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真白と由良 1
しおりを挟むどこの角をどう曲がったのか分からないぐらいに、月帝神宮の中は複雑な構造をしている。
由良様の背中を追いかけるのに必死で、どれぐらい走っているのか、今どこにいるのか、分からないぐらいだった。
はあはあと促迫する自分の呼吸の音だけを聞きながら、もつれそうになる足を叱咤して、走り続ける。
由良様は、いくつかの扉に手を触れさせて、五芒星を浮き上がらせて開く。
扉を抜けた先には、どこまでも深くまで続くような階段がある。
それは、ぽっかりと開いた空洞を下へ下へと降りるための螺旋階段だった。
「この先が鎮守府だ。いつもは――すぐに招かれる。だが、今日は違う。やはり何かが起こったのだろう」
「七鬼様は、本当にご乱心なさったのでしょうか」
「……分からない。最後に会った時には、いつも通りだった。落ち着いているように、見えたが」
「そうなのですね」
「人の心など、分からない。真白の異変にも、気づけなかったぐらいだ」
私は由良様の手をそっと握った。
この先には、由良様のお兄様がいる。
どんなにひどいことが起こっても、由良様にとっては唯一の血のつながった肉親だ。
心が、痛むだろう。
「ありがとう、薫子。大丈夫だ。行こう」
「はい」
螺旋階段を降りていく。巨大な動物の腹の底へと降りていくような、薄ら寒さを感じた。
誰もいない。声もしない。静かなものだ。
七鬼様は、私たちの来訪に気づいているのだろうか。
気づいているのだとして何もしないのなら――招かれているのだろうか。
それとも、月帝様が、すでに七鬼様を討伐しているのだろうか。
疑問ばかりが頭を過る。
「――薫子。悪いが、急ごう」
何かに気づいたように、由良様が振り向いた。私の体を抱きあげると、螺旋階段の、くり抜かれたような何もない中央に向かって一息に飛び降りた。
内臓が浮き上がるような浮遊感と共に、落下していく。
私は由良様の体にしがみつく。由良様は厳しい表情で、眼下を見据えている。
一瞬のうちに最下層にまで辿り着くと、由良様は軽快な音を立てて軽々と着地した。
その先には――いくつもの炎杯に、炎が揺らめく祭壇のような場所がある。
炎の明りが届かないぐらいに、広い空間である。
黒々とした、良く磨かれた石の床。動物の骨のような、黒い柱。
その中央で、白い着物に身を包んだ美しい少女が倒れている。
作り物のように美しい少女である。銀の長い髪が、床に広がっている。白い着物もまた、花のように広がっていた。
その少女の腹を、男が踏みつけていた。
異国風のスーツに身を包んだ、長い黒髪に金の瞳をした男性だ。
その額からは、黒々とした長い角が二本、天に向かってはえている。
「七鬼、月帝様から離れろ!」
私を降ろし、由良様が七鬼様の元に走る。
その片手には、長く美しい刀が現れる。
刀の周りには、紫色の炎が纏わりついている。凶悪な形をしているのに、芸術品のように美しいのが不思議だった。
「由良か」
「二度は言わない。制止の声をきかないのなら、今ここでお前を斬る」
「玉藻に、俺が切れるか?」
「それが俺の仕事だ。お前がただの悪鬼に成り果てるのならば、処断する必要がある」
「――兄は、斬れなかったのにな」
小馬鹿にしたように、七鬼様はそう言って、鼻で笑った。
七鬼様の足の下で、月帝様が呻いている。
強い光を宿した瞳で、きつく七鬼様を睨みつけた。
「――馬鹿者。簡単に、心を奪われた、大馬鹿者。だからお前は、弱いのです」
憎々し気に、皮肉気に、月帝様は愛らしい声で言った。
心を奪われたとは、一体どういうことだろうか。
七鬼様も、先程の女官たちのように、餓鬼に憑かれているということなのだろうか。
「黙れ月帝。お前など俺が欲していた月帝ではない。――お前の中にいる我が最愛の魂と、お前を喰らって、俺は一つになるのだ」
「あぁ、おぞましい。一体何年――何百年、恋焦がれれば気がすむのか。老いらくの恋程燃え上がるとは、よく言ったものですね」
月帝様は、愛らしい、けれど明朗と良く響く声音で高らかに言う。
七鬼様の額に、青筋が浮かんだ。
その指先が、爪の形が、肉食獣のそれのように鋭く尖る。
耳まで裂けるようにして開かれた口には、白い牙が並んでいる。
舌が、だらりと垂れた。
「月帝様、心を奪われたとは――まさか」
由良様の声が、僅かに震える。
動揺に拍車をかけるようにして、私の背後からぱちぱちと拍手の音が聞こえた。
闇が、ぬるりと背後から近寄ってくるような薄気味悪さに、鳥肌が立つ。
振り向くとそこには、由良様によく似た顔立ちの、髪の長い男性が立っていた。
そして、その男性の腕には、どうしてか咲子さんが寄り添っている。
「真白!」
「よく分かった。流石は、俺の弟だ、由良」
その男性は――由良様によく似た男性は、やはり真白さんだった。
けれど、その雰囲気は由良様とはまるで違う。
由良様が春の日差しのような温かさや、しとしと降る雨のような優しさを感じる方だとしたら。
真白さんとはまるで――全てを薙ぎ払う、嵐のような。
「薫子!」
「……っ」
真白さんの手が、私に伸びる。
――私は、由良様の体にしがみつくようにして、その手から逃れた。
心臓が、うるさいぐらいに脈打っている。
ここは危ない。危険だ。
早く、離れなければと――誰かが警鐘を鳴らしているようだった。
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