2 / 50
国王からの手紙
しおりを挟む青年を助けたことを、フィアナは誰にも言わなかった。
もとより、アルメリア伯爵家にはフィアナの話し相手など誰もいない。
フィアナの心を慰めるのは、屋根裏部屋に時折訪れてくれる小鳥たちや猫や、リスたちぐらいのものだった。
動物たちといるときだけ、フィアナの心は安らいだ。
「あの人は、誰だったのだろう」
人の美醜は、よくわからない。だがきっと、どちらかというと綺麗な顔をしていたのだろう。
綺麗な顔をしていても、怖い人もいる。
フィアナの義母アルサンディアや、腹違いの妹イシュタニス。
そして父、セルジオ・アルメリア。
顔立ちも身なりもいいのに、皆、おそろしい。
母も綺麗な人だった。だが、フィアナが思い出せる母は、やつれた顔をしていた。
やつれていて、髪も痩せ細り、肌もかさついていた。けれど、それでも綺麗だった。
「フィアナ! どこにいるの!? ドレスのボタンの色が気に入らないのよ! なおしておいてって言ったでしょう……!」
「フィアナ、これっぽっちのブラッドベリーじゃ、ジャムには足りないわ。まったく、役立たず!」
階下で、アルサンディアとイシュタニスが大声をあげている。
背筋を寒々しいものがはしる。彼女たちを怒らせると──折檻をされるのだ。
頬を叩かれるのは、背を蹴られるのは、痛いから嫌だった。
言葉で傷つけられるたび、痛みで傷つけられるたび、自分の中にある大切なものにひびが入り、砕けていくのを感じていた。
「フィアナ、今日は帰りが遅かったわね。何をしていたの? 森でさぼっていたのではないでしょうね」
「まさか、誰かと密会をしていたのではないの、お姉様。そういえば、お姉様が森に行っている間、馬番がいなかったわ」
「まぁ、薄汚い……! まだ十三歳だというのに、穢らわしい」
「私は、何も……ベリーを摘んでいただけで……」
「口答えなど許していないわ!」
屋根裏から出て、廊下で騒いでいるアルサンディアたちの元に行くと、アルサンディアは金切り声をあげながらフィアナの頬を打った。
最近のアルサンディアは、以前よりもずっと苛立っている。
──父の夜遊びが、またはじまったのだ。
元々、女好きの男だったのだろう。子を生み老けたアルサンディアに以前ほど関心を示さなくなり、若い女に手を出していることをフィアナは知っていた。
アルサンディアやイシュタニスたちが不在の時に伯爵家の自室に若い女を連れ込んでいるのだから、知っていて当然だ。
父はその後片付けを、フィアナに命じた。
そういうときの、父から感じる肌にねばりつくような視線のおぞましさを、フィアナはなによりもおそれていた。
フィアナが知っていて、アルサンディアが何も気づいていないはずはない。
アルサンディアは恐れているのだろう。かつて、母が捨てられたように、自分も捨てられるのではないかということを。
「さっさと仕事をなさい! この家に置いてやっているのだから、働きなさい、役立たず!」
「そうよ、お姉様。お母様の言うとおりだわ」
叩かれた衝撃で床に倒れたフィアナを、アルサンディアは先の尖った靴で蹴りつけた。
アルサンディアの隣で、イシュタニスがくすくす笑っている。
フィアナは悲鳴をあげないように、口をつぐんだ。感情を出せば、アルサンディアの憤りを刺激してしまう。
折檻が終わるまで何も言わずに耐えていれば、それは早く終わるのだと、フィアナはこの三年で学習していた。
人は、どのような環境であってもやがて慣れるものだ。
それはフィアナの若さもあったのだろう。そして、母と違って貴族としての優雅な暮らしを知らないということもあったのだろう。
森に入れば食料があり、水浴びをすれば清潔は保てる。
成長するにつれてフィアナは、そういうことを覚えていった。
もちろん母もそれを知っていたはずだ。
だが、侯爵令嬢としての矜持が母にそれを許さなかった。
森の中で裸になり水浴びをしたり、野草や木の実を食べたりすることが、母には耐えられなかったのだろう。体よりも先に心が病んで、そして体が病みついた。
フィアナは、むしろ森や自然を愛していた。
慣れてしまえば、ブラッドベリー摘みも辛いとは思わず、一人で水浴びをしている時は心が晴れやかになった。
気づけば更に四年の月日が経ち、フィアナは十七歳になっていた。
いつものように裏庭でシーツを干していたフィアナを、父が執務室に呼びつけた。
「フィアナ! お前に国王陛下からの手紙が来た!」
「……お父様、私に手紙、とは」
「一体どういうことだ!? 陛下がお前を嫁に欲しいと言っている! お前は何をした!? そもそもお前のことを陛下に紹介したことなど一度もない。社交界にも連れていくなとアルサンディアが大騒ぎして面倒だから、その通りにしていたというのに……!」
この日は、久々に王都からアルサンディアも帰ってきていた。
アルサンディアは顔を悪鬼のように歪めながら
「何故、フィアナが!? イシュタニスと結婚を望むのならよろこんで受け入れるというのに! あり得ない、許せないわ!」
と、髪をかきむしりながら叫び続けた。
その有様は、傍で見ていたフィアナが命の危機を感じるほどだった。
今すぐに花瓶を掴んで、フィアナを殴りかねない剣幕のアルサンディアを、セルジオが使用人に命じておさえつけた。
「ともかく、お前を国王陛下の元につれていく。いいか、フィアナ。上手くやれ。お前が国母となれば、伯爵家は安泰だ」
「……私は、とても、そんな役割は」
「余計な口答えをするな!」
父に叱責されて、フィアナは口を噤む。
伯爵家の令嬢ではあるものの、フィアナは一度も伯爵令嬢らしい教育など受けたことはない。
国王陛下との結婚など、できるはずがない。
──それがどんなものなのかさえ、考えることもできないのに。
フィアナはただの使用人だ。血筋がどうであれ、使用人として生きてきた。
何かの間違いだ。
月日は、フィアナを置き去りにして勝手に流れていく。
髪や体を清められ、整えられたフィアナは、真新しいドレスに着替えさせられて、馬車に乗せられた。
セルジオは、どうしても共に行きたいというアルサンディアとイシュタニスを連れて、フィアナとともに登城をした。
そこで待っていたのは、どこかで見たことのある青年だった。
目が覚めるような金の髪に、翡翠色の瞳をした、美しい男だ。
「フィアナ。会いたかった」
フィアナの顔を見るなり、出迎えに来た青年が駆け寄ってくる。
肩には獣の毛皮のマントがかけられている。逞しい体に、飾りの多い衣服を纏っている。
「国王陛下、この度は……」
「国王陛下! あなたが見初めたのは、イシュタニスの間違いではないですか? フィアナと年齢は同じですし、背格好も似ています。私たちはフィアナを一度も家から出したことがありません。この子は少し、問題があるものですから」
挨拶をしようとしたセルジオの言葉を遮り、アルサンディアが言う。
若き国王は彼らをちらりと見て、それから再び視線をフィアナに戻した。
「俺が見初めたのはフィアナだ。そちらの、イシュタニスなどは知らんな。アルメリア殿、フィアナを我が伴侶に迎えることに相違はないな?」
「もちろんです、陛下。ですが、フィアナには妻の言うように、問題がありまして」
「問題とはなんだ?」
「……頭があまりよくないのです。礼儀作法も覚えられず、言葉もまともに話せません」
「なんだ、そんなことか。些細なことだな。それに、言葉は話せる。そうだろう、フィアナ」
「……話すことは、できます」
礼儀作法はわからない。文字も、まともに読めない。
頭が悪いと言われてしまえば、きっとそうなのだろう。
不安に揺れるフィニアの瞳を覗き込んで、国王は快活な笑みを浮かべた。
「俺は、カトル・エスタニア。四年前、君に救われた。覚えているか?」
「……あの時の」
川で倒れていた青年だ。どうりで見たことがあるはずだ。
──まさか、彼が国王だとは。
「どういうこと……!?」
「お姉様、どうして……ずるいじゃないですか、こんなのって、ない……!」
「アルメリア殿。俺はフィアナを妻に迎える。アルメリア伯爵家には相応の支度金を送ろう。それから、アルメリア殿の隣にいる女は、使用人だと聞く。その娘には庶民の血が流れている。何故俺に会い、言葉を交わせると思った?」
「もうしわけありません、陛下!」
「フィアナは今日から俺と共に暮らす。これ以上の話がないのならば、お前たちは帰っていい」
冷たい声でカトルに告げられ、セルジオは真っ青になりながら礼をして、アルサンディアたちを連れて逃げるように帰って行った。
692
あなたにおすすめの小説
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!
翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。
「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。
そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。
死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。
どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。
その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない!
そして死なない!!
そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、
何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?!
「殿下!私、死にたくありません!」
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
※他サイトより転載した作品です。
7年ぶりに私を嫌う婚約者と目が合ったら自分好みで驚いた
小本手だるふ
恋愛
真実の愛に気づいたと、7年間目も合わせない婚約者の国の第二王子ライトに言われた公爵令嬢アリシア。
7年ぶりに目を合わせたライトはアリシアのどストライクなイケメンだったが、真実の愛に憧れを抱くアリシアはライトのためにと自ら婚約解消を提案するがのだが・・・・・・。
ライトとアリシアとその友人たちのほのぼの恋愛話。
※よくある話で設定はゆるいです。
誤字脱字色々突っ込みどころがあるかもしれませんが温かい目でご覧ください。
とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ
結婚結婚煩いので、愛人持ちの幼馴染と偽装結婚してみた
夏菜しの
恋愛
幼馴染のルーカスの態度は、年頃になっても相変わらず気安い。
彼のその変わらぬ態度のお陰で、周りから男女の仲だと勘違いされて、公爵令嬢エーデルトラウトの相手はなかなか決まらない。
そんな現状をヤキモキしているというのに、ルーカスの方は素知らぬ顔。
彼は思いのままに平民の娘と恋人関係を持っていた。
いっそそのまま結婚してくれれば、噂は間違いだったと知れるのに、あちらもやっぱり公爵家で、平民との結婚など許さんと反対されていた。
のらりくらりと躱すがもう限界。
いよいよ親が煩くなってきたころ、ルーカスがやってきて『偽装結婚しないか?』と提案された。
彼の愛人を黙認する代わりに、贅沢と自由が得られる。
これで煩く言われないとすると、悪くない提案じゃない?
エーデルトラウトは軽い気持ちでその提案に乗った。
王太子妃は離婚したい
凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。
だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。
※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。
綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。
これまで応援いただき、本当にありがとうございました。
レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。
https://www.regina-books.com/extra/login
〖完結〗旦那様が愛していたのは、私ではありませんでした……
藍川みいな
恋愛
「アナベル、俺と結婚して欲しい。」
大好きだったエルビン様に結婚を申し込まれ、私達は結婚しました。優しくて大好きなエルビン様と、幸せな日々を過ごしていたのですが……
ある日、お姉様とエルビン様が密会しているのを見てしまいました。
「アナベルと結婚したら、こうして君に会うことが出来ると思ったんだ。俺達は家族だから、怪しまれる心配なくこの邸に出入り出来るだろ?」
エルビン様はお姉様にそう言った後、愛してると囁いた。私は1度も、エルビン様に愛してると言われたことがありませんでした。
エルビン様は私ではなくお姉様を愛していたと知っても、私はエルビン様のことを愛していたのですが、ある事件がきっかけで、私の心はエルビン様から離れていく。
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
かなり気分が悪い展開のお話が2話あるのですが、読まなくても本編の内容に影響ありません。(36話37話)
全44話で完結になります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる