上 下
42 / 46

真白と由良 1

しおりを挟む


 どこの角をどう曲がったのか分からないぐらいに、月帝神宮の中は複雑な構造をしている。
 由良様の背中を追いかけるのに必死で、どれぐらい走っているのか、今どこにいるのか、分からないぐらいだった。

 はあはあと促迫する自分の呼吸の音だけを聞きながら、もつれそうになる足を叱咤して、走り続ける。

 由良様は、いくつかの扉に手を触れさせて、五芒星を浮き上がらせて開く。
 扉を抜けた先には、どこまでも深くまで続くような階段がある。

 それは、ぽっかりと開いた空洞を下へ下へと降りるための螺旋階段だった。

「この先が鎮守府だ。いつもは――すぐに招かれる。だが、今日は違う。やはり何かが起こったのだろう」
「七鬼様は、本当にご乱心なさったのでしょうか」
「……分からない。最後に会った時には、いつも通りだった。落ち着いているように、見えたが」
「そうなのですね」
「人の心など、分からない。真白の異変にも、気づけなかったぐらいだ」

 私は由良様の手をそっと握った。
 この先には、由良様のお兄様がいる。
 どんなにひどいことが起こっても、由良様にとっては唯一の血のつながった肉親だ。

 心が、痛むだろう。

「ありがとう、薫子。大丈夫だ。行こう」
「はい」

 螺旋階段を降りていく。巨大な動物の腹の底へと降りていくような、薄ら寒さを感じた。
 誰もいない。声もしない。静かなものだ。
 七鬼様は、私たちの来訪に気づいているのだろうか。
 気づいているのだとして何もしないのなら――招かれているのだろうか。

 それとも、月帝様が、すでに七鬼様を討伐しているのだろうか。
 疑問ばかりが頭を過る。
 
「――薫子。悪いが、急ごう」

 何かに気づいたように、由良様が振り向いた。私の体を抱きあげると、螺旋階段の、くり抜かれたような何もない中央に向かって一息に飛び降りた。

 内臓が浮き上がるような浮遊感と共に、落下していく。
 私は由良様の体にしがみつく。由良様は厳しい表情で、眼下を見据えている。
 一瞬のうちに最下層にまで辿り着くと、由良様は軽快な音を立てて軽々と着地した。

 その先には――いくつもの炎杯に、炎が揺らめく祭壇のような場所がある。
 炎の明りが届かないぐらいに、広い空間である。

 黒々とした、良く磨かれた石の床。動物の骨のような、黒い柱。
 その中央で、白い着物に身を包んだ美しい少女が倒れている。
 作り物のように美しい少女である。銀の長い髪が、床に広がっている。白い着物もまた、花のように広がっていた。
 その少女の腹を、男が踏みつけていた。
 
 異国風のスーツに身を包んだ、長い黒髪に金の瞳をした男性だ。
 その額からは、黒々とした長い角が二本、天に向かってはえている。

「七鬼、月帝様から離れろ!」

 私を降ろし、由良様が七鬼様の元に走る。
 その片手には、長く美しい刀が現れる。
 刀の周りには、紫色の炎が纏わりついている。凶悪な形をしているのに、芸術品のように美しいのが不思議だった。

「由良か」
「二度は言わない。制止の声をきかないのなら、今ここでお前を斬る」
「玉藻に、俺が切れるか?」
「それが俺の仕事だ。お前がただの悪鬼に成り果てるのならば、処断する必要がある」
「――兄は、斬れなかったのにな」

 小馬鹿にしたように、七鬼様はそう言って、鼻で笑った。
 七鬼様の足の下で、月帝様が呻いている。
 強い光を宿した瞳で、きつく七鬼様を睨みつけた。

「――馬鹿者。簡単に、心を奪われた、大馬鹿者。だからお前は、弱いのです」

 憎々し気に、皮肉気に、月帝様は愛らしい声で言った。
 心を奪われたとは、一体どういうことだろうか。
 七鬼様も、先程の女官たちのように、餓鬼に憑かれているということなのだろうか。

「黙れ月帝。お前など俺が欲していた月帝ではない。――お前の中にいる我が最愛の魂と、お前を喰らって、俺は一つになるのだ」
「あぁ、おぞましい。一体何年――何百年、恋焦がれれば気がすむのか。老いらくの恋程燃え上がるとは、よく言ったものですね」

 月帝様は、愛らしい、けれど明朗と良く響く声音で高らかに言う。
 七鬼様の額に、青筋が浮かんだ。
 その指先が、爪の形が、肉食獣のそれのように鋭く尖る。
 耳まで裂けるようにして開かれた口には、白い牙が並んでいる。
 舌が、だらりと垂れた。

「月帝様、心を奪われたとは――まさか」

 由良様の声が、僅かに震える。
 動揺に拍車をかけるようにして、私の背後からぱちぱちと拍手の音が聞こえた。
 
 闇が、ぬるりと背後から近寄ってくるような薄気味悪さに、鳥肌が立つ。
 振り向くとそこには、由良様によく似た顔立ちの、髪の長い男性が立っていた。
 
 そして、その男性の腕には、どうしてか咲子さんが寄り添っている。

「真白!」
「よく分かった。流石は、俺の弟だ、由良」

 その男性は――由良様によく似た男性は、やはり真白さんだった。
 けれど、その雰囲気は由良様とはまるで違う。

 由良様が春の日差しのような温かさや、しとしと降る雨のような優しさを感じる方だとしたら。
 真白さんとはまるで――全てを薙ぎ払う、嵐のような。

「薫子!」
「……っ」

 真白さんの手が、私に伸びる。
 ――私は、由良様の体にしがみつくようにして、その手から逃れた。

 心臓が、うるさいぐらいに脈打っている。
 ここは危ない。危険だ。
 早く、離れなければと――誰かが警鐘を鳴らしているようだった。

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

貧乳は婚約破棄の要件に含まれますか?!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:695pt お気に入り:231

ぶち殺してやる!

現代文学 / 完結 24h.ポイント:695pt お気に入り:0

もう、あなたを愛することはないでしょう

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:1,150pt お気に入り:4,128

転生した魔術師令嬢、第二王子の婚約者になる

恋愛 / 完結 24h.ポイント:2,477pt お気に入り:2,377

月が導く異世界道中

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:57,602pt お気に入り:53,902

Blue day~生理男子~

BL / 完結 24h.ポイント:539pt お気に入り:1,733

嘘つきな唇〜もう貴方のことは必要ありません〜

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:40,181pt お気に入り:5,336

【壱】バケモノの供物

BL / 完結 24h.ポイント:276pt お気に入り:309

処理中です...