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10 父は虎
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ガスコンロに火がつき、その横で白菜を切る。久しぶりに味噌汁をつくる。普段は自分からは作らず、実家に帰った時にいつも母のつくる味噌汁を食べる程度だった。母のつくる味噌汁と私のつくる味噌汁は違う。母のは薄味で私は濃いめの味だ。
今日は父の命日でお墓参りを日中してきた。
母は会うたびにあなたは段々とお父さんに似てきたと私に向かって言ってくるのだが、私が喜ぶと思って言っているのか? だとしたら間違いだと教えてあげたい。
怖い父はいつも部屋にいつも引きこもっていた。私は父のある奥の部屋へは行けなかった。授業参観や進路相談の時も足がすくみ廊下の途中でつま先が後ろを向いた。母は何故父が苦手なのか凄く気になっていた。
父は食事の時は必ず現れた。食事は家族と一緒に食べるのが我が家のルールだった。家にはテレビはあるものの、食事の時間は必ずテレビの電源は消されていた。見たい番組があった子どもの頃は、親にわがままを言ったが、父は断固として許さなかった。
「そんなに見たいなら家を出ていきなさい」
私はそんな父に酷い言葉をかけた。どんな言葉だったか……とにかく、それを聞いた母が珍しく私の頬をビンタした。その日は私の好きなミートボールがあった。
私はそれを食べなかった。部屋に引きこもり、餓死して死んでやると考えた。まだ、その頃の私はそんなことを考えていた。絶対食べてやるもんかと意地を張り、親を困らせることしか考えてなかった私のもとに、夜遅くにドアにノックがされた。
トントン。
私は返事をしなかった。ドアは開き、お盆を持った母が私の机の上にそっと置くと、母は部屋を出る前に「ごめんね」と悲しそうな声でそう言った。それは泣きそうな声だった。何でお母さんが悲しくなるのか分からなかった。
私は掛け布団をどかしベッドから降り机の上を覗いた。ミートボールとホットミルクがあった。
それからという私はわがままを言うのをやめた。家のルールを変えられる程、私は偉くはないし変えられないことに諦めがついた。
父は無口で、基本喋らない人だった。静かな人だった。煙草を吸わず、酒も飲まず、パチンコにも行かない。興味があるのは本だった。沢山の分厚い難しい本を読んでいく。私は薄い絵本を読む程度だった。
そんな父が突然亡くなった。母から告げられた私は、ランドセルを床に落とした。
あんなに怖かった父が突然死んだ。
父は病弱だった。それを聞かされた時、直ぐには信じられなかった。だが、よく考えてみれば父が部屋によくこもっていたのは、具合が悪かったからだ。だから、父には沢山の本を読む時間があったのだ。それでも突然だった。言ってくれたら良かったのに。何故父は言わなかったのか。
父の葬儀が終わり、家には母と私だけになった。母は前よりも私に対して心配性になった。母にとって父は支えだった。何かあれば、父が道標だった。この家のルールが父によって決められていたのもそれが理由だった。母は父に従っていた。父を信じていた。だから、母は不安に感じていた。でも、私には母の気持ちが理解出来なかった。何故、母は父の顔色ばかり伺っていたのか。子は親に似ると言うが、それはきっと違う。私はそういった生き方はしない。ただ、母は父と過ごしていた時間楽しそうだった。
母から父は実は臆病だったと聞かされた時は信じられなかった。寡黙な父が?
「あの人はね、私をじっと見ていたの。遠くから。その時点で私はお父さんの気持ちがなんとなく分かっていたんだけどね、お父さんはその時まだ私は気づいていないと思っていたの。鈍感だったわ。それでね、いつ話しかけてくるのか待ってみたの。でも、いっこうにそんな様子もなく学校生活も終わり、とうとう卒業式になってしまったの。私はもう諦めていたわ。期待はずれで臆病だってね。そしたら、卒業式の帰り道、あの人は私を待っていたの。私を見るなり、顔を赤くして。私は何で今? って思って心では笑っていたの。だって学校は終わったのよ? 文化祭や夏祭りも初詣も全部終わってね。ああ、この人はそういう人だって分かったの」
更に不器用で元々体の弱かった私の父は母親の方の父からきつく反対されていた。でも、どうせ家を出る母は気にせず両親の言葉を無視して付き合い始めた。
私は一番気になる質問をした。どんな告白だったのか。だが、しつこく聞いても母ははぐらかすだけで答えてはくれなかった。代わりに、父の昔の写真を見せてくれた。
父は高身長で細かった。それは私の知る父と変わらなかった。家にいる父は頬杖をついて読書をしており、喋る言葉に無駄がなかった。どうしてそんな父を母は一緒になったのか。
「あなたはお父さんによく似てるわね」
母は突然そう言った。どこが?
「あら、気づいていないの?」
だからどこが?
父は体が弱く、スポーツは得意の方ではなかった。それでも、学生の頃は短い距離ならと短距離には全力で挑んだ。瞬発力と走るスタートから皆に差をつけ、気づけば短距離は学年一位になっていた。それ以来父は短距離の虎と皆からはそう呼ばれるようになった。獲物を狩る虎と似ているからだと。
普段静かな父が短距離だけ輝く。まるで、草むらで普段隠れる虎のように。そして、母はその虎に捕まってしまった。
母は冗談混じりにそう答え、父との出会いを私に説明した。
で、どこが父と似ているというのか?
「あなたは猫で、父は虎。ほら、同じネコ科でしょ?」
私はその時、深いため息をついた。
「でも、あなたの目は父とそっくりよ」
「そう?」
「それより、学校はどうなの?」
「大変。色んな生徒がいて、もういっぱいいっぱい」
「そりゃ色んな人がいるんだから当然でしょう」
確かにその通りだった。
「ご飯食べてくでしょ? ストレスを感じたら、美味しいもん食べて忘れなさい」
「それ、太るパターン」
私と母は笑った。
久しぶりの実家でのご飯は昨日の残りのシチューだった。母は間違えて作り過ぎてしまうんだとか。シチューの中に、ミートボールが入っている。
「ちゃんとご飯食べてる?」
「食べてるよ」
「台所に立ってる?」
「ううん」笑いながらそう答えた。
私は母にまだ教師を辞めようとしていたことを言っていない。多分、言わない。
父に線香をあげる時にこっそり父に告白していた。仏壇に飾られた玄関前に立つ父の写真を見て、私はもう少し頑張ってみることにした。
今日は父の命日でお墓参りを日中してきた。
母は会うたびにあなたは段々とお父さんに似てきたと私に向かって言ってくるのだが、私が喜ぶと思って言っているのか? だとしたら間違いだと教えてあげたい。
怖い父はいつも部屋にいつも引きこもっていた。私は父のある奥の部屋へは行けなかった。授業参観や進路相談の時も足がすくみ廊下の途中でつま先が後ろを向いた。母は何故父が苦手なのか凄く気になっていた。
父は食事の時は必ず現れた。食事は家族と一緒に食べるのが我が家のルールだった。家にはテレビはあるものの、食事の時間は必ずテレビの電源は消されていた。見たい番組があった子どもの頃は、親にわがままを言ったが、父は断固として許さなかった。
「そんなに見たいなら家を出ていきなさい」
私はそんな父に酷い言葉をかけた。どんな言葉だったか……とにかく、それを聞いた母が珍しく私の頬をビンタした。その日は私の好きなミートボールがあった。
私はそれを食べなかった。部屋に引きこもり、餓死して死んでやると考えた。まだ、その頃の私はそんなことを考えていた。絶対食べてやるもんかと意地を張り、親を困らせることしか考えてなかった私のもとに、夜遅くにドアにノックがされた。
トントン。
私は返事をしなかった。ドアは開き、お盆を持った母が私の机の上にそっと置くと、母は部屋を出る前に「ごめんね」と悲しそうな声でそう言った。それは泣きそうな声だった。何でお母さんが悲しくなるのか分からなかった。
私は掛け布団をどかしベッドから降り机の上を覗いた。ミートボールとホットミルクがあった。
それからという私はわがままを言うのをやめた。家のルールを変えられる程、私は偉くはないし変えられないことに諦めがついた。
父は無口で、基本喋らない人だった。静かな人だった。煙草を吸わず、酒も飲まず、パチンコにも行かない。興味があるのは本だった。沢山の分厚い難しい本を読んでいく。私は薄い絵本を読む程度だった。
そんな父が突然亡くなった。母から告げられた私は、ランドセルを床に落とした。
あんなに怖かった父が突然死んだ。
父は病弱だった。それを聞かされた時、直ぐには信じられなかった。だが、よく考えてみれば父が部屋によくこもっていたのは、具合が悪かったからだ。だから、父には沢山の本を読む時間があったのだ。それでも突然だった。言ってくれたら良かったのに。何故父は言わなかったのか。
父の葬儀が終わり、家には母と私だけになった。母は前よりも私に対して心配性になった。母にとって父は支えだった。何かあれば、父が道標だった。この家のルールが父によって決められていたのもそれが理由だった。母は父に従っていた。父を信じていた。だから、母は不安に感じていた。でも、私には母の気持ちが理解出来なかった。何故、母は父の顔色ばかり伺っていたのか。子は親に似ると言うが、それはきっと違う。私はそういった生き方はしない。ただ、母は父と過ごしていた時間楽しそうだった。
母から父は実は臆病だったと聞かされた時は信じられなかった。寡黙な父が?
「あの人はね、私をじっと見ていたの。遠くから。その時点で私はお父さんの気持ちがなんとなく分かっていたんだけどね、お父さんはその時まだ私は気づいていないと思っていたの。鈍感だったわ。それでね、いつ話しかけてくるのか待ってみたの。でも、いっこうにそんな様子もなく学校生活も終わり、とうとう卒業式になってしまったの。私はもう諦めていたわ。期待はずれで臆病だってね。そしたら、卒業式の帰り道、あの人は私を待っていたの。私を見るなり、顔を赤くして。私は何で今? って思って心では笑っていたの。だって学校は終わったのよ? 文化祭や夏祭りも初詣も全部終わってね。ああ、この人はそういう人だって分かったの」
更に不器用で元々体の弱かった私の父は母親の方の父からきつく反対されていた。でも、どうせ家を出る母は気にせず両親の言葉を無視して付き合い始めた。
私は一番気になる質問をした。どんな告白だったのか。だが、しつこく聞いても母ははぐらかすだけで答えてはくれなかった。代わりに、父の昔の写真を見せてくれた。
父は高身長で細かった。それは私の知る父と変わらなかった。家にいる父は頬杖をついて読書をしており、喋る言葉に無駄がなかった。どうしてそんな父を母は一緒になったのか。
「あなたはお父さんによく似てるわね」
母は突然そう言った。どこが?
「あら、気づいていないの?」
だからどこが?
父は体が弱く、スポーツは得意の方ではなかった。それでも、学生の頃は短い距離ならと短距離には全力で挑んだ。瞬発力と走るスタートから皆に差をつけ、気づけば短距離は学年一位になっていた。それ以来父は短距離の虎と皆からはそう呼ばれるようになった。獲物を狩る虎と似ているからだと。
普段静かな父が短距離だけ輝く。まるで、草むらで普段隠れる虎のように。そして、母はその虎に捕まってしまった。
母は冗談混じりにそう答え、父との出会いを私に説明した。
で、どこが父と似ているというのか?
「あなたは猫で、父は虎。ほら、同じネコ科でしょ?」
私はその時、深いため息をついた。
「でも、あなたの目は父とそっくりよ」
「そう?」
「それより、学校はどうなの?」
「大変。色んな生徒がいて、もういっぱいいっぱい」
「そりゃ色んな人がいるんだから当然でしょう」
確かにその通りだった。
「ご飯食べてくでしょ? ストレスを感じたら、美味しいもん食べて忘れなさい」
「それ、太るパターン」
私と母は笑った。
久しぶりの実家でのご飯は昨日の残りのシチューだった。母は間違えて作り過ぎてしまうんだとか。シチューの中に、ミートボールが入っている。
「ちゃんとご飯食べてる?」
「食べてるよ」
「台所に立ってる?」
「ううん」笑いながらそう答えた。
私は母にまだ教師を辞めようとしていたことを言っていない。多分、言わない。
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