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支配の蠱毒
辰爾晶(タツミアキラ)
しおりを挟む心配そうな表情で、茜が私の顔を覗き込んだ。
肩口で切りそろえられた栗色の内側にくるりと巻いてある髪が、ふわりと揺れる。
「杏樹、大丈夫? 何かあった?」
「放課後、辰爾先生が話があるみたい。……何か、問題があったのかな。お金のこととかで」
「たつみん?」
「たつみんって呼んでるの?」
「うん。たつみん。先生って言うよりも、近所のおにーさんって感じでしょ」
茜は少しだけ小馬鹿にした笑みを浮かべた。
たぶん、悪意はないのだろう。茜にとって先生をあだ名で呼ぶことは、親愛の証なのだ。
茜とは長い付き合いだけれど、ずっと昔からそうだった。
あだ名で呼ばれた先生たちも、茜を憎からず思っているように見えた。
「進路指導って言われたけど、六月なのにね」
「でも杏樹、確かに杏樹って高校卒業したらどうするのかちっとも分からないし。たつみんっていうか、先生たちが心配する気持ちもわかるなぁ」
「そうかな」
「そうだよ。杏樹、自分のことちっとも話してくれないし」
「そっか。ごめん」
確かに私は、茜と一緒に居ても茜の話を聞くばかりで、あまり自分の話はしたことがない。
人と話すことが嫌いというわけではないし、話を聞いているのはどちらかといえば好きだ。
けれど、自分の内側にある何かを話そうとすると――それは、掴もうとするとぐにゃりと歪んで霧散してしまう陽炎のように、曖昧模糊としていて形にならず、結局何ひとつ言葉がでてこない。
茜は私の事情を、聞き出そうとしたことは一度もなかった。
私は茜の優しさに、甘えてしまっているのだろう。
「謝らなくても良いけど。亜蓮君は、帝都大学の医学部を目指してるんだって。お父さんが開業医だから。私もそこ目指しちゃおっかなって思ってるけど、私の学力じゃ無理そうだしなぁ」
「まだ一年半はあるし、頑張ればなんとかなるよ」
「帝都大学、帝都のなかでも一番ぐらい偏差値高いんだよ。無理でしょ」
「茜もお医者さんになりたいの?」
「そういうわけじゃないよ。女医とか、忙しそうだし。私はそんなに仕事、したくないなぁ。なりたいものもないし。私も杏樹のこと言えないかも。何にも決まってない」
「茜、吹奏楽部でしょう? 楽器が好きなんじゃないの?」
「そういうわけでもないよ。何となく入っただけ。見栄えが良いかなって思って」
そう言って肩を竦めると、茜は「それじゃあ今日は一緒に帰れないね」と言った。
確かに下校の時刻は、いつもよりも遅くなってしまう。
アルバイトには間に合うと良いのだけれど。
呂希さん、迎えに来ると言っていたけれど――冗談よね。
連絡をしようかと一瞬思って、そういえば連絡先さえ知らなかったことを思い出した。
「でもさ、杏樹。吹奏楽部の先輩たちから聞いたんだけど、放課後のお化けの話」
「まだ噂、続いてるの?」
「続いてるも何も、今一番アツい話題なのに。死んじゃった先輩の名前は、榎本千尋。滅多に学校に来ない、目立たないひとだったみたい。だから皆、親しいわけでもないし、どうして死んじゃったかさっぱり分からないらしいよ」
「……そうなんだ。……何か、苦しいことがあったのかな」
「で、その先輩のクラス担任が、たつみんなんだって。なんか、生徒が死んじゃった責任? 取らされて、クラス担任降ろされちゃったみたいだけど」
「先生が、何かしたの?」
「セクハラとか?」
「うん……、わからないけど」
「どーかな。たつみんモテるし、わざわざセクハラしなくても、せんせーって寄ってくる女子、いっぱいいると思うけど」
そこまで話して、茜は思い出したように私の顔をまじまじと見つめた。
「そういえば杏樹、放課後残るんだよね。たつみんと。……お化け、出ないと良いけど」
「……大丈夫だよ、ただの噂だし。そういうの、見たことないし」
お化けは見たことがないけれど、半吸血鬼には会ってるわよね。
呂希さんはお化けの類ではなさそうだけれど。
茜はすまなそうな顔をして「怖い話してごめんね」と言った。
私は軽く首を振った。
特に怖いとも思っていなかった。
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