ラビットホール

のらねことすていぬ

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2.ことのはじまり



 ことの始まりは、職場の同期に飲みに誘われたことだった。

 同期は人事部で、俺は総務。しばらく飲んでいなかったし金曜の夜だしまぁいいか、と断れない俺がのこのこついていくと、普段ならあまり行かない歓楽街に連れていかれた。入ったのは普通の居酒屋だったが、客層が普段よりも派手で騒がしかった。奥さんが来月出産する、でも父親になっても俺は俺だから、なんていうよく分からない意思表明を延々と聞かされて、いい加減嫌気がさした頃にようやくお開きとなった。

『あ、やべぇ。終電なくなってる』
『俺もそうだな。タクシー捕まえようか』
『いや……それが……俺、手持ちがなぁ……』

 すっかり酔って泥酔一歩手前の、聞き取りにくい同僚の話を聞くと、出産を控えて小遣いを減額されているらしい。くわえて、クレジットカードの明細も細かくチェックされるのでうかつには使えない、とのことだった。臨月間近の奥さんを家に一人で置いて飲み歩き、挙句の果てにタクシー帰り、なんて確かに当然顰蹙ものだ。

 『悪い、右崎。タクシー代、貸してくれねぇ?』

 そう言われて一瞬ひるむ。なぜなら、俺の財布に残っているのは諭吉さんが一枚のみ。まぁ今時カードやアプリ決済が使えないタクシーなんてほとんどないし、同僚も借りた金を踏み倒すような男じゃない。なにより、奥さんの出産が近いのに飲みに行かせてしまった罪は、付き合った自分も同罪だ。
 一瞬のひるみを俺は押し込めると、いつものお人よしの顔で頷いた。

『いいよ。貸してやるからそんな顔するなって』
『右崎~! 本当にすまん~。お前、いいやつだよなぁ』
『いいって。あ、でもちゃんと返せよ』

 やたらと感激して抱き着いてくる同僚を諫めつつ、タクシーを捕まえる。財布から金を抜き取ると、半分眠りかけのような顔をした同僚に握らせた。運転手に行き先を告げ、転がり落ちるといけないから、俺が離れたらすぐに扉を閉めてくださいとお願いした。

 ようやくこの面倒ごとから解放される。まあ金曜日の夜だからいいか。明日は別に用事もないし。そう思って気が緩んでいたのかもしれない。

『この恩は一生忘れないからな!』
『わ。お、おい』

 シートに座って赤ら顔をにやけさせていた同僚が、最後に一際強く抱き着き引き寄せてきて、俺は支えきれずにタクシーの中に倒れこんでしまった。どさりと二人して座席に倒れこむ。何するんだ、と同僚の暑苦しい腕の中から逃れて立ち上がり、車道におりて距離をとった。路肩に停めているとは言え危ない真似をするな。文句を言ってやろうと思った瞬間、タクシーの扉がばたりと音をたてて閉まった。あっという間に夜の街を走り去っていく車体。

 そうして俺は……やけに軽くなった両手を見た。
 
『ん……?あれ、俺の鞄』

 抱き着いてきた同僚。その重みに負けて、タクシーの中に倒れて……俺は手を付いて立ち上がろうと、鞄から手を放した。
 そうして鞄はあいつの足元に転がったまま、タクシーは走り去ってしまった。

『え……? え? え? 嘘だろ?』

 財布、クレジットカード、……携帯もだ。いつもならポケットに入れる携帯も、酔っ払っているから失くさないようにとわざわざ鞄に入れたんだった。まずい。これは相当まずい。酔いがあっという間に醒めていく。家に帰るどころか、ネットカフェに泊まることすらできなくなってしまった。同僚が俺の鞄に気が付いて引き返してくれないかとほんのわずかに期待して、タクシーが去っていった方を見るが……当然ながら引き返してくる車は一台もなかった。

 やばい。どうしよう。本当にやばい。
とりあえず朝までどこかで時間を潰して、警察で電車賃を貸してもらおう。だけど、その後はどうする?家の鍵は鞄の中で、同僚に連絡を取りたくても電話番号が入った携帯は彼と一緒にタクシーの中だ。覚えているわけがない。部屋の鍵を開けてもらいたくても、大家に電話することもできない。そうなると、隣県の実家に電話して迎えに来てもらうしかないかもしれないが……社会人にもなって恥ずかしすぎる。
 
 ああ。同僚に飲みに誘われても頷かなければ。金は貸さないと突っぱねていれば。いやせめて、抱き着くなと言っていれば。どうしようもない後悔が頭の中をぐるぐると回る。
 俺がお人よしだからこんなことになるのか。他の人はもっとうまく、トラブルなく生きているのだろうか。
とりあえずどこか腰を下ろせる場所を探さなければ、とふらふらと道を進むと、いつの間にか表通りから外れたところに迷い込んでしまった。
 嫌だな。薄暗くて怖い。来た道を戻ろう。そう思って振り返ると、今まで誰もいなかったはずの道に、長身の男が立っていた。

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