無聊

のらねことすていぬ

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「王子、失礼いたします。エリオスです」



薄闇に紛れて王子のもとを訪れる。
彼の『無聊を慰める』という大役を仰せつかってから、何日経っただろうか。

初めのうちは戸惑った良い香りのする天幕にはもう慣れた。
周りからの好奇の視線と、わずかなやっかみにも。

俺を隠れ蓑にすると言った王子。
そう言ったからには大々的に俺は愛人扱いになるのかと思ったが、そういうことはなかった。
俺は通常通りに昼間は一般的な兵士と同じく足で歩いて行軍し、剣を振るい、マズい飯を食っている。
夜な夜な呼び出されるせいで、俺が誰のお手付きなのかはあっという間に知られて、それなりに好奇の視線には晒されることになった。
だが同じ兵士連中の下卑た悪口など屁でもない。
どうせ一つの戦が終わったら、次は会うかどうかも分からない奴らだ。

王子の女扱いをされたかったわけじゃないので有り難いが……どこか拍子抜けだ。
ただ恐らく今まで小姓の手配をしていただろう貴族連中からは鋭い視線を投げられている。
それだって別に気になるほどではない。

背中に刺さる視線を無視して天幕を潜る。

するといつもきちっと服を着こんでいる王子が、寝台に腰かけたまま服をはだけていた。


「え、あ、失礼しました!」

「いやエリオス。そのままでいい。済まないが、少し待っていてくれ」


慌てて引き返そうとする俺を静かな声で制止する。
そっとその体に視線を向けると___彼の肩に巻かれた包帯から、血が滲んでいるのに気が付いた。



「……っ!ちょ、どうしたんですか!その怪我!!」

「先日受けた傷跡が開いてしまって……大丈夫だよ。別に深い傷じゃない」


彼は不器用な手つきで包帯をいじくりまわしているのを見て、俺は青くなって傍まで駆け寄った。
彼の言う通り傷は塞がりかけで、深そうには見えない。
だけど危なっかしい手つきで適当な手当をする彼に思わず頭に血が上る。


「深くなく見えても、傷口が化膿したら大変でしょうが!下手したら命に関わります!なんで早く軍医に言わないんですか!」


立場も忘れて半ば怒鳴るように諭すと、彼は不思議そうに目を瞬かせた。


「この遠征の間くらいは持ちこたえるよ。それに何かあっても、私の兄弟たちは優秀だから問題ないだろう」


問題ないって……死んでも王族には、国には問題がないってことか。

そう言うことじゃないだろう。
どれだけ彼の兄弟が優秀でも、彼は彼一人だけだ。
替えの利かない___たった一人の。


「……っ!エ、エリオス?」

「あ、……申し訳、ありません」


知らずに彼の腕をきつく握ってしまっていたらしい。
彼の僅かに驚きの滲んだ声に、俺は掌から意識して力を抜く。

だが俺の頭の中は未だ消化しきれない苛立ちのような、哀れみのような不可解な想いが渦巻く。

この王子の相手役に選ばれてから知ったことだが___この綺麗な王子は、自分の価値がまったく分かっていないらしい。
それどころか明らかに自分自身に価値がないと思っているような節がある。

細い体なのに疲れた様子を見せないと思っていた王子は、やはり無理をしていた。
俺が天幕に来る頃にはベッドで倒れるように眠っていることもしばしばあるし、熱をだしていたこともある。
それなのに軍議には必ず参加するし、遅くまで王都からの使者とやり取りをしていることもある。
他の貴族は交代で休んでいるというのに、だ。
少し休むようにすすめると、口にするのは『倒れても誰も困らない』といったことばかりだ。

そして今日は、怪我から血を流しているというのに……自分が死んでも問題ないだって?

俺には王族がどのように育てられるのか分からない。
だけど彼が自分自身を軽んじるような言葉を口にするたびに、俺はそんなことはないと叫び出したくなるような気分に襲われる。
彼が倒れたら心配するし、喪ったら嘆くだろう。
いや___もし喪ってしまったら立ち直れないかもしれない。


正直に認めよう。
俺はこの、美しい顔立ちで自分のことが全く分かっていない王子に惚れてしまったらしい。
男なんて全く興味がなかったのに、本当にいつの間にか落ちるように惚れてしまっていた。

王子が無理を押して笑っているのを見るたびに。眠りながらも魘されているのに気が付くたびに、俺の中で小さく重なっていった思いが、いつの間にか誤魔化しがきかないほど大きくなってしまった。

彼にとっては一時の気まぐれだと分かっているのだから気持ちなんて告げることもできない。
だが彼が自分自身をまるで取るに足らないものだと言外に示すたびに、俺は心が締め付けられるような苦しさに襲われる。

初めて訪れた夜は、彼のような人が俺を組み敷きたがるのかと軽蔑すらしていたというのに。
今では、彼の体に触れられるのならば、彼に求められるのであれば今までの矜持なんて捨ててしまっても構わないと思う。
それほどにはこの王子にあっという間に心酔してしまった。

もちろんその気持ちを声高に叫ぶことなんてできるわけもなく、気持ちを抑えるように深く息を吐きだすと、できるだけ静かに声を出した。


「今から軍医を呼んできます。少しお待ちください」

「いや、呼ばなくていい。君なら分かるだろう?本当に大した傷じゃない。この程度で騒ぐ王子だと、恥をかかせないでくれ」

「ですが……これでは痕が残ります」

「肩の傷痕なんて誰も気にもしないよ」


彼が首を横に振るのを見て、俺は再び沸々と腹の奥に怒りが澱む。
傷痕を誰も気にしないだって?
そう思っているのならとんでもない勘違いだ。
少なくとも俺は、その滑らかな肌に擦り傷が一筋つくのだって腹が立つ。

だが苛立ちを告げることはできるわけもなく、俺はため息をついた。


「ではせめて、俺に手当てをさせてください」






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