Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説

宮 都

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第二部

35.パートナーの資格 1

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 それから数日後の夕方。リンクに着くと、南場さんがベンチに座り何かをやっていた。
 大学受験のためしばらくリンクに来ていなかった南場さんだけど、大阪ではそれなりに知られている所に合格できたらしく、四月から復帰していた。

 彼は裏返した靴を膝にはさみ、円柱状の細い磁石じしゃくのようなものをエッジに当て、沿わすように動かしていた。見慣れない光景だった。
「何をやってるんだろう?」
 遠くから見てそう呟くと、上本が「エッジいでんだよ」と教えてくれた。
「エッジって、ああやって研げるんだ」
 僕は、スケート用品店で店員が機械を動かして研ぐところしか見たことがなかった。でもそういえば、その時仕上げにあんな風に手で研いでいた気もする。
 磁石に見えたのは砥石といしだった。
 少し近寄りがたい思いを抱きながらも、僕は南場さんの手元が気になりそろそろとそばへ寄っていった。南場さんはそんな僕に研ぎ方を教えてくれた。
「機械だと一気に研げちまうからな、滑る感覚も変わりすぎるし、あっという間に刃も減るんだよ。だから必要もないのにしょっちゅう機械で研ぐのはおススメしない。でもいつも刃が立ってる状態で滑りたいって奴もいてね。そうするとまめに手で研ぐしかない」
 そう言った南場さんの手元にある靴の色は、白だった。

「ほら! お嬢さん!」
 南場さんがそう声を上げると、陽向さんが弾む足取りで寄って来た。
「ありがとう。天馬くん」
「お前、俺がいない間どうしてたんだ」
「ちゃんとお店に出してたわよ」
「だったら人、使うなよ。まさかケチってるわけじゃねーだろ?」
「当たり前じゃない。お店の人より天馬くんの方が丁寧だからお願いしたのよ。なんならお代、お支払いしましょうか」
 陽向さんは天真爛漫てんしんらんまんにそう言った。嫌味ではなく、本当に代金を払ってもいいと思っているようだった。そんな陽向さんに、南場さんは興味なさそうな顔をして別にいらねーよ、と言った。

 二人の姿を眺めて立ちつくしていると、冷やかすような女性の声が聞こえた。
「入り込めないでしょう~」
 振り返るとそこにはきれいな目を細めて、にこお~っとしたきょうちゃん先輩がいた。
「あの二人はね、前のリンクから一緒だから」
 姫島先生は大阪に来る前、他のリンクでコーチをしていたという。そこが閉鎖されて移ってきたらしく、今の生徒のほとんどはこっちにきてからの生徒らしい。前のリンクからの生徒はクラブの中でもごくわずか。その中でも南場さんと陽向さんはかなり昔からの生徒らしく、しかも先生がコーチを始めてすぐの頃からの生徒らしかった。
 でもあの二人の間に入り込めないのは、二人が昔からの仲間だからではきっとない。多分、スケートに対する意識の問題だ。

 そこに妙にのぼせた先生が駆け寄ってきた。
「陽向ちゃん、陽向ちゃん! 大変、大変!」
 大変、と言いながらその表情はにこやかだ。いいニュースでもあったんだろうか。

「この前のオリンピックのアイスダンスに出た北浜あゆみ、膝の痛みが引かないらしくて引退するそうよ!」
 陽向さんは何を言われているのか分からなかったのか少しの間をおいて、お見舞い申し上げますと小さく頭を下げた。
「何言ってるのよ~。陽向ちゃん。ああそうだ、大事なことを言ってなかったわね。引退するのは彼女だけ。相手のみなと君は新しいパートナーを探して続けていくと言ってるわ!」
 その場にいた僕以外の全員がはっとした。
「これはいいチャンスよ。すぐにでもオリンピックに手が届くわ。相手を探すとなると黙っていても連盟からこちらに連絡が来るとは思うのだけれど、万一他の子に先を越されてもなんだから、こちらから連絡してみようと思うの。もう今すぐに!」
「え? ちょっと待ってください!」
 勢いづいている先生を、陽向さんが制止した。
「制覇君とはとりあえず一年やってみようっていう約束だったんじゃないんですか」
 陽向さんは慎重にそう言った。
「でもこのチャンスを逃す手はないわ」
 先生は真剣な顔つきで陽向さんを見た。
 そして僕に向かって言った。
「制覇君は別に陽向ちゃんが相手でなくても構わないわよね」
 それはとても晴れやかな顔だった。
 先生は続けて言った。
「ダンスは続けたければ続ければいいわ。費用のことなら大丈夫。陽向ちゃんと同じように全額持っても組みたいって子はきっとたくさんいるもの。プレシルバーを取っておいてよかったわね、すぐにいい相手が見つかるはずよ。女子と違って男子は引く手あまただもの」
「でも、今シーズンは様子を見ようっていう約束じゃ……」

 陽向さんと先生の会話に、いつの間にか現れたきょうちゃん先輩が割り込んだ。
「約束なんてそもそもしてないと思うんだけど? とりあえず一年ってのは先生が勝手に言っただけのことじゃない。ひなは、もしいい人が現れたらその時乗り換えるかを考えればいいって言ってなかった?」
「そうよ! そうそう! きょうちゃん、いいこと言うわ~」
 先生がきょうちゃん先輩をめるのを初めて見た。
 先生は陽向さんに向かって、きっぱりと言った。
「今がその時よ。格別にいい相手が現れたわ」
 陽向さんは言葉に詰まった。

 そのまま、困ったような瞳を僕に向けた。
 きょうちゃん先輩は陽向さんの友だちなのに、どうして先生と一緒になって陽向さんを困らせるようなことを言うのだろう。僕は先生がそこまで浮かれている理由の価値を、みんなほどには理解できていなかった。
「陽向、ここは変な気を使ってるところじゃないぞ。お前はなんのためにアイスダンスをやってるんだ。お前の目標はこいつと組んでいることで達成できるのか」
 南場さんは僕のことを指さした。少しの間を置いて、陽向さんは意を決したような表情で言った。
「港さんのこれまでの戦績をよく確認させてもらえますか?」
 陽向さんは先生と一緒に、インストラクターの控室に向かった。

 残された僕は、靴を履いて氷に乗った。
 一人でも練習すべきことはたくさんある。
 そのはずなのになぜか手持無沙汰てもちぶさたな感じがした。これで本当にパートナーが変わることになったりするんだろうか。
 僕はもともと陽向さんと組みたいと思ってダンスを始めたわけじゃない。だから別にどうなったって構わない。そう思いながらも、「陽向ちゃんが相手でなくても構わないわよね」と言われた時のなんとも言えない気持ちがふっと胸に湧きあがった。

「悲しいねぇ」
 そう言ってきょうちゃん先輩が寄って来た。
なぐさめてあげようか」
 ちらっとにらむと、くすっと笑われた。
「添い遂げさせてくださいって言ってみたら? 感動されるかもよ?」
 きょうちゃん先輩は面白そうに僕をからかった。さっきは僕と陽向さんを引き離そうとしてたくせによく言うよ。でも、添い遂げたいというのは冗談だとしても、これからも一緒にやらせてもらえませんかと言えば考えてもらえるんだろうか。
 だけど……
 僕に選んでもらうだけの価値があるだろうか。
 そう思うと、ため息しか出なかった。隣できょうちゃん先輩がささやいた。
「案外、そういうこと言われるのをひなも待ってるかもよ」
 僕は驚いて先輩を見た。きょうちゃん先輩は僕の方を見てにこぉ~と笑った。
「その上で、断ったりして。それはひなの自由だからねぇ」
「あ。ああ、そうですね」
 そりゃそうだ……。

 試合までまだ半年あると思っていたのが悪かったかな。もっと急いでがんばっていれば、もう少しくらいは自信を持てていたのかもしれない。

 しばらくして先生と陽向さんに呼ばれた。
「ごめんね」
 陽向さんが言った。
みなとさん、ってその全日本の選手の方のことね、全日本で過去に四回優勝したことがあって、この前のオリンピックの他に世界選手権にも三回出たこともあるみたいなの」
 すごいな。
「今組めば今シーズンの全日本にも間に合うと思うの。だけどね、今もう二十八才なんですって」
 そう言った陽向さんは「だからね」という言葉で話をつなげた。
「私、その人と組むより制覇君の可能性にかけたいと思って。どうかな?」
 陽向さんは笑顔で僕を見ていた。
 声が出なかった。そんな僕を、先生が怒ったような声で急かした。
「早く答えてくれる? 港さんを押さえるなら押さえるで早めに行動したいのよ。死ぬ気でやる気がないのであれば、今すぐ降りて」
 僕は何も考えることができなかった。責任とか自分の能力とか、そんなこと何も頭に浮かんでこなかった。
 僕はただ、陽向さんに向かって手を差し出した。
「練習しましょう!!」
 陽向さんは僕の手をとってくれた。

 その日の帰り、砥石を手に入れようと僕はショップに寄った。ひとことで砥石といっても直径や粗さなど色々と違うものがあるようで、どれを買うべきか難しい。たまたま通りがかった南場さんに、さっき教えたばっかりなのにとあきれられた。
 家に戻り、早速教えてもらったように自分のエッジを研いでみる。
 陽向さんだっていつまでも南場さんに頼っているわけにはいかないだろう。
 南場さんと言えば、この前はビスの取れてしまった子の靴にも処置をしてあげていた。フィギュアスケートのエッジは木ねじで靴に留められている。それが、びや振動なんかで緩んだり、抜けたりしてしまうことがある。南場さんはかばんから五センチくらいの小さなケースを出したかと思うと、たくさんのビスの中からいくつかを取り上げ、長さを見比べたあとに靴へとねじ込んでいた。それからは僕もビスとドライバーを持ち歩いている。

 僕も少しは意識が高くなっただろうか。
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