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宿での宿泊
しおりを挟む夕暮れまでディゼルは街道を、時には草原を進んだ。
本気で駆けさせれば王都まで数刻で到着するが、急ぐ用事でもないとアレクシスは言う。
王都にジルバが先についていても、待たせておけばいいと考えているようだった。
アレクシスの腰にしがみついて彼の香りや鼓動を感じていると、ラティアの胸の鼓動はどくどくと早まった。
荷物から顔を出したルクエが『ラティア、具合が悪い?』と聞いてきたが、ラティアは首を振るだけに留めた。
アレクシスに気づかれたくなかった。心配もかけたくない。
自分でもどうして鼓動が早くなり息があがりそうになるのかわからないのだ。
髪に触れられて彼の笑顔を見たときから、何かが少しおかしい。
だがそれが何かわからず、ラティアはきっと慣れないことだらけで緊張をしているせいだと結論付けた。
実際には、ラティアは安心している。
指を動かすだけで、一言発するだけで叱責されるようなことはないのだから。
「夜は馬を駆けさせない。有事の際は別だが、夜道を進むほど危険なことはないからな。この街に一泊する」
「はい、旦那様」
「お前を一人にはできない。そのため同室だが、構わないな」
「はい。もちろんです。旦那様のお世話をさせていただきます。頑張りますね」
ディゼルを馬番に預け、そんなことを話しながら街の中心にある三階建ての立派な宿に入る。
若い女性の客室係が驚いたように目を見開いたあと、顔を赤らめた。
彼女はアレクシスから荷物を受け取る。彼がフロントでチェックイン名簿に名を書いて支払いを済ませている間、ラティアはルクエを抱っこして彼女の隣で待っていた。
「まぁ、わんちゃん」
「わんちゃん、です」
『犬ではないが、犬ということにしておこう』
「可愛い羽根飾りですね」
「はい、ええ、そう、なんです、そう、羽飾り……」
客室係に話しかけられて、ラティアは誤魔化すように笑った。
羽の生えた犬などいない。幸いにして、女性はルクエの背中の羽を、アクセサリーの類だと思ってくれたようだった。
「あなたの旦那様、とても素敵な方ですね」
「ええ、はい。ありがとうございます」
「少し年が上に見えますが、ご結婚なさったばかりですか?」
「い、いえ、その」
「あぁ。結婚したばかりだ。ラティア、待たせたな」
女性の言葉を否定しようとしたが、アレクシスがラティアの言葉を奪うようにそれを肯定した。
女性は愛想よく笑って「おめでとうございます」と祝いの言葉を述べてくれる。
ラティアはアレクシスの隣で恐縮していた。ルクエが『結婚とは、人間たちの魂の契りのことだね』と言って、ラティアの顔を見上げる。
『結婚したの? よかったね、ラティア』
ラティアはふるふると首を振ることしかできなかった。
そんなこと、あるわけがない。考えるだけで烏滸がましい。ラティアは彼の侍女である。彼はきっとそのうち相応しい人と結婚するだろう。
最上階の部屋に通されて、客室係は荷物を置くと礼をしてさがっていった。
アレクシスはマントを壁にかける。ルクエを抱いたまま棒立ちになっているラティアの腕から、彼はルクエを抜き取ってベッドの上に乗せた。
ルクエは尻尾をぱたぱた振りながら『君は気がきく、アレクシス』と、彼を誉めた。
伝わってはないだろうが、アレクシスは無言でルクエの頭を撫でる。
それからラティアの元にやってきて、ラティアの体を抱きあげた。
「あ、あの……」
「扉の前で立ち尽くしていられると、落ち着かん」
「すみません。でも、歩けます。少しぼんやりしていて……」
アレクシスはラティアをソファに座らせる。それから自分も隣に座った。
「夫婦と言ったことを気にしているのか? 同室であることを怖がっているのか? 言っただろう、私は飢えた獣ではない。夫婦と言っておけば話が早い。同室にしたのは、お前に何かあったら困るからだ。お前はお前が考えている以上に、貴重な存在だ。今はその力は隠すことができているが……」
実際ラティアの力を知っているのは、彼の側近であるシュタルクとルトガー、そしてファリナと、一部の侍女たちぐらいである。
ラティアは真剣な表情で頷いた。
『そうだよ。リーニエの祝福の中でも、癒やしの力は貴重だ。魔力は使えば失われるけれど、それをたちどころに回復させることができれば、どんなに強力な魔法でも、幾度も連続で使用できる』
「……ルクエも、そうだと言っています」
「あぁ。もしお前の力が知られれば、誰かがお前を利用するために誘拐を企てる可能性もある。お前はシャルリアの娘でリーニエの巫女だ」
「気をつけ、ます」
「理解はできたか? だから、気に病むな」
「はい。気にしてはいません。ただ、とても綺麗な部屋で、驚いてしまって……」
「そのうち慣れる」
アレクシスはどこか複雑そうに眉根を寄せて、深く息をついた。
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