシアは、護衛の男にここで待つように指示すると、二階へ続く階段をのぼった。パスカルの自室の前まで来ると、マーシアは声をかけることも、一呼吸置くこともせず、扉を勢いよく両手で開けた。
真っ先に響いたのは、きゃっという女の声。その声の主に、覆い被さるようにしているパスカルがいた。二人は寝台のうえにおり、パスカルはシャツを羽織っていたものの、下半身にはなにも身につけておらず、女は、真っ裸だった。
覚悟はしていたはずだった。でも、心のどこかで、信じていた。パスカルが浮気なんてするはずがない。まして、不貞行為なんて。
しかし。その最中を、自身の目で見てしまった。どうやっても、もう誤魔化せない。これは現実なのだと、思い知るしかなかった。
「ちょ、ちょっと! あなたの屋敷なら絶対に安全だって、言ってたわよね?!」
「そんなこと言ってる場合じゃない! とにかく、服、服着て!」
「命令しないでよ!」
浮気相手とパスカルが、パニック状態になりながらも言い合いをはじめた。顔面蒼白のマーシアの目の前で、二人が服を急いで身にまとっていく。
「ねえ、この人。あんたの言いなりなんでしょ? このこと外部に漏らさないように、しっかり言い含めておいてよね。あたしにはあんたと違って、ちゃんとした婚約者がいるんだから!」
「よけいなこと言わずに、はやく帰ってくれ!」
「なに、それ。あんた、噂通りの顔だけの最低男ね!」
「なっ……」
パスカルはあきらかに腹を立てていたが、ちらっとマーシアに目を向けてから女に向き直ると「……帰ってくれ。きみとはもう、二度と会わない」と、低い声で告げた。
女は「こっちの台詞よ!」と、部屋を飛び出していった。
それまでの騒ぎが嘘のように、部屋がしんと静まり返る。
さすがのパスカルも、この光景を見られてなお、ただの学友だと言い張る度胸はなかったようで。
まずいという顔で、ダラダラと冷や汗をかきはじめていた。
自分でも馬鹿だとわかっているが、パスカルが焦っていることに、マーシアはどこか、安堵していた。
(……わたしと、別れたくはないんだ)
──違う。わたしは、怒るべきなのだ。もう別れると言い捨ててやりたい。だってずっと騙されてきた。不貞行為は、きっと今回がはじめてではない。
沈黙するマーシアに耐えきれなくなったのか。パスカルが先に「……ごめん!」と、頭を下げてきた。
「ぼくは、駄目な人間だ。また、誘惑に負けてしまった。きみだけを愛しているのに、何度も何度も迫られて、疲れてしまって……最低な行いをして、きみを傷付けてしまった」
少し顔を上げ、パスカルがマーシアの様子をうかがう。マーシアは、口を閉じたまま。
「本気じゃない。ただ、一度だけ相手をしてやれば、おとなくなると思っただけなんだ。愛しているのは、マーシアだけだ。信じてくれ……っ」
ついには涙ぐみながら、必死に言い訳をはじめた。マーシアもなんだか泣きたくなったが、なんとか堪えた。
好きだから。愛しているから。別れたくないから。許したくないのに、別れると告げてやりたいのに、マーシアはどうしてもそれが口に出せずにいた。
(……わかっている、つけ込まれていることは。わたしがこんなんだから、パスカルが浮気してしまうってことも)
でも、どうしようもなく好きだった。
それは、パスカルもよく理解していたのだろう。だからよけい、哀しかった。憎かった。わかっていても、どうしても別れたくなかった。
愛していたから。
「……少し、考えさせて」
そう強がるのが、やっとだった。
マーシアは、パスカルの屋敷に向かった。むろん、このことはパスカルに伝えてはいない。
馬車の中で、マーシアが自身を落ち着かせるように深呼吸をする。それでも鼓動は、いつもより早かった。
(……わたしが来たこと、使用人たちが先にパスカルに伝えるだろうから……もし本当に逢い引きしていたとしても、その相手をどこかに逃がしてしまうかもしれない)
それでも。マーシアがこぶしを握る。
「……それでも、おとなしくなんでも従うなんて思わせていては駄目よね」
なにもつかめないかもしれない。また怒らせるだけかもしれない。でも、その意思表示にはなるだろう。
それにこれは、評判が落ちる一方のパスカルのためでもあるのだ。
怖れず、勇気を出して。
言い聞かせ、マーシアは停止した馬車をおりた。マーシアの護衛の男の声に反応し、パスカルの屋敷の玄関扉が開いた。
玄関扉を開けたのは、ゴンザレス子爵に仕える執事だった。顔見知りの執事は、マーシアの訪問に、目を僅かに見開いていた。
「突然、ごめんなさい。パスカルに用があって」
応接室にてお待ちください。それか、パスカル様は出掛けておられます。そのどちらかを告げられると予想していたマーシアは、執事がすっと横にずれ、腰を折ったことに目を丸くした。
「パスカル様は、二階の自室におられます」
「え、と。行ってもいいの?」
「もちろんでございます。マーシア様は、パスカル様の婚約者なのですから」
──これは、どういうことなのだろうか。
予想に反した執事の対応に、もしかしたら考えすぎだったのかもしれない。そう、マーシアは思った。けれど、ゆっくりと面を上げた執事の強張った表情に、唇をぎゅっと引き結んだマーシアは、二階にあるパスカルの自室の方へ視線を向けた。
「……ありがとう。お邪魔させてもらうわ」
マーシアは、護衛の男にここで待つように指示すると、二階へ続く階段をのぼった。パスカルの自室の前まで来ると、マーシアは声をかけることも、一呼吸置くこともせず、扉を勢いよく両手で開けた。
真っ先に響いたのは、きゃっという女の声。その声の主に、覆い被さるようにしているパスカルがいた。二人は寝台のうえにおり、パスカルはシャツを羽織っていたものの、下半身にはなにも身につけておらず、女は、真っ裸だった。
覚悟はしていたはずだった。でも、心のどこかで、信じていた。パスカルが浮気なんてするはずがない。まして、不貞行為なんて。
しかし。その最中を、自身の目で見てしまった。どうやっても、もう誤魔化せない。これは現実なのだと、思い知るしかなかった。
「ちょ、ちょっと! あなたの屋敷なら絶対に安全だって、言ってたわよね?!」
「そんなこと言ってる場合じゃない! とにかく、服、服着て!」
「命令しないでよ!」
浮気相手とパスカルが、パニック状態になりながらも言い合いをはじめた。顔面蒼白のマーシアの目の前で、二人が服を急いで身にまとっていく。
「ねえ、この人。あんたの言いなりなんでしょ? このこと外部に漏らさないように、しっかり言い含めておいてよね。あたしにはあんたと違って、ちゃんとした婚約者がいるんだから!」
「よけいなこと言わずに、はやく帰ってくれ!」
「なに、それ。あんた、噂通りの顔だけの最低男ね!」
「なっ……」
パスカルはあきらかに腹を立てていたが、ちらっとマーシアに目を向けてから女に向き直ると「……帰ってくれ。きみとはもう、二度と会わない」と、低い声で告げた。
女は「こっちの台詞よ!」と、部屋を飛び出していった。
それまでの騒ぎが嘘のように、部屋がしんと静まり返る。
さすがのパスカルも、この光景を見られてなお、ただの学友だと言い張る度胸はなかったようで。
まずいという顔で、ダラダラと冷や汗をかきはじめていた。
自分でも馬鹿だとわかっているが、パスカルが焦っていることに、マーシアはどこか、安堵していた。
(……わたしと、別れたくはないんだ)
──違う。わたしは、怒るべきなのだ。もう別れると言い捨ててやりたい。だってずっと騙されてきた。不貞行為は、きっと今回がはじめてではない。
沈黙するマーシアに耐えきれなくなったのか。パスカルが先に「……ごめん!」と、頭を下げてきた。
「ぼくは、駄目な人間だ。また、誘惑に負けてしまった。きみだけを愛しているのに、何度も何度も迫られて、疲れてしまって……最低な行いをして、きみを傷付けてしまった」
少し顔を上げ、パスカルがマーシアの様子をうかがう。マーシアは、口を閉じたまま。
「本気じゃない。ただ、一度だけ相手をしてやれば、おとなくなると思っただけなんだ。愛しているのは、マーシアだけだ。信じてくれ……っ」
ついには涙ぐみながら、必死に言い訳をはじめた。マーシアもなんだか泣きたくなったが、なんとか堪えた。
好きだから。愛しているから。別れたくないから。許したくないのに、別れると告げてやりたいのに、マーシアはどうしてもそれが口に出せずにいた。
(……わかっている、つけ込まれていることは。わたしがこんなんだから、パスカルが浮気してしまうってことも)
でも、どうしようもなく好きだった。
それは、パスカルもよく理解していたのだろう。だからよけい、哀しかった。憎かった。わかっていても、どうしても別れたくなかった。
愛していたから。
「……少し、考えさせて」
そう強がるのが、やっとだった。
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