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第三部
71.異国の少女 3
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『どうして、今日は誘いに来ないの?』
翌日。トレーニングルームを出たところで、アシュリーに声をかけられた。
「え?」
アシュリーのことはもう諦めていた僕は、突然のことに驚いてしまった。
『なにを驚いているの? あなた、私がこれまで何の理由もなく断っていたとでも思ってたの?』
「『あー、ごめんなさい』」
『今日は自由時間と一般営業のタイミングがとてもいいでしょ? こういう時に誘ってくれなきゃ。それとももう私とは滑りたくなくなっちゃった?』
ずっと待っていた機会が訪れたようだった。僕はとっさに英文を考え出した。なるべく簡単なやつ。
「『僕は君と滑りたい』」
そう言うとアシュリーは満足そうな笑顔を見せた。
『じゃあ行きましょうか。でも、練習台になるのはお断りよ』
「『ちょっと待ってて』」
そう言うと僕は陽向さんに、アシュリーと滑ることを伝えてきた。
『ヒナタはなんて?』
「『がんばってだって』」
ちょっと眉をしかめられたけれど。
『そう。理解があるのね』
バーリントンには断りを入れなくていいんだろうか。
「『バーリントンは?』」
『いいのよ。バーリントンのことは。行きましょ』
アシュリーはにこっと笑った。バーリントンの姿はあたりには見あたらなかった。
氷に乗り、ポケットに入れたスマホで曲をかけ、僕はアシュリーの手を取った。相手のしてほしいと思っていることをしてあげる、それがいいリードなのか。それができればアシュリーは最後まで滑ってくれるのか。
僕はアシュリーの手を取って滑り出した。すぐに僕の頭の中には、パターンダンスのコース取りが広がった。一般営業中のリンクに、どう人が散っているかを素早く読み取って、それをかわしてどう進路を取るかを計算した。
しかしアシュリーは数歩も進まないうちに、滑るのをやめてしまった。
『ごめんなさい。やっぱりあなたとは滑れないわ』
なんでー!
だってまだ、ほんの数歩だよ?
「『どうして!?』」
『だって怖いもの』
アシュリーは堂々と言った。
『最初、言葉も通じないのに手を取ってくれたときには、もしかして大丈夫かしらって思ったんだけど、滑り出したらあなたすごく勝手なんだもの。やっぱりやめておきましょ』
「『大丈夫だよ』」
『どうしてそう言い切れるのよ?』
ぶつからないようにコースはちゃんと見てる。もしこけても、僕は相手を支える。英語で伝えることはできないけど、ちゃんとそうするつもりなのに。
「『大丈夫だよ』」
結局これしか言えない。分かってくれー。
『その言葉を信じて欲しいのなら、あなたは私を大切にしていることを一歩目から示すべきだったわね』
「『一歩目から……』」
……って、そんな一瞬で決着つけないでくれよ。
納得いかない。だけど相手がそうじゃなきゃだめだというんなら、そうするしかない。
「『ごめん。もう一度、チャンスをくれないかな?』」
一歩目から彼女を大切にって、僕はどうすればいいんだよ。もっと彼女に合わせなくちゃならないってことなのか?
彼女は少し考えたあと、『仕方ないわね』と言った。
そして僕たちは、再びスタート地点に立った。
今度はなるべく気をつけて、彼女のペースに合わせてみよう。
滑り出すとすぐに、僕は彼女の滑りに意識を向けた。どのくらいの力で一歩を踏み出し、どこに体重をかけようとするだろう。
すると、僕たちはニ~三歩のうちに失速して、止まってしまった。彼女に拒絶されたのでもないのに、自然とそうなってしまった。
『どうしてリードしてくれないの?』
アシュリーが訴えるように言った。
「え? だって……」
『リードしてくれなきゃ、滑れるわけないじゃない』
どういうことだ? 僕のペースで滑るのは怖いんじゃなかったのか?
わけが分からない。
『私を試したの?』
アシュリーは疑うような目で僕を見た。
僕は首を横に振った。
『本当に?』
アシュリーはしばらく僕を怪しむように見つめていたけれど、そのうち何か納得したようにため息をついた。
『疑ってごめんなさい。実はね私、そんなに上手じゃないの。あなたのパートナーのように、リードに頼らず滑ることはできないのよ』
「え?」
『強くリードされるのは怖いのに、まったくリードされないとそれはそれで滑れないの』
アシュリーは困ったように笑って肩をすくめた。
信じられなかった。アシュリーはそんなに下手な子には思えない。見た目も、組んでみた印象も。
下手なら、もっと早くに気がついたはずだ。
「『アシュリーは下手じゃないよ』」
『ありがとう。でもバッジテストではジャッジに一人で滑れないことを見抜かれて、いつもパートナーと引き離されてシャドーで滑らされるの。そして上手くできなくて不合格。私はバーリントンよりもずっと下の級しか持ってないの』
「『……そうなんだ』」
『もしかしてあなたもジャッジと同じなのかと思っちゃったわ。
私がこのことで悩んでいるのを知ってるくせに、バーリントンもすぐに私のことを、いいリードがないと滑れない子なんだって言いふらすし。
そしたら私と滑りたいって子がよく現れるのよね。自分のリードに自信があるんだか何なんだか知らないけど。それで私はしょっちゅう怖い思いをさせられてきたわ』
僕はどきっとした。僕も彼女がそういう難しい子だからこそ、どうしても一緒に一曲やり遂げたくなっていた。
「『……ごめん』」
『ううん。そうは言ってもバーリントン以外の男の子から一緒に滑りたいって言われると、ちょっぴり嬉しい気持ちはあるのよ』
彼女は少しだけ照れたように笑った。その顔を見た時、僕はさっきとは別の意味でどきっとした。
どうして僕はアシュリーに対して、もっと楽しく滑らせてあげようという気持ちでいなかったんだろう。どうして自分の技術のことばかりを考えていたんだろう。
昔セッションで、僕と滑るために列に並んでくれた人たちの姿が浮かんだ。
アシュリーも彼女たちと同じ、誰かと滑ることを楽しみにしている女の子の一人なんだ。言われた通り、僕の練習台なわけじゃない。
そんな女の子を、自分の達成感のために怖がらせてどうするんだ。
あのセッションで僕と滑って、「今日はとても上手く滑れた気がします」と嬉しそうに言ってくれたお姉さんがいた。あの人がどれほどの満足感を感じてくれていただろう。それと同じ気持ちをアシュリーにも感じてもらいたい。
僕はスマホの音楽を消して、辞書を立ち上げた。
「『アシュリーは僕のリードのどういうところが怖いの? 詳しく教えてくれる?』」
『そんな難しいことよく分からないわ。とにかく身を任せられる感じがしないのよ。そんなこと私に聞かないで、セーハは男の子なんだから、女の子のためにどうすればいいか自分で考えるべきじゃないかしら』
自分で考えろと言われても。
「『とりあえず、もう一度一緒に滑ってみない?』」
『いいわよ』
アシュリーは今度は素直にうなずいてくれた。
滑り出して、僕は彼女の滑りに意識を向けた。
しっかり滑れるところ、自信のなさそうなところ、僕が合わせていればいいところ、もっとサポートしてあげなくてはならないところ。ステップの一歩一歩にそういうことが現われている。
僕の理想ばかりを押しつけるのではなく、アシュリーに合わせるばかりでもなく、様子を見ながら慎重に。
それでもまたアシュリーとの滑りは、数歩で止まってしまった。だけど彼女は、今度は何度でもやり直してくれた。
「『ここでもっと押しても大丈夫かな?』」
『そんなこと口にしながら滑るなんて、色気のない人ね。そういうのは態度で伝えてくるものよ』
おどおどしていたアシュリーの滑りが、少しずつのびのびし始めた。
やっぱりこの子はそんなに下手じゃない。踏み出した瞬間から、二人が組んだ時にちょうどいいところにぴしっと乗ってくる。
ふと横を見ると、隣で滑っているアシュリーがかすかに笑っているのが見えた。
これは、最後まで行けそうな気がする――。
そのまま僕は耳を澄ますように、彼女の滑りに意識を傾けながら進んだ。どきどきした。
スローとクイックが周期的に訪れるフォックストロット。彼女はスローな部分で氷を抑えながらゆっくり流れるのを楽しんでいた。きれいに伸びた背筋とフリーレッグ。
ああ、この子はこういう風にこの曲を味わいたかったんだ……。
先生に理想と教わったフォックストロットなんて、どうでもいいような気がしてきた。アシュリーらしいフォックストロットは、それはそれで素敵じゃないか。
彼女との流れを楽しんでいるうちに、気がつくと僕は決して自分だけでは達せない領域に、アシュリーに連れていかれていた。
なんていう傾き、なんていうスピード。
絶頂の中で、お互いのステップが呼応するように続いていく。
これがアイスダンス。アイスダンスって、本当に「ふたり」でやるものなんだ――。
そう感じた時、リンクサイドから大きな声が聞こえた。
『ストーップ!!』
バーリントンだった。
『その勝負、ちょっと待った』
彼はそう叫んだ。
勝負って、僕とアシュリーは勝負していたんだろうか。もしかすると、そう例えてもいいのかもしれない。
『アシュリー、君は何をやっているんだ?』
アシュリーはリンクサイドに立つバーリントンのところへと駆け寄った。バーリントンの横には、陽向さんが。
『だって、昨日の曲かけでは私、三回も止まってしまったから……』
アシュリーは申し訳なさそうに言った。
『君を三回も止まらせてしまうような僕とは、もう組んでられないって言うんだね』
『何言ってるの? バーリントンこそ、私のことを怒ってたんじゃないの? あのあとずっと黙ってるから、私に嫌気がさしたんじゃないかと思って……』
『とんでもない。嫌気がさしたのは、自分の下手さ加減にだよ。アシュリーはなにも悪くない。女の子を上手くリードできないのは、すべて男の責任だからね。もっと練習するから、早まらないでくれないか』
えーと、これは何が始まったんだろう。
僕は事態が飲み込めずにいた。
アシュリーはバーリントンにコクコクとうなずくと、嬉しそうな顔で僕を見た。
『セーハ。一生懸命つき合ってくれてありがとう。最高に楽しかったわ。あんなにがんばってくれたのに申し訳ないんだけど、私はやっぱりバーリントンとのカップルは解消できない』
そう言うとアシュリーはリンクを上がり、バーリントンに抱きついた。バーリントンは僕に向かって言った。
『そういうことだから、今回の勝負はなしってことで。いや、僕の勝ちかな。いくら君がアシュリーを上手く滑らせることができても、彼女は今回僕を選んだ。どうしてもアシュリーと組みたいのなら、また機会を改めて勝負を申し込んでくれ』
言い終わると二人はにこにこしながら練習を始めた。陽向さんがあきれたように僕を見た。
「制覇君、アシュリーと組みたかったんだ」
「いや、違いますよ? なんでそういう話になっちゃったんですか!?」
翌日。トレーニングルームを出たところで、アシュリーに声をかけられた。
「え?」
アシュリーのことはもう諦めていた僕は、突然のことに驚いてしまった。
『なにを驚いているの? あなた、私がこれまで何の理由もなく断っていたとでも思ってたの?』
「『あー、ごめんなさい』」
『今日は自由時間と一般営業のタイミングがとてもいいでしょ? こういう時に誘ってくれなきゃ。それとももう私とは滑りたくなくなっちゃった?』
ずっと待っていた機会が訪れたようだった。僕はとっさに英文を考え出した。なるべく簡単なやつ。
「『僕は君と滑りたい』」
そう言うとアシュリーは満足そうな笑顔を見せた。
『じゃあ行きましょうか。でも、練習台になるのはお断りよ』
「『ちょっと待ってて』」
そう言うと僕は陽向さんに、アシュリーと滑ることを伝えてきた。
『ヒナタはなんて?』
「『がんばってだって』」
ちょっと眉をしかめられたけれど。
『そう。理解があるのね』
バーリントンには断りを入れなくていいんだろうか。
「『バーリントンは?』」
『いいのよ。バーリントンのことは。行きましょ』
アシュリーはにこっと笑った。バーリントンの姿はあたりには見あたらなかった。
氷に乗り、ポケットに入れたスマホで曲をかけ、僕はアシュリーの手を取った。相手のしてほしいと思っていることをしてあげる、それがいいリードなのか。それができればアシュリーは最後まで滑ってくれるのか。
僕はアシュリーの手を取って滑り出した。すぐに僕の頭の中には、パターンダンスのコース取りが広がった。一般営業中のリンクに、どう人が散っているかを素早く読み取って、それをかわしてどう進路を取るかを計算した。
しかしアシュリーは数歩も進まないうちに、滑るのをやめてしまった。
『ごめんなさい。やっぱりあなたとは滑れないわ』
なんでー!
だってまだ、ほんの数歩だよ?
「『どうして!?』」
『だって怖いもの』
アシュリーは堂々と言った。
『最初、言葉も通じないのに手を取ってくれたときには、もしかして大丈夫かしらって思ったんだけど、滑り出したらあなたすごく勝手なんだもの。やっぱりやめておきましょ』
「『大丈夫だよ』」
『どうしてそう言い切れるのよ?』
ぶつからないようにコースはちゃんと見てる。もしこけても、僕は相手を支える。英語で伝えることはできないけど、ちゃんとそうするつもりなのに。
「『大丈夫だよ』」
結局これしか言えない。分かってくれー。
『その言葉を信じて欲しいのなら、あなたは私を大切にしていることを一歩目から示すべきだったわね』
「『一歩目から……』」
……って、そんな一瞬で決着つけないでくれよ。
納得いかない。だけど相手がそうじゃなきゃだめだというんなら、そうするしかない。
「『ごめん。もう一度、チャンスをくれないかな?』」
一歩目から彼女を大切にって、僕はどうすればいいんだよ。もっと彼女に合わせなくちゃならないってことなのか?
彼女は少し考えたあと、『仕方ないわね』と言った。
そして僕たちは、再びスタート地点に立った。
今度はなるべく気をつけて、彼女のペースに合わせてみよう。
滑り出すとすぐに、僕は彼女の滑りに意識を向けた。どのくらいの力で一歩を踏み出し、どこに体重をかけようとするだろう。
すると、僕たちはニ~三歩のうちに失速して、止まってしまった。彼女に拒絶されたのでもないのに、自然とそうなってしまった。
『どうしてリードしてくれないの?』
アシュリーが訴えるように言った。
「え? だって……」
『リードしてくれなきゃ、滑れるわけないじゃない』
どういうことだ? 僕のペースで滑るのは怖いんじゃなかったのか?
わけが分からない。
『私を試したの?』
アシュリーは疑うような目で僕を見た。
僕は首を横に振った。
『本当に?』
アシュリーはしばらく僕を怪しむように見つめていたけれど、そのうち何か納得したようにため息をついた。
『疑ってごめんなさい。実はね私、そんなに上手じゃないの。あなたのパートナーのように、リードに頼らず滑ることはできないのよ』
「え?」
『強くリードされるのは怖いのに、まったくリードされないとそれはそれで滑れないの』
アシュリーは困ったように笑って肩をすくめた。
信じられなかった。アシュリーはそんなに下手な子には思えない。見た目も、組んでみた印象も。
下手なら、もっと早くに気がついたはずだ。
「『アシュリーは下手じゃないよ』」
『ありがとう。でもバッジテストではジャッジに一人で滑れないことを見抜かれて、いつもパートナーと引き離されてシャドーで滑らされるの。そして上手くできなくて不合格。私はバーリントンよりもずっと下の級しか持ってないの』
「『……そうなんだ』」
『もしかしてあなたもジャッジと同じなのかと思っちゃったわ。
私がこのことで悩んでいるのを知ってるくせに、バーリントンもすぐに私のことを、いいリードがないと滑れない子なんだって言いふらすし。
そしたら私と滑りたいって子がよく現れるのよね。自分のリードに自信があるんだか何なんだか知らないけど。それで私はしょっちゅう怖い思いをさせられてきたわ』
僕はどきっとした。僕も彼女がそういう難しい子だからこそ、どうしても一緒に一曲やり遂げたくなっていた。
「『……ごめん』」
『ううん。そうは言ってもバーリントン以外の男の子から一緒に滑りたいって言われると、ちょっぴり嬉しい気持ちはあるのよ』
彼女は少しだけ照れたように笑った。その顔を見た時、僕はさっきとは別の意味でどきっとした。
どうして僕はアシュリーに対して、もっと楽しく滑らせてあげようという気持ちでいなかったんだろう。どうして自分の技術のことばかりを考えていたんだろう。
昔セッションで、僕と滑るために列に並んでくれた人たちの姿が浮かんだ。
アシュリーも彼女たちと同じ、誰かと滑ることを楽しみにしている女の子の一人なんだ。言われた通り、僕の練習台なわけじゃない。
そんな女の子を、自分の達成感のために怖がらせてどうするんだ。
あのセッションで僕と滑って、「今日はとても上手く滑れた気がします」と嬉しそうに言ってくれたお姉さんがいた。あの人がどれほどの満足感を感じてくれていただろう。それと同じ気持ちをアシュリーにも感じてもらいたい。
僕はスマホの音楽を消して、辞書を立ち上げた。
「『アシュリーは僕のリードのどういうところが怖いの? 詳しく教えてくれる?』」
『そんな難しいことよく分からないわ。とにかく身を任せられる感じがしないのよ。そんなこと私に聞かないで、セーハは男の子なんだから、女の子のためにどうすればいいか自分で考えるべきじゃないかしら』
自分で考えろと言われても。
「『とりあえず、もう一度一緒に滑ってみない?』」
『いいわよ』
アシュリーは今度は素直にうなずいてくれた。
滑り出して、僕は彼女の滑りに意識を向けた。
しっかり滑れるところ、自信のなさそうなところ、僕が合わせていればいいところ、もっとサポートしてあげなくてはならないところ。ステップの一歩一歩にそういうことが現われている。
僕の理想ばかりを押しつけるのではなく、アシュリーに合わせるばかりでもなく、様子を見ながら慎重に。
それでもまたアシュリーとの滑りは、数歩で止まってしまった。だけど彼女は、今度は何度でもやり直してくれた。
「『ここでもっと押しても大丈夫かな?』」
『そんなこと口にしながら滑るなんて、色気のない人ね。そういうのは態度で伝えてくるものよ』
おどおどしていたアシュリーの滑りが、少しずつのびのびし始めた。
やっぱりこの子はそんなに下手じゃない。踏み出した瞬間から、二人が組んだ時にちょうどいいところにぴしっと乗ってくる。
ふと横を見ると、隣で滑っているアシュリーがかすかに笑っているのが見えた。
これは、最後まで行けそうな気がする――。
そのまま僕は耳を澄ますように、彼女の滑りに意識を傾けながら進んだ。どきどきした。
スローとクイックが周期的に訪れるフォックストロット。彼女はスローな部分で氷を抑えながらゆっくり流れるのを楽しんでいた。きれいに伸びた背筋とフリーレッグ。
ああ、この子はこういう風にこの曲を味わいたかったんだ……。
先生に理想と教わったフォックストロットなんて、どうでもいいような気がしてきた。アシュリーらしいフォックストロットは、それはそれで素敵じゃないか。
彼女との流れを楽しんでいるうちに、気がつくと僕は決して自分だけでは達せない領域に、アシュリーに連れていかれていた。
なんていう傾き、なんていうスピード。
絶頂の中で、お互いのステップが呼応するように続いていく。
これがアイスダンス。アイスダンスって、本当に「ふたり」でやるものなんだ――。
そう感じた時、リンクサイドから大きな声が聞こえた。
『ストーップ!!』
バーリントンだった。
『その勝負、ちょっと待った』
彼はそう叫んだ。
勝負って、僕とアシュリーは勝負していたんだろうか。もしかすると、そう例えてもいいのかもしれない。
『アシュリー、君は何をやっているんだ?』
アシュリーはリンクサイドに立つバーリントンのところへと駆け寄った。バーリントンの横には、陽向さんが。
『だって、昨日の曲かけでは私、三回も止まってしまったから……』
アシュリーは申し訳なさそうに言った。
『君を三回も止まらせてしまうような僕とは、もう組んでられないって言うんだね』
『何言ってるの? バーリントンこそ、私のことを怒ってたんじゃないの? あのあとずっと黙ってるから、私に嫌気がさしたんじゃないかと思って……』
『とんでもない。嫌気がさしたのは、自分の下手さ加減にだよ。アシュリーはなにも悪くない。女の子を上手くリードできないのは、すべて男の責任だからね。もっと練習するから、早まらないでくれないか』
えーと、これは何が始まったんだろう。
僕は事態が飲み込めずにいた。
アシュリーはバーリントンにコクコクとうなずくと、嬉しそうな顔で僕を見た。
『セーハ。一生懸命つき合ってくれてありがとう。最高に楽しかったわ。あんなにがんばってくれたのに申し訳ないんだけど、私はやっぱりバーリントンとのカップルは解消できない』
そう言うとアシュリーはリンクを上がり、バーリントンに抱きついた。バーリントンは僕に向かって言った。
『そういうことだから、今回の勝負はなしってことで。いや、僕の勝ちかな。いくら君がアシュリーを上手く滑らせることができても、彼女は今回僕を選んだ。どうしてもアシュリーと組みたいのなら、また機会を改めて勝負を申し込んでくれ』
言い終わると二人はにこにこしながら練習を始めた。陽向さんがあきれたように僕を見た。
「制覇君、アシュリーと組みたかったんだ」
「いや、違いますよ? なんでそういう話になっちゃったんですか!?」
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