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しおりを挟む「失礼いたします。第四中隊歩兵、エリオス・アインザームです」
野太い俺の声が闇夜に響く。
本当なら回れ右をして帰ってしまいたいが……残念ながら『入れ』と細い声がして、俺は天幕を捲った。
◇◇◇◇◇
『王子の無聊を慰めてこい』
仕えている中隊の隊長からそう言いつけられたのは、いまからせいぜい一刻前のことだ。
人目を避けて中隊長の天幕に呼び出されて、何事かと思っていた俺は、中隊長の言葉を聞いてぽかんと間抜けに口を開いた。
『……俺が、ですか?』
『ああ、そうだ。エーランド王子の小姓が今日の戦で殉死したからな。都に戻るまででも、代わりを務めてこい。』
『いや、でも……本当に俺ですか』
『そんな顔をするな。俺だって、お前みたいな無骨な野郎を王におすすめしてるわけじゃない。亡くなった小姓はか弱そうな子供だったって言うしな。』
だったらなんで俺なんだ。
俺はここから大分離れたシェイファ領の民で、土地柄のせいか王都の人間よりもずっと体が大きく逞しい。
外の血が入りやすいこともあって肌は浅黒いし、年は若いが小姓をする年齢じゃない。
進軍中にちらりと見たエーランド王子は生粋の王都人らしく細く、白く、とてもじゃないが俺を組み敷くところは想像できなかった。
口をただパクパクとさせていると、中隊長は呆れたような憐れむようなため息をついた。
『王子がお前をご指名なんだ。逆らえると思うなよ?つべこべ言わずにさっさと水浴びでもしてこい。』
そう言われて、呆然自失となりながらも水浴びをして汚いながらも身なりを整え、王子のテントの前に立った。
どっしりとした厚みのある天幕も、テントの内側からかすかに薫る香のにおいも、さっぱり現実味がなかったが……立ち入った先は夢でも幻でもなかった。
中隊長の天幕とは比べ物にならないくらいに広く清潔で豪奢な天幕。
その中で、エーランド王子はどこか困ったような笑顔を浮かべてベッドに腰掛けていた。
「呼び出して済まなかったね」
「とんでもないことです」
姿勢を正し即座に応えると、彼はますます苦笑するような困った顔になった。
秀麗なエーランド王子にそんな顔をさせているなんて……と頭に浮かぶが、もっと困っているのは俺かと思いなおした。
エーランド王子はこの国の第四王子。
だが四男にも関わらず高等教育をしっかりと修め、体はほっそりとしているが武術にも手を抜かず、今回のように小さな辺境での戦で自ら指揮を執る程だ。
王都にいる時には暇を見つけては孤児院や貧民街も訪れるという。
と、まあ大層ご立派な王子様なのは知っていた。
だが彼の姿を見たのは今回の戦で初めてだった。
そして俺と同じ国の人間とは思えないほどに繊細で儚げな見た目に驚かされた。
日に焼けてなお白い顔に、冷たい氷のような色の瞳。
体温が本当にあるのかと聞きたくなるような怜悧な顔立ち。
さらさらと流れる淡い栗色の髪。
ともすれば軟弱にすら見えそうな見た目なのに、だが行軍中に彼がへばっている様子は一度も見ていない。
恐らく王子という立場に甘んじることを良しとしないんだろう。
儚げな容姿と高潔な内面。
そんな王子が俺みたいな男をご所望とは。
殺しても死ななそうな男を甚振る趣味でもあるんだろうか。
人は見た目によらないと苦々しく思った。
「何か飲むかい?」
「いえ、」
断るのも失礼かとは思うがとっさに首を横に振ってしまう。
できれば何かの間違いだったと追い出されたいのだ。
決して長居したくはない。
そんな気持ちが出てしまったのもしれない。
だが断った傍から、彼は俺に尋ねたのではなくて『酌をしろ』という意味だったのだろうかと不安になった。
撤回もできずに立ち尽くしていると、彼は俺に椅子を指示した。
「どうぞ、座って楽にしてくれ……なんて無理な話かもしれないけど、緊張しなくてもいい。君に悪いことはしないつもりだ」
恐る恐る椅子へと近づき、ぎこちない仕草で腰を下ろす。
するとそんな俺を見た王子は苦笑を引っ込めて、視線を地面に落とした。
「本当に、何もしないよ。信じてくれ。……君を呼んだのは、隠れ蓑が欲しかったんだ。」
「隠れ蓑、ですか」
彼の言葉に俺は首を捻る。
体に一度入った力はなかなか抜けなくて、強張った声が出た。
「ああ。知っているかもしれないが、今日、私の小姓が落命したんだ。幼かったのにとても良くできた子でね、できれば暫くは後任なんて付けないで彼の死を悼みたいんだけど……周りが許してくれなくて」
王子は悲し気に息を吐くと、ベッドに腰掛けたまま手を固く握り拳を作る。
白くなるまで強く握り込まれた掌に、彼の懊悩が少しだけ伺えるような気がして。
王子と言う立場でもままならないことがあるのか、と頭の片隅で思った。
「しかも小姓というと、その、みんな邪推するだろう?……こんな時にベッドにもぐりこまれるのは勘弁してほしくてね」
彼が苦笑して、視線を俺に投げる。
まさに勘違いして、邪推して警戒心を露わにしてやってきた俺は、どうしようもない気まずさに唇を引き結んだ。
だけど彼は俺の勘違いを指摘する気はないらしく、視線をベッドへとすぐに移した。
「だから君には朝まで、ここで眠っていってほしい。私の好みが君みたいに男らしい青年だと思われれば、暫くは小姓候補も来ないだろう」
確かに、俺のような無骨でデカい男は大概が兵士か傭兵だ。
小姓候補になるような少年たちに、俺のような体格の者はいない。
「あと一月、王都に戻るまででいい。……頼めるかな?」
王子が首を傾げると、細い首筋が覗く。
その美しい瞳に見つめられて___俺の首は勝手に頷いていた。
もちろん俺が拒絶するような立場にないのは彼も分かっていただろうけど、それでも俺は操られるように承諾していた。
遠い存在だった王子が俺の傍まで降りて来て、まるで内緒話のように秘密を持ちかけられる。
俺はただ利用されるだけの立場だ。
そうだと理解しているはずなのに、なぜだろうか。
俺は俺の意思でここに居るのだと。
なぜかそう主張するかのように、頷いていた。
俺にベッドを明け渡すと聞かない王子と、王子を床に寝かせるわけにはいかない俺とで、押し問答が繰り広げられて。
そして結局は王子のベッドで二人で眠るという一番微妙な結論に達した。
一晩過ごさずとも1、2時間経ったら天幕を辞しても良かったんだろうが、俺は演技力はさっぱりだ。
情事の直後の雰囲気など出せるわけもないから、それはある意味助かったのだが……王族用とは言えそれほど広くない簡易ベッドの上で身じろいだ。
いやに目が冴えてしまうのは仕方がなく、薄暗い天幕の中、あたりに視線を向ける。
よく手入れのされた鎧。
飴色に輝く木製の薬入れ。
矢に討たれた小姓は幸せだったのだろう。
そこかしこに、献身的で丁寧な世話のあとを感じる。
だがすぐ隣に視線を向けると、やはり眠れないでいるであろう王子の細い背中が目に入る。
その張りつめた雰囲気を漂わせる背中がどうにも痛々しい。
___この先、誰がこの人を支えていくのだろうか。
隠れ蓑を頼まれただけだというのに、ふとその細い背中にそう思う。
たった一月、王族である彼の戯れだ。
小姓を喪った感傷に浸りたい。
そんな彼の些細な我儘に付き合うだけだ。
そう分かっているのに。
細く儚げな背中を、俺は飽きもせずに見つめていた。
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